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第二章 五『村中掃討戦』 其ノ弐


 特に走るでも急ぐでもなく、耳の奥で喧騒を聴きながらとぼとぼ歩く。場所が場所ならただの散歩風景だった。

 燻された空気が鼻を僅かに掠めるが、あっという間に雨の匂いで掻き消えてしまう。戦闘後の余韻に浸る暇はなかった。

 畳みかけるように襲い来た野良の姿は先程の男を境にめっきり見なくなった。戦闘音はしているし完全制圧にはまだ遠いだろうが、その数は確実に減少しつつあった。このまま誰とも出くわさず方々から完了の声が聞こえて来ないものかと、淡い期待を抱いたのが間違いだったのかもしれない。

 否、これは完全に失態だった。

 どこからか聞こえる破壊音。バキバキと物騒な物音は、気づいた頃には私の直ぐ真横まで迫っていた。


「お————!?」


 声を発するよりも早く視界が真横に飛んでいく。まるで時が止まってしまったかのように、雨粒の一つ一つがはっきりと視認出来る。しかし現実はかなりの速度を保ち、私の身体を巻き込んだ何かとともに向かいの家に衝突した。

 最早家としての機能を手放しつつあった建物内は湿気で満ち満ちている。頭上から降り注いだ埃と木屑が濡れた身体にべっとりと纏わりつき、穴の開いた屋根の奥で青白い稲妻が走った。


「痛い! 痛いぞ!!」。


 私の身体を緩衝材にした人物は、己の頭を振りながら上体を起こす。


「お前……」


 毎日嫌なほど目にする黒い服。鬱陶しい程に明るい声音。一体どこからどうやって飛んできたのか聞く前に、私はひとつの違和感に気づいた。

 この地に居る異師にはもれなく胡口の能力が働いている筈だ。他人から視認されないそれは、無論同じ異師である私にも適応される。

 では何故、今私はこの人が見えているのだろうか。もしや胡口に何かあったのだろうか。特別指定異師とはいえど、消耗している人間が活力の有り余る野良に無傷で勝てるとは思えない。ましてや彼は今休憩中。寝込みを襲われようものならただでは済まない。


「血は出てないな」


 胡口への心配は尽きないが、目の前で起き上がった同僚に無傷であることを伝える。


「ん? ……おぉ、百瀬! こんなところで何してたんだ?」


「ご覧の通り」


 木材や布類に包まれながら傍にある深栖の顔を見やる。


「寝てたのか? すまん、邪魔したな!」


 どこをどう見たら寝てたと思えるのだろう。こんな雨の中、寝心地の悪い瓦礫の上で。


「飛んできたお前と一緒にこの家に突っ込んだんだ。一体何があった」


 そそくさと起き上がり立ち去ろうとする深栖の背中に、私は現状と問いをいっぺんに伝えた。こんな場所だ。おおよその見当は付いている。


「大したことじゃない。ただ———」


 刹那。私の方を向いて口を開く深栖の背後で、眩い何かが轟音とともに落下した。大地を揺るがし、空気を痺れさせ、直視した私の目が使い物にならなくなる。

 圧倒的な明るさを手に入れた視界は真っ白に変色し、辛うじて深栖の服の色だけが薄らと存在を示していた。


「来やがった!」


 楽し気に第三者の存在を喜ぶ深栖。喧嘩が好きだと言うだけはある。


「下品な口ね。せっかく可愛いのに、それじゃあ貰い手がないわよ?」


 べっとりと肌を這うような女の声。身体の表面を伝うような気味の悪い感覚に鳥肌が止まらない。気のせいか全身がビリビリとひりついている。


「貰い手なんか要らん。あたしは喧嘩が好きなだけだ!」


 ドッと地面を力強く蹴る音がすぐそこで聞こえた。脇目も振らず直進したのだろう。折れた木材を深栖がさらに破壊する様は音からありありと想像出来た。

 反対に私の視力は未だ景色を完全には映さず、逃げるにしても戦うにしても足手まといこの上ない。動かない方が賢明だろうとその場に居座ることを決めたが、暫くして後悔する羽目になる。

 走り出した深栖は水溜まりを踏み抜き、対峙したであろう女に殴りかかったらしい。ビチャッという音とともにバキッと鈍い破壊音が聞こえる。深栖組の頭が働いている中、百瀬組の頭が休んでいる構図。竹原の目に入ろうものなら確実にどやされることだろう。


「殺すなよ」


 優位なのがどちらかは分からない。けれど深栖がやられるとは思えなかった。


「分かってる!」


「ならいい」


 ゆっくりと戻りゆく視界に煩わしさを感じながら、近くで繰り広げられている戦闘音に耳を傾ける。ビビッと静電気のような痺れが前方から後方に流れていく。深栖は能力を使っていないのだろう。なんとしても自分の拳で相手を叩きのめしたいらしい。非常に手間のかかることだ。


「逃げんな!」


「命令される筋合いはないと思わない?」


「思う!」


「ならしないことね」


 大して意味のなさそうな会話。事情を知らない人が聞けば母と子の日常会話と勘違いされそうだ。


「それはそうと、早いとこ気絶でも何でもしてくれないかしら」


「断る!」


 ガラガラと物が音を立てて崩れていく。視界が元に戻るまであと少しだ。


「なら優先順位を変えるまでね」


「—————!? 百瀬逃げろ!」


 呟くような声の後、深栖の弾けるような声が聞こえた。焦りを含んだその声に従おうとした瞬間……まさに一瞬の出来事だった。

 身体の筋肉という筋肉が硬直し、爆発でもしたかの様に触れていた建物の残骸が消えた。いや、消えたという表現は相応しくない。私が跳ねたのだ。自分の意識を反映することなく、ひとりでに、勝手に跳ねたのだ。もう何が何だか分からない。


「うっ」


 一瞬にして宙に浮いた身体は、秒数を数える間もなく再び地面に着地する。飛び出た床板が私の肩を掠め、太い柱が胸を突き刺すようにぶつかった。あまりの衝撃に息が出来ない。

 白んでいた視界はまるで示し合わせるかの様に、これまで通り周囲の世界を映し出していた。


「百瀬!」


 深栖は横暴そうな言動に反して実は優しい。その優しさは極力戦場に持ち出すべきではない。そう、教えてあげなければいけなかった。


「ぐ……うわぁっ」


 苦しみに耐えながら横目で声の先を見れば、深栖は青白い電流を纏いながら地面に打ち付けられていた。黒髪が泥によってまだらに変色している。


「深栖……」


 そうか。そうだったのか。私は一人で納得し、その場によろよろと立ち上がった。相変わらず足場が悪い。そして、目の前に立ちはだかる野良と雨の相性は最悪だ。


「次は貴方が遊んでくれるのかしら?」


 気味の悪い上品な話し方に反して、目の前の女性は随分と年若かった。千代と同じ年だろうか。いや、もしかすればもっと年下なのかもしれない。


「期待に沿えるかは分からんがな」


 肩からの流血。右前腕の骨折。まともに戦える状況ではないが、ここでやられるわけにもいかない。指定異師の名を与えられているんだ。力の使い方も知らない野良に負けてなんかいられない。


「深栖、立てるか」


 僅か先に転がる同僚はこちらの問いかけにピクリとも動かない。私が先程受けたものと似ているのなら、筋肉が硬直して動くに動けないのだろう。とすると、たった今一対一になったわけだ。

 私は足元に転がっていた木の棒を手に取り、ぐっと足に力を入れて床を蹴った。高速で前進する私の身体はあっという間に屋外に飛び出し、持っていた棒を女の頭上に突き刺した。……が、その動作を読まれたのか同じく手にしていた鉄の棒で木を薙ぎ払い、私の腹に突き刺した。流れるような動きだった。


「戦闘慣れした人は違うわね。さすがだわ」


 にこやかに微笑む女の顔は、棗の見せるそれとは遥かに異なっていた。どちらがマシかと聞かれたら、私は二つ返事で棗だと答えるだろう。そんな女の首には、後頭部で結った髪が控え目に張り付いている。


「でも今日ばかりはみんな私の味方みたい。お天道様もそう言ってるわ」


 腹に突き刺された鉄の棒は降り注ぐ雨水を滴らせ、表に溢れ出した血液と混ざり合っていく。幸いなことに貫通はしていないらしい。今はその事実だけで十分だった。


「さようなら、異師の人。こんな場所じゃなかったら仲良く出来たかもしれないわね」


「そうだな。だが、あいにく私は既婚者なんだ。妻に相談しないことには何とも言えん」


「あら残念」


 本当に残念そうな顔をするのだから女性は本当に恐ろしい。女は私の腹に刺した鉄の棒へ、能力である電流を勢いよく帯びさせた。ビリビリと言う言葉では足りない。バリバリと天を割るような音が身体の中で響いている。

 これはまずいと、誰しもがそう直感する程に危機を感じた。


「くそっ」


 痺れて思うように動かない身体に鞭を打ち、私は左手で鉄の棒を握り締めた。込めた以上の力で握り込む掌が焼けるようだった。だが構うもんか。とっくに火傷してるんだ。酷くなろうが構ったことではない。


「往生際の悪い人ね————っ」


 余裕をかます女の腹を、筋肉が裂け切れる覚悟で思い切り蹴飛ばした。出来うる限りの力を込めれば、人間の身体など何里も飛ばせるに違いない。そう思うほどに、女の身体は美しく真っ直ぐ飛んでいく。けして弧を描いたりはしない。

 くの字に身体を曲げながら、私と目線を逸らさぬように爆速で距離をあけていく。遠ざからない物があるとするならば、それは私がこれでもかと握っていた鉄の棒ぐらいだろう。


「……深栖」


 腹から異物を抜き取りながら、私は同僚の倒れていた方を見やった。だがそこに確かに居た人物の姿は、泥の地面に人型を残して跡形もなく消えていた。自力で逃げたのだろうか。それならそれで別にいい。巻き込まれていないのなら瑞城に合わせる顔もあるというものだ。

 引き抜いた棒を地面に投げ捨てれば、濡れた服にドバッと溢れ出す血液に意識が向く。服を伝い、皮膚を伝い、地面にはあっという間に水混じりの血溜まりが出来上がる。本当に災難な日だ。


「とりあえず誰かと合流、だな」


 覚束ない足取りでぬかるんだ道を進む。みんな無事だろうか、なんて思いながら数歩進んだ先に居たのは、先程蹴飛ばしたはずの女だった。飛んで行った方とは別の、全く関係ない場所から現れた。もしかすれば瞬間移動の能力も持っているのかもしれない。否、そんなわけがない。

 私は思考の鈍った頭をガンガンと叩き、冷静さを取り戻すように深呼吸を繰り返した。


「びっくりしたって顔ね。死んだと思った?」


「生きていて何よりだ」


「まぁ嬉しい。嬉しいから構ってあげる」


「お手柔らかに頼む」


 その私の言葉が合図だった。どちらからともなく駆け始めると、私の顔目掛けて飛び込んでくる掌がひとつ。それを屈んで避けて見せれば、間髪入れずにもうひとつの掌が襲い来る。

 予想出来ていれば簡単なこと。私は屈んだまま女の足を払って態勢を崩し、身体を回して頭を蹴る。落下速度の早まった頭部は吸い込まれるように地面と衝突———する前に稲妻となって舞い上がる。

 そうして少し離れた場所で立ち上がる女の手には、先程投げ捨てた鉄の棒が再び握られていた。


「埒が明かないな」


 頭を蹴られても尚ピンピンしている女。対する私は満身創痍。もう少し自分の身体を顧みながら戦った方が良かったと、珍しく反省した。


「ふぅ」


 私は一息吐きながら濡れそぼった髪を無事な方の手で掻き上げ、いよいよ靴をその場に脱ぎ捨てた。水分を含んだ靴の中は気持ちの良いものではなかったが、泥になった地面も大概だ。足裏に感じる感触はさして違いを感じない。


「男前ね。……ねぇえ、私と一緒に出掛けましょうよ。奥さんよりずっと楽しませられる自信あるわよ?」


「年下には興味ないんだ。すまないな」


「いけずだわぁ」


 声色は楽し気に。されど間に流れる空気は殺伐としていた。真横にある家の屋根からぽたぽたと水滴が落ちている。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……。四つ目が落ちたとき、私たちは地面を蹴って前進した。加速の速い私は女が三歩目を踏みしめると同時に眼前に到達し、走り出す寸前に拾い上げた靴をぶん投げた。

 女の額に靴の爪先が当たる。反射的に目を瞑った野良の隙を突き、素早く背後に回って頭部を横から思い切り蹴り飛ばした。平行に勢いよく飛んでいく人間が一人。先程も見た光景に半ば飽きながら、私は再び地を蹴って間を詰める。

 女の身体がぬかるんだ地面に着地し、勢いを落とすことなく再び宙に舞い上がる。と同時に、雨水が女の軌道を示すかの様に幾つかの丸い形状を生成した。


「痛いわね」


 まるで敗北した人の様に、力なく空中で脱力しながら平然と言葉を口にする。その声はどこか余裕のある不気味さをはらんでいた。


「—————————っ!?」


 その思惑に気付くまで僅か一秒。———しかし、遅かった。目の前の人物しか視界に捉えていなかったことで背後の異変を察知するのが遅れた。

 振り向いた頃には、私の遥か上空に女が持っていたであろう鉄の棒が重力に逆らって浮かび、そして従うようにゆっくりと落下していく最中だった。落ちゆく棒は誰に言われるでもなくひとりでに回転し、女との直線上に制止する。背後で「アハッ」と奇怪な声がした。


「まずいな」


 向かう先を変更し、私は野良から遠ざかるように横へと飛び退いた。だが無意味だった。

 私の思考を読んだかの様に、脱力していた女が光の線となり棒の対面へと向かい来る。プラプラと揺れる折れた腕が鬱陶しい。もう、逃げられない。


「これが私の気持ちよ。受け取ってくださいな、未来の旦那様」


 可愛げに、魅力的に、目の前に立ちはだかった女がにこやかに呟く。今はもう、その顔は悪魔の表情にしか見えなかった。

 女の胸、丁度心臓の辺りからバチバチと不愉快な音が雨音に混じって鳴り響く。それは次第に青白く、そして紫色を帯びて私を通過しながら真っ直ぐ鉄の棒へと伸びていった。

 先程身体中を巡ったそれとは訳が違う。高出力の電流は私の心臓を的確に狙い撃ち、体内に滞留することなく外へと抜け出していく。もう声を出すどころか立っていることすらままならない。このまま死ぬんじゃないか、と今にも脳裏に走馬灯が流れだそうとしていた。


「はっ……ぁ」


 心臓を電流が貫いたのは一瞬。気づけば私の身体は緩い地面に膝をつき、力なく前方へと倒れていた。辛うじて開かれた視界には女の足先だけが映っている。即死しなかったのが奇跡ではないかと思うほどに、全身は指の先ほども動かなかった。


「女の愛は純粋で、お金や鉛よりずーっと重いのよ」


 意識が遠退いていく。あぁとうとう私は死ぬんだな。そう思うとどこか心が軽くなるような、気が抜けるような、そんな心地がした。


「品の無い女じゃ。今すぐ去ね」


 ドッと重苦しい振動が地を揺らす。大きな水溜まりに波紋ができ、暫くして全身を這いずり回るような女の声とともに地鳴りが消えた。


「まったく、世話の焼ける奴じゃな」


 空から降り注ぐ雨の様に、聞き慣れた者の声が耳に入る。何故こんな辺鄙な場所に居るのか。何の用があるのか。浮かび上がる疑問をそのままに、私の意識は沈むように失われていった。

 背中を布越しに水が打つ。感覚が私の意思に反して遠ざかっていく。


「……ん?」


 ふと我に返れば、私は自身の二本の脚でしっかりと地面を踏みしめていた。上着は燃え、脱いだ靴は視線の先に転がっている。夢だろうか……。それにしては全ての感覚が現実的だ。肌寒いのも、足の裏が不快なのも、肩に当たって弾けた水玉も、私の記憶より鮮明に表現されている。


「一体……」


 何が何だか分からない。力の入らなかった身体には熱が通っていた。まるで女との交戦が無かったかのように、綺麗さっぱり内臓だけが作り替わっている。

 この場に回復技術を持った者は存在しない。であれば何故———。

 どれだけ頭を回してもそれらしい可能性は浮かんでこない。意識が無くなる直前に声が聞こえたような気がしたが、なんと言っていたのか、声音はどんなだったのか、一切思い出すことは出来なかった。


「それにしても」


 目の前に広がる惨状に、それ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。

 茶色くぬかるんだ地面には、弾け飛んだとでも言わんばかりの赤があちこちに広がっていた。それは水に滲み、辛うじて認識出来る柔らかな小片が至る所に転がっている。私がトんでいた間に何があったのか。暫く考えた末に私は思考を放棄した。


「———雪?」


 放棄したのも束の間、頭上からキラキラと輝きながら降るものが幾数個目に入る。周囲を見渡せば、輝くそれは村の大半を覆いつくそうとしていた。


「おいおい、ちょっと待ってくれよ」


 停止した脳が自動的に再起動を始める。そうして今自分が陥ろうとしている状況を素早く把握すると、無意識に後退した。止められるものなら止めたい。けれど今は逃げる以外の選択肢を選ぶことは出来なかった。




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