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僕の知らない僕の思い出  作者: 三木小鉄
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第五話 運命

ほぼ予定通り、午後二時過ぎに旅館へ到着した。僕たちの車を見かけると、すぐに旅館のハッピを着た男性が来て、駐車場を案内してくれる。

荷物も多くないので、運んでくれる申し出を断って玄関まで行き、中に入ると旅館の人たちが出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ」


社会人になって出張で泊まる時はビジネスホテルばかりだったので、こういう出迎えは少し照れるが気分がいい。


宿泊台帳に僕の名前と住所を記入し、同伴者の名前を書くときに一瞬手を止めたが『()()()()』と書いてチラッと美咲を見たら、緩んでいる口元を手で隠していた。

この旅館では、僕たちは夫婦だ。


部屋に入りくつろいでいると、女将さんが挨拶に来てくれた。


「三好様、本日は当館へお越しいただき、大変ありがとうございます。お車もお疲れ様でした」

「お世話になります。先日、テレビで見ていいなと思って、急遽来ることにしたんです」

「ありがとうございます。三日ほど前ですよね。テレビで放送していただいてから、おかげ様でお問い合わせが増えたんですよ。でもまだ先の予約が多くて、すぐにいらしてくださったのは三好様だけです」


女将さんに吊り橋と滝のことを聞いてみる。


「橋は夕月橋、滝は朝日滝と言いまして、この旅館の前の道を上流に2kmほど行ったところになります。橋の近くに駐車場もありますのでお車でも行けますし、山々の景色を見ながらゆっくり歩いて行かれるのもお勧めですよ」

「まだ時間もありますので、少ししたら歩いて行ってみます」


僕たちが会話をしていると、美咲がそっとポチ袋を渡してきた。あぁ、そうだった。ビジネスホテルばかり泊まっていたのですっかり忘れていた。


「ありがとうございます」


女将さんにお心付けを渡すと、深々と頭を下げてくれた。



二人になり膝を崩し、女将さんが淹れてくれたお茶を飲みながら美咲にお礼を言う。


「ありがとう、すっかり忘れていたよ」

「お母さんが持たせてくれたの。たっくんに恥をかかせないようにって」


そう言って笑う。旅館でお心付けを渡さなくても恥をかくことはないだろうが、お母さんといい美波ちゃんといい、心遣いのできる家族だな。


「今日はずっと運転してきたから疲れているでしょ。吊り橋に行くのは明日でもいいわよ。私はこうして一緒に居られるだけでいいの」


美咲はそう言うが、ここに来た大きな目的は吊り橋と滝をこの目で見ることなのだから、すぐにでも行ってみたい。


「まだ時間も早いし行ってみよう。せっかくだから歩いて行きたいけど大丈夫?」

「もちろん。歩ける格好でって言うから、私は最初からそのつもり。行ってみましょう」


美咲は元気に立ち上がり、僕の手を引いてくれた。



旅館まで車で通って来た道がまだ先まで続いている。この道を更に奥まで上がっていけば吊り橋があるはずだ。傾斜はそれほどきつくはないので、三十分も歩けば着くだろう。


山の新鮮な空気を感じながら、ゆっくりと歩き始めると美咲が手を繋いできた。この前は絡めた腕をほどいてしまったが、今日は僕も手を握り返した。


「都内だと、昼間に誰もいない所で二人ってシチュエーション、なかなかないわよね。それに、いつも手を繋いで歩きたいと思っても人目が気になるし。すごく贅沢な気分よ」


いつもなら急かされるように歩くが、この大自然の中だと歩みもゆっくりになり、美咲もその歩調と同期をとるようにゆっくりと話している。


しばらくすると、向こうのほうから歩いてくる年配の男女が見えた。僕たちと同じように、並んで笑顔で話しながらゆっくりと歩いてくる。その二人はすれ違いざまに、会釈をして挨拶をしてきた。


「こんにちは」

「こんにちは!」


僕たちも同じように大きな声で返す。


「僕の実家は田舎でね。近所で誰かに会ったら、知らない人でも挨拶するようにって言われて育ったんだ。僕がその人を知らなくても、その人は両親のことを知っているかもしれない。僕の素行や成績はその人にはわからないけれど、挨拶さえしておけば、『三好さん』の家の子はしっかりしていい子だって褒められるってね」


「それ、わかる。たっくんは最初から私や真帆にいつも気持ちよく挨拶をしてくれたでしょ。あれで惚れちゃったのかも」


そうか、そうだったのか。でも、両親が亡くなった後の僕は、周りの人たちに笑顔を向けることも元気な挨拶もしていなかったんだろうな。だから美咲はあれほど僕のことを心配してくれたんだ。今さらながら、あの時の僕を救ってくれた美咲には感謝しかない。


三十分ほど歩いた頃だろうか。緩やかなカーブを過ぎると、少し先に吊り橋が見えた。


「あそこだ、もう少しだね」


美咲が弾けた声で言うが、僕はその吊り橋を見た瞬間、頭の中に例の懐かしい感覚が湧き出してくるのを感じた。吊り橋が近づいてきて、その先に滝が見え水の音が聞こえてきた。感覚はさらに強まる。


(やっぱりここだ。間違いない)


実際にこの目で見て、やはりここに来たことはないと断言できる自分と、この場所に懐かしさを感じる自分とが共存する。そんな違和感に頭が混乱する。


吊り橋の入口で一旦立ち止まり、気持ちを落ち着かせる。橋はまっすぐ向こう岸まで続いている。


「たっくん、怖いの? 一緒に渡ってみましょう」


そんな僕の様子を見て、臆していると勘違いした美咲が僕の手を取る。


「怖くなんかないさ。行こう」


手を繋いで吊り橋の中ほどまで歩き、手すりにつかまって滝を見る。足元を見なければ、まるで空中に浮いて滝を見下ろしているよう。確かに景色もいい素敵な場所だ。


僕たちは何も言わないで少しそのままいたが、瞬間、()()()()()()()()()衝動が起きる。



美咲の両肩に手を置き、こちらを向かせる。



「僕と結婚してください」



言葉に出した僕が、自分の口から出た言葉に驚く。少し驚いたような顔をしている美咲を見て我に返る。頭の中をいろいろな考えがかけ巡る。


(僕はなんでこんなことを言ったんだろう)

(まさか、憑依?)

(いやいや、結婚したいという気持ちは本心だ)

(なぜ、なぜ、なぜ...)


まるで長い間、時が止まったようにも思えたが、一瞬だったかもしれない。



「え? 吊り橋効果?」


美咲は驚いたような顔をしたが、すぐに微笑み、大きく息を吸った後にゆっくり返事をする。


「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


そして僕に抱きついてきた。美咲を抱きかかえ、僕も大きく息を吸う。


美咲の体温を感じながら、体の内側からも優しい温もりで満たされているようだ。顔を上げた美咲の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたが、いつもの何倍も可愛く、そして愛おしく思えた。


転生か憑依かわからない。まるで誰かに言わされたようで、言い出したのは確かに僕の意思ではなかったが、言った言葉は僕の気持ちに偽りはない。なにしろ美咲はこんなに喜んでくれている。それに、僕の心も喜びに満たされている。この状況を素直に受け入れよう。


僕たちは滝を見ながら橋の上に並んで座ると、美咲が笑いながら上目遣いで僕を見てくる。


「なんとなく様子が変な気がしてたんだ。緊張していたの? それに、今思い返せば、台帳に『三好美咲』って書いてくれたのも、この伏線だったのかしら」


あ、それは誤解なんだけれど。本当のことを言えない自分がもどかしい。


「でもね、意外と言えば意外だった。こんなストレートに言ってくれるなんて。街中でサプライズのフラッシュモブされるよりずっとずっと嬉しい。本当にありがとう」


そう言って深く頭を下げる。顔を上げた美咲の目から、またボロボロと大粒の涙が流れ落ちる。


「こちらこそありがとう。でも、美咲は泣き虫だな」

「いいの、涙は心のデトックスなの。でも、他の人の前では泣かないんだよ。不思議とたっくんの前だけ」


それから小さな声で続けた。


「たっくんも、私の前では泣いてもいいんだからね」

「あまり泣かないようにするけれど、もしそんな時は隣にいてくれるだけでいいよ」



ここに来た目的がなんだったのか、すっかり忘れてしまった。まるで、この時間のためにこの場所に導かれたとさえ思えてきた。




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