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僕の知らない僕の思い出  作者: 三木小鉄
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第三話 親子丼

店を出てから他に寄る所もなく、そのままマンションに戻ると玄関の前に渋谷さんが立っていた。


「渋谷さん! こんな所で会うなんて奇遇だね。僕もこのマンションなんだよ」

「知ってますよ。三好さんが帰ってくるのを待っていたんです」

「え? なにかあるんだったらメールか電話くれればよかったのに」

「いえいえ、会社の用事じゃないんです。今日は三好さんに料理を作りに来ました」


そう言う彼女の手には大きなトートバッグが下げられていた。


「料理を作るって...どこで?」

「もちろん三好さんの部屋ですよ」


僕には彼女の言っている意味がわからなかった。吉岡さんも含め、渋谷さんたちとは友人のように付き合っているので二人で話すことに抵抗はないが、かといって女の子を一人で部屋に入れるわけにはいかない。


僕が躊躇っていると、同じマンションの住人が興味深そうな視線で横を通り過ぎた。痴話喧嘩でもしてると思われたのだろう。


「料理はともかくとして、とりあえず部屋に入ろうか」


部屋で少し話をしてから帰ってもらおうと思い、僕は渋谷さんを部屋に招くことにした。エレベーターの中で彼女は無言だった。


「あの、三好さん。私、男の人の部屋に入ったことがないんです。もし、女の人に見られちゃマズいものとかあれば片付けていいですよ。私ここで待っていますから」

「大丈夫だよ。こう見えても部屋の中はそれなりに片付けてあるから」


部屋のドアを開ける直前、渋谷さんの言葉に思わず苦笑いをしてしまう。



「それではキッチン借りますね。すぐにできますから待っていてください」


部屋に入るなり、当たり前のように料理を始める彼女のペースに巻きこまれてしまい、僕はそのまま待つことにした。


「今日はプロジェクトの食事会だったんだけど、いつから待っててくれたの?」

「食事会の話は真帆から聞いています。近くの喫茶店で待機していて、三好さんが帰るときに連絡をもらったんです。あと、どれくらい食べたとかも」


それなら、帰ってくる時間もわからず玄関の前でずっと待っていたわけじゃなかったんだ。でも、僕が早く帰ってきたのはたまたまで、もっと遅くなっても時間を潰す予定だったのか。


「あっ、それより、僕がここに住んでいるのは言ってなかったよね。最寄り駅くらいは話したことがあったかな?」


料理をしてる背中に話しかけると振り向きながら答えてくれていたが、この時はさすがにこちらを向いて少し困った顔で申し訳なさそうに言う。


「私、総務部なんですよ。だから、社員の情報は見ようと思えば見れるっていうか...ごめんなさい」

「あぁ、そういうことか。会社としてはアウトなんだろうけど、渋谷さんだったらいいか。直接聞かれれば教えてもいいと思うし。でも他の人にはやめておいたほうがいいかもね」

「はい、本当にごめんなさい」


それにしても不思議な子だ。彼女の後姿を見ながらそう思う。自分のことが嫌いになり、仕事以外で誰かと関わることさえ億劫になっていた自分が、こうして普通に会話ができている。



「私もまだ夕飯を食べていないから、二人分作りました。一緒に食べましょう」


大して時間もかからず、彼女が用意してくれたものは親子丼だった。テーブルに向かい合わせで座る。


一口食べた瞬間に口の中に美味さが広がり、胸の中に温かさが染み込むのがわかる優しい味。思わず顔を上げ正面の渋谷さんを見る。


「美味しい」

「よかったです。母から教わったんですけど、割と自信あるんですよ」


正面から見る顔があまりにも純で、目を合わせることができなく、そのまま無言で食べ続け丼はすぐ空になった。


「ごちそうさま、本当に美味しかったよ。ありがとう。コーヒーでも淹れるから、そこで座って待っていて」


リビングのほうを指すと、彼女はローソファーの端にちょこんと座る。さっきまであんなに明るかった顔が少し曇ったように見える。


「どうしたの?」

「少しいいですか」


自分だけが使うつもりの二人掛けのソファーだから、並んで座るとあまりにも距離は近い。少し離れるようにして隣に座った。


「今日はいきなり押しかけてきて、勝手に料理したりしてごめんなさい」

「いや、久しぶりに美味しい食事ができたみたいだ。ありがとう」


お世辞でもなく僕が言うと、渋谷さんは少しずつ言葉を選んで話し始めた。


「三好さん、ずっと私たちに優しく接してくれましたよね。

 入社前から、入社してからも。いつも励ましてくれて心配してくれて。

 真帆とも話すんです、三好さん優しいねって。

 私たち三好さんのことを尊敬しています」


僕が北見部長に感じているような気持ちを、彼女たちが僕に持ってくれているのなら、こんな嬉しいことはない。


「でも、優しい三好さんは、今は自分に優しくしてほしいんです」


俯きながら話し始めていたが、少し涙声になっているのがわかる。そして隣にいる僕のほうを見て続ける。


「三好さん、笑うことを抑えているでしょ。それと同じくらい泣くことも我慢しているみたい。表に出さない感情が体の中にどんどん溜まっていって、三好さんを押し潰しちゃうんじゃないかって。私は本当に心配で...」


大粒の涙がこぼれ落ちる。



(そうだったのか)


彼女に言われて気が付いた。僕は人前で笑うことを止めていた。笑っちゃいけないんだと勝手に思って。それと同じように泣くことも必死で堪えてきた。そうして今の僕は感情を出さないのっぺらな人間になっていたんだ。


「笑うことが恥ずかしくないように、泣くことも恥ずかしくないと思うんです」


必死に自分の気持ちを伝えようとする、涙で溢れた渋谷さんの顔を見ていた僕にも暖かいしずくが頬を伝う。


キャビネットの上に置いてある写真立てを見ると、写真の中で両親が笑っている。いつも笑っていた父。僕や姉が心配をかけたときには本気で泣いて叱って、励ましてくれた母。二人ともいつも感情を隠すことなく僕たちに伝えてくれた、


泣きながら、それでも一生懸命に微笑んでくれている渋谷さんの()()()()は母にとても似ていた。



「ありがとう」


渋谷さんの肩に顔を埋めながら僕は泣いた。今まで表に出さず、内側に溜めていた感情が噴き出すように涙が溢れてくる。僕が泣いている間、子どもをあやすように背中をゆっくりと撫でてくれる手も、母と同じように暖かった。


自分ではわからないほど身も心も疲れていたんだと思う。促され、少し横になった僕は寝てしまったようだ。



朝、目を覚ますと渋谷さんが料理をしていた。

なんて声をかけたらいいんだろう。


「おはようございます!」


言葉を選びながらぼんやり見ていると、起きた僕に気が付き、当たり前のように笑いながら元気に声をかけてきた。


「おはよう。あの、僕は...」

「もう少しでできますから。もしかして、美味しそうな匂いで目が覚めました?」


一緒に朝食を食べ、会社のことやプライベートな話をしたが、お互い昨晩のことを話題にすることはなかった。


少しして、帰るというので玄関まで送っていった。


「あの...また食事作りに来てもいいですか?」

「えっ、え...うん」


帰り際、いきなりの言葉に僕は上手く答えることができず曖昧な返事をした。なんと言えばいいのだろうか。渋谷さんの顔が少し曇ったのがわかった。


「あの部屋は、家族以外の女性が入ったのは渋谷さんが初めてだった。本当にありがとう。感謝しているよ」


そう言うと、顔がパッと明るくなり、嬉しそうに手を振って帰る渋谷さんの姿を僕は見送った。



また一人になった部屋でぼんやり考える。母に続くように父が亡くなってから一人でいる時間が憂鬱だった。平日に帰宅してからはもちろんだが、土日のような一日が休みの日はどうやって過ごしたらいいのかわからないでいた。昨日までは。


渋谷さんの手料理で心が温まった。親子丼というのは何かのメッセージだったのかもしれない。そして、泣いた。こんな自分にあれほど涙が出るとは思わなかった。けれど、その涙で自分の中に溜っていた嫌な部分を流し落とせたような気がする。


駅前あたりを少し歩いてみようか。そうだ、友人からの誘いも理由をつけて断っていた。謝りながら連絡してみよう。



週明け、出社すると僕の顔を見た吉岡さんが、様子を探る感じで挨拶をしてきた。


「おはようございます」

「おはよう。吉岡さん、いろいろありがとう。そして、今まで心配をかけてしまって本当にすまない」


僕の言葉に嬉しそうな顔をしたのがわかった。渋谷さんと同じように、吉岡さんも僕のことを心配してくれていたんだ。


「美咲、いい子ですよ」


今度は意味ありげに言う。


「うん、わかってる。それに吉岡さんもね」


「よかった..」


僕の言葉が照れ臭かったのか、パソコンに向かいながら囁いた言葉が嬉しかった。



それから少しして吉岡さん立ち合いの元、僕から渋谷さんに交際を申し込んだ。


「弱っている時にこんな可愛い子に優しくされて、おまけに胃袋まで掴んだんだから、落ちない男はいないでしょ」


吉岡さんには冷やかされたが、それは違う。入社する前から、そして入社後も渋谷さんに好意を持っていたことに間違いはない。それを表に出さなかっただけ。あの夜、彼女は凝り固まっていた僕の気持ちを溶かしてくれたんだ。



『高校時代は部活動に夢中で女子グループで楽しく過ごし、その後は女子大に進学したため、完全に男子とは無縁の生活だった』


以前、美咲と話したときにそう言っていたが、もちろん男性と付き合ったこともなく、僕が初めての彼氏だった。あの夜の『男の人の部屋に入ったことはない』は本当のことだったらしい。


「男の人と付き合ったことがないから、どういうアプローチをしていいかわからなかった。でもあの時は本当に心配で、絶対自分がどうかしてあげなきゃならないと思った」


今思えば、ずいぶん大胆な方法だったと聞くとそう答えた。


僕への呼び方は『三好さん』から『拓海さん』に変わり、今は『たっくん』になっている。僕はというと、『渋谷さん』から『美咲』になっただけだ。



一度だけ『村一番』に連れていったことがある。あそこは僕の中で聖地のようなもので、いつも一人で行くのが原則だったが、その時だけは禁を破った。

いつものようにカウンターに座ったが、女将さんは、美咲が僕のことを『たっくん』と呼ぶのを聞いてしまったらしい。次の日に女将さんが『たっくん』と呼んできたときには少し驚いて笑ってしまった。



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