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第二章 三『索敵』


「綾人……綾人! このままでは扉が破壊されかねぬ」


「———————————————————はい」


 珍しい彼女の大声で起床した私は、覚束ない足取りで玄関へと向かう。昨日はあれから一階の片づけをし、補佐官からの伝令が三度。空腹を携え飯屋へ行けば、そこで市民の派手な喧嘩が勃発した。

 私を休ませる気のあるものはどこに居るのだろう。そう小言が口をついて空中に放たれる。それでいてへとへとの空きっ腹で帰宅すれば、瞬きをしているうちに朝になってしまう。夜の時間は驚くほど一瞬で、目を覚ましたと同時に絶望の淵へと追いやられるような心地だ。


「誰ですか……」


 恨めしそうに低い声で問いかけると、太陽のように眩しい程ハツラツとした声が返ってきた。


「やぁおはよう百瀬! 昨日は助かった!!」


 朝から元気だな、と嫌味の一つ二つ言ってやりたくなる。そうでなくともどんな心境で家を尋ねに来たのか、今この場で問いただしてやったっていい。


「元気ないな。風邪か? 椿に言っておいてやるぞ!」


 そう言って踵を返した深栖六華の手首を掴み、私ははぁ、と深い溜息を吐いた。


「医者の方がいいか?」


「そうじゃない。風邪引いてないから、ちょっとだけ静かにしてくれ」


 頭を抱えながらそう言えば、深栖は僅かに声量を落として「うん、分かった」とだけ口にした。聞き訳がいいのは有難いが、朝からどっと疲れが押し寄せるのだけはどうにかしたい。


「それで用件は?」


 私は掴んでいた手を離すと、改めて目の前の人に向かい合う。ただ礼を言いに来たわけではないことは、扉を開けた瞬間に何となく察している。そこまで律儀な人ではないのもあるが、その辺の常識は瑞城がきっちり叩き込んでいる筈だ。そうでなかったとすれば、私は彼女に小言を言い放ってしまうような気がした。


「そうだった! いやなに、そんなに深刻なことじゃないんだ。ただ手伝ってほしくて」


「前置きはいい。本題は?」


「……伝令が入ったんだ、村を野良が占領してるって。あたしの組は離脱した者が多くて少し心許ないんだ。出来れば手伝ってほしい」


 野良の増加。その影響が一般人に酷く影響を及ぼし始めていた。


「分かった。今すぐ皆を招集する」


「助かる!」


 頭を下げながら放たれた言葉は、私の耳を右から左に勢いよく突き抜けて行った。元気なのはいいことだが、今ばかりは少々煩わしかった。




***




「騒動は時間を選ばないってか」


 両手を頭の後ろに組みながら、竹原は本部の入り口で皆が集まるのを退屈そうに待っていた。朝も早いだけに、お世辞にも集まりがいいとは言えない。深栖組は未だ五人中三人しか出て来ず、私の組に至っては竹原と私しかいない。急いで準備しているのか、出先から駆け戻っている最中か。どちらであれ、野良を制圧するのにはもう少し時間がかかりそうだった。


「深栖、先に概要だけでも教えてくれ」


 竹原はどうにかして時間を潰そうと、組んだ手を下ろしながら言った。それに深栖は「あぁ」と返答し、記憶を辿るように斜め上を見上げながら口を開いた。


「場所は山麓の村。野良の数、村人の数、目的ともに不明。現地に異師はまだ誰も居ないらしい。ふらっと村を訪れた邏卒が手に負えないからと連絡をくれたって聞いた」


「……それだけか」


「うん。連絡をくれた邏卒も早々に撤退したから、それ以上の情報は何も」


 申し訳なさそうに肩を落とす深栖に、私は「仕方ない」と声をかける。


「情報が流れて来ないのはいつものことだ。支部も本部も離れている辺鄙な場所じゃあ尚更」


「邏卒も所詮一般人だからなぁ」


 他人事のように言ってのける竹原の背を、私は何の気なしに平手打ちした。パンッと清々しいほどの破裂音が建物全体に響き渡り、痛みに呻く友人が何とも滑稽だった。その姿を困惑した表情で眺める深栖組が、私の笑いのツボを容赦なく擽る。


「急に謎行動すんなよ!」


 声を荒げる竹原に、私は少しも怖さを感じることはなかった。根本的なところで優しいんだよな、こいつは。


「笑ってんなよなぁ」


 ほら、やっぱり。呆れ気味ではあるけれどそれでも私の奇行に付き合ってくれる。それがくすぐったくて、たまに鬱陶しくて、私の口の端から笑いが零れ出ていく。


「だから、笑うなって言ってんだろー!」


 幼少期を彷彿とさせる声音で言ったのち、竹原は私の肩を掴み前後に激しく揺さ振った。それに合わせて自分の首もがくがくと前後に揺れる。これから野良を制圧しに行く人たちとは思えないほど、纏っている空気は穏やかで争いとは程遠かった。


「ごめんごめん! もうみんな来ちゃってる?」


 二階から聞こえてくる複数の足音に、私は揺さぶられながら目をやった。逆さの世界で瑞城が、男が、女が、後輩が、同僚が、ゆっくり急いでやって来る。既に皆の感覚は麻痺し始めているのかもしれない。恒常化した争いは、危機感というものを欠如させるには十分すぎる。


「おまたせしたっす」


 いつもの数倍癖の現れた髪で、胡口は上着に腕を通しながら歩いて来る。補佐官の伝令が機能しなくなるのも時間の問題だろう。今日の招集はそう思わせるには十二分だった。


「深栖組全集合だぞ!」


「百瀬組も揃ったな」


 伝令からどれほどの時間が経ったかは分からない。けれど膨大な時間を消費していることは明白で、占領されている村の状況が気掛かりで仕方がない。もしかしたら今このときにも悲惨な行動が起こされるかもしれない。異師が遅いせいで……などとは言われたくなかった。


「急ごう」


 私の一声で本部入り口の空気が一変する。ポワポワした心地で行かれてはかなわない。私たちは異師だ。稀有な能力を持ち合わせ、むやみやたらに力をふるう者を制圧するのが仕事だ。そこには必ず誰かの命がかかっている。それは一般人か、はたまた仲間の誰かかもしれない。気心の知れた人と片手間で戯れているのとは訳が違う。


「よろしく頼む、百瀬組! あたしたちが先行する!!」


 捲し立てるように早口で言うと、深栖は弾丸の如く本部の床を蹴って外へと飛び出した。ビュンッという効果音が鳴りそうなその姿に、同じく深栖組の面々も続いていく。噂には聞いていたが、足の速さはどこの組にも勝っている。


「私たちも行こ」


 瑞城の声に黙って頷いた私たちは一人、また一人と本部を後にする。いつになれば終わるのだろう。出動も、争いも。


「一雨来るかもしれないな」


 走り行く同僚の背を他所に、私は立ち止まって灰色の頭上を見上げた。重く分厚い曇天は今にも私たちを押し潰してしまいそうだった。それこそ初めから何も無かったみたいに、跡形もなく真っ平にするかのように。





 走り始めて暫くすると、曇天から透明な水滴が落ち始めた。それは一分一秒と経たずに数を増し、私たちの髪を、服を、しっとりと濡らしていった。

 地面には水が溜まり始め、踏み入れた足を抜くと水中で砂が幻想的に舞い上がる。透明な水に色が付き、そこにまた別の人の足が入っては出て、入っては出てを繰り返す。

 靴によって跳ね上げられた茶色を黒い洋袴が吸い込むが、色の変化を気にする者はどこにも居なかった。


「いやぁ、しかし……」


 大粒の水玉を端から吸い込んでいく服は、足を前に出すたびに重量をしっかりと増やしていく。ただでさえ湿った洋袴が足に張り付いて走りにくいのに、今日ばかりは仕事を増やし続ける野良の様に煩わしい。

 悪天候にしているのは村を占拠した輩の一味なのではないかと、普段の私では思いつかない思考がぽつぽつと浮かんできた。それもこれも、きっと任務のせいだ。


「どうした、疲れたのか?」


 腹立たしさを掻き消すように顔面の水滴を拭うと、先を行く竹原は速度を下げ、私の横に着くと気遣うようにそう言った。


「いや、まだ疲れてはないな」


 気付けばかれこれ三十分は走り続けているだろうが、能力の助けも相まって疲労はそこまで感じない。強いて言えば濡れた服のせいで寒い、ぐらいしか思いつかなかった。


「そう言うお前は疲れてないのか? 自力で走ってるんだろう?」


「疲れたよ。あぁ、疲れたよ! てなわけで百瀬頼む。俺を抱えて走ってくんね?」


 顔の前で手を合わせる竹原の顔は、横目でも想像できるほどよく見てきたものだった。整っていたはずの彼の髪は最早見る影もなく、口から吐き出される息は酷く白い。まぁ減るものでもないしな。そう思って私は片手を彼に差し出した。


「やりぃ!」


 嬉しそうに私の手を取る彼に迷いはない。清々しいほど真っ直ぐで、眩しいほど人間らしかった。私も彼のようになれるだろうか。そんな戯言が一瞬だけでも過ってしまう自分が、どこか恨めしく感じて仕方がなかった。私も彼も、自分以外の何者にもなれないのに。


「やっぱ楽だな!」


 私が地面を蹴ると連動するように竹原の足が宙に浮く。その足が下がりきる前にもう一度地面をタンッと蹴れば、彼は既視感のある浮遊を再演して見せた。

 力を使うことで私は歩数を少なく済ませ、彼は疲れ切った脚を休ませることが出来る。まさに一石二鳥。便利な能力を享受できたことには感謝しかないが、手から伝わる彼の体重は普段より重かった。せめて重くなった服は脱ぎ捨ててくれ。そんな我儘を胸の内に秘める私はとことん最低だ。


「あとどれほどなんだろうか……」


 独り言のようにぼそりと呟けば、後方で上下に浮遊し続ける友人が口を開く。


「山はすぐそこだけどなぁ。山麓ってんだから、もっと奥の……あの山の麓かもな」


 そう言って指差した先の山は、谷を軽く二、三超えるだろうと思われるほど遠かった。仮にそれが正しかった場合陽が暮れる前に着けばいい方だろう。なんだかどっと疲れが押し寄せて来た。バレないようにこっそり引き返したいところだ。


「そう気落ちすんなって。終わったら飯食い行こうぜ」


「疲れてそれどころじゃないだろ、きっと」


「そりゃそうか」


 ハハッと楽し気な声に私もつられて短い笑い声を上げる。冷えた空気が顔に当たり寒いはずなのに、心の奥がぽかぽかと温まっていきそうだった。


「そろそろっすかねぇ!」


 私たちのさらに前方を行く胡口が大声を張り上げる。それは先頭の深栖にも届いたようで、同じく大音声で返答が返ってきた。


「まだ少しある! でももう近いぞ!!」


 その声に一番安堵したのはもしかせずとも私だろう。これ以上走らなくていいのだと。日の昇っている内に帰れるかもしれないと。絶望に一片の希望が宿ったように、私の瞳は光を受けてキラキラと輝いていたことだろう。終わりが見えると生き生きとする。なんとも人間らしく、私らしい。


「よかったな、あの山じゃなくて」


「あぁ、本当に」


 そんな私を見て、ふわふわと浮かびながら笑みを湛えている同僚の顔が一瞬だけ浮かぶ。何もかもを見透かされていそうで、気恥ずかしさから友人の顔を見ることが出来ない。だから私は一切振り向くことなく前方の黒を視界に捉え続けた。

 他に見える色は殆どない。街並みも人々の営みも、全て灰色に薄汚れて微弱な光を反射させている。いつもの嫌悪感を前面に押し出した眼差しも、子どもを遠ざけるように肩を引く大人たちも、今日ばかりは一人だって居やしない。屋根に打ち付ける雨音が何もかもを掻き消していくから、存外曇天も悪くないように思えた。

 そうして半時ほど駆け続け、深栖の声に視界を上げたそこは木々に囲まれた場所だった。葉を落とし枝だけになった木。まだ僅かに葉を残している木。一枚たりとも落とす気のない木。そんな背丈の高い木々以外、周辺にはこれといって何も見当たらなかった。


「まぁ、山麓ってこんなもんっすよね」


 微塵も息を荒げることなく、どこか残念そうに胡口は呟いた。


「何期待してたの?」


 すかさず瑞城がそう問うと、彼は「絶景っす」と肩と声を静かに落とした。確かに目の前に広がる景色は絶景とは言い難い。色鮮やかな紅葉が一面に残っているわけでもなく、冬支度を終えた山々は鳥の囀りさえ聞こえない。湿気を含んだ澄んだ空気は私たちの肺を満たしていくが、それでは満ち足りない者が居るのは明白だった。


「上まで登れば景色は綺麗だぞ! 本部の方まで見えるからな」


 変わらず張り上げた声で話す深栖は、この場の誰よりも活力が満ち満ちていた。山頂からの景色は確かに綺麗なのだろう。晴れていれば、だが。


「そんなことより村はどの辺にあるの? ここからじゃ何も見えないけど」


「そんなことじゃないぞ、椿!」


 頬を膨らませる深栖を他所に、私は木々の間までくまなく目を凝らして見渡す。鬱蒼とした山中は僅かな霧を発生させ全てを見通すことは難しい。それでも瑞城の言う通り、占拠された村らしいものは何一つ見えては来なかった。

 それどころか悲鳴も銃声も、喧騒と呼べる類の音すら聞こえない。補佐官の言う村そのものがあるかどうか怪しいほどに、辺り一帯に人気の一つすらなかった。このままではお手上げ状態。こうなったら上から見るのが一番早いだろうと、私は右膝を曲げた。


「待って百瀬さん。上がったらバレるかもしれない」


 こちらを真っ直ぐ見据えて言う瑞城に、私はゆっくりと曲げた膝を伸ばした。


「……深栖、場所は分かるのか?」 


「詳しくは分からん。補佐官も大体の場所しか教えてくれなかったからな」


「お手上げっすね。俺の力も今は使い物にならないっすから……」


 占拠されている村の所在が分からないのであれば、制圧することも一般人を救い出すことも出来ない。出来ないのであれば今ここに居る必要はなく、私たちに残された選択肢は出直す一択だった。皆その選択に至ったようで、どことなく引き返す方向に気持ちが傾き始めていた。


「こういうときこそ私の出番だよね!」


 帰って何をするか考え始めていた各々の耳に「よし!」と気合の入った声が聞こえる。この場にいる者なら誰でも知っている彼女の能力。極力使わせたくないが故に、私たちはそれを記憶の端に追いやっていた。


「瑞城ちゃん? ちょーっと大人しくしてような」


 竹原はそう言って瑞城の頭を撫でようとしたが、その手を彼女はすかさず掴んだ。


「私の出番は今なの! 指定異師なのにこれ以上役立たずって言われたくない」


 悔しさの滲み出る表情に、竹原を含めた面々は何ひとつ口に出来なかった。強力な能力ではないから。私や竹原のように派手なものではないから。なんでお前が指定異師なんだと、そう言われた回数は両手では収まりきらないだろう。

 どんな世界にも妬みや嫉みは存在するが、それは異師の世界ではどこよりも顕著に、激しく、本人を直接的に攻撃するものだ。私たちが簡単に慰めの言葉をかけていいものではない。守護する言葉であったとしても、同僚の、仲間の傷に塩を塗って言い理由にはなり得なかった。


「分かった、頼む。だが無茶だけはするなよ」


 最早拒否する言葉は口に出来ない。彼女が悔しいと拳を握るのなら、その拳を振るわせてやるのが組の頭である私の仕事だ。


「無茶ぐらいさせてよね」


 ニカッと笑みを湛えるその表情は、どことなく深栖に似ているような気がした。

 瑞城は腰につけた武器袋から黒く四角い物を取り出すと、驚くような速さでそれを組み上げていく。カタカタと軽い音が静寂に映える。その間何も発することが出来ず、私たちはただその様を眺めていた。

 そうして完成したのは一本の長い棒。背丈ほどあるそれを瑞城が地面にダンッと叩きつけるように置くと、遥か遠くを見透かすようにどこかをじっと見つめた。

 既に始まっている。彼女の能力が地面を這い、遠く遠く、ここからは見えない村を捜索する。距離を、人の数を、物陰から隠れ見るようにこっそりと覗き始めている。暴力的でなく、けれど誰よりも恐ろしい能力。私たちはその力を『索敵』と呼称する。


「まだ先かぁ」


 不意に呟く瑞城を私たちは見守ることしか出来ない。なんと無力なことだろう。全ての労力を一人に背負わせるつもりはない。しかし自然とそうなってしまうことに、私は不甲斐なさを感じずにはいられなかった。

 視界の中で棒を両手で握り締める彼女は、酷く重い溜息をふーっと吐いた。そうしてからタンタンと再び棒で地面を二度叩く。木こりが木を切る音のように山全体にこだまする乾いたそれは、どこまでもどこまでも広がっていくかのようだった。

 目的の村はどれほど離れているのだろうか。敵の総数は? 村人の安否は? 一人脳内で思考しながら、特に意味も無く彼女の顔をちらと見た。


「瑞城」


 彼女は表情をそのままに、静かに鼻から血を垂らしていた。ゆっくりと流れる赤は雨水を引き連れながら口を超えて顎まで到達し、黒い服にぽたぽたと落ちて吸収される。


「瑞城、もういい」


 私の言葉が聞こえないのか、彼女は微動だにすることなくただ前をじっと見つめていた。額に張り付いた前髪から水滴が滴り、血の濃度をさらに薄くしていく。


「瑞城」


「瑞城さん」


「椿!」


 私の声に視線を向けた面々が次々に瑞城に声をかけるも一切の反応を示さない。少しでも早く能力の行使を止めなければ。そうした焦りがそれぞれの胸に湧き始めていた。

 瑞城が力を使用した際に出る鼻血。それは彼女の許容範囲を大幅に超え始めた証で、使用を続ければ最悪命に関わる。便利な能力の半面、私たちとは違い命の大半を一線超えるギリギリに置いている。だから極力使わせたくないんだ。これ以上仲間を失うのは勘弁願いたい。


「もう大丈夫だ、瑞城」


 流れ続ける血は止まることを知らず、尚も服に吸収され続けている。強制的に意識を落とすしかないのだろうか。仲間の命と任務の達成を、私は見えない天秤にかけた。


「北、一山超えた先、三十、村人無し」


 か細い、うっかりすると聞き逃してしまいそうな、そんな弱弱しい声が私たちの耳に届く。その声の主を見やれば、ようやくした瞬きの間で瞳がキラリと光った。


「助かったぞ、椿!」


 眉間に皴を寄せ目を細長く変化させた深栖は、誰よりも先に北へ向かって走り出した。鬼という者が存在するのであれば、きっとあんな表情をしているのだろう。そう思わせるほどに、今の深栖は誰よりも本気で怒っていた。憤怒していた。


「瑞城を頼む」


 私は自分の組の者に彼女を託し、キレ散らかす深栖の背中を追う。私の能力でも追い付けないほどに、彼女は速く迅く先頭を単独で駆け抜ける。


「気持ちは分かるけどよ。それにしても怒りすぎだろ」


 勝手に私の手を掴んだ竹原が、徐々に小さくなっていく背中を眺めながら言う。


「瑞城さんをあんな目に遭わせた野良絶対許さんってことっすか?」


 同じく勝手に私の手を掴む胡口は深栖の感情が理解出来ていないようだった。ここで私が説明してもいいが、なんだか野暮な気がしたので黙ることにする。

 それにしても山一つ向こうだったとは……。補佐官に情報の正確性について小言を言うとともに、無理をさせた瑞城に対し申し訳なく思った。こんなだから皆若くして亡くなるんだ。原因は明白じゃないか。二人を連れて走りながら、脳内には文句が湯水の様に溢れ出ていた。




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