マグロ漁から始まる悪役令嬢の逆襲
波の音が聞こえそっと目を開けばそこは荒れた海のど真ん中でした。明日香は、磯と強烈な魚臭さに目を瞠った。
「何事ですの!?」
「ようやく起きたか。早くコレに着替えろ。仕事だ」
渡されたのは小汚いつなぎと靴。そういえばと自分の格好をみれば、パーティに出たような服装だった。間違いなく婚約者の誕生日パーティーに出席していたことを思い出した。
本来なら西園寺家の令嬢である明日香と東城家子息海斗との結婚が正式に発表予定だった。しかし海斗は、見覚えのない女性を連れてきたあげくその女性と結婚すると言ってきたのだった。
さらに女性に対する嫌がらせを指摘し、多額の慰謝料請求を求めてきた。事実無根のものばかりだった上に、そんなお子様のような嫌がらせを何故すると思われたのかわからない。
そして西園寺家の当主である兄も女性と顔見知りのようで、明日香を勘当した上に慰謝料を体で払えと言われたことまでは覚えていた。
「物語の定石では、お風呂屋さんや臓器を売るというところでしょうになぜ漁船?」
そういえば身に覚えのないものに不特定多数の男性と関係をもっていたというのがあったので、ご褒美になるとでも思ったのか。どういう意図であろうと貞操が守られたのは運がよい。
「聞こえてるのか!? 早く着替えろよ」
「個室を用意してくださる? まさかここで着替えるなんておっしゃいませんわよね。祖父から漁師の方は、海に敬意をはらう紳士と聞いておりましたもの」
明日香が言うとその場にいた男達は、腹を押さえてゲラゲラ笑い始めた。そのうちの一人がお嬢様が使うような豪華な部屋はないと甲板を叩きながら説明する。
「ならば仕方ありませんわね」
明日香は、困ったと手を頬にそえてからドレスに手をかけた。一瞬でツナギに着替えており、男たちはあまりの速さに驚愕した。明日香は、裾や袖が大きいとのんきに捲くっている。
「まてよ。あんたお嬢様だったらしいのになんで船の上を余裕で立てるんだ?」
「クルージングをしていたこともありますが何よりあいさつ回りのためにピンヒールで歩いておりましたので体幹は出来ていると思いますわ」
「おっ、おぉ……。お嬢様も大変なんだな」
「持てる者、上に立つ者の責務ですもの。さぁ、お仕事をいたしましょう」
男たちはその細腕で何が出来るんだと思いつつも何かやってくれるのではと、そんな期待を持てる笑顔だった。
誕生日会から半年後の卒業パーティーで東城海斗は、最愛の人と言っていい田中結乃を連れ添っていた。結乃は、近年力をつけてきている田中グループの一人娘で高校まで公立だったため庶民的な発想や天真爛漫さが目新しく思えた。
だか婚約者だった西園寺明日香によるいじめが起きたことで守るべき女性と認識した。そこから一人の女性として好きになり明日香と縁が切れた後は、恋人として過ごしている。卒業後に予定している旅行中にプロポーズしようと指輪も準備した。
「海斗どうしたの」
「みんな卒業パーティーを楽しんでいるみたいでよかったなってさ。これも結乃のおかげだ」
「みんな仲良く♪ですね」
「あぁ、そうだな」
目障りだった婚約者明日香もいなくなり学園生活を楽しく過ごせたと思っていると、会場の扉が開け放たれ高飛車な笑い声が響いた。海斗は、聞き慣れた声に寒気がした。
「ご機嫌麗しゅう卒業生の皆様! マグロのお届けですわ」
「なぜここにいるんだ明日香!」
「マグロ漁船組合の会長として最高級マグロを届けに来たのですわ。特級品でしてよ」
確かに台の上に載せられたマグロは大きく新鮮さを物語るように瞳が生き生きとしている。解体されたマグロしか見たことがない生徒たちは釘付けになっている。
「学校からパーティーの目玉として穫れたてのマグロの解体ショーを依頼されましたの。さぁさぁ、ご覧あれ」
どこからか現れた黒子が包丁を明日香が受け取ると熟練の職人のように解体していく。尻尾、頭、胴体と切り分けていくと見覚えのある見た目になった。
「さぁさぁ、皆様召し上がってくださいませ」
笑顔で言い切ると控えていたシェフ達が各部位を持ち場に持っていき料理を始めた。骨すら残さずマグロはなくなってしまった。
「何をしているんだ明日香! お前は、マグロ漁の船で私が立て替えた慰謝料の分働いているはずだ」
西園寺家の現当主である明日香の兄だった。明日香の兄も結乃に気があるようで、虐めた明日香が許せずマグロ漁に行かせた張本人だ。そして明日香の兄は、明日香が自由の身になっていることを知らなかったようで目が血走っている。
「嫌ですわお兄様、肉体労働だけが対価を得る方法ではありませんわ。色々やってみましたの」
明日香が出した紙束には、様々な発明の権利や新種の生物の販売契約書など様々あった。それは半年以内に出されており金額は小さいながらも確かに慰謝料を払える金額だった。
「私は、家のために戦略結婚することが決まっていましたが本当は海洋学者になりたかったのでマグロ漁船に乗ったのはいい刺激になりました」
「西園寺家の令嬢が海洋学者?」
「馬鹿げているでしょう? でも海が好きでしたの。せめて海洋学者になれなくても趣味の範囲で楽しむつもりでした」
着飾ることとお茶会しか頭にないと思っていたのに、海洋学者になりたいなどと言うと思っていなかった。
「それなのに私がその方を虐めたと言って婚約破棄された上に慰謝料を払い終えるまでマグロ漁船に乗せ続けるようにされるなど信じられませんわ。マグロ漁船はお兄様の仕業でしょうけど」
「あぁ、腐ってもお前は西園寺だ。子どもが生まれたらどういうことをするか目に見えたからな」
「あらあらお兄様は、優秀な私から生まれた子どもに当主の座を奪われると思われたのでしょう? お父様がもし私が男でしたら当主にすると言っておりましたもの」
一人っ子の海斗は、西園寺兄妹の舌戦にだいぶ怯んだがようするに西園寺家のお家騒動なので他人事だと考え直した。周囲を見渡しても西園寺家と縁がある家以外は無視を決め込むようだ。
「陸一さん、負けないでください。あなたが当主として努力してきたのを知っています。だから」
「結乃さん、ありがとう」
結乃の優しく思いやりに溢れた言葉に海斗は、苦笑しながらも西園寺当主を腹立たしく思う。困っていたり悲しんでいる人がいるとすぐどこかへ行ってしまう。
「偽善ですわ。努力した結果が得られないのならばそれは努力の方向性に問題があるのです。昔からお兄様は、無駄なことに努力しておりますわね」
「そういうお前こそ、結乃さんにを追いつめて東城から婚約破棄されただろう」
「私、その方を存じませんしそんな暇ございませんでしたわ。花嫁修業の真っ最中であいさつ回りや慈善事業などもしておりましたので暇があればゆっくり寝ていたかったですわね」
「花嫁修業? そんなの大したことないだろう」
その言葉に何人もの令嬢の目が光ったように見えた。実際光るわけないのだが、背筋が凍るような恐怖を覚えたのは確かだ。
「人に礼儀を礼儀には対価を、それが公家の先祖を持つ西園寺家の家訓。嫁ぐ身であっても西園寺家の礼儀作法や心配りを忘れませんわ」
海斗は、はっきりと通る声で真っ直ぐに相手を見つめるその態度が苦手だった。いつも自分が正しいのだと押し付けがましく、また結果が正解なので悔しい。
明日香がいれば東城家は安泰だと言われて海斗は、何度拳を握っただろう。
「だからなんだというんだ。お前は、西園寺家を名乗る資格はない」
「絶縁されましたものね。当主がそのように決定したならそれに従いましょう。それに私は、西園寺とも東城になりたいと思っておりません」
どういう意味だと会場がざわつくと会場の扉が開かれ、彫りの深い伊達男がスーツにグラサンの男が入る。グラサンによって目元が隠れているが異国の血筋なのがよくわかる美男子だった。
「アモーレミオ、お友達?」
「レオ」
レオと呼ばれた男は、明日香の肩を抱いて微笑みかけた。
「誰だ。ここは、関係者以外立ち入り禁止だ」
「なんだ、知らないのか? 修学旅行のイタリアを楽しんだだろうに。あぁ、おしゃぶりがとれない坊やにはまだ早いのか」
「なんだと!?」
「これはこれは! ジャルディニエーレ様日本に来日中でしたか」
いつも慇懃な態度の学院長が冷や汗を浮かべながらレオへ胡麻すりしている。
「東城様、こちらは」
「あぁ、言わなくていいよ。名前を覚えるつもりもないから」
「なんだって!?」
レオが何か言ったようだったが明日香は、意味がわかったらしくレオを窘めている。だが言葉の意味がわからずともイントネーションや表情で何を言っているかは想像がつく。
「明日香を手放すような男がまともな思考をしているとは思えないな。彼女といると色々な世界を知れるんだ。とても賢くて柔軟で純粋だからね」
明日香の手に気障ったらしく髪にキスすると会場のあちこちで悲鳴が聞こえた。それも海斗の隣でも聞こえ見ると、結乃がキラキラとした羨望の眼差しを向けている。
「結乃」
「レオ様、私ユイノ タナカと申します。明日香様とは」
「田中グループだろう。知っているよ」
「まぁ、そうなのですか。光栄です」
結乃は、聞いたことがない猫撫声でレオに近寄り腕に抱きついた。
「このあと一緒にお食事しませんか? イタリアのお話をお聞きしたいです。うちのグループなら和洋中なんでもありますし」
田中グループは、幅広いジャンルの料理が食べられるファミリーレストランで成功している。リーズナブルなものから普段のご褒美までがコンセプトにしていた。
「遠慮するよ。違法薬物売買に関わっているなんて思われたら昔気質のイタリアマフィアは嫌うからね」
レオは紳士的に結乃を腕から離させた。だが結乃は、不服だったのか顔をしかめさせる。
「薬物売買とはどういうことでしょうか」
「その歳で実家の事業内容を知らないとはよほど世間知らずなのか。馬鹿なのか」
「両方ですわね。蝶よ花よと大事にされていたご様子ですし。成り上がりでもしっかりご教育されていたり本人に学ぶ意志があるのならそうはならないのですが」
結乃は、大きな瞳を潤ませて明日香を睨んだ。睨まれたところで明日香は特に気にしないようで済まし顔をしている。婚約破棄を宣言したときは、眉間を揉みながら溜息をついていたがそれくらいだ。
「そうやって私を貶めるようなこと」
「事実を申しました。それよりもご実家に薬物取引の容疑がかかっていることを考えるべきですわね。あぁ、ゲストがいらしたようですわよ」
ぞろぞろと入ってきたのはガタイの良い人たちで全員鋭い目つきで田中結乃に近寄った。
「警視庁捜査一課の吉田だ。田中結乃、お前さんに恐喝で逮捕状が出ている。署までご同行願おう」
「何言ってるの。私は、何も知らないわ」
暴れる結乃の両腕を抱えて、警察は強制的に会場から出ていった。海斗は、伸ばした手を下ろしポケットからスマホを取り出した。
「やめた方がいい。あの警察の中に公安もいたから目をつけられるだろうね。企業は、信用で成り立っているのはわかるだろう」
レオは、とても面白いと言いたげに口元に笑みを浮かべた。その笑みを見て目の前の男が、結乃を嵌めたのだと理解した。
「結乃は、冤罪だ」
「そうかもしれない。でも同じことを明日香にしただろう。自分が何をしたのか思い知ってもらおう」
「何が思い知るだ。結乃さんは、明日香と違い優しく繊細なんだ。西園寺家の弁護士を結乃さんにつける」
陸一は、外に控えていた側近と共に帰ったようだ。海斗は、明日香に一つだけ聞きたいことがあった。
「明日香、俺が嫌いだろう」
「好きではありませんでしたわね。私の幸せを奪う存在でしたから」
「そうか」
明日香が海斗のことが好きではないのをわかっていた。海斗が誰を好きになろうと、嫉妬したり嫌がらせするような人物だとわかっていて断罪した。海斗と結乃が被害者でなければならないからだ。
ようするに結乃の言っていた嫌がらせはなかったのだとわかって貶めた。まだ当主になれていない海斗が結乃と円満に結ばれるために悪役が必要だったのだ。
「失礼する」
どんなことがあっても愛しているからこの先が、地獄だろうと結乃を離さないと思っている。
「とてもお馬鹿さんですわ。なぜ真っ当に幸せになれる方法を考えられないのでしょうね」
「自分に甘いからじゃないかな。自分がなぜ自分なのかわかっていないんだよ」
「そうですわね。救いとしては代わりはいることかしら」
海斗は、東城の当主から外され従兄弟が当主になるだろう。西園寺家も叔父がしっかりしているし、最悪明日香が当主になればいい。
「さぁ、明日香。用事は、終わっただろう。今日は、金蛸に行ってみたいんだ」
「私も行ってみたかったから楽しみですわ。たこ焼きをあげ焼きするので生地がカリカリするとか」
明日香とレオは、仲睦まじそうに会場を後にした。この警察の介入した卒業式は、沈黙の卒業式と呼ばれ、日本市場開始以来最も株価が下落した。東城コーポレーションと西園寺コーポレーションの下落が最も酷く社長や会長の交代などがおきた。
それから数年後のイタリア地中海の教会で結婚式が行われた。真っ白な壁を装飾するのは海のエメラルドグリーンと木々の深緑だ。結婚するのはジャルディニエーレのレオナルド=ジャルディニエーレと最近学会で旋風を巻き起こしている明日香だった。
「叔父様、イタリアまで来ていただきありがとうございます。それに弘大も」
「従兄弟が結婚するんだから結婚くらい祝いたいしな。会社もある程度立て直したし」
「レオナルドさん、明日香ちゃんをお願いしますね」
「もちろん大事な女を泣かせるイタリアの男は、半人前ですよ。それと俺のことは愛称のレオでいいですよ。レオナルドは古臭くて」
和気あいあいと話しているがレオの親族の出席者は、イタリアマフィアが多く厳つい見た目が多い。だがそれ以上に気っ風がよく豪快に笑う様は、日本人にはない愛嬌を感じさせる。
「それはよかった。幸せになるんだよ」
「幸せになりますし、レオも幸せにしますわ」
「俺の妻は、世界一だね」