終わる世界、始まる明日 Act4:すれ違い
部屋に戻ってきた二人はいつもと変わらない雰囲気で、いつもと変わらない夜を越えようとしていた。だけどあつきの心の中は平穏ではない。どうすれば鈴木の近くにいられるのかで頭がいっぱいだ。問題は根深い。たとえばあつきが仕事を辞めてずっと家にいれば済むという問題でもない。鈴木の日常を監視する権利はあつきにあるわけがない。これは鈴木のプライベートだ。だから必要以上に干渉はしない。だけど心配なのだ。鈴木があつきにとって特別すぎて正常ではいられない。独占欲が強くなる。
風呂から上がった鈴木がソファでひざを抱えているあつきの隣に腰を下ろして髪をなでた。
「あつき?」
心配そうに訊ねる鈴木の声すら心地よくて、あつきはいつもの様に身を任せてしまいたくなる。
あぁ、そういえば同じような事が高校の時もあった。鈴木の幼馴染が転校してきた時の事だ。あまりの仲の良さに嫉妬した俺は学校中を逃げ回って先輩を引きずりまわしただけで、自分の中の醜さと向き合おうとしなかった。結局、最後は鈴木の優しさで許容されて終わったけど、俺はあの時から何も変わってないのかもしれない。何も分かっていない。全て先輩に許されて、暖かさに身を委ねただけ。
「どうした?」
あつきの少しのびた髪に鈴木の指がもぐりこんで、鈴木へと引き寄せられてもあつきはどこか遠くを見ている。鈴木にはこんな時あつきがロクな事を考えていない事を把握していた。あつきは考えすぎて自分を見失う時がある。傍から見れば明確な答えを必要としない問題でも、あつきは自分が納得できる答えが見つかるまで自分を追い込んで行くのだ。そんな時鈴木はそっと答えへ導いてやるかあつきの興味を他の事へそらしてやるようにしている。
「・・なんでもない。川上先生んちっておもしろいよね。」
「おもしろい?」
「えーと、シヴァさんとか話が上手いし、自然体なんだよね。」
「そうだな。」
「シヴァさんってあの柴田響なんだって。小説読んだ事あるけど俺すごく感動したなぁ。でも小説は本業じゃないって言っちゃうあたりすごいよね。」
あつきは鈴木に心配をかけまいと適当な話題を選んで無理やり口調をはずませた。まさか自分が留守にしていた2ヶ月に嫉妬してます、なんて言えた義理ではない。いつでも憎たらしい程冷静な鈴木はきっとあつきの気持ちを聞いたところで“馬鹿”と一言言って終わりにしてしまうだろう。愛されている事は知っている。だけどいつもヤキモキさせられるのが自分の方だけな気がして悔しいとさえ思うのだ。
「随分ご執心だな。」
そんな事を考えていて、小さく呟いた鈴木の言葉をあつきは聞きこぼした。聞き返す間もなく鈴木の唇が首筋に落ちてきてあつきは思わず身をすくめる。
「先輩?」
あつきの言葉に答える事もせずに鈴木はいつにない性急さであつきを掻き立ててゆく。耳の奥まで舌を入れられて、あつきはざわざわと体が震えるのを感じていた。すぐそばで聞こえる甘い吐息も、嵐のように激しい口付けもあつきを堪らず欲情させていく。だけど、あつきの喉から洩れた言葉は拒絶の言葉だった。
「やっ・・」
いつもなら優しくあつきを見つめる瞳は決してあつきを見ようとはしない。明るい居間のソファの上で何のムードも、相手への気遣いもないまま鈴木の器用で長い指があつきの着衣をはぎ取った。鈴木らしくない抱き方だ。いつもの鈴木ならばまず第一にあつきの気持ちを優先するのに、今日の鈴木はまるでおかまいなしだった。あつきはどこか不安で、鈴木を受け入れる事ができない。つい、腕が鈴木を拒否してしまう。しかし鈴木はそれを力ずくで跳ね返す。
「今日はしないっ!」
大きな声を張り上げて一瞬ひるんだ鈴木の体の下からすり抜けた。が、すぐに腕を力強くつかまれて力いっぱいにソファに向けて引き戻されてしまう。
「先輩!」
鈴木は一言も返事をしない。怖くなる程無表情な顔であつきへ確かな愛撫を加えてくる。
怖い。
「嫌っ!!」
こんな鈴木知らなかった。
ここに居るのは誰だ?
まるで知らない他人に辱められている様な錯覚さえ覚えはじめていた。
混乱する。
「先輩っ!やめてっ・・・!」
抵抗するあつきの両手を力ずくで頭の上に一つに纏め上げ、腰から抜いたバスローブの紐で括り上げられてしまう。あつきは力で鈴木に勝つことはできない。それでも生理的に受け付けないものを強要されてあつきは無我夢中で抵抗していた。
だけど好きなのだ。鈴木の事が好きで好きでたまらない。触れられれば欲情する。抱かれれば感じる。
分裂しそうな心と体にあつきは唇を噛み締めた。
これは裏切りだ。こんなのは許せない。抱き合うのに理由は要らないとしても一方的な欲望を受け入れる事はできない。
「ひっ・・」
熱い欲望を押し当てられてあつきは身を震わせた。鋭く走った痛みから逃れようと、身体を引いたあつきの腰を鈴木の手が掴んでそれを許さない。
「うっ・・あっ・・」
何が何だかわからないまま、明るいライトの下であつきの短い呻き声だけが響いている。何度も何度も揺さぶられて頭が真っ白になる。
「お願い、やめて・・」
「俺を拒むなっ!」
それは鈴木の無意識の言葉だったのかもしれない。しかしあつきは気がついてしまった。鈴木が苦しそうな顔をしているのに。それは決して今まで鈴木が誰にも見せなかった姿だ。あつきは抵抗していた手から力を抜いた。
鈴木は何かにおびえていたんだ。
それを俺が気づいてあげられなかった。
激しくあつきを攻め立てる鈴木の首筋にあつきの唇が優しく落ちたのに鈴木は気づいているだろうか。
鈴木の全てを理解して、あつきは安心して快楽の中に沈んでいった。
「・・ごめん。ごめん、焦ってたんだ。オマエがあんまりシヴァさんに懐いてたから・・」
ぐったりと腕を投げ出してうつぶせに横たわるあつきの背後で鈴木が嫌悪感を露にした表情でつぶやいた。あつきには表情は見えないものの、それはまるで鈴木らしくない弱々しさであつきを少々驚かせる。だが鈴木がそれぐらい落ち込んでもしょうがないほど鈴木はあつきに手酷い行為を強要した後だった。
「何それ、俺が浮気するって事?」
鈴木の方を振りかえる体力すら残っていないあつきはシーツに頬をつけたまま声だけで呆れてみせる。これでもかと言うほどイカされて、叫び過ぎたあつきの声は見事にかすれていた。そのハスキーボイスがかえって色っぽいのだが、今の鈴木にはそれを痛々しく聞くだけで楽しむ余裕があるはずがない。
「違う。・・独占欲っていうか・・。俺、他の誰にもオマエの笑顔見せたくないなんて思ってて・・この2ヶ月も、この部屋に一人でいると辛いから、ずっと病院に居るようにしてて・・だから・・・」
いつもなら順序だててきっちりとした日本語を話す鈴木が今日ばかりは子供のようにがむしゃらに言葉を並べた。それをあつきは背を向けたまま黙って聞いている。あつきはそれが鈴木にとって拒絶や怒りを示している事を知っていたが少しの間、普段なら聞けそうもない鈴木の告白に聴くことにした。
鈴木のいいわけなんて聞く前から理由はわかっている。それを怒る気も責める気もない。なぜならそれはあつきも同じだったからだ。ただそれが爆発するのが鈴木の方がちょっと先だっただけの事だ。普段なら決してしない“いいわけ”をしてまであつきを自分に引きとめようとする鈴木に愛おしさすら感じていた。早く自分たちが同じ気持ちであったと伝えてやりたいと思うのも確かなのだが、いっぱいいっぱいな感じの鈴木の声がかわいくてあつきは少しいじわるをしてしまう。それはさっきまでの行為へのちょっとした仕返しでもある。
だがあつきは真剣に謝る鈴木には悪いのだが、あまりに珍しい状況にどんな顔をしているのか気になってしまってゆっくりと力の入らない体を反転させた。体は泥のように重かったが、子供の様にうなだれる鈴木を見つけてあつきはそれも全て忘れる程お腹をかかえて笑い出した。
「ぷぷ。あはははは!ごめん、俺も拗ねてた。だって皆、俺の知らない先輩の2ヶ月知ってるんだもん。ジャエラシー感じちゃってさ。」
「・・あつき?」
きょとんとした鈴木の顔がまたかわいくて、あつきは笑いを止める事ができない。鈴木には突然あつきが笑い出した理由も、あつきの言っている内容もすぐには理解できないようだ。
あつきは鉄の塊みたいに重たい腕を鈴木の頬へ伸ばした。触れようとした瞬間鈴木は怯えるようにびくりと肩を揺らしたがそれを拒む事はしない。ただただ息をつめてあつきの行動を待っている。あつきもそれに構わずそっと彼の頬に触れた。行為の直後だというのに、我に帰って青ざめている鈴木の頬はいつもより冷たい。緊張してこわばっているのがわかった。
「・・あつき?」
黙って見つめるだけで何も言わないあつきに堪らず鈴木は名を呼んだ。あつきは触れていた鈴木の頬をぎゅっとつまむ。
「この、に・ぶ・ち・んっ。俺も同じだって言ってるんだよ。俺も先輩と同じ気持ちでいたのっ。いつもは余計なとこまで人の気持ち読み取るくせに、どうして肝心なところは気付かないんだよ。俺は誰よりも先輩の事愛しちゃってるんだからね!?」
鈴木は心底複雑そうな顔をしたが、すぐにはにかむようにわらった。
「キスをして、先輩。」
あつきはつねっていた腕を鈴木の首へまわして自分へと引き寄せる。鈴木は少々戸惑うような表情を向けていたが、あつきが笑顔を向けてやると落ち着きを取り戻したようにそっと唇を重ねた。
それはそれは優しいキスだった。