表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の知らない僕の思い出  作者: 三木小鉄
7/12

第六話 旅館

名残を惜しむように夕月橋と朝日滝を見て、僕たちは旅館へ戻ることにした。下り坂をゆっくり歩き始めたが、途中で大事なことに気がついた。



「あ! 写真、一枚も撮っていない。戻って記念に撮ってこようよ」

「ううん、写真はいいの」

「どうして?」

「写真って、当たり前だけど、撮ったその瞬間だけを記録するでしょ。本当は、撮る前も撮った後もいろんなことがあったはずなのに」

「うん」

「私は今日のことは一生忘れないと思うの。瞬間を切り取った一枚の写真だけじゃなくて、この空気も水の音も、たっくんの匂いも温もりも、全部頭の中に覚えておくの。そうすれば、目を閉じればいつでも好きな時に思い出せるでしょ」


なるほど。僕の部屋にある、笑っている両親の写真を思い出す。いつの間にか、それだけがいつもの両親だと思い込んでいたが、怒ったり泣いたり、若い時から老いるまで、いろいろな両親の顔を僕は見てきたはずだった。



旅館に着いた僕たちを見かけると、旅館の人が、また気持ちのいい挨拶で迎えてくれる。



「お帰りなさいませ。なにかお飲みになりますか」


玄関を上がり、ラウンジの椅子に美咲と向かい合って座ると、女将さんがサービスドリンクのメニューを持ってきてくれた。そう言えば水分を摂っていなかったと思い、オレンジジュースを頼んだ。


「いかがでしたか?」


しばらくすると女将さんがオレンジジュースを持ってきてくれた。床に両膝をついてテーブルに置いた後、聞いてきた。


「すごく良かったです」

「本当に来てよかったです。大自然を貸し切り状態でした」


僕たちが口を揃えて言うと、その表情でお世辞ではないということがわかったのだろう。女将さんも嬉しそうな顔だ。


ジュースで喉を潤しながら何気なく壁のほうを見ると、パネル大に大きく引き伸ばし、フレームに入れた写真が何枚か飾ってある。その中の一枚、建物の写真に僕の目は釘付けになった。


(僕は()()()()を見たことがある)


夕月橋と朝日滝に感じたのと同じ、懐かしい思い。遠目からだが少し古いものだとわかる。どこかの旅館だろうか。僕は動揺を隠しながら、女将さんにさりげなく聞いてみる。


「あそこに飾ってある写真はどこの建物なんですか?」

「当館は築三十年ほどになるのですが、あれは建て替える前の旅館です」

「確か、夕月橋の竣工もその頃ですよね?」


ネットで夕月橋のことを調べていたときに書かれてあった情報を思い出した。


「三十以上前に『ふるさと創生事業』というものがあったんです」

「聞いたことがあります。確か全国の市町村に一億円を配ったんですよね」

「そうなんです。そのお金を使い、この村の集客の目玉にしようと、当館の先代が中心になってあの夕月橋を作ったんです。当館も、夕月橋が完成した後を追いかけるように建て替えをしたんですが、あの写真はその直前のものなんです」


僕たちが頷くと、女将さんは少し寂しそうな感じで続ける。


「その頃はちょうどバブル期でして、当時は景気がよくて、一万円札が飛び交うようなギラギラしたものにみんな憧れていたんですよ。そんな時代だったので、わざわざ娯楽もなく自然しかない所に来てくださるお客様も、残念ながらそれほどは増えなかったんです」


確か、数年後にバブルは崩壊し、景気は一気に冷え込むはずだ。


「バブルもやがて弾けてしまったんですよね」

「はい。当館の建て替えの予定はその前からあったので、バブル崩壊の影響は少なくてすみました。夕月橋も、定期的な点検や傷んだところの補修くらいしか維持費がかからないので、この村での負担は今でも軽いんですよ」


バブルで浮き沈みした人も多いと聞く。この旅館も苦しい時期を乗り越えてきたのだろうと勝手に想像する。女将さんは笑顔に戻って続ける。


「おかしいもので、今の時代になって、この場所がアウトドアやスローライフが好きな人たちに人気が出始めているんです。先日のゴールデンウィークも多くのお客様に来ていただいたんですよ」


チェックインするお客さんが着いたようで、女将さんはそちらをチラッと目にして立ち上がった。


「ごめんなさい。ついつい長話をしてしまいまして。お二人の大切な時間をお邪魔しました」



女将さんが向こうへ行った後、僕は写真の前に行ってみた。それぞれの写真の下には、簡単な説明文と撮影日が書かれていた。僕が見覚えがあると思った旧館の写真の撮影日は1990年。そして、夕月橋の写真の撮影日は1989年。


僕はこのどちらにも見覚えがある。この二ヶ所を同時に見ることができるのは、1989年から1990年の間。それより前には夕月橋はなく、それより後では旧館がない。


『転生』 ネットで調べた文字が蘇る。


僕が誰かの転生で、この()()()()()()()が前世の人の記憶だとすると、前世の人がここに来たのはその二年の間だ。

そして僕の誕生は1992年。つまり、前世の人はこの地に来た後、間もなく亡くなっているということになる。



「どうしたの、真剣に見て」


隣に来て、僕の様子を心配するように美咲が聞いてきた。


「ううん、あの夕月橋もこの旅館も、僕が生まれる少し前にできたっていうから、なんだか親近感が湧いちゃった」

「ふふふ、同世代ってことね」


ここで深く考えるのは止めよう。美咲には申し訳ないが、ごまかすような返事をして部屋に戻ることにした。



部屋に戻り、少しくつろぐ。


「忘れてた。美咲の家に連絡をしないと、きっと心配しているだろうから」

「この旅館に着いた時に、無事着いたからまた明日ねってお母さんにメールしておいたから大丈夫」

「それなら良かった。で、なんて?」

「ごゆっくりって」


できるだけ表面には出さないようにしているつもりだが、僕がいろんな事を思い悩んでいる間に、美咲はしっかり気を廻してくれる。きっと家族も美咲のことを信用しているんだろう。終始にこやかにしている美咲が楽しそうに言う。


「東京から岐阜までドライブ、大自然貸し切りの中でプロポーズ。天気も旅館もいいし。最高の一日」


確かに二人にとって運命の日になったが、全てが全て、僕が計画したものではない。それでも美咲の言うように最高の一日になったのは間違いない。まるで見えない大きな力が働いて、僕たちを後押ししてくれているかのようだ。



「失礼します。お食事のご用意をさせていただきます」


夕方になり、初老の中居さんが部屋に来てくれた。プロポーズは考えていなかったが、美咲との泊り旅行は初めてなので、奮発して料理はアップグレードしてある。


中居さんが料理を並べ始めたが、思っていた以上に豪華だ。美咲は料理と僕を見ながら、スマホで写真を撮り始めた。昼間の話を思い出すがこれはこれ。記念に撮ってもいいだろう。ついつい二人で微笑みがこぼれる。


「料理もすごいですけれど、なにより皆さんの対応が本当に気持ちのいい旅館ですね」


僕がそう言うと、少し手を止め、中居さんが嬉しそうに頭を下げる。


「ありがとうございます。一期一会いちごいちえという言葉がありますでしょ」

「はい、僕は好きな言葉です」

「私どもは、一期一生いちごいっしょうの気持ちでおもてなしするよう言われています」

「一期一生ですか?」

「はい。当館へお越しいただいたお客様が帰られた後も、来てよかったなと、いつか思い出していただけるよう、お客様と一生お付き合いをさせていただくつもりでおもてなしをする。そういう先代からの教えです」


中居さんの凛とした姿、女将さんや従業員の人たちの対応を思い出し、プロ意識..いや覚悟と言っていいほどの気持ちを感じた。


「今日はお客様も少ないので、貸し切りの家族風呂が空いています。よろしかったらいかがですか。予約制ですのでお取りしましょうか」

「はい、お願いします」


食事を並べた後、柔らぐ声で中居さんが言う言葉に、美咲が食い気味に返事をした。



美味しい料理に舌鼓を打ち、十分満足してから貸し切り風呂へ行く。十人くらいは入れるのではないかという広さに驚き、天然温泉に昼間の疲れも抜けてゆく心地よさ。それになにより大切な人と過ごす時間と空間に幸せを感じる。


「さっきの言葉の訂正」


お風呂でくつろぎながら美咲が言う。


「ドライブが楽しくて、大自然貸し切りの中でプロポーズが嬉しくて、天気も旅館も良くて、その上食事も美味しいしお風呂も気持ちいい。人生で一番幸せな一日」

「僕もそう思う。一生忘れらない日になった」


僕がそう言うと、本当に嬉しそうに美咲が笑う。

さっぱりして気分が最高になったところで部屋へ戻ると、既にお膳は片付けられ布団が並べてあった。



美咲が髪の毛を乾かしている間、もう一度あの写真のことを考えてみる。


転生の仕組みはわからないが、1989年か1990年にここへ来た人が強い思い入れを残す。そして間もなく亡くなる。その後、1992年に僕として生まれ変わる。ここまでが僕がわかっている範囲での想像だ。


吊り橋のイメージから、亡くなった原因が事故や事件、最悪自死などが頭をよぎるが、感覚的にそれはないと思う。僕がこの場所に抱く感情が前世の人のそれだとすると、とても温かく優しいものだから。


後悔や恨みなどネガティブなものは一切ない。僕の運命を良いほうへ良いほうへと導いてくれる力さえ感じる。調べればなにかわかるかもしれないが、情報量は多くない。このまま流れにまかせることが、今の僕にとって最善だと自分を納得させた。



「お待たせ」


浴衣姿で艶やかになった美咲が部屋に戻ってくる。


「明日はここから愛知県まで南に向かって、僕の実家に行こうと思っている」


先ほど姉に電話をしたら、義兄さんや甥っ子たちはいないけれど、姉はいるので大丈夫だと返事をもらっている。


「やった! 嬉しい」


美咲の反応が心配だったが、思いのほか喜んでくれた。しかし、何かに気がついたように、今度は伏し目がちなる。


「ご両親にも紹介してくれる?」


小さな声で呟いた。


「もちろん。大切な彼女だって自慢してあげるよ」



美咲に腕を伸ばし、そっと抱き寄せた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ