終わる世界、始まる明日 Act6:相棒
その次の日、音楽番組の控え室は異様な雰囲気に包まれていた。それはいつもなら皆を和ませるような態度しか示さないあつきが暗い暗いオーラを発しているからだ。だがいつになく無言のあつきに誰もが声を掛けられずにいた。それくらいあつきが感情を表に出すのは珍しい。よっぽどの何かがあったらしい事は分かるのだが、それが昨日の帰りまでは普通だった事からプライベート事だと思うと聞いて良いのかはばかられるのだった。
終始無言だったあつきがやっと口を開いたのはリハーサルが始まるちょっと前、ユニットを組むトーマと二人きりになった時だ。トーマは背中合わせに据わった背後であつきが身じろぐのを感じていた。
「ねぇ、トーマ君。」
少しためらっているのか、あつきの口調は少し硬い。そんなあつきを気遣って相手は気を解すように冗談めかして返事を返した。
「なんだい、あっきぃ?」
「・・ものは相談なんだが。」
「聞くだけ聞こうじゃないか、相棒?」
だが鏡越しに見たあつきは煮えきれない態度でまだ迷っているようだ。
「・・・・・・。」
「黙るなっちゅーの。」
少しの間をおいてあつきがうな垂れたままつぶやいた。
「・・・ビデオの発売やめません?」
「なぬ?」
突然の思いがけない話題に相棒は驚きの声をあげた。だがそれが仕事に関する事なので相棒は少なからず胸をなでおろす。
色恋相談だったらどうしようかと思っていたわ~、なんて。
「えーと・・?」
口ごもるあつきを見て、相棒は何かに気がついたようだった。あぁと呟いて事も無げに言う。
「あつき君ったら過激ィ?」
あつきは一瞬ドキリと目をあげたが、鏡越しに相棒が見ていることを知って再び目を伏せた。心なしか赤くなった耳を見て、相棒は自分の推測に確信をもつ。
「・・・・えーと。」
相方がどこまでの意味を示しているのかを図りかねてあつきは慎重に返す言葉を捜した。だがそんな努力をする間もなく相方は言った。
「・・やっと気がついたんだ?」
「えっ!?」
静かに言われてあつきは驚きについ目を上げてしまった。鏡の中で目が合う。しかしあつきは視線を反らせずにいた。
もしかしたら今自分は相手との駆け引きに負けてしまったんじゃないだろうか。もしも相手が何も知らずにあつきをからかって楽しんでいるのだとしたら。
「キスマークでしょ。」
あつきの希望的観測も虚しく、相手はずばり言い当ててしまった。驚きに目を見開いたあつきに相方は満足そうに目を細めてあつきを振り返る。それは決してデバガメ的な気持ちではない。あつきがひた隠しにしていたスキャンダルに近づく事で心の距離が近づいた事にトーマは少なからず喜びを感じていたのだ。これから始まる会話にわくわくさえしている。
トーマより芸能界の先輩であるあつきはいつでもトーマの先を歩いていた。あつきはそれが義務であると信じて、いつでもトーマに完璧な姿しか見せなかったのだ。トーマもそれに安心感を抱き、さして疑問を抱かずにそれを当然だと思っていた。だが芸能界という世界に慣れ、多くの後輩を持つ様になった今となってはそれよりも求めたいものがあった。本当の村上あつきという人間。あつきは完璧であろうとする為に、決して感情をトーマに見せる事はない。どんなにトーマが間違ったことをしてもあつきは先輩らしい冷静さでどうしてそれが間違っているのかを示したし、トーマのプライベートを干渉する事も自分のプライベートを垣間見せる事もない。ふざけ合ったり、バカ話をする事はあってもどこか一歩引いた付き合いを感じていたのだ。それが今のトーマには不満でもあった。もっと人間として深い部分を分かち合いたい。馴れ合うというのとは違う。お互いの心を分かち合って本物の「相棒」になりたかった。本気で怒ったり、泣いたり、感情を剥き出しにぶつかってきて欲しいのだ。今の所、本当のあつきを感じる事ができるのはライブのステージの上だけかもしれない、と最近思う。“過激”だと思うのは普段からのギャップのせいで、自分は本当のあつきを見ようとしていなかっただけなのかもしれない。初めてのライブの時はそのキレっぷりに驚いたものだが、今はそう思える。
だけどここにいるのは間違いなく等身大の村上あつきだ。
「・・目立ってた?」
上目遣いでぼそりと、それも恥ずかしそうにあつきが問う。そんなあつきを初めて見て、トーマは一瞬ドキリとする。
かわいい!すっごいかわいい!
トーマは今まで感じた事のない、あつきの魅力に気がついてしまった。
「うーん、超。」
踊りだしそうな気持ちを抑えて笑ってやったトーマにあつきは半べそになる。
「トーマぁぁ―――っ!」
「あーよしよし、疳の虫かな~?」
ちょっと迷ったが、トーマはあつきを抱きしめて子供をあやす様に背中をぽんぽんと叩いた。しかしそれを気にする風もなく、あつきは非難の声を上げ続ける。
「なんで教えてくれなかったんだよっ!」
「うーん、衣装のヒナちゃんは気がついてたらしいんだけどね~。俺が気がついたのって公演中だったし。だけどまさか背中にまであるとはね~」
「ギャ――――ッ!」
首筋だけではなく、背中のキスマークまで指摘されたあつきは絶望的な叫び声をあげてトーマから飛び退った。トーマは苦笑する。
実は公演後のスタッフルームでは密かにだがその話題で持ちきりだったのだ。あつきの意外性に度肝を抜かれ、結局誰も本人に指摘する事ができなかったのだが。
「あつき君たらエッチ!」
あつきがこんなにからかい甲斐のある相棒であった事を知って、トーマはうれしくて堪らない。そんな内情を知るハズもなく、あつきはうな垂れている。
「どうしよう、トーマ?」
どうしようもなくかわいい。
このままいぢめてたいものだが、いいかげんかわいそうな気もしてきてトーマは明るく肯定してやる事にした。
「えーいいんじゃないの?辻ちゃんは笑ってたよ。なんつーの、あっきぃの硬いイメージを打ち破れるんじゃないって喜んでた。」
だがその作戦は失敗に終わったようだ。あつきは益々青ざめてしまった。
「辻ちゃんも気がついてたの!?」
驚愕。絶望。破滅的。
今のあつきにはそんな言葉がぴったりだ。
だがここまで来たら、ありのままの事実を知らせてやるしかない。
「あ~五嶋さんも。」
「皆、言ってよ―――――っ!!!」
ここまであつきを動揺させる情熱的な恋人を見てみたいものだ、とトーマは考えていた。 それは少しジェラシーに似ている。きっと自分を知らない村上あつきをその人は知っているのだろう。
「だから黙ってたんだよ。あつきはパニくるから。」
トーマはそう言ったが、それは本来辻マネージャーの言葉だった。『本人に言う?』と問いたトーマに辻マネは笑って『やめときなさい、あつき壊れちゃうわ』と応えたのだ。その時トーマは辻マネの言葉を理解できなかった。あつきだったらきっと、『そうでしたっけ?』ぐらいに流してしまうと思っていたのだ。つまり、本当のあつきを理解していなかったのはトーマだけなのかもしれない。
「いいんじゃないの、若いんだしさ。健康的じゃん。俺ら顔で売ってるわけじゃないし?」
もちろん十分それが大きな要因を占めている事は知っている。この事であつきの人気がどう傾くのかという少々の不安もある。だけど、それ以上に音楽が認められているとトーマは自負していた。それくらいトーマ自身あつきの創り出す音楽に魅了されている一人である。
『リハーサルもうすぐはじまりまーす』
廊下から聞こえてきたスタッフの叫び声にあつきの表情が変わった。
「そうだね。俺の不注意でごめん。」
頭を下げ、再びトーマを見たあつきは普段の村上あつきに戻っていた。
普段の、そつのない大人のあつき。
そんな姿にトーマはいらだちを感じていた。