14.見えない覚悟
料理を作り終えると、よそって並べる仕事は三人に任せて咲良は外に出た。
和気あいあいとテーブルに食器を並べる音と楽し気な笑い声がドアで遮断されると、咲良は数歩前に出た。
「マリス!」
木に寄り掛かるようにして枝に座っていたマリスは咲良の声に目を開け、何事かと地面に降り立った。
「どうかしたの?」
小首をかしげて尋ねると、マリスに気が付いた咲良が駆け寄ってきた。
「夕食の準備ができたから呼びに来たの。一緒に食べましょう」
「いいの?」
紬やサラに警戒されている事がわかっていたから、夕食に招待されるのは意外だった。
「いやいや、見張りもしてくれるのに放置って、どんだけ鬼畜な人間だと思っているのよ。今日だって随分と助けてもらったし、お礼をしたいの」
「わかった。ありがたく同席させてもらおう」
愛想笑いではなく、ほんの少しだけ口元を緩めてマリスは招待を受けた。
「いただきます」
「いただきます」
咲良が音頭を取り、三人が声を合わせるとマリスはきょとんとした顔で手を合わせる四人を見た。
「それ、食べる時の挨拶?」
「そうです。命を奪う贖罪と感謝、作ってくれた人への感謝をもって料理をいただきます、という意味です。こちらでは、食前の祈りや挨拶といった儀式はありますか?」
紬の説明にマリスは首を振った。
「特にないかな。作った人への感謝はわかるけど、獲物にまで感謝するのは面白いね。想像もしたことなかった」
「糧になってくれてありがとう、です。命を軽々しく扱わないようにという戒めもあるのでしょう」
「一日目からハードモードだったね。おなかがいっぱいになったら眠たくなりそう」
「わかる~。たくさん動いたから疲れちゃった」
「部活の合宿みたいだな。走り込みをやらされた嫌な記憶が蘇る」
咲良とサラの呑気な会話に春斗が加わり、三人は笑った。
マリスの目がこちらへ向けられたので、咲良が話しかけた。
「最初は疑ってごめんなさいね」
目を丸くさせたマリスだが、すぐに笑みを浮かべた。
「なんだ、そんな事か。別に怒ったり変に思ったりはしていない。知らない奴を警戒するのは当たり前の事だし、正しい」
「ずいぶんと物わかりがいいね」
これには咲良の方が驚いた。
「初めは嫌な言い方をするとは思ったけど、最初だけだったし、あの場面では警戒するほうが正しい反応だ。相手をわざと怒らせてその反応を見て人間性を判断するのは定番だし」
柔らかない笑みを浮かべるマリスだが、目は笑っていなかった。
「むしろ警戒しないほうが問題ありだと僕は判断する」
春斗と咲良の態度の方がありえないと言外に言われた咲良は苦笑する。
紬とサラはその通りだとうんうんと頷いていた。
「君だけ年上のようだけど、リーダーじゃないんだね」
「……私たちはちょっとわけありでね。さっきサイラスの事を口にしていたけれど、どういう知り合い?」
「ああ。俺はサイラスの兄なんだ」
「えっ……」
驚く四人にちょっと呆れるマリス。
「そんなに驚く事かい?神の代行者だって選ばれる前は普通に生活しているんだよ。人間として生まれるんだから、親兄弟がいて当たり前だ」
「リーヴァイは一言もそんなことを言わなかったから……」
「なんか、木の股とか竹の中から生まれたのかと思った」
おとぎ話のような生まれ方をサラが口にすると、マリスの方が逆に驚いていた。
「この国の人間ならみんな知っているから、当たり前すぎて説明し忘れたんだと思うよ」
「そうなんだ。びっくりした」
兄のために剣技を磨いたと言っていたマリスの心境は複雑だ。
「マリスは誰の味方なの?」
「僕はこの国の味方」
立ち位置がさっぱりわからない。
弟ならばサイラスの味方をするはずなのに、彼はここにいる。
「サイラスは……神の代行者は誰の味方?」
「さぁ。少なくとも国の味方じゃない事だけは確かかな」
どこか寂し気にマリスは答えた。
「心の底から願う気持ちは誰にも強要できない。だから破滅願望があるヤツ以外は神の代行者に恐怖を与えるような真似はしない。そしてそんなヤツを近づけないために神官をはじめとする守り手がいる。僕は……選ばれなかったけれどね」
なんとなくだが彼らの関係性が見えてきた。
マリスはサイラスの弟で神の代行者の守り手には選ばれなかったが、今までの生活を望んでいる。
つまり、破滅は望んでいない派だ。
「なぜ僕が案内役に選ばれたのか不思議だろうね」
ゆっくりとマリスは目を閉じた。
「僕はサイラスを、神の代行者を殺すことはできないけれど、味方をするつもりもない。どっちつかずだから」
「どっちつかず……中立って事?」
「そういうと、聞こえがいいね」
マリスは目を開けて咲良を見た。
「僕も君たちと同じ。何が起きたのか知りたくて探している」
「……召喚者はサイラスさんだと思う?」
「わからない。ただ……どうして話してくれなかったのかなってずっと考えている」
こればかりは考えてもしょうがない。
相手に聞かなければ答えはわからないのだから。
「ふふ、そうね。私達と同じ。ねぇマリス」
「ん?なに?」
「私たちに戦い方を教えてくれないかしら」
「戦い方?」
「春斗も私も、対人の一対一の戦い方しか知らないの。紬ちゃんは固定された的に射るだけだし、サラちゃんに至っては戦う事を知らない」
咲良の話に耳を傾けながら、マリスは確信する。
(やはり彼女がリーダーだな)
自分との間に溝を作らないように仲間のフォローをする咲良を見てそう思った。
常に気配に気を配っているので真っ先に魔物の存在に気が付く。
仲間の動向を把握し、戦闘中はバラバラに動く仲間に声をかけて戦闘をスムーズにさせ、安全に気を配る。
「それはニールのところへ戻るまでの間でいいということか?」
「正確には、武器が完成するまでかしら」
「ふぅん。僕はその後も護衛につくつもりだったんだけど」
「お願いしたいのはやまやまだけど、そうもいかないんじゃない?」
咲良はひょうひょうとしているマリスの顔から目を離さない。
ほんの少しの異変も見逃さないように。
「今、起きている人って何らかの役割を担っていますよね?リーヴァイは滅亡を遅らせるために。エスメラルダは城を守るために。貴方も本来は別の役割があるのでは?」
「ああ、そうだね、僕の役目は人探しだ。起きている人、サイラス、敵の支援者……探してリーヴァイに報告するのが仕事」
「起きている人?」
「辺鄙なところに住んでいたり、頑固な人とかね」
「頑固……」
辺鄙なところでは城からの通達が行きわたらないというのはわかるが、頑固とは何だろうか。
「老い先短いから始まって終わる感じ?」
オブラートに包んだ結果、疑問形になったがマリスが説明してくれた。
「ああ……想像できます」
生きることに満足し、世界を愛しているから最後まで起きていて、看取りたいという思考だ。
「そういった方々を説得して回るんですか?」
「うん、まぁそうだね」
はははと笑ってごまかすのは、たまに手荒な説得になるからだ。
マリスは笑みを浮かべたまま咲良を見た。
「君たちはそれで大丈夫なの?」
「魔法がちゃんと使えるようになれば、たぶん。でも、敵の幹部クラスだとどうかな……」
「たいていは心の強さで勝敗は決まる。小さな子供が信念を強く保てば大の大人を倒すこともある。それがこの世界の理だから……君たちが強い目的意識を持っていれば何とかなると思うよ」
「目的意識ですか……」
四人は視線を交わした。
目的はあるが、実はあまりピンと来ていない。
召喚者を探して元の世界へ帰る。
荒唐無稽な話でまだ現実として受け入れられない。
今日一日でようやくここが地球ではないのだと理解ができたところだ。
「手っ取り早く強くなりたいなら、強く望めばいい」
「何をですか?」
「卑劣、卑怯、冷酷と罵られようとも、屍を越えてでも、いかなる手段をもってしても元の世界へ帰る」
咲良は言葉に詰まった。
誰かを殺してまでも帰りたいかと問われれば、その覚悟はない。
帰りたいのは本当だが、そこまでして帰りたくはないし帰れない。
「ふふ……」
マリスは戸惑う咲良を見て小さく笑った。
「君が高潔なる魂の持ち主で嬉しいよ」
「こ、高潔って……そんな大げさな物はもっていないですよ」
「そう?君たちの立場だったら、それは許されると思うよ。でも君は忌避しているし、いかなる手段とそれを使う事にためらいがある」
咲良の様子を見て、彼女がマリスの思ういかなる手段を想定したことはわかった。
人を殺すことを忌避し、悪者の振る舞いを拒絶する。
「それはたぶん、そう教育されているからだと思うけど」
「ふぅん。それなら覚悟を話し合ったほうがいい。この世界で起きている人間は、相手を殺すことにためらいを覚えない者ばかりだよ。そして殺されることも覚悟している」
咲良は動揺を隠そうとして失敗した。
「なっ……」
大きく息をのんでから呼吸を整える。
「あの、マリス、あなたも?」
「もちろん」
笑顔で答えるマリスに咲良は初めて怖いと思った。
自分たちにはない覚悟だ。
「今は戦争中だから猶更ね」
「普段は?こんな事態になる前は?」
咲良の問いかけにマリスは困ったようにほほ笑んだ。
「僕はそういう生き方を選んだからね。きれいなだけの世界じゃないから、君達には来てほしくないなぁ」
マリスから、こうなる前の世界の話を聞いた。
人類共通の敵、魔物という存在があるので大きな戦争は起きない。
兵士の役割は主に魔物や盗賊の盗伐。
戦争にはならない理由の一つに、この世界の変わった理のせいもあった。
土地と結びつきのある者が王となる。
王となったものはその国に限り、特殊な魔法を使って国を潤すことができるのだという。
神の代行者の劣化版が王族で、国の中だけならばそのありように少しばかり干渉できる。
だからその国を別の国の王が本当の意味で掌握することはできない。
聞けば聞くほど不思議な世界だ。
「本当に私たちのいる世界と違うのね……」
マリスと顔を合わせていると違和感はないのだが、話を進めていると違和感どころか違いが判る。
食事を終えるとマリスは引き留める四人にお礼を言うと、さっさと出て行ってしまった。
「ずいぶんとあっさり出ていったね。てっきり私たちの事を探ってくると思ったのに、拍子抜け」
サラは空いた食器を重ねながら閉まったドアをチラ見した。
「人間観察はここに来るまでの間にすませたんだろ。咲良はアイツの気配、気づいたか?」
「ぜんぜん。声をかけられて初めてわかった。冒険者ってみんなあんな感じなのかな」
「えっ、気配って感じられるものなの?」
「気配、わかるのですか?」
サラと紬が興味深々と前のめりに二人を見る。
「普通はわかるだろ」
「わかんねーよっ。先輩たちの常識を一般人の私たちに押し付けないでよ」
「まず音ね。物音。それと熱?体温?生きてると何かしら動きがあるでしょ。それを捉える力が高いんだと思う」
咲良の説明に紬は目を輝かせながら聞き入っていた。
「一般人っていうけど、サラちゃんだって気配を感じる事は一度や二度はあるはずだよ」
「え~、わかんないです」
「たとえば黒い昆虫とか、蛾とか、苦手な生き物に限って見つけちゃうとか」
「ああ、それはあるかも」
眉間にしわを寄せたサラの脳裏を黒い昆虫が横切っていった。
「それって無意識にピンポイントで気配を探っているの。私と春斗のは、意識して周囲の動きを観察した結果、違和感を感じとるわけ」
「違和感?」
「わかりやすいのは風もないのに葉擦れの音がしたとか、誰もいないのになんか熱を感じるとか、そういった違和感を気配として捉えているわけ」
「わかるような、わからないような?」
「後ろに立たれたらわかるでしょ。それと同じようなものよ」
音、熱、風の動き。
「そういうもんですか」
「そういうものよ。あまり深く考えちゃダメ。本能に従うの」
「咲良、格闘漫画の話はもういいから。それよかさ、俺はあの人のこと、信じてもいいかなって思うけど、みんなはどう?」
春斗の言葉に三人の表情が引き締まる。
サラがまず口を開いた。
「敵じゃなさそうだけど、味方かと言われたらどうなんだろうって感じ」
マリスはサイラスを止めたいと思っているのは間違いない。
だが、そこに実行しようという気概があるのかといえばそんなに積極的でもない。
死ぬ気で、殺す気で止める覚悟があるようには見えなかった。
土壇場で裏切るかもしれない危うさがある。
「そうですね。私もサラちゃんと同じです。サイラスと出会った時、彼がどう動くのかわからない点が不安です。行動を共にするのはかまいませんが、サイラスに出会う前まで、という条件が付きます」
紬は懐疑的な様子を隠さない。
「そうねぇ。敵ではないから味方って感じじゃないよね」
「なんで?敵じゃないって判断なんだろ」
「だからこそだよ。こっちの事情に巻き込みたくないし、向こうの事情に関わって巻き込まれたくもない」
サイラスの弟だときいて余計にそう思った。
どちらにしても召喚者にあったら荒事になる。
その時、背中を預けられるかと言われれば一抹の不安が残る。
家族の絆というのは馬鹿にできない。
春斗がこの世界の破滅を望んだとき、全身全霊で止めるかと言われればそうだと言い切れる自信が咲良にはなかった。
「紬ちゃんの言う通り、サイラスと出会う前までは信頼できると思う。仮に私の判断が間違っていても、リーヴァイ側にいる間は大丈夫」
マリスがどう出るかはわからないが、話していて彼が動く理由は国かサイラスのどちらかだと感じた。
サイラスの敵に、国の敵にまわらない限り彼は何もしない。
敵か味方かはっきりする時は、きっと旅の終盤だろう。
「咲良が大丈夫っていうなら、きっと大丈夫だよ」
根拠のない自信で春斗が太鼓判を押す。
「なぜそう思ったのか聞いてもいい?」
突発的な出来事に弱いだけで、サラは馬鹿じゃない。
ちゃんと考えて行動できる子だ。
「剣で殺そうと思えば彼の腕ならとっくに私達を殺せている。性格が悪い奴なら油断させておいて森を抜けてから背後から魔法で一撃でしょ」
あっさりとした口調で答えた咲良。
サラは信じられない物を見るような眼差しを咲良に向けた。
「それは……思い切り卑怯な人じゃん」
「あはは、それは否定しないけど。でもね、命がかかっている以上、綺麗汚いなんて言っている場合じゃない」
マリスに問われた覚悟を考えると自然と口調が鋭くなる。
厳しい眼差しにサラが怯むのを見て、咲良は優しい笑みを浮かべた。
「彼は私みたいな卑怯な人じゃないから大丈夫」
咲良の言葉にサラと紬は困ったように視線を絡ませる。
短い付き合いだが、咲良は卑怯ではない。
ほんのちょっとの付き合いだが、マリスは絶対に外見に反比例して腹黒だとみている。
マリスに騙されていないかちょっと心配になる二人だった。
「ねぇ、咲良先輩、ほんとうに大丈夫なの?」
「大丈夫だって。咲良の人に対する直感って当たるし」
「そうじゃなくて……」
「あの人に誑かされないかとサラちゃんは言いたいのですわ」
「ああ、そっち。どうだろう……ああ、でも一目ぼれはない。性格というか、フィーリング重視だから」
共感できる瞬間が好きだと言っていた。
「なるほど……」
「だからさ、たまに場外で揉めてる」
「なにそれ」
「袖にされたモテ男君と気に入られたモテない君の仁義なき戦いってとこかな」
一緒にいて楽しい、が基準の咲良は顔の造作に興味はない。
「なんか、大変そうね……」
「周りがね」
紬のつぶやきに春斗が突っ込みを入れる。
納得できるものがあり、二人は同時にため息をついた。
「さっきから何をこそこそ話しているの?仲間外れみたいで寂しいじゃないのっ」
ちょっとツンとしながら最後はデレる咲良に三人はきゅんとしてしまった。
小さな子が拗ねているような様だが、咲良がやると不思議と可愛い。
「咲良は可愛いって話をしてた」
春斗が涼しい顔でそういうと、咲良の顔がちょっと赤くなる。
「ごまかそうとお世辞を言ってもダメなんだからね」
「はいはい。咲良がマリスさんにほだされないか心配してたんだよ」
「なんで?」
心底不思議そうな顔をする咲良。
「いや、だってマリスさん、カッコいいじゃん」
「うん、カッコいいよね。でもそれと絆されるのとどういう関係があるの?」
「普通は顔のいい男に口説かれると恋に落ちるんだよ」
「口説かれてないよ?」
「ああ……そう……なら、この話は終わりな」
「うん」
あっさりと話が打ち切られ、聞いていた二人の方が拍子抜けだ。
「咲良は美醜にこだわらないんだ。それは自分にも適用されるわけで」
ぼそりと春斗が付け加える。
「結果として、口説かれるほどいい女じゃないと思ってる」
サラと紬はそろってため息をついた。