5.それぞれの思い
咲良は朝食を運んできたエスメラルダにリーヴァイに面会を求めると、朝食後、リーヴァイが彼らの部屋を訪れた。
「もう結論が出たのか?」
「そうじゃなくて、結論を出すためにももっと情報が欲しいと思ったの」
呼び出した咲良が口を切った。
他の三人は黙って二人の話を聞くようだ。
「神の代行者……サイラスはもともとどこにいたの?」
「神殿だ。ここから少し離れた位置にある森の中だな。……世俗にまみれるとそれだけ負の感情に捕らわれやすくなるため、自然の多い環境の中で生活をする。身の回りの世話は専属の侍女が付き、護衛と神官が守る」
「隔離ってこと?」
「我々にとっても神の代行者にとってもそれが一番だ。神の代行者を自分に惚れさせれば世界を手に入れたも同然だしな」
ハニートラップを警戒しているのだと言外に告げられ、咲良は眉をひそめた。
「恋愛はダメって事?」
「いいや。世界の安寧を祈れるのであればかまわないが……まず無理だな」
振られた腹いせに世界を破壊されてはたまらない。
嫉妬のあまり世界を憎んでもまずい。
不安にかられて魔物を生み出されても困る。
浮気をされて世界規模で呪いを振りまかれても対処できない。
「結ばれた二人はそのご幸せにすごしました、めでたしめでたしなんてのは絵物語の中だけだ」
高校生組は気まずそうに視線をさまよわせた。
現実はどこも厳しいらしい。
そうなると手っ取り早いのが隔離政策というわけだ。
納得はできないが理解はできる。
箱庭で心穏やかに過ごして日々世界の安寧を祈ってほしいというのが世俗にまみれた者達の願いなのだ。
「で、さらわれたの?逃げ出したの?」
「正確な事はわからないが、最高神官のヴィンスが手引きして神殿から姿を消したという線が濃厚だ」
「サイラスってのは男だよな。ヴィンスも。……なぁ、それって駆け落ちじゃねぇの?」
男同士が逃げ出す理由などさっぱりわからないが、春斗が素朴な疑問を投げるがリーヴァイは首を振る。
紬の目がきらぁんと光ったことに咲良は気づいたが、触れないことにした。
「わからん。二人は幼馴染だが、それ以上の特別な絆があるような報告はなかった。神殿に勤める者であれば神の代行者との恋愛は自由だ」
「でもまぁ、許されない恋に落ちた二人が世界と引き換えに思いを遂げるなんてロマンチックよね。物語ならだけど」
サラがずばり口にする。
「ねぇ、この世界、同性愛は許されているの?」
「恋に堕ちるなんて誰にも防ぐことなどできやしないのに、許さないもなにもないだろう。ヴィンスは神殿の関係者だから神の代行者と恋に堕ちても何の問題も障害もない故、駆け落ちする理由がそもそもない」
「じゃあ男同士の許されない恋故の出奔という可能性はないのね……」
どこか残念そうに紬が結論を出した。
春斗が微妙な顔でそんな紬を見ていた。
「話は戻すけど、逃げ出した二人を連れ戻そうとはしたの?」
「ああ。だがみなすべて返り討ちにあった。何しろ戦闘力ならヴィンスとその周辺は世界屈指だ」
もともと神の代行者を害する者と戦うために編成された組織なのだから、世界最強の部隊でなければならない。
追手に選抜された人が気の毒である。
「私たちが彼らに会うためにはどうすればいい?」
一番肝心な質問を口にした。
「単純に、彼らが無視できない存在になればいい」
「具体的には?」
「力を手にすればいい。サイラスを殺せる可能性がある、という一点で誰もお前たちの存在を無視できなくなる」
敵対するか、味方に引き入れるかを選択するために必ず会いに来るはずだ。
「……あなたは世界最強の魔法使いなのでしょう?どうして自分で戦わないの?」
リーヴァイは苦々しく咲良の問いに答えた。
「この地を世界から隔離するための魔法を使っている最中だ。戦える余裕がない」
「なんで隔離?」
「この国から神の代行者を逃がさないためと、他国の干渉を防ぐためだ」
「干渉?侵略はないって言ったじゃない」
胡乱な眼差しを咲良が向けると、リーヴァイは心外だと言わんばかりに眉をひそめた。
「略奪はある。この国で一番価値があるものといえば、神の代行者だ。神の代行者はこの国にいなきゃならないわけじゃない。この国にいるのは、まぁ世界情勢の都合といったところか」
「は?じゃあ神の代行者が別の国に住みたいって思ったらそれが許されちゃうの?」
サラが驚いて質問する。
「束縛して神の代行者の機嫌を損ねたら世界が亡びるかもしれん。誰も止めることができない」
「でも、神の代行者は常にこの国にいるのでしょう?それは何故でしょうか」
「最初の……世界の始まりに関係する」
そう言ってリーヴァイは簡単に世界の始まりの物語を語った。
創造神は世界を作り、三つの神を作った。
三つの神は八の精霊を生み出し世界を整えさせたが、精霊は世界を導く存在にはならなかった。
三つの神は人を作り、一人に世界を創造させる力を与え、五人には世界を導く力を与えた。
五人のうちの一人は獣をかたどった人が住む世界を望んだ。
五人のうちの一人は人のようでいて人ではない者達が住む世界を望んだ。
五人のうちの一人は人だけが住む世界を望んだ。
五人のうちの一人は混沌の世界を望んだ。
五人のうちの一人は創造する一人と共にいる世界を望んだ。
かくして世界には四つの大陸と一つの浮遊大陸が生まれる。
五人は創造する一人の力と大地を結び、いずれは王となった。
「この国は浮遊大陸故に他所からの出入りが限られる。そういった意味では安全なのだ」
「地上とはどうやって行き来するの?」
「船か転移門だ」
船はきっと空も飛べる船で、転移門とやらはどこでもドアの固定版みたいなものなのだろうと四人は思った。
「手が届くところに世界の命運を握る者がいるとなると、余計な事を考えて実行する者が出てくる。この国は神の代行者のために作られたとも言える。相手の事を思って囲うのと自分のためを思って囲うのでは居心地も意味合いも大きく変わる」
「じゃあ、代々の神の代行者は納得してこの国にいるってこと?」
「そうだ。神の代行者が望む環境を整え、守る。それがこの国のやり方で、他国は神の代行者の意志が守られている限り、口出しはしない」
咲良はこの世界の在り方をなんとなく理解した。
世界の滅びを願う神の代行者など必要ないと思った各国の権力者がどう行動するのか。
「……ああ、そういう事なのね。神の代行者が世界の滅びを願ったことを他国も知って、干渉しようとしているのを阻止するための結界でもあるわけか」
「神の代行者の御心は隠すことができないからな」
世界崩壊の兆しはすでに各国にも表れているはずだ。
「そりゃバレるわ……」
「神の代行者の代替わりってどうなっているの?指名制?」
「いや、立候補者の中から神が選別する。その方法は立候補者達しか知らないし、神の制約によって他者が知ることはできない」
「神の代行者を輩出しているのって、この国だけ?」
「いいや。だが、神の代行者とはいえ所詮は人だ。僅かだが、選ばれた国が頭一つ豊かにはなる」
この国が浮遊大陸として簡単に行けない場所とした初代はどこまで先を見ていたのだろうか。
神の代行者を排出できなかった国からの暗殺者を警戒してなのだろう。
神は殺せなくても人は殺せる。
次の神の代行者を自国の民から、という野心から守るためにも神の代行者は手の届かない場所にいなければならない。
「その人たちは自国じゃなくて、こっちに移住するの?」
「最終的にはそうだな」
「なんで?」
サラが不思議そうに首をかしげた。
自分の国を一番豊かな国だと望めば世界はそうなる。
そう作り変えたらその国の人たちはもろ手を挙げて神の代行者を歓迎し、何でも自分の思い通りになるだろう。
人々にちやほやされ、崇め奉られ、毎日おいしいものを食べ、見目麗しい異性を周りに侍らせることだって可能だ。
「端的に言えば、最初は浮かれるが最後は煩わしくなるそうだ」
「煩わしい?」
世界を創造する力を誰も無視することはできないのだから、その気になればやりたい放題ではないか。
自分だったら毎日が楽しいのにとサラは首をかしげる。
「一つの国だけが潤えば、周りの国はどう思う?それに人の欲には限りがない。もっと自分たちに都合の良い世界に作り替えろ、むしろ自分に都合の良い世界にしろ、と要求が上がる」
「うわ……他国から暗殺者を送り込まれ、自国の民からは賄賂やハニートラップ。うん、確かに煩わしいですね」
この世界の恐ろしいところは、神の代行者は人であるということだ。
心も思考も人だし、体のつくりも人のまま。
怪我もすれば病気にもかかるし、寿命もあるし刃物で殺せる。
だんだん現実が見えてきて、飼い殺しや暗殺の対象だとわかってくると最終的にこの国で保護してもらい、隠遁生活を選ぶようになる。
「国の成り立ちもあって、この国の民は神の代行者に対して寄り添い、守るという意識が強い」
「リーヴァイさんが動けない理由はわかった。世界情勢ってヤツも理解した。なぁ、力はどうやって手に入れればいいんだ?」
春斗が話を戻した。
「……手っ取り早いのは精霊獣を手に入れることだ」
「なにそれ」
「精霊は神の眷属だ。つまり神の代行者の力が及ばない存在。気に入られれば力を貸してくれる。そのためには試練を受けねばならんがな」
簡単に力は手に入らないというのはやはりお約束なのだろう。
しかし手に入れれば神の代行者が無視できない状況にはなる。
「他に聞きたいことは?」
「戦わない、力を手に入れないって選択は?」
「……衣食住の保証はしよう。ここで最後の時までのんびり過ごすがいい。強要はしない。どのような結論を出そうとも、己自身で決めたなら我らはそれを尊重する」
ずしりとその言葉が心にのしかかり、暗雲を作る。
リーヴァイは他に質問がないとみると席を立ち、さっさと出て行ってしまった。
後には重い沈黙が残る。
「あの方を責めないでください」
部屋の隅で黙って見守っていたエスメラルダが口を開いた。
「誰よりもこの世界を愛し、慈しんでいるのです。この世界がまだ美しいと思えるのは、あの方が魔法で世界の理を維持しているからなのです」
「どういう事なの?」
神の代行者による世界滅亡の祈りはじわじわと世界を壊し始めた。
リーヴァイは王を中心に人々を眠りにつかせることによって負の感情が世界に与える影響を緩やかにさせ、世界を維持することに魔力を注いでいる。
それゆえに、他の事に魔力をさくことができないのだ。
「他の国がこの国に干渉しない理由はリーヴァイ様が世界を維持している事を知っているからなのです」
下手に干渉して世界が終わってしまっては話にならない。
「神の代行者であるサイラス様も最高神官ヴィンス様も、リーヴァイ様の教え子なのです」
「衝撃の事実っ!てゆーか教え子ってあの人いくつ……ああ、年齢詐欺の年寄だった」
「美魔女も驚きの若さですね」
「いや、今それはいいから。すいません、話の続きを」
紬とサラの女子トークをスルーして春斗が促す。
「教え子の反乱に心を痛めておいでです。その責を負って自らの命を削ってまでもこの世界の維持に努めているのです」
「命を削って?」
「神の代行者の願いを阻むのですから、文字通り命がけなのですよ。日々どれくらいの命を削られているのかはわかりませんが、一日を維持するのに一週間から一か月分の命は削っておられるでしょう」
「神の代行者が消えてからどんだけたっているの?」
「半年ほど」
最低でも三年分の寿命を削っているという事だ。
「変革の騎士様の存在を、あの方は希望としております。たとえその先に絶望が待っていようとも、あの方は覚悟を決めているのです。最後の瞬間までこの世界を救う事にあがくと」
重すぎる話に一同はため息をつきたくなった。
帰りたいと騒いでいる自分たちが聞き分けのない子供のように思えてくる。
でも日本での生活を思えばこの世界の救済なんてどうでもよく、人殺し以外の方法で帰れたらいいという思いは捨てられない。
「サイラスは世界の破滅を願って、その先はどうするんだろう」
「己の破滅でしょう」
咲良の疑問にエスメラルダが答えた。
「己が生き残る世界の破滅とは、真の破滅とはいえないのでは?」
都合の良い、自分だけが生き残った世界の破滅の後の世界。
世界が本当に破滅すれば生き残ることなど不可能なのだし、生き残ったとしても死ぬまで一人という境遇に耐えられるのだろうか。
「なるほど……。奥の深い命題ですね」
紬はそう呟いて熟考を始めた。
そんな紬を呆れたようにサラが見ている。
「じゃあさ、エスメラルダさんはどうなの?なんで眠りもせずにここにいるのさ」
春斗の質問に意外な事を聞いたという顔をする。
「私、ですか。私は……見たかったのです」
「何を?」
「世界の選択を。神の代行者が選んだ世界のその先を、神がどうするのか」
「それで死んだとしても?」
「はい。好奇心が旺盛なのです」
エスメラルダは小さく微笑む。
「そんな理由なの?信じられない。人間は死んだら終わりだよ。自己満足だけだよ」
もっと深い理由があるのかと思っていた一同はただ唖然とエスメラルダを見つめる。
「確かに、死ねば終わりです。ですが、私は双子なのです。私が死ねばもう一人の私に記憶が流れ込むでしょう。そういう魔法をかけてあるのです。死んでも私の記憶が受け継がれると思えば終わりと思えないのです」
こともなげに話すエスメラルダはとても自然体だった。
天気の事を話すかのように、その言葉に気負いはない。
「あなたはそれでいいんですか?」
「ええ。二つに分かれた魂が一つになる。それでもいいと私は思うのですよ」
「ちっとも共感できないよ」
一卵性とか二卵性という概念はないのだろうか、そもそも卵という根底から違うのだろうか。
この世界の住人と異世界人では体のつくりは違うのだろうか。
紬の好奇心がむくむくと頭を上げる。
「異世界人と現地人が結婚したら子供はできるのでしょうか?」
「過去にそう言った事例はあります」
「おぉ~い、話がそれてる。今はどうするかって話だろ」
春斗が強引に話を戻した。
頭の隅をちらっと異世界転移でハーレムという単語が横切るのが見えたが、涙を飲んで見送る。
「俺達がどうするか決めるための情報を聞くんだろ」
「現地人と結婚して家族を作れるという事も、決断するための判断材料にはなるよね」
「咲良……」
紬をかばう咲良を春斗は哀れM需要な眼差しで見つめた。
「必死か」
何に、とは口にしないだけの優しさはある春斗だが、いらぬお世話だ。
「違うからっ!彼氏がいないとか、今関係ないからっ」
ムキになればなるほど誤解は膨らむ。
春斗は深くため息をつき、年下の少女二人が咲良からそっと視線を外した。
「なんか胸が痛いんだけど……」
ひきつった笑みで胸を抑える咲良を気遣ってか、エスメラルダが話し始めた。
「私もまたリーヴァイ様の弟子です。ですから、リーヴァイ様が何を考えていらっしゃるかは想像がつきます」
悲し気に微笑みながら、エスメラルダは話を続ける。
「あの方は、自らの手で幕引きをしたいのです。あなた方を餌にサイラス達を表舞台に引きずり出し、自らの手で殺すことによって」
「背負いすぎじゃないの?悲劇の主人公に寄っているみたいで気持ち悪い」
歯に衣着せぬサラの言い分にエスメラルダは苦笑する。
「弟子の不始末は師の責任と思っているのでしょう。止められる立場にいながら止められなかったと、気づいてやれなかったと後悔しておいでですから」
「バッカじゃないの。サイラス達ってエスメラルダさんぐらいなんでしょ。大人じゃない。大人なら自己責任よ!」
「それでも、放っておけないのですよ。あの方は責任感が強いのです」
リーヴァイの下、サイラス達は修行していた。
道は分かれ、それぞれの人生を歩み、行きつく先が世界の破滅。
やるせない気持ちが春斗の中に広がった。
それでもエスメラルダは微笑みを浮かべる。
達観した笑みに心が痛む。
「他に知りたい事はありますか?」
静かにエスメラルダが問うと、四人はそれぞれ首を振った。
「それでは失礼いたします」
エスメラルダがいなくなると、静かな空気が戻った。
静まり返る世界にサラは息苦しさを覚え、払拭するかのように声を上げた。
「何もしなかったらどのみち死ぬのを待つだけよね。それだけは勘弁」
まだやりたいことはたくさんある。
死んでいる場合ではないのだ。
「帰るためなら努力は惜しまないつもり。ただ、人を殺すのだけはいやだけど」
サラが一番引っかかっているのはそこだ。
「私は、召喚者を探そうと思います。何が目的で私たちを召喚したのか、それを知りたい」
今はそれが行動する理由だと紬が言った。
「誰が召喚したにしろ、なんだか矛盾だらけで真意が見えないのが気持ち悪いのです」
手のひらで踊らされるのはまっぴらごめんだが、現状は踊るしかない。
「俺はサラちゃんと同じかな。帰りたい。そのためには手段は選ぶつもりはない。世界が滅びる前に帰りたい」
巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。
春斗はそうつぶやいた。
喧嘩をするなら他者を巻き込むべきではない。
そして三人の目が咲良に向けられた。
「私は……紬ちゃんと似てるかな。誰かの思惑に翻弄されるのは嫌」
世界を救うのも嫌。
世界を破滅させるのも嫌。
帰れないのは嫌。
利用されるのは嫌。
嫌な事がありすぎて何もかもが嫌になる。
「私は私の好きに生きたい。他人に生き様を決められるのはまっぴらごめんよ」
自分が自分であるために、咲良は変革の騎士を演じてやろうと決意した。