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第一章 二『異師と操師』


「君、ちょっといいですか?」


 十三年前。十八になったばかりの私が初めて会った操師は、まだ十四、五の少年だった。伸びた髪は薄汚れ、服は所々繕った跡があった。その跡はお世辞にも上手だとは言えず、自分で施したのだろうと想像するのは容易かった。

 要するに、彼は孤児だった。


「名前は?」


 そう問うたことは覚えている。けれど、彼の名前は忘却されていた。今はもう、一文字だって思い出すことは出来ない。


「百瀬さん」


 同行した年上の同僚が私の名前を呼んだ。そうだ、私たちが彼を呼び止めた理由など一つしかない。


「……連に入るか死ぬか、どちらかを選んでください」


 どれほど考えても自分の口にした言葉は愉快ではない。目の前の彼にとっては非道で酷な選択だった。



 ——操師は漏れなく排除しなければならない。



 そう上司から指令が下ったのはいつの事だっただろうか。何もしていないただの人間が、国から追われる理由などただのひとつも存在しない。けれど、不幸にも私にはその指令の意味が理解出来てしまう。

 災いの種は事前に潰すべし。つまり、そういう事なのだろう。


「一思いにやらなきゃならん……」


 無言の彼に対して、そんな言葉しか出てこない自分に嫌気が刺したのを覚えている。どんな権限があって私たちは他人の命を奪うというのだろう。それほどまでに偉いのだろうか。どれほど考えても答えは見つからない。

 私たちの目の前で立ち竦む少年の視線は僅かに足元へと傾いていた。そこに居るのか。君にとって必要不可欠な命綱が。

 私が隣の同僚へ目配せすると、彼女は強く強く頷いて、右足を前に踏み出した。


「すまん」


 少年たちには今の私たちはどう映っているのだろうか。殺人狂だろうか。それとも悪魔だろうか。いずれにしても、道を踏み外す寸前であることに変わりはなかった。


「ぼ、僕たちが何したってんだよ!」


 少年の上げた悲痛な声が私の脳内にこだまする。そうだよな。そう思って当然だ。君たちは何もしていない。ただ生きてこの場に居るだけだ。この状況下で、悪に成り下がっているのは私たちの方だ。正しいとは、正義とは、一体どこにあるのだろう。

 同僚の足が一歩、また一歩と少年に近づいていく。それと同時に少年もまた後退りをするが、怯えによって上手く行動が出来ていなかった。


「悪く思わないでください」


 口を吐くように出た言葉。震える手。しかしハッキリとした思考。私は慣れない手つきで腰に携えた専用の銃を手に取り、少年の視線の先である足元を撃ち抜いた。


「なんで僕ばっか……」


 悲痛に歪むその顔が今でも脳にこびり着いて離れない。命綱を亡くしたその身体が、ゆっくりと地面に伏していく様子は今でも鮮明に思い出せる。細い腕が更に細くなっていき、頬が痩せこけ、端の方から砂になって消えていく。まるで最初からいなかったように、目の前に残されたものは何もない。

 自分よりも年下の、無垢な少年が今目の前で無惨に死んだ。二度目の死が、私たちの手によってもたらされてしまった。彼らがこの世に戻ってくることはないだろう。自身の手で他人の命を刈り取ったのはこのときが初めてだった。




* * * * *




『操師は見つけ次第声をかけてください。そうして問うのです。再び訪れる死か、連に入ってその力を駆使するか』


 日本異師連に所属した者が必ず最初に耳にする台詞。もう何度聞いたか知れない文句に、私は内心辟易していた。年に一度開催されるこの催し物は、連に所属する者全員が参加を義務付けられている。


「耳に胼胝ができそうだな」


 ひとりぼそっと呟けば、隣に座る竹原がクスッと笑った。


『害を成す者に容赦は無用である』


 操師を悪だと刷り込むその言葉は、最初に訪れる一線を越える為に必要な洗脳。相手が幼い子どもであっても、たとえ想い人であったとしても、最悪な行動を起こさせる第一歩には十分だった。

 そうして気づくんだ。悪がどちらかを。

 目の前を吹き過ぎる砂塵を眺めながら考えるんだ。正義について。


『操師は悪である』


 けれど一度超えた一線は後戻りすることを許さない。


『操師は市民に被害をもたらす、災いの根源である』


 討たれた操師は私たちのことを赦したりはしない。赦してほしいなど、口が裂けても言えはしない。


『操師というのは、皆一度死んだ者たちである』


 全てが真実として受け入れられるこの場所で、壇上に立つその人は自分達の敵について説明する。その説明に感情はなく、どういうものであるかを端的に述べていく人形に過ぎない。


「一度死んでいるというのは、どういう意味なのですか?」


 自由な発言が許されたこの場所で、誰かが不意に声を上げた。最もな質問だが、説明者の表情は一切変わらなかった。


『一度死んでいるというのはそのままの意味だ。死んで、そして蘇った』


 説明者はそこで言葉を区切り、ゆっくりと瞬きをしてから続ける。


『操師になる為には一度死ぬ必要がある。それに加え、妖や霊といった彼方の者が見えなければならない。この二つを兼ね備えた者の中でごく限られた人間だけが、操師としてこの世に誕生する』


 今のところ、誰一人として理解している者はいないだろう。なにせ少しも現実味のない、夢物語のような話を聞かされているのだ。そんなこと夢の中でしかあり得ないと、他の誰でもない私自身が当時そう思っていた。


『二つを兼ね備えた者が何故全員成れないのか。それは、蘇るには条件があるからだ。一つは、妖が人間の屍に遭遇しその者の復活を願うこと。もう一つは、妖が自身の寿命を人間側と共有すること。つまるところ、蘇りというのは妖に一存されている』


 説明者の頭がイカれてしまったのかと思うほど耳に入る言葉は理解し難かった。容量を得ないあやふやな説明に、最早誰もが口を開くのを止めた。


『しかし多くの場合人間を救う妖の寿命は短く、生命を共にする操師も同じく数年ほどしか生きられないとされている。文献にもそれ以上長らえた例はなく、ほぼ確実と言って間違いはないだろう』


「では何故操師を殺す必要があるのでしょうか。大元である妖を殺せば操師が生まれることはなく、全て丸く収まるのでは」


 私は会場の一番後ろで、熱心な者もいたものだと一人静かに感心する。疑問を口にする熱意などとうの昔に消え失せていた。質問者の問いに説明者が何と答えるのか、何度も聞いた言葉故に想像は容易い。


『私たちと彼方側には不介入条約がある』


 少し溜めてから放たれたその言葉に周辺がざわざわと音を立て始めた。不介入条約なんてもの、新人たち全員が初めて聞いたに違いない。


『人は彼方側に干渉せず。危害を加えず。また、彼方側は人に干渉せず。危害を加えず。それに反した場合、そのもののみを罰することとする。指揮したものがいた場合、そのものも同様に罰することとする』


 説明者が不介入条約の条文を読み上げる。理に適った条約だ。お互いに干渉しなければ穏やかに共存することが出来る。接触さえしなければ、得体の知れない恐怖に苛まれることもなくなる。であれば、操師はその条約を破ったが故に片付けられ、監視下に置かれる……。

 その処罰の一切を行うのは中立の機関ではなく異師である私たち。今思えばおかしいと感じても、当時は洗脳も相まって疑問にすら思わなかった。


『ただし例外として、人の世と彼方側の秩序を守る姫を設けることとする。姫は操師から選ばれ、人の世でその存在を明かすことを禁ずる』


「存在を明かされないとは一体……」


『名前も容姿も年齢も、その何もかもを我らは知らされていない。存在しているかすら、知ることは禁じられている』


 世の秩序を守りし透明な姫。その存在の在り処を知ったとしても意味はない。秩序を守っていると言うのなら現状では些か力不足ではあるまいか。そんな文句を垂れてしまう私は相当疲れているに違いない。



 

 * * * * *



 

「とにかく一度会いに行こう。会ってみなきゃどんな顔されるかも分からないからな」


 私はうどんの汁を全て平らげ、口元を拭ってから立ち上がった。どんな顔をされるかなんて大方想像は出来ている。それでも、私たちにはやるべき事がある。この怪奇の原因を調べ、必要とあらば対処する。

 私たちは特別指定異師だ。そこに情や情けは関係ない。


「……竹原」


 なかなか立ち上がろうとしない彼の名を私は優しく読み上げた。本当は行きたくないのだろう。これから待ち受けることを思えば足が重いのも理解できる。事実、私だってあまり乗り気ではない。けれどやはり仕事なのだから致し方ない。割り切って向かうしかないのだ。


「分かってるよ。そんなに見られなくたって行くさ」


 彼はそう言ってから頭を乱雑に搔き、覚悟を決めたかのように立ち上がった。


「大丈夫だ。きっとそこまで酷いことにはならないよ」


「だといいけどな。この前なんてかなり手酷くやられたぞ」


 竹原は殴られたであろう場所を摩りながら苦笑い交じりにそう言った。こうして二人して店を後にすると、背後で「まいど!」と声が聞こえる。


「美味かったな、また来ようぜ」


 そう言って満足げに空を仰いだ彼を横目に、私は「あぁ」としか口に出来なかった。



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