第二章 十四『なーんにも』
直線状にあった家々を破壊しながら進み、彼女らが降り立った場所は寂れた地域をだいぶ出たところだった。閑散としていた場所とは打って変わり疎らではあるが人の姿が目に入る。さすがに力を込め過ぎたらしい。
「何者だ、お前」
口の中に入った砂を吐き出しながら坂百合さんが言った。そうすれば「ふふっ」と烏が笑う。
「何者だと思われますか?」
まるでこちらを揶揄うような口ぶりに、握り締めた上司の拳に血管が浮かび上がる。周辺の人々は私たちの姿と只事ではない空気感を察し、速足でこの場を去っていく。そうして再び人気がなくなれば、髪から生成された棒が視界の端をものすごい速さで飛んで行った。けれどやはり対象に当たることはない。
「未来予知でもしてるのか……?」
「あり得なくはないな」
「嫌だわ、ただ目がいいだけですよ」
「そうか」
副連長はそう口にして私の頭に手を伸ばし、髪を掴んで何本か引き抜いた。一瞬の鋭い痛みに顔を顰めて見せれば、金色に輝く髪だったものが全て前方に投げられていた。真っ直ぐ飛んだ棒は烏の足元を目指し、拍を打つかのように順に地に突き刺さった。それすらもひらりと交わした烏は踊りでも披露しているかのよう。
「あら」
烏が軽快な足捌きでくるくると外套を靡かせている横に、錫杖のような非常に長い棒が向けられていた。その棒を握るのは他でもない坂百合副連長。投げるだけでは埒が明かないと判断したのか、自ら武器を持って戦闘を始めた。上司は握り締めた棒を振り、突き、回して、外套の肩部分を裂いた。
「近接戦は苦手か?」
「いいえ、そうでもないですよ。だって———」
烏は楽し気に、どこからか取り出した黒い羽根を副連長の眼前に投げた。ふわふわと舞う純黒の羽は、使用者が鳴らした指に連動し破裂した。身を捩り直撃を免れた上司は耳の先を僅かに焼いていた。
「爆発に遠近は関係ないですから」
「そうだな」
上司の攻撃を爆発で防ぐためか、二人の居る狭い空間にだけ羽根が降り注ぐ。私は蚊帳の外……だがけして悪いことではない。私は羽根の舞う空間に突進し、地面に突き刺さった棒を引き抜き烏に背後から襲い掛かった。下から差し込んだ武器は外套に刺さり、肉体に触れることなく向こう側へ貫通する。目標物へ当てることが出来ないのは、きっと近接戦が得意ではないからだろう。
「二対一は卑怯じゃあありません?」
私の握っていた棒を反対側から烏に掴まれ、奪われた。今度は切っ先が私の方に向いている。烏は上から下へ、私目掛けて棒を振り下ろした。こちらだってだてに異師をやっちゃいないんだ。次の行動ぐらい予想は出来ている。私は身を屈め、烏が身体を回すのと同じ方向へ移動した。ともすれば上司の錫杖棒が烏の脇腹に当たり、残像を残しながら建物の中へと消えた。
「油断するな」
「はい」
上司は錫杖を肩に担ぎ、私は両手に地面から引き抜いた一回り短い金の棒を握った。どう来る? 烏はどんな手段を使い、どこから来る? 周囲に神経を張り巡らせるように視覚と聴覚を研ぎ澄ませた。
「正面からだ」
烏の身体が吸い込まれていった建物。壁や柱が折れ崩れた家の中から爆発音がした。何度目かのそれに驚くことはもうない。迫力も威力もとうに慣れてしまっている。ただ一つ予想外なことがあるとすれば、羽根は全てを破壊するわけではないということだろうか。
「確かこんな風に飛んでらしたっけ? どうです、初めてにしては上手でしょう?」
烏は家屋内にあった木片に足を乗せ、爆破の威力を借りて宙を舞った。屋根を突き破り再登場を果たしたその様はどこか誇らしげだ。
「あぁ、初めてにしては上々だ」
私はそんな烏を褒めながら、脚に力を込めて靴裏で地面を斜めに蹴る。前方で同じように浮遊する人物との距離が詰まる。
「もう終わりにしよう」
「まだ始まったばかりですよ」
至近距離で「フフッ」と笑い声がした。私は手にした武器を握り直し、烏の顔を目掛けて外から中へと横に動かす。しかし柔らかな上体はそれをひらりとかわした。私は勢いそのままに手を素早く動かして武器の先端を握り、肘に沿わせてから喉元目掛けて再度腕を動かした。だが先端は間に入り込んだ烏の腕に食い込み、同時にその人の上昇浮遊を止めた。
止まった身体は時を巻き戻すように落下を始める。初めはゆっくり。だが私の能力のせいか、一瞬にして真下で砂埃が立ち昇った。
「まだだな」
「えぇ、えぇ、痛いだけね」
立ち昇った煙の向こう側。瓦礫に埋もれた奥の奥で、ガラガラと崩れる音が聞こえた。
「なら寝たほうがいい」
そこへすかさずもう一つの短い棒を投げ入れれば、鈍い大きな音とともに再度砂煙が舞い上がる。視界不良なところへ入れた攻撃。だが全て読んでいたかのように空気が膨張し、向かい来る烏の面は瞬く間に眼前へと戻ってきた。
「寝るのはまだ早いですよ。御覧なさい、太陽はまだ頭上」
細く整った指先が指すのは燦燦と輝く火輪。冷えた空気を温めるように、ひとりでに燃えている。烏は上を指さしたまま、片足の裏を私の腹にピッタリとくっつけた。緩やかに落下していく私の身体は、その足から逃げることは出来なかった。
「もう少しだけ遊んでくださいな」
柔らかな言葉とともに、私と足の間に挟まった黒い羽根が爆ぜた。受けた勢いを生かすことも殺すことも出来ず、私の身体はただただ平行に移動し続ける。
「油断するなと言っただろ」
小言が耳の端の方で聞こえた。
「してませんよ」
小さく反論しながら、身体が空中移動をやめたのを肌で感じた。途端にのんびりとした降下を再開させたので、私は能力を切ってその速度を速めた。烏の能力を受けた腹は服が裂け、肌にじんわりと血が滲んでいる。
「減給だな」
「勘弁してください」
この人なら本当にやりかねない。私は給料が減らされる恐怖に身を震わせながら、私と同じく爆発で飛んだ烏を目で追った。奴は器用に羽根を使いながら、今も尚空中にポツンと佇んでいる。
浮かび上がる手段を持ち合わせていない副連長は、新たに生成した輝く棒を投げた。しかし既に分かっていたことだが、今回も向かい行く棒を能力を駆使しひらりと躱した。これでは最早手段が無いに等しい。そう諦めたとき、キラリと光る何かを見た。
「坂百合さん、あれ」
小爆発の黒煙に混ざって陽光を反射させるのは———
「……糸?」
目視では見えないほどの細い糸が、烏の四肢からスーッとどこかへ伸びていた。まるで操り人形のそれだ。
「突破口はこれだな」
副連長は捉えた輝きを凝視しながら、今日生成した中で一番小さい棒を放り投げた。金のそれはブレることなく真っ直ぐ飛び、細い糸を的確に切断する。輝きが黒煙の中で左右上下に揺らめき、繋いでいた脚から離れていく。これをあと三度繰り返せば……などと考えた矢先に、切れたはずの糸が再び脚に戻っていった。どうやら切り離しても意味はないらしい。
「振り出しに戻りましたね……」
絶望という言葉がふさわしいのかもしれない。私たちには為す術がなかった。
「—————いや、どうやらそうでもなさそうだ」
副連長は脇に挟んでいた錫杖を地面にトンと置き、自立したそれの足元周辺に視線を向けた。見えない世界の住人が何かを知らせに来たらしい。私も上司と同じように錫杖の下へ目を向け、そうして浮遊し続ける烏を見やった。
「ハハッ」
微かな乾いた笑いは副連長の不気味さを際立たせるかのようだった。上司は見えない誰かに手を伸ばし、掬い上げるような素振りをした。そうして腕に抱くような姿になると、立っていた錫杖を掴み器用にシャンシャンと二回鳴らす。すると錫杖の上方延長線に鋭い金の棒が幾本も一列に作り出され、弾丸のように彼方へと発射された。
シュンッと恐ろし気な音を鳴らしながらあっという間に姿を消した棒の行く先を、私と副連長は疎か烏までもが見守っていた。
「どこぞへ飛んで行ってしまいましたね……それでも本当に異師なのですか?」
信じられない、とでも言いたげな口調の烏に、副連長は眉のひとつも動かさなかった。それどころか微かに上がっていた口角は下がり、への字の形へと戻ってしまっている。機嫌がいいのか悪いのか、これではさっぱり分からない。
「自分の能力もまともに扱えないなんて、野良の方がよっぽどマシね」
「いいや、異師が上だ」
そう言いながらキッと空中に滞空する人間を見た上司は、ゆっくりと足を動かして烏の足元へと歩いていく。先程飛ばした棒に意味がないはずもないのだが、如何せん考えが読めない。こういうときにも彼方側の住人が見えたら、と考えてしまう。
「ふふっ、強がりはもういいんですよ。当たらないことを責めているわけではないのですから」
「当たらない、ねぇ」
「まぁでも、異師の質も落ちたものだわ、なんてのは案外的を射ているかもしれませんね」
ボンボンと羽根を鳴らしながら面越しにくぐもった声が聞こえた。質が落ちたかそうでないかなど私には分からない。毎日目の前のことに精一杯なのだから、疎まれている巷の会話など耳にもしようとは思わない。他人からの評価など日陰にはさして関係ないのだ。
「視えている、の間違いではないか?」
嚙み合わない会話。けれど副連長の視線は真っ直ぐ一点だけを見つめていた。
「そうすれば今度は私たちの時代ね! なんでも出来るきがしてき————っや!?」
ペラペラと未来の話をしていた烏の身体は、糸を切った風鈴のように力なく落下を始めていく。あれだけ上手く使いこなしていた羽根の能力は精度を落とし、足の周辺で橙の火とともに破裂しているだけだった。言葉通り、使う人間側の力不足……質の低下だ。
「なんなの!」
抵抗虚しく滞空し続けることの出来ない烏は家屋の屋根を突き破り、壁を破壊しながら黒煙とともに道へと弾け飛んだ。そこへすかさず未爆発の黒羽を投げつければ、烏の傍で大音量を発生させながら爆ぜた。操っていたと思しき糸が無くなった今、地に転がる人間はもはや何の武器も持っていないのと同じだった。
副連長は抱いていたであろう見えない者を下ろし、錫杖をおもむろに捨てて烏の外套を引っ掴んだ。本物に似せた気味の悪い面は端が砕け、ヒビの入った先に頬が見える。
「華族が、一体何の目的でこんな場所に居るんだ」
外套を掴んで持ち上げた者と目を合わせるように、上司は顔を覗き込んでそう口にした。耳が正しく拾い上げた華族という言葉。私たちなぞよりずっと身分が上であり、そう易々と話すことが出来ない上流貴族の名称だ。その人たちの姿形など絵でしか見たことはない。
「どこに居ようが私の勝手でしょう。それよりこの手を離しなさい、異師風情が調子に乗るんじゃない」
烏は身動ぎしながら羽根を手にし、副連長の顔面目掛けて投げた。だが投げ慣れていないのか放たれたそれは狙った顔から大きくズレ、肩口のさらに遠くで破裂した。
「ではご自宅までお送りいたしましょう、ここは危ないですからね」
「要らないわよ。門前まで来られたら迷惑だわ」
「それは残念。放った棒が糸の能力持ちに当たったかどうか、確かめたかったのですが」
普段と違う棘のない他人行儀な声音に私の背中は粟立った。これまで向けられていたキツく粗暴な物言いがいくらかマシに思えるほどに、丸い話し方をする上司の姿は気持ちが悪い。都田連長にさえしないのだ。相手が華族故に下手に出ているだけなのかもしれないが、とはいえ波風を極力立てない行動が恐ろしくて仕方がなかった。
「当たった……? 誰に」
「ですから糸の能力持ちに」
暴れていた烏にその言葉は効果を発揮したようで、四肢は力を失い重力に従って真っ直ぐ伸びた。上司が野良を殺したかもしれない。この場で真偽を確かめる術のない情報は、時に何よりも酷く相手を傷つけ抉っていく。
「——————最低ね」
「異師ですので」
さも当然と言いたげな声色に倣い、私は止まっていた脚を動かした。非道なこともしなければならない。他人の命や尊厳を踏みつけながら任務を遂行しなければならない。それが異師。感じることをやめ、職務に準じることを是とする組織が冠した名前。
「一つ、聞きたいことがあります」
丁寧な口調で話しながら、私は烏の面に手をかけた。あの少年のようにこの面も爆発するだろうか。取ってしまわない方がいいのではないか。そう思いつつ、華族であるというこの人の身分を信じることにした—————自己犠牲の精神が無いことを。
「何も話すことなどない」
ゆっくりと握った面を顔から外せばボロボロと淵が僅かに崩れていく。それでも原型を保っているそれは、幸いなことに物音ひとつ発さなかった。烏の面に覆われていたその人は副連長と同い年か、少し下くらいだろうか。こちらを不機嫌そうに見る黒縁の瞳は、陽光に照らされた睫毛の影を落とし込んでいる。副連長よりも短く切られた髪はまるで男性のよう。しかし目の前に居るのは間違いなくご令嬢だった。
「貴女は———」
「話さないわよ、何も」
「——————新室さんの件と、何か関わりがあるんですか?」
私の言葉に烏の表情は一切変わらず、瞼どころか睫毛が揺れることもなかった。その代わりに目の色を変えたのは、他でもない坂百合さんだった。
「どういうことだ」
副連長は声を荒げるでも感情を表に出すでもなく、聞こえるか聞こえないかの際を低い声で辿るように声を発した。無感情故の畏怖は遠くの空に雷鳴を発生させる。
「今のはどういうことだ、百瀬。新室だと?」
ふつふつと湧き上がる負と怒の感情は、私の身体の中へ侵食せんとしていた。それほどまでに濃く、黒く、激しい情動がひたひたと水のように這って来ている。けれどそれも仕方がない。新室さんは副連長の同期だったのだから。
「芝居小屋での爆発……あの惨状は、五年前に見たものと似ていました。四肢が弾け飛び、散乱し、辺り一帯が血の海で」
「……私じゃない」
「これまでいろんな現場に行ってきました。その中には勿論爆発系の能力を持った野良も居ましたが、手足が千切れるほどの威力を持つ者は一人だって居ませんでした。あの日から五年間ほぼ毎日任務をこなしていたのに、見覚えのある光景を目にしたのは今日が初めてなんです」
「……違う」
「研鑽を重ねていた新室さんを手に掛けることの出来る野良なんてそうそう居ません。それは、坂百合さんだって解ってますよね?」
「私じゃない!!」
烏は外套を掴まれながら声を荒げ、副連長の右腕を払うように藻掻いた。溺れているかのような動きは哀れで滑稽。それを手にしている上司は悟りを開いた鬼のようだった。副連長は掴んだ外套ごと烏を地面に投げ捨てると、腹に跨って妖専用銃を腰から引き抜き心臓に当てた。
「普通の銃ほどの威力はないが、この距離ならもはや関係ない」
銃の引き金に指をあてる音が嫌に鮮明に聞こえた。専用銃は妖に対抗するためだけに作られた特別性なだけに、人間に対してはさほど殺傷力を持たない。しかし密着させた状態ではどんな結果になるのか未知数だった。
「退きなさい。私の上に乗るなんて不敬よ」
「ならば答えろ。新室たちの死にお前は関与してるのか?」
心臓から喉元へと移動した銃口は皮膚にピッタリとくっ付いている。その側では左袖が微風に合わせて不規則に揺らめいていた。
「答えろ」
「私が今ここで話してしまったら職務怠慢になってしまうでしょう? だからこれは優しさよ。異師への温情」
「華族だからって調子に乗るな。関与していると言うなら立派な殺人犯だ」
殺人犯。その言葉は自分にも向けられているような心地だった。
「野良で犯罪者……そうだとしたら、もう華族と名乗り続けられないな」
烏に向けられた武器がカチャリと音を上げた。安全装置の付いていない専用銃は、撃とうと思えば今すぐにでも弾を発出出来る。平静を装おうとしている副連長の指は、力が込められているのか僅かに血色感を失っていた。この瞬間にも引き金を引いてしまうのではないか。そんな怖さが私の中に湧き出したが、その行動を止めるだけの強い制止力はなかった。烏が新室さんたちを殺したのなら、このまま死んでしまってもいいのかもしれない。
「お嬢様ぁぁ!」
副連長が引き金をゆっくりと引き始めたのと同時に、物陰から一人の男が走り来るのが見えた。黒に近い緑の着物に腕を通したその男は、速度を落とすことなく副連長の身体に体当たりした。烏に向けられていた銃口はすぐさま標的を変え、飛ばされた身体の向きをそのままに手首を捻って男に二発撃ち込む。鎖骨の上部と上腕の側部に打ち込まれた弾はしっかりと皮膚を裂き、男に鈍い唸り声を上げさせた。
「遅い」
「すみません」
地面に仰向けになっていた烏を男が抱え起こし、外套に付いた砂を払い落としながら言葉が交わされる。令嬢と付き人———というよりも友人のように見える二人は、私たちと距離をあけて目の前に立っていた。
「異師はお嬢様に触れないでください」
男は自らの身体の陰に烏を隠し、全て自分が受けると言わんばかりにこちらを睨みつけた。飛ばされた副連長は砂地の上を転がり、勢いを利用して私の僅か前方に立ち上がった。真っ黒な制服に足された色は、桶に入れた大量の墨をまいたかのようだった。副連長はふぅと息を吐いてから銃をしまい、代わりに再び金棒を生成してから口を開く。
「華族をやめるか知っている全てを話すか、お前に決めさせてやる」
ぶっきらぼうな物言いに男は顔を顰めたが、その裏に隠れた烏は無表情だった。悩んでいる素振りはない。
「……身内から犯罪者が出たとなれば、お前だけでなく家族も路頭に迷うことになるだろう。人身売買業も身元も、私たち含め多くの人間が目を光らせることになる。これがどういう将来を意味するのか、華族様に分からないはずもない」
禄に武器を持たない私は、ただ事実をありのままに話すことしか出来なかった。決意を揺さぶる要因に少しでもなれたらいい。
「私は別にいいのよ? このまま戦っても」
おもむろに取り出した黒い羽根を握り締めながら、烏は男の後ろから顔を出した。家のことも華族という肩書も、彼女には何一つ響いていないようだった。その様子に男はすかさず「お嬢様、無茶です」と制止の声をかける。
「だって、この能力はずっと強いんだもの。あんな異師如きに負けないわ」
「それは! ……それは、まゆが居たから出来たことです。あの糸が無ければ、私の視た少し先の未来でお嬢様を守ることは叶いません」
「守られなくたって出来るわよ! 私は能力を持っているの。何者にも負けない強い能力を所持しているの。お前たちの助けが無くたってきっとやってみせる」
どこからか湧き上がった自信が烏の内側を分厚く覆っている。これではもう何も聞こえまい。私たちの声も、男の言葉も。
「お嬢様!」
「黙りなさい」
「お嬢様!!」
「—————————————————五月蠅い」
その言葉と同時に指を鳴らす音が辺り一帯に響き渡った。途端、烏の興奮を鎮めるように名前を呼んだ男の腹部が消し飛んだ。真っ赤な鮮血と肉片を周辺に撒き散らしながら、人間の身体の中間部分が形を崩した。残った上部と下部はベチャ、ドッ、と不快な音を立てて落下する。
「私ったら駄目ね、いつも上手くいかないんだから」
頬に付着した赤を気にする素振りもなく、烏はうっかりしちゃったとでも言うように可愛らし仕草をする。足元に転がる人間の目は閉じ切っていない。
「自白か?」
「違うわ、私はなーんにもしてない。勿論夢も、あの子も、見てただけで関与なんてしていないわ」
目の前で一人の人間が死んだ。犯人はどう考えても目の前で楽し気に話す烏だ。これなら殺人で捕らえることが出来る。そう思い一歩踏み出したとき、副連長は小さな動作で私を止めた。
「異師のくせに何も分からないみたいだから手掛かりを教えてあげる。よく思い出して? あの山の木に、地面に、爆発の跡があったかしら。今みたいに血液が飛び散っていたかしら。腕や脚の傷口は綺麗だった? それとも不細工だった? 現場を見た人間になら分かるわよね」
私たちを試すような物言いだった。そうして言われてから気づく。新室さんたちの腕や脚の傷口は綺麗なものだった。爆発や無理に千切られたのとは違う……まるで何かで一思いに切られたような綺麗な跡だった。地面に青々と生える雑草が傷ついた様子もなかった。烏は犯人ではない。たった今思い出した記憶がそう訴えていた。
「なら誰なんだ、新室さんたちをあんな目に遭わせたのは」
「さぁ、言わない約束なの」
「言え!!」
激しい言葉を攫っていくかのように風が吹いた。乾いた葉がカラカラと音を立てて流れていく。副連長は作り出した棒の持ち方を変え、いつでも投げれるように構えて見せた。
「当然だけど契約違反は誰であろうとご法度なの。だからこれ以上何か言うつもりも、脳内を覗かせるつもりもない。家がお取り潰しされようが知ったことではないわ」
烏はアハハと愉快な笑い声を上げ、そのまま数枚はあろう羽根を無造作に口内へと突っ込んだ。自死などさせない、させてたまるもんか。そんな滅多に抱かない感情に突き動かされるように、気づけば私は地を蹴っていた、そのすぐ横を放たれた金の棒が通過していく。しかし私の手が届くよりも、棒が烏の手を射抜くよりも、彼女の行動の方が早かった。
つい今しがた聞いた指を鳴らす音が聞こえたと同時に、口腔内に押し込まれた羽根が全て起爆した。それはさながら花火のよう。豪快な音と熱は烏の頭部を内側から破壊し、焼け焦げた肉のような匂いを辺り一帯に充満させていく。
「……クソ」
最早誰とも判別の出来ない烏だったそれは、男の骸が作り上げた血溜まりの中へと沈んでいった。
「梛取家はこんなやつばかりだな」
「梛取家……」
副連長がぼやくように口にした家名を、私は確かに知っていた。代々続く由緒正しき家を作り上げたとされる梛取徹平は、妾の記憶に残るための手段として目の前で自死したとされている。その他にも奉公人の家内皆殺し、身内を火達磨にし傍観など、常軌を逸した行動が目立つ家。
分家や名前替えした者を合わせればそれなりの人数になるだろう。そんな家系が生み出したとも言える烏もまた、頭部の大半を自らの手で吹き飛ばしている。
「——————戻りましょう、坂百合さん」
狂ってしまった者を救うことなど出来はしない。私はそれほど万能ではないし、そこらに居るただの異師だった。私の言葉に副連長は制服の上着を脱ぎ、男の身体を臓物ごと包んでから持ち上げた。ビチャビチャと血液の滴る音がなんとも不快だった。
こんな場所に死体をひとつ残しておくわけにもいかず、私も同じように上着を脱いで烏の上体をぐるりと包む。そうしてから横抱きの形で持ち上げれば、まだ残っている体温が掌にじんわりと伝わってきた。
「最悪だ、靴に血が落ちた」
「交換しますか?」
「……いい。担ぐよりマシだ」
僅かに迷った今の上司には冷酷さも過激さもなかった。やっぱりこの人はまともな人間だ。そんな事実を噛みしめるように、私たちはゆっくりと芝居小屋へ向けて歩き出した。




