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第二章 六『氷柱』


 世界というのは思い通りに行かないもので。最悪の展開をなぞってしまうようで。

 全力で村の外へと逃げた私は、足先何寸かというところまで展開された低温世界に頭を抱えるしかなかった。


「最初からこうすれば一瞬だった! なんで気付かなかったんだあたし!?」


 すっかり氷の張った地面。びしょ濡れになった野良が横たわったまま凍り付く中、鼻の頭を赤く染めた深栖が叫んでいた。


「なんでこうも考え無しなんだ……」


 凍り付いているのは野良だけではない。木々も家々も、深栖の能力範囲に居るものは悉くその恩恵を受けている。まるで村の時間を閉じ込めたかのようだった。


「さっむ!!」


 震える声の方を見やれば、疲労困憊の胡口が肩を抱きながら家から出てくるところだった。

 深栖が能力を解除する素振りは一切なく、範囲内の空気は今だ輝きを放っている。降り続く雨粒が凍り、硬い砂地に落ちて視線の先で弾けた。幸いなことに今私が居るのは範囲外。身体が凍りつくことも、小さな雹が降り注ぐこともない。


「天変地異……?」


「何言ってるんだ」


 意識外から声をかけたばっかりに胡口はビクッと肩を震わせた。その表情は幽霊でも見たかのように真っ青で、何よりも心配の方が先立った。


「百瀬だ、胡口」


「あ……あぁ、なんだ百瀬さんっすか」


 その声とともにこちらを向いた彼は、どこか安堵した表情を浮かべていた。しかし顔色は一向に戻らない。途中で能力が解けた理由はこれだったか……帰宅したら暫くは休みだな、なんて思いながら、私たちは深栖が能力を解除するまで待つしかなかった。

 もう少し未来を考えることが出来れば、おそらく彼女も指定異師になっていたことだろう。そうすれば仕事も分散されるのに……と思ったところで仕方がない。

 暴れても問題ないような任務しか回ってこないのだから、それ以外を押し付けられるのは必然。いっそのこと私も彼女の様になってしまおうか。平静時には思わない思考に陥るほどには深栖組が羨ましい。


「みんな大丈夫っすかね。凍ってません?」


「凍って……るだろうな」


 最早はぁ、とため息を吐くこと以外出来なかった。仮に大半の者が凍りついていた場合、骨の折れている私が皆を背負って帰らねばならない。どれほどの距離があると思っているんだ。疲弊した状態では、帰り着く頃にはすっかり夜になっているかもしれない。下手をすれば山中で野宿だ。


「深栖さーん、もういいんじゃないっすかー!!」


 語尾の震える声で胡口が叫ぶ。その声はひんやりと冷えた空気に反響し、波紋の様に村全体に響き渡った。

 胡口は寒さを誤魔化すようにその場で足踏みをしながら、大きなくしゃみをひとつした。何か暖を取れるものがあればいいが、あいにく羽織っていた上着は火にくべてしまった。家屋の中にある布団類も、おそらくは雨と深栖の能力で使い物にならないだろう。

 火でも使えればよかったとこれほど思うのは、後にも先にもきっと今日だけだ。


「あ、消えたっす。百瀬さん」


 彼の声に頭上を見上げれば、宙に漂う煌めきはその姿を消していた。心なしか気温が上昇したように思うが、もしかすれば気のせいかもしれない。そう思うほどに辺りの気温は凍えるほど低かった。

 足止めを食らっていた私たちは能力が解除されたことで自由になった。脚を踏み出しても凍りはしない。これで気兼ねなく野良を、仲間を、探し回ることが出来る。


「風邪引きそう……」


 鼻をすすりながら言う胡口の肩を、私はポンポンと軽く叩く。


「引いても大丈夫だ。暫くは休みだしな」


「そうなんすか?」


「そうするんだよ」


 踏み入れた先にあった水溜まりは完全に凍り付いている。けれどもうそんな些細なことは気にならなかった。

 深栖の能力が解けたからと言って、凍りついた世界が解凍されるわけではない。家の軒先から垂れた水は氷柱の状態に変化し、歩みを進めれば霜柱が足裏で崩壊する。見慣れない景色は前進すればするほどその姿を激しく、そして豪快にする。まるで存在する全ての水分を凍結させているかのようだった。


「これ楽しいっすね」


 不健康な顔色で定期的にくしゃみを披露しながら、胡口は足元の霜柱を踏み荒らしていた。無数についた靴跡からはじんわりと水気が滲み出て、次第に足元を歩きづらくしていく。


「汚れるぞ」


「もう汚れてるんで大丈夫っす」


 寒さにところどころ皮膚を赤く染める青年は、楽し気に笑みを浮かべて尚もひとりはしゃいでいる。サクッ、サクッと耳に気持ちのいい音は、胡口が先を行くにつれて遠ざかっていく。

 いつか怪我をするだろう。そう思ったのも束の間、前方を駆けて行く男は凍結した地面に滑り盛大にこけた。それはもう冗談じゃないかと思うほど豪快に。お手本のように。


「まったく……」


「大丈夫か!? 医者呼んで来るぞ!」


 胡口同様、肌のあちこちを赤く染める深栖が大声で叫ぶ。この場で誰よりも活気に満ち溢れている人物は彼女だけだった。


「こんな場所に医者はいないぞ」


「百瀬! 無事だったのか!!」


 ぱっと明るくなった表情の前に右手を力なく上げて見せれば、再び大声を上げて心配される。彼女の反応は存外に面白かった。


「竹原たちは見たか?」


 話を変えるように深栖に問えば、考えもしなかったのかキョロキョロした上で首を横に振った。


「だろうな」


「そもそも居たのか? 姿すら見なかったぞ」


「俺のおかげっすね」


 少々話が嚙み合っていないような気がしたが、気のせいと振り切って続ける。


「凍ってたら厄介だな」


「探すか?」


「そりゃあこのまま放置は出来ないっすよ。……その方が楽っすけど」


「声が漏れてるぞ!!」


 人が一人増えただけで賑やかさは数倍になる。その賑やかさが煩わしくもあり、ほっと息の吐ける瞬間でもあった。

 兎にも角にも、仲間を探し出して救出しないことには始まらない。今日が終わるにはまだかかりそうで、私は密かに野宿を決意した。





 凍り付いた人間が野良なのか異師なのか、表面上で判断するにはなんとも骨が折れた。

 火打石で乾いた物に火をつけ人物を解凍。異師であればそのまま作業に加え、違えば解凍した上で手足を凍らす。三人で火を持ち、しっかり凍りついた人間を何人も解かして……。

 そうしてやっとのことで仲間を全員救出する頃には辺りはすっかり光を失い、降り続いていた雨も上がっていた。


「疲れた……」


 濁音を付けた声で胡口がそう言えば、呼応するように深栖が「遊ぶか!」とおかしな提案をする。まだそんな体力が残っているのかと、村外れの家の玄関で腰を下ろしながら感心した。

 私の目の前では、家屋の中にあった布団やら家具やらが燃え盛っている。何もない山の村ではこの火だけが生命線だった。


「さみぃ」


 そこへ両手を擦り合わせながらやって来る友人が一人。霜焼けのようになった手を火にかざしながら、ゆっくりとした動作で私の隣に座った。


「初めて凍った感想は?」


「感想もなにもねえよ。意識はねえし、気づいたら目の前の景色変わっちまってるし」


「そうなのか」


「そうだよ」


 なんだか久々に言葉を交わしたような、不思議な心地だった。


「お前は?」


「ん? あぁ、私も友人が凍るのを見るのは初めてだった」


 パチパチと音を立てる家財を眺めながらそう言えば、竹原は笑いながら「違いない!」と声を発する。穏やかな夜だ。人間以外が凍り続ける村でも、私たちの心は確かに温かかった。


「そうだ百瀬、夕飯どうするよ。……って言っても食い物なんてないけどな」


 腹を摩って空腹を全身で表現してみれば、呼応するように彼の腹がぐぅぅと鳴る。火の弾ける音よりも、深栖と胡口が戯れる声よりも、竹原の腹の虫は大きく鳴いた。それは最早笑えと言わんばかり。じわじわと込み上げる笑いが私の喉元まで迫っていた。


「アハハハハハハ」


 しかし私が迫り来るそれを放つより早く、深栖が辺り一帯に響き渡るほどの大声で笑った。それはもうどれだけ離れていようと聞こえるのではないかと、そう思うほど豪快に。

 そしてそれに釣られるように、笑いは一人、また一人と伝染していく。ついには私以外の全員が声を上げ、目の端に滲む涙を指で拭っていた。

 完全に出遅れたが、この際笑ってやるものかとムキになってしまう。


「はぁ、笑った笑った。で、腹が減ったのか? よし、あたしが何か狩ってこよう!」


 拳を胸に当て、任せろと言わんばかりに深栖がこちらを向く。そこへすかさず「いやいや」と声を上げたのは胡口だった。


「この時期じゃ何もいないっすよ」


「うさぎならいるぞ! 鳥もな!!」


「もう暗いっすよ。いくら深栖さんでも怪我するっす」


 二人を下から染める橙色の光は、冷たい風に趣深く揺らめいていた。

 見知らぬ土地に数人で野宿するなど何も今日が初めてではない。地方に行けば宿がないことの方が多い程だ。それは食べ物がないことも同じ。一日二日食べずとも死にはしないんだ。

 土地勘のない場所で、闇夜にむやみやたらに歩き回るなど危険極まりない。かと言って、やはり空腹は誰しもが感じている。一日中ほぼ何も食べていないのだから。


「……家の中でも探そう。何かあるかもしれんしな」


 そう言って立ち上がれば、心なしか皆の目が輝いているように見える。一縷の希望を見るような視線に慄きつつも、私は乾き始めた洋袴の汚れを払った。


「すごい笑い声だったけど何かあったの?」


 聞き覚えのある柔らかな声に視線を向ければ、暗闇の中から向かってくる者が数名。朧げに見える姿がなくとも、その人物が誰かは大いに想像がついた。


「椿! もう歩いて大丈夫なのか!? 背負うか!?」


「大丈夫。もう走れるよ」


 慌てて暗闇に駆ける深栖に、瑞城は安心させるように声をかける。


「無理してるわけじゃなさそうだな」


「だな。これで全員無事集合、無事解決。さすがに給料上がるだろ!」


「どうだか」


 笑みを交えながら言えば、竹原は続けて「頼む! 連長と交渉してくれ」と懇願する。暫くはこれを武器にしよう。私は密かにそう決めた。

 姉妹らしい雰囲気の中に居る二人を他所に、私は彼女をここまで連れて来てくれた百瀬組に労いの言葉をかける。戦闘に参加出来なかったせいか不服そうな表情を浮かべる者もいるが、仲間を守るというのも立派な役目。

 戦うことが全てじゃないと、そういつの日か理解してくれればそれで十分だった。


「あの、それでですね……百瀬さん」


 一人が伺いを立てるようにそう言えば、言葉を遮るように耳元で声がした。


「迎えに来てやったのじゃ」


 囁かれた方の耳を咄嗟に押さえれば、視線の先には夜の似合う女性が立っていた。何故ここに居るのかも、どうしてこの場所が分かったのかも、悲しいことに理解出来なかった。彼女の行動はいつも私の想像の上を行く。


「……なんで居るんですか」


 そんな言葉しか出てこない口が恨めしい。


「言ったであろう。迎えに来てやったのじゃ」


「いや、そうじゃなくて……」


 脳内をグルグルと回る感情の吐き出し方が分からない。適切な言葉が見つからない。また例の如く気まぐれなのだろうか。それとも心配して? 帰りが遅いから迎えに行こうと? 考えて、それはないなと首を振る。私の安否を気にするような人ではない。


「まぁよい。帰るぞ綾人。ついでに皆も乗っていくとよい」


「乗るって……」


 私がそう呟けば、微かな明かりを反射させた瞳が僅かに細められる。途端、凍り付いていた家々が酷い音を立てながら崩れていく。まるで押し潰されていくような、そんな倒壊の仕方だった。


「遅かったではないか。そなたであれば直ぐであろうに」


 彼女が崩壊した村に向かって言う。一人で来るはずがないとは思っていたが、まさか村を破壊する者を引き連れて来るとは思わなかった。

 口を開け唖然とする私。後方では竹原の「ハハ」と引き攣った声が聞こえる。かと思えば遠くで「すごいぞ! 何が起こった!?」と興奮する声。傍に居た組員は腰を抜かし、彼女は平然と音の方をじっと見つめている。

 けたたましい破壊音の間でバサバサと何かが無数に飛び立つ音が聞こえる。この世の終わりがあるとすれば前兆はきっとこんな感じなのだろう。起こることも、感情も。


「棗」


「なんじゃ。野宿の方が良いと言うなら置いて行くが?」


 彼女の長髪が風に靡く。


「いえ、それは嫌です」


 私が言うと彼女はどこか得意げに頷き、下駄を鳴らしながら冷たい地面を歩き出した。暗闇でも分かる派手な着物はこの場に不釣り合いで、彼女の存在を一層際立たせていた。


「皆も帰ろう。寒いしな」


「よっしゃ! ありがてぇ」


 私の声にいち早く反応した竹原は、温まった両手を擦り合わせ足早に続いて行く。その後を追うようにそれぞれが歩き出し、私は火を消した後に最後尾へ続いた。


「百瀬さん」


 前方を歩く瑞城が声のみで私を呼ぶ。彼女の歩き方に違和感はない。ちらと見えた顔色は悪くなく、そこでようやく本当に安堵した。


「どうした」


「生存者、居た?」


「……いや、一人も」


「そっか」


 お互いに顔を見ることなく会話する。住んでいたはずの住人は一人だって見当たらなかった。遺体さえないこの場所にあるのは生活感のみ。それも今彼女を崇拝する妖によって木端微塵にされた。

 最初からなかったみたいにされるのはよくあることだ。何も特別なことではない。けれど言い表せない程の無念さと重い心は無かったことにならない。たとえ元凶を制圧しようとも軽くはならない。


「お腹空いたなぁ」


 それでも腹は減るし、当然のように睡魔だってやって来る。


「うどん屋でも行くか?」


 生きることを辞めることは出来ない。


「んー、すき焼きがいいかなぁ」


 喜怒哀楽以上の全てを背負っていくしかない。


「すき焼き行くのか!? あたしも行くぞ!!」


 それが異師だ。


「俺も行きたいっす」


「なんだ百瀬。一人だけ抜け駆けしようってのか? 俺も連れてけよな」


 深栖の声に反応した面々が一斉に振り向き、私は一瞬にして注目の的になってしまった。

 本当は一刻も早く家で寝たいのに。正直夕飯など後回しでいいのに。それよりも皆早く治療を受けた方がいいのに。それぞれの目を見てしまっては口が裂けてもそんなこと言えなかった。


「……分かった、奢ります」


 観念し視線に応えると、歓喜極まりないと言った風に歓声が上がった。お金が足りるかとか、怪我大丈夫かとか、そんな心配が一瞬で吹っ切れるほど威勢のいい歓声だった。




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