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第二章 十『人売り市場』


「なんで私が!」


 イライラが最高潮に達した副連長は、私たちを置いてズンズンと歩いて行ってしまう。切り揃えられた髪が小刻みに揺れ続け、短くなった左前腕が脚に合わせて前後に動く。その後を無言でついて行く私たちは、お互いに顔を見合わせながら先に声をかけていいぞと譲り合っていた。


「暇なんだから連長が行けばいいのに……部下だろ!」


 気に入らないことが山のようにあるらしい。その内の一つが左手であることは言うまでもない。あの一件で、私はこの人に酷く嫌われたらしかった。いや、『酷く』どころではない。二本しかない手を一本にしてしまった人物が身内に居るのだから、嫌悪感を抱かれるのは致し方ないだろう。燃やされさえしなければ元に戻せたはずなのだ。最早弁明の余地もない。


「ふ、副連長……」


 最年少なばかりに譲り合いに負けた胡口は、尻すぼみしながらも前方の人物を肩書で呼んだ。脚を止め、睨むように僅かにこちらを振り向く様はまるで鬼神のようだ。出来ることなら一生関わりたくはない。


「これからどうするんすか? 本部長の行き先は分からないですし、きっと町人からも話は聞けないっす」


 ビクビクしながら問う彼の姿が不覚にも面白い。他人事となれば自然と気分が軽くなるというものだが、我ながら人間性を疑う程だった。


「連長が私に加われと言った意味が分からないのか? 全く、これだから」


 八つ当たりの域に達していることは連長に報告すべきだろうか……そんなことをすれば関係性はより一層悪化しそうだ。私はよく考えるまでもなく浮かび上がった選択肢をくずかごに放り込んだ。


「彼方側の協力者が何か掴んでいるんですか?」


「探し物が得意なやつが居るだけだ」


 ぶっきらぼうという言葉はこの人の為に有るのかもしれない。愛想も思いやりもなく、ひたすらに感情を表に出すのはむしろ人間らしいと思う。昔はこんなんじゃなかったのに、なんて感じるのは過去を美化しすぎているからだろうか。


「得意なやつ? 誰だそれは!」


 深栖の地声には耳も貸さず、再び勢いを持って歩き始める上司。それなりに多くの者が知っている事実だけに、もう自分の口からは語らないつもりらしい。全部そっちでやってくれ、と小さくなっていく背中が告げていた。


「副連長は見える人なんだよ」


 私の言葉に深栖が声を上げる。声を抑える機能は見事に喪失してしまったらしい。私は鼓膜が破れないように頭を横に傾けながら、利き足を上げて前方に下ろした。


「操師なのか!!」


「いいや、ただの見える人。死んじゃいない」


 世間一般では化物。この世のものではない何かが見える人間は今も尚迫害され続けている。おそらくは副連長も———幼少期は悲惨なものだったはずだ。


「まぁ、とりあえずついて行こう。私たちじゃどうしようもない」


「そうっすね。八方塞がりっす」


「なんだ、そうなのか!」


 少々話が噛み合っていないような気がしないでもないが、誰も指摘することなく仲良く並んで歩き続けた。職場を出て町を歩き、無言で右に左に進みゆく人物の後を追う。つかず離れずの距離感は尾行と言うには少々近すぎるが、集団行動と言うには遠すぎた。


「どこまで行くんすかね?」


 八割吐息の声で胡口が問うてきたが、あいにく私にも見当がつかなかった。なにせ彼方の存在が見えないのだ。副連長が何者かと会話しているのかも、先導されているのかも、背後からではちっとも分からない。情報共有さえ行われないのだから、私たちは黙ってついて行くほかなかった。


「団子の匂いがするぞ!」


 隣では幼い子どものように声を上げる成人女性。点在する誘惑にふらふらしながらも、しっかりと傍を歩いていた。自分の置かれた立場を忘れているわけではないらしい。まぁ無邪気なのは悪い事ではない。


「俺お腹空いたっす……」


 癖毛が彼の動きに合わせて揺れる。空模様が悪すぎるせいか、世界はまるで夕方のように薄暗かった。


「帰ったらどこか食べに行こう。奢るよ」


 そう言って胡口の顔を見やれば、どこか嬉しそうに口角を上げて笑っていた。元はと言えば棗の、私の妻の失踪がきっかけだ。いくら組織の人間が関わっているとはいえ、協力させている部下に負い目が無いわけではない。食事の一つや二つで喜んでくれるなら、私は喜んで奢ろうと思う。それにしても———


「本当に、どこ行くんだ?」


 ただただ上司の後を追って歩いてはいるが、気づけば色町も町の境も通り過ぎ、職場からずっと離れたところまで来ていた。人々の装いは豪華なものから質素なものになり、家々は文明の発展から遠ざかっていく。まるで時代を緩やかに逆行しているかのような感覚を覚えてしまう。

 言葉の通り寂れて、置いて行かれた町並み。私がどれほど恵まれた世界に生きてるのかを、足を踏みしめるほどに実感した。


「初めて来たぞ……こんな場所」


 いつもの弾けるような声を抑え、独り言のように深栖がそっと呟いた。その顔はどことなく不安げに眉をひそめていた。私たちを見とめるや否や数人が物陰に隠れ、窺うようにこちらをじっと凝視している。監視されることには慣れているが、四方八方からの視線にむず痒さを覚えた。


「禄に人住んでないっす」


 建物の中をちらと見た胡口が不気味がりながら言った。言われてみれば左右に立ち並ぶ家屋の中から人の気配は殆どしない。それどころか柱や壁が朽ち始めているものさえある。

 人々に捨てられてしまったのだろうか。作物の出来が悪ければ、商売が上手くいかなければ、慣れ親しんだ土地を離れていく者がいるのはけして珍しくはないだろう。もしかすれば野生動物の被害に遭い、住むに住めなくなったのかもしれない。

 これは全て憶測だ。部外者の、それなりに文化の流れに乗って生活している者の妄想だ。ここで生活していた人々の気持ちなどそう安易に推し量れるものではない。


「何しに来たんだよ……」


 遠くで小さな声が聞こえた。そうしてから靴の先に放られた小石がコツンと当たる。幾つも控えめに投げられる小石は、私たちの側で吸い込まれるように落下していく。ここまで届かないのだ。いや、届けようともしていない。

 それが彼らの、まだ大人の庇護が必要な子どもたちの心情なのかもしれない。


「哀れだ」


 深栖は抑揚無くそう言った後、「まぁあたしも人のこと言えないけどな!」と吹っ切れたように声量を戻す。


「そういう時期もあるっすよ」


 過去の自分に思いを馳せるように、胡口は後頭部で手を組みながらあくびをひとつした。なんとも言えない気持ちに私は開けた口を閉じるほかなかった。

 道の先では真っ黒な人間が尚も歩き続け、どこからか舞ってきた枯れ葉が右から左に行き過ぎる。この場に居る誰もが明るく朗らかな心境とはかけ離れていた。

 寒いな。眠いな。棗は無事かな。楠浦本部長は一体何を考えているんだろうか。そんな言葉が頭の中を巡り、進行方向に落ちた石を靴で軽く蹴り飛ばす。どうしてこんな世界で生きているのだろうと、自身の境遇についてまで思考が及んだとき、副連長の足の動きが速まるのが目に入った。

 走っている。そう思う前に私たちも自然と走り出していた。驚くような速度で前進する上司との間は面白いほどに開いていく。私は左右で駆け続ける仲間の手を取り、地面を力強く蹴り押した。


「うわぁ!」


「便利っすねぇ!」


 風を切る音の合間に楽し気な声が聞こえた。前方との距離はあっという間に縮まっていく。僅か後方でキャイキャイ騒ぐ様子に、この能力も捨てたものではないなと思ってしまう。なんて単純なのだろう。嫌気が刺すような仕事をしなければならない元凶なのに、心の奥底は不覚にも温かくなっていく。私自身が矛盾を体現していた。


「右か」


 黒い人影が建物の影に消えていく。その姿を追って二人を引き連れて行けば私の足は自然と止まり、浮遊していた二人は地面にゆっくりと着地した。視線の先では、同じく足を止め目の前の光景を見据える人の姿があった。


「——————————あ」


 何とか絞り出した声が言葉にならず消えていく。こんな世界がまだ存在していたのかと、私は瞬きもせずに絶句した。速度を持って右折した先にあったのは、陰でひっそりと行われていた人売り市場だった。

 商品は幼い子どもから成長した少年少女。どの子も穴の開いた服一枚を身に纏い、足や腕に紐を巻かれていた。その紐は太い木の柱や鉄格子に結ばれている。酷いなんてもんじゃなかった。


「……はっ」


 息を詰まらせた深栖は口元を抑えながら来た道を全速力で駆け戻って行く。胡口は苦虫を嚙み潰したように口元を歪め、視線を足元に落としていた。


「お前も戻っておけ」


 私は胡口の背を軽く叩き、靴裏で砂地を一歩前進した。靴が地面を擦ると、巻き上げられた砂埃が風に乗って流れていく。髪がわさわさと揺れ、長い上着が帆のように靡いた。


「副連長」


「……」


 拳を握り締める上司の横に並べば、得も言えぬ感情が全身を支配した。私はこんな世界が今も存在し続けていることを知らずに生きていた。いや、きっと知らなかったわけではない。見ないように、気づかないように……そうやって避けていただけ。


「副連長」


「……いくら異師でも、全ての人間は救えない。それだけのことだ……それだけ」


 無力を口にするように。どうしようもない現実を諦めて受け入れるように。苦々しく、重々しく、静かに言葉を発した。そうしてから再び口を開いたのは数秒後のことだった。


「人身売買に楠浦が関わっているのなら、それは上司として看過できない。どんな理由があろうとも我らは一般人の味方であるべきだ」


 声が微かに震えていた。せめて今この場に居る子たちだけでも救えないだろうか。異師連で預かって、温かい食事と安全な場所を提供して……。大人になったら育成所の手伝いでも邏卒の補助でも、頼めることはごまんとある。どこぞの知らない人間に買われるのを待っているよりずっといい。

 そう思ってしまうのは私の驕りだろうか。こうして手の届く場所に居るというのに、掌を差し出すことが出来ない自分が嫌になる。


「これから、どうしますか」


「……見つけて、問いただして、ぶん殴ってから決める」


 なんとも副連長らしいというか、なんというか……。兎にも角にも本部長が何かしら関わっているのは事実。身内のしでかしたことは身内で尻拭いしなければならない。休暇がまた遠くへと逃げていくのを見つめながら、私は副連長とともに人売り市場を奥へと進んだ。


「おやおや、異師様ではないですか。どんな子をお探しです?」


 整った顔立ちの女はそこらの商人と同じように朗らかな笑みを浮かべるが、口にする言葉は気持ちのいいものではなかった。

 女の背後には瞳に色を無くした幼子が数人縄に繋がれ、足元には客引きのためか素足を露わにした少女が座っている。同じ人間をここまで酷く扱える神経が私には分からなかった。

 副連長はその言葉には見向きもせず、ただ道を軽快に進んでいく。案の定無視された女は悪態を吐き、憂さ晴らしのためか足元の少女を蹴り飛ばす。仮にも商品だろう。傷物にしたら売れなくなるんじゃないだろうか。……人売りと同じ思考を自然としてしまう自分にまたしても嫌気が刺した。


「構うな。私たちには救えやしない」


 見て見ぬ振りをしろと、目の前の人物は口にする。けして無慈悲というわけではない。ここで救ったとしても、市場の元締めを叩かなければ意味がないことは分かっている。その仕事が異師の管轄外であることも理解している。頭では分かっていても、どうしても受け入れ難い。


「今の大優先事項は楠浦を探し出すこと。人助けじゃない」


 私の足が止まる。振り返れば、先程蹴り飛ばされた少女と目が合った。助けを求めるような瞳には濃縮された諦観の色が滲んでいる。ここで逃げれば市場の人間と同じになってしまう。今更知らなかったことにはどうしても出来ない。そう思うのに、私はどうしようもなく組織の人間だった。


「百瀬」


「—————————————————————————はい」


 ぶつかった視線を強引に剥がし、後ろ髪を引かれる思いを胸に私は重々しい一歩を踏み出した。あぁ、これで私も大勢の大人と同じになってしまった。救いを求める子どもを置き去りにして。伸ばされた手を掴むことさえせずに。一般人の味方は、誰を救うかを選んでしまっていた。


「いい子がいるよぉ」


「ちょっと見て行かないかい?」


 人間の子どもを売る商人の甘い言葉が耳に届く。人身売買を禁止にしようとする動きはあれど、結局は表面上の話で終わっている感覚だ。町の隅々にまで浸透するには何年かかるか分かったものではない。


「新しい子が入ったんだよ。どうだい?」


 笑顔で話しかけてくる人々の思惑が、この道には嫌なほど蔓延っていた。


「どんなのを捜してるの? お姉さん」


 声をかけられた副連長は商人の顔をじろりと恐ろしく睨んだ後、胸倉を掴む勢いで一歩二歩と詰め寄った。そうしてからドスの効いた声でこう尋ねた。


「元締めは?」


 恐喝を本業にしているかのような出で立ちに、商人はおろか私までたじろいでしまう。全身真っ黒なのはときに考えものだった。


「居るんだろ、元締め」


 私の上司は最早恐怖そのものだった。見てみろ、男の顔が恐ろしさに歪んでしまっている。これでは聞き出せるものも聞き出せない。


「ふ、副連長……」


「聞こえてるのか? 元締めだ、元締め。お前らを纏め上げ、秩序を保つ役回りのクズの名前を吐け」


 裏の世界を全身で体現する上司には、最早私の言葉など届いてはいなかった。積み重なった苛立ちを発散するかのような振る舞いを止められる者は誰もいない。


「お、教えるかよ! 俺たちは商売してんだ。商売ってのは信用第一なんだ、お前たちにだって分かるだろ? そう易々と情報売れっか!!」


「私たちは異師だ。お前も存在くらいは知ってるよな? 能力を有した異分子の集まり。化物の肩書を冠する人間の集団だ。つまり、どういうことか分かるか? ……元締めの情報と引き換えにお前を殺さないでいてやるって言ってるんだ」


 男の後ろで縄に繋がれた子どもたちが怯えに怯えている。しかし般若顔になってしまった副連長はそんなのお構いなしに、命と情報のやり取りを今まさに行わんとしていた。こんな人と同じ組織に属している事実が、私は今だけとてつもなく嫌だった。

 仲間と思われたくなくて数歩後ろに下がってみれば、店々の全体像が視界に映り嫌悪感が増していく。禄でもない道だ。表で出来ない商売を裏で行うことのなんと姑息なことか。バレなきゃいいなんて、そんなの文明の進んだ世界ではきっと許されはしない。


「今すぐ決めろ。こっちは時間がないんだ」


 地を這うような声は男の身体を硬直させていく。まともに声を出すことも動くことも許されない緊張感が、辺り一帯へと侵食していくようだった。さすがに止めた方がいいだろう。そう思い声を出そうとしたときだった。

 パンッと気持ちのいいほどの破裂音が、閑散とした薄暗い道に響き渡った。音は人売り市場の入り口方向、丁度私たちが来た方向からだった。訓練された私たちは音が発生したと同時に視線を後方へと向ける。

 するとそこには真っ黒な外套を身に纏い、奇妙な烏の面をつけた人物が立っていた。手には硝煙立ち昇る銃が握られ、すぐそこには先程蹴り飛ばされた少女が呻き声を上げながら蹲っていた。両手で押さえた腹部からは鮮血が滴っている。


「お初にお目にかかります。某がこの市場の元締め、烏にございます」


 銃を握り締めた腕を真横に伸ばし、空いている手を胸に掲げ、足を交さして深く深く頭を下げる烏。仮面の下の素顔が笑みを湛えていることは見ずとも分かった。救いようのない下衆野郎だ。


「そちらから来てくれるとはな。手間が省けて助かるよ、下衆烏」


「いえいえ、感謝などとんでもない。こちらから赴くのが礼儀というものですから」


 くぐもった声が妙にハッキリと耳に届く。両者の間に漂う空気は、今にも着火し燃え上がりそうな雰囲気を醸し出していた。

 開戦だ。子どもを目の前で傷つけられて黙ってなどいられない。私の(はらわた)はぐつぐつと煮えたぎっていた。



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