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第二章 十一『烏の羽根』


 一瞬の物音が戦いの火蓋を切るような、そんな緊迫した状況。ひっそりと建ち並ぶ店の店主はおずおずと奥の方へ引っ込み、残されたのは見世物のように展示された商品のみだった。

 元締めが元締めなら店主も店主だ。我が身可愛さに裏に隠れるなど人間の風上にも置けない。


「クソだな」


 つい口をついて出た言葉に自嘲し、私は手近に転がっていた枯れ葉を手に取った。葉の縁は簡単に皮膚が裂けそうなほど尖り、乾燥している。明確な攻撃手段を持っていない私には、そこいらに落ちているもの全てが武器になり得た。


「あまり派手にやるな」


「分かってます」


 業務的で無感情な会話。けれどこの場ではそれが最適解だった。

 私は拾い上げた枯れ葉を掌で握り潰し、振り被った腕を前方へ勢いよく動かした。投げつけるように散った葉の欠片は例の如く速度をつけ、真っ直ぐ烏顔の元へと突き進む。空気を裂き、音を発しそうなほどの勢いをつけ、悪人の身体に刺さる—————はずだった。

 葉の欠片は目標物に到達する前に、派手な煙と音を撒き散らしながら爆ぜたのだ。ただの枯れた植物片が豪快に、手品の一部とでも言うように。


「こりゃ……」


 少し厄介かもしれない。私はそう思った。唯一の武器である自然物が軒並み手前でダメになるのであれば、私は戦い方を考えなければならない。私は腕を身体の横へ戻し、じっと前方の敵を見つめた。

 爆発は十中八九烏顔の仕業だ。何かしら能力が使えるのであれば、拳を交えながら見定めていけばいい。ここで深手を負ったとて、ろう遠くない場所に先生が居るのだからどうにでもなるだろう。問題は野良なのか、操師なのか……だ。

 もし後者であれば人間に狙いを定めても意味がない。脚を折ろうと、腕を捥ごうと、けして死にはしないのだ。逃したが最後、死なずに同じことを繰り返すに違いない。否、逃がさなければいいだけの話だが。


「百瀬、突撃だ」


 一瞬にして指揮官に格上げされた副連長は、私にそう指示を出しながら自身の髪を一本引き抜いた。


「承知」


 私は間髪入れずに告げた後、言われるがまま砂地を蹴って突撃する。何でどう戦うかなど微塵も考えてはいない。行けと言われたから突き進んだだけ。命令が下ったから従っただけ。何か策が有るのだろうと、そう上司を信じたに過ぎなかった。取り敢えずは時間稼ぎに徹しよう。距離を詰める一瞬でそれだけを決めて、私は開いた手をぐっと握り締めた。


自棄(やけ)になりましたか?」


 丁寧な口調からはやはり品位を感じる。この辺で育った者でないことは明白だった。人売りなど、所詮上級民族の遊びなのだろうか。であれば尚更許せない。


「異師はそれほど馬鹿ではない」


 感情を抑え、殺し、平静を保ったまま口にする。しかしおそらく私の顔も般若に近しいものになっていたことだろう。こんな人間を相手に笑顔で対応など出来るわけがなかった。

 私は握った拳を振り被り、烏顔を殴ろうとした———がそのまま放物線を描くように手を下ろし、踵落としの要領で身体を回転させた。真っ直ぐ殴りこんでも先程のように爆破されて終わりだ。再び片手が使えなくなるという状況は不便極まりない。その上説教を食らうと考えたら頭を使うほかなかった。

 浮上した足が烏顔に落ちる直前、視界に映ったのは金色に輝く物体を持った副連長の姿だった。長く細い金の棒は片側が鋭く尖っている。


「了解です」


 私は勝手に上司の意図を汲み取り、振り下ろしかけた足を身を捩ることで横へとずらす。そうしてから浮いた手を捻った身体の前方へと出し、だるま落としの要領で烏顔の足を脚で薙ぎ払った。余裕そうに立っていた烏の身体が傾く。体幹がしっかりしているのか、大きく大胆に転ぶとは思えない動き。姿勢を立て直されるまで僅か数秒といったところだろう。


「救いようのない人間に鉄槌を」


 風に乗って聞こえた音がそう言葉を紡いでいた。顔を上げれば、副連長が投げ放った金の棒が真っ直ぐ真っ直ぐ、態勢を崩した烏目掛けて飛んでいた。重そうな棒が失速することはなく、むしろ加速し続けているかのように一気に目標物に向かって行く。この正確性と優れた機能性が、坂百合三色という人間を副連長たらしめていた。

 金色の長い棒は私の上を通り過ぎ、奥に居た烏の肩に突き刺さる。側部から刺さった棒は骨にまで到達し、メキッと小さく嫌な音を鳴らした。


「————グッ」


 上品に話していたときとは違う、どこか幼い声。いい年の大人かとばかり思っていたが、元締めは子どもだったのかもしれない。そうであったなら、尚更人売りなどを生業としている理由が分からなかった。いずれにしてもここで逃がすわけにはいかない。


「諦めろ」


 地に着いた手で身体を跳ね上げると、私はそのまま烏顔の背中に足を下ろす。僅かに行使した能力が足元の人物に伝達され、周辺の地面ごと身体が僅かに地に沈んだ。「グハッ」と息を吐き出す声が足元から聞こえた。


「お前、名前は」


 いつの間にか傍までやって来ていた副連長は、仁王立ちのまま烏を見下ろして問うた。


「言うかよ!」


 横暴で品位の欠片も感じない口調。本当に同じ人間なのかと疑ってしまううほどに、足元で呻き暴れる人物は別人だった。


「本当にお前が元締めなのか?」


 私が浮かび上がった疑問を口にすれば「知るか!」と怒鳴り声が飛んで来る。爆発の能力を使うことはなく、かと言って余裕があるわけでもない。この違和感は一体なんなのだろう。


「放してやれ」


 副連長の言葉にゆっくりと足を退ければ、上司は烏の外套を引っ掴んで立たせ、不気味な面を鷲掴んで一気に剥ぎ取った。途端、面の内側で大規模な爆発が起きた。木の葉が破裂したのとは比にならないほどの音と、振動と、火力。幸いなことに、頑丈な出来の面を握っていた副連長の指は無事だった。が、爆発を至近距離で顔面に浴びた烏の身体は大きく飛んだ。

 顔面を真っ黒に焼きながら、私の真横を弾かれた玉のように飛んでから地面に落下する。


「おい! 大丈夫か」


 駆け寄って声をかけるが反応はない。試しに喉元に指をあてがえばドクドクと脈を感じ、視線をずらせば辛うじて呼吸も出来ているようだった。死んではいない。その事実に一人安堵した。


「自死も厭わないということか……」


 面の内側をまじまじと眺めながら、副連長が独り言のように呟いた。自分の命をかけてまで行うものが人身売買とはなんとも虚しい。そこに大義の一つもありはしないのに。


「一先ず情報源は確保、ですね……このままでは危ないですが」


「あぁ。今回は長くなりそうだ」


 絶望にも似た言葉を耳が拾う。冗談じゃない、とは思いつつ、まだ何も解決していない現実が突きつけられた。今日中に終わるのだろうか。数日に渡るにしても、伝令をこなしながら人探しをするなど無謀ではなかろうか。それこそ睡眠が疎かになってしまう。あぁ、想像するだけで吐きそうだ。今すぐこんな能力を捨てたいと、そう胸中で思い始めたとき、視界の端に黒い何かが映り込んだ。


「羽根……?」


 目を動かしてよく見れば、それは黒光りした綺麗な羽根だった。微かな光を受け艶やかに光る羽根は、吹き抜ける風に乗ることなくゆっくりと地面に落下していく。頭上を見上げれば黒い羽を持つ鳥どころか、雀のひとつも飛んではいない。あまりにも不自然。そして、不自然という印象は得てして良くないものへと繋がっている。


「副連長、気を付けてください!」


 私は顔面を焼いた少年を腕に抱え、舞い降りた羽根から勢いよく遠ざかった。ともすれば再び前方にふわふわと揺れながら落ちゆく羽根が一枚。一体これはどこから……と頭の端で考えていれば、後方の黒羽がボンッと大きく爆ぜた。今日一の音に幼子たちはついに僅かな泣き声を上げ、巻き上げられた砂埃が私と少年に襲い掛かる。


「触っちゃマズいのか」


 私は片足を大きく前方へ突き出し、速度を落とすことなく方向転換をする。視界の先には副連長の走る様が見え、私もその後に続くように羽の降る道を駆け抜ける。そうして範囲を抜けて振り返れば、幅の広い通路の至る所に黒が落ちていた。爆弾が地表に無造作に置かれている景色は不愉快極まりなかった。


「どうにか出来ないか?」


「さすがに」


 いつ爆破するとも知れない羽根を一つひとつ除去する勇気はないし、私の能力はそこまで有能ではない。風に全く乗らないところを見ると、見た面反して重量が有るのかもしれない。いずれにしても、今の状況では足を踏み入れることすら叶わなかった。


「お手上げか……」


 悔しそうに言う副連長の横顔を見ることは出来なかった。


「一旦帰りますか?」


 腕の中の少年を早く先生に診せたい。そんな思いで視線を遠くに伸ばせば、腹部を押さえた少女の周りは血の海だった。ここで帰れはしない。自分で言っておいてなんだが、言葉を行動に移すことは出来なかった。そこまでの非情は所持したくない。


「終わりですかな?」


 血の海のさらに奥で、真っ黒な人影が老人のような口ぶりでこちらに問いかける。小さな人影は不明瞭で、性別も実年齢も推し量ることは出来ない。ただ一つ言えることは、どうやら顔に先程と同じ烏の面をしているらしいことだけ。こいつらは一人ではなく組織なのだろうか。だとすればこの市場は大規模なものの可能性がある。


「お前……!」


 気迫のままに声を絞り出す副連長が一歩足を踏み出せば、威嚇でもするかのように地面に転がる羽根が爆発した。一つが爆ぜ、二つが爆ぜ、砂埃が暗幕のように私たちと人影の間に引かれていく。爆発音に声が掻き消える。悪天候も相まって影の輪郭が朧げになっていく。

 ここで逃がしたら絶対に後悔する、と思うのに、やはり危険を冒すだけの勇気はなかった。


「逃がすものか」


 けれど副連長は違った。危険も自分の身も顧みず、ただ前にいる人物へ向かって再び一歩踏み出した。豪快な音が歩みを進める度に増していく。その背中は死地へと赴く戦士よりも勇ましかった。強いなどという言葉では語れない。この人はどこまでも素直だった。


「副連長」


 意思の強い上司は私の言葉に振り返りもしない。たった一人安全圏に残された私は居心地の悪さにもう一度肩書を呼ぶ。しかし結果は何も変わらなかった。


「戻ってください」


 焦った口がひとりでに動く。黒い羽根がまた一つ、上司の近くで破裂した。


「副連長、怪我します」


 戻って来てくれと言わんばかりに、私は声を投げた。だがやはり止まる気配は微塵もない。そして、私の脚は動かなかった。


「危ないですよ」


 言葉を口に出してから、私は空を仰いでハッと笑った。異師が何言ってんだ。危ないなんてこれまでもそうだったじゃないか。今更何を言っているんだろう。自嘲とも冷笑とも取れぬ笑みを浮かべ、私は瞼を閉じて息を吐き出した。


「何してるんだ、私は」


 脚が動かないんじゃない。動かそうとしていないんだ。こうしている間にも副連長は進み続けているというのに。部下の私が安全圏に居ていい理由はない。異師なんて、怪我をしてでも任務を遂行する人間の名称だ。


「——————はぁ」


 曇天の空は手が届きそうなほど近かった。寒空はまるで私の心のよう……などと気障な台詞は私には似合わない。怖がりで臆病な私は大人しく上司の背を追うのがお似合いだ。私は腕に抱いていた少年を地面に寝かせ、砂埃の舞う前方へと踏み込んだ。

 果たして私まで爆発物の敷かれた道を行く意味があったのだろうか。もっと違う方法を取り、烏を挟み撃ちにでもするのが最善策ではなかっただろうか。そう考えて、今更だなと頭を振る。振ってから、まるでたった今閃いたかのように私は「あ」と呟いて見せた。


「馬鹿だな、本当に」


 私は慣れて久しい動作を今日も披露した。身体がどこまでも行けるのではないかと思う程に浮上する。低くなった空との間がより一層狭まって、今にも頭が触れるのではないかと思った。斜めに飛んだ先で見る件の道は、何事かと思う程に何も見えなかった。全ては巻き上げられた砂と、吹き荒れる風のせい。

 遠くの方で、物陰に隠れ石を投げていた子どもたちが走って逃げていく様子が微かに見えた。私の下では上司が今も尚羽根を避けずに突き進んでいる。


「怒られそうだな」


 私も副連長も、きっと帰還後に先生に怒られるに違いない。未来のことを考えると帰りたくなくなるが、この際怒鳴られるくらい受け入れよう。


「まずは……」


 売られている子どもの安全を確保すること。相対した敵は上司に丸投げし、私は私に出来る最優先事項を遂行する。非現実的な能力同士のぶつかり合いに一般人が巻き込まれないように、その力を存分に発揮出来るように、不安要素を取り除くのも仕事の内。影は日向を巻き込んではいけない。それは揺るぎない規則だった。私の身体は厳しい曲線の軌道に乗って緩やかに落下していく。足の裏でまたひとつ爆発が起きる。


「ふぅ」


 砂埃の中に身体が吸い込まれていく。着地点に羽根が落ちてやいないだろうか。そんな不安はあいにく目視で解消されることはない。こうなったら一か八かで下りてみるしかなかった。


「運だな」


 自分はこれまでどのくらいの徳を積んだだろうか。もしかしたら一つとして積んではいないのかもしれないが、それはなんだか寂しいような気がした。せめて搾りカスでもないものか……と思考を凝らしたが残念なことに塵のひとつも見当たりそうにない。これでは運どころか懸けとも言えそうになかった。


「まぁ、なるようになる」


 運命を託すに値するだけの(よすが)はどこにもないが、謎の自信が私の全身をぐるっと包んでいた。なんとなく、どことなく、私は大丈夫な気がする。私の短い髪が揺れ、汚れた空気に塗れていく。新調したばかりの服は洗濯が必要で、いっそのこと大雨で洗えやしないかと希望を抱いている。


「副連長、私は子どもたちを逃がします」


 念のための報告はやっぱり届いていないようだった。しかしこれも組織を維持するためには大事な工程だった。下降を続ける身体が地面に着地するまであと十数寸。舞い降り次第地を蹴り、羽根に触れることなく人売り店へと直進しよう。私は何度も何度も脳内で想像した。効率の良い救出方法を。腹を打たれた少女の命を救う方法を。


「……?」


 もくもくと視界を覆う砂煙の奥で、どこか見覚えのある人物がいるような気がした。胡口か深栖が戻って来たのだろうか。無理せずとも私たちは大丈夫だというのに、なんとも仲間思いの後輩だ。私の胸の端っこが誇らしさとその思いやりに温まっていく。

 気が抜けるような微かな和やかさは指の先を鋭敏にしていった。仲間とはなんと素晴らしいものだろうと私は改めて実感した。そうして再度前方をよく見れば、揺らめく茶色の幕越しに一瞬だけハッキリとその人を見た。


「—————本部長」


 瞬きをするよりも短い一瞬。だが人物を特定するには十分過ぎる判断材料。よもや部下である私がその姿を見間違えるはずもなかった。




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