終わる世界、始まる明日 Act17:前進
トーマが帰った後の部屋で右京が小さく呟いた。
「どうして許すの?」
それはまるで右京らしくない問いだ。いつもあっけらかんと答えを出す右京が苦しそうに眉をしかめている。聞かずにはいられなかったのかもしれない。
「ただ思ったんだよ。これは俺が選んだ人生だから自分で責任を持たなくちゃいけない。トーマを選んだのも俺だから。」
つい聞いてしまったものの、答えを拒絶するように右京が身じろいだ。あつきはそっと右京の手を取って正面を向かせる。
きっと右京はあつきが出した答えにどこか絶望している。あつきの甘さを自分のことのように感じて嫌悪しているのかもしれない。だが、右京には分かって欲しかった。これはあつきの問題で、右京が責任を感じる事はないのだと。右京が他人の痛みを感じて傷つく事はないのだと。
右京は他人の気持ちに敏感な子だ。他人の痛みに同調していたら、どんなに強い右京でもいつか壊れてしまうだろう。川上やシヴァの寂しそうな笑顔の意味がわかったような気がした。
「もちろん後で後悔するかもしれない。まだトーマは怖いし。でも見守っていてくれる人がいる。それがどんなに心強い事なのか教えてくれたのは右京さんだよ。間違った事をして後悔してもやり直せばいいんだ。次にがんばればいい。俺たちには未来があるんだから。」
だから過去の事は忘れて欲しい。右京にどんな重い責任が圧し掛かっているのかは分からないが、未来を絶望して欲しくなかった。
皆、幸せになればいい。
それがあつきの願いだった。
あの日以来、ただ抱きしめて眠る腕の中であつきは微かに身じろいだ。パジャマをめくって侵入させた手に鈴木は驚いたようにあつきを見下ろす。それでもあつきはのろのろと鈴木の肌を堪能するように腹を撫で上げてゆく。
「あつき?」
不審そうに眉が顰められたのに、あつきは誘うように自分の腰を相手へ押し付けた。鈴木の上に乗りあがるようにして重ねた唇は躊躇するようにいつもの弾力を返さない。それでもあつきは丹念に唇を吸い上げた。
「あつき。」
鈴木のシャツを脱がせようとするあつきの指を大きな手が包み込んでそれを止めた。あつきの手は微かに震えている。鈴木の予想どおり、あつきはこの行為へ少なからず恐怖を感じていたのだ。目の前の男が自分の唯一愛する恋人であると分かっていても、それは同じだった。
「先輩、抱いて。」
小さく呟いたあつきに、鈴木は短い沈黙の後ただあつきの肩をきつく抱き寄せる。
「先輩?」
「焦る事ない。」
あやす様に背中を叩く手に安堵感を覚えながらも、あつきは左右に髪を揺らした。
このまま逃げていても始まらない。何より、鈴木を愛している事を感じたかった。鈴木が傷つく事はないのだと伝えたかった。
「お願い。」
あつきの真剣な眼差しに鈴木は諦めたようにゆっくりとあつきを組み敷いた。覆い被さられる姿はあつきを再び恐怖へといざなう。それでもあつきは目を開けて鈴木を見、ここにいるのは鈴木なのだと何度も自分に言い聞かせて叱咤する。
「怖いか?」
怖い、怖いよ。
でも受け止めたい。繋がりたい。
返事を待って動こうとしない鈴木に、あつきはシャツの胸元を握り締めていた手をおずおずと広い背中に巻きつける。
それでも身体は震えていた。
嘔吐感が突き上げる。
違う。
これは鈴木だ。
俺の一番愛している人。
だから震えないで、先輩に分からないように。
「先輩、もっと抱きしめて。ずっと離さないで。」
俺は先輩を選んだんだ。だから何をされたっていい。
綺麗なだけの恋愛なんてありえないのだ。傷ついても、傷つけられても俺は先輩を選び続ける。
限りなく優しく暖かい視線がなぜか熱い。
あつきは目を瞑った。
鈴木はまつげを振るわせたそのまぶたに柔らかくくちづける。
「あ・・。」
あつきは息を吐くと、鈴木の首に両手を回し、自らの唇を合わせていた。
鈴木も応えるように強くあつきを抱きしめる。
体が火照ったように熱い。
ずっとこうしていたい。
2人は愛おしさの中に沈んでいく。
震えは歓喜のものへと変わっていった。
「こんばんはっ生き返ったカレイドスコープの村上あつきです。一週間お休みを頂いてしまって本当にすいませんでした。代わりに色々して下さった五嶋さん、スタッフの皆さんには本当にお世話をお掛けしてすいません。ファンの皆さん、心配をおかけしてごめんなさい。いっぱい励ましのお手紙を頂いてとても励まされました。本当に有難う。」
1週間の休みで復活したあつきは毎週パーソナリティーを勤めるラジオ番組から仕事を再開した。熱は調子の良い事にトーマやセックスへの恐怖が拭われた瞬間から徐々に引き始め、今ではすっかり平熱になっている。事情が事情で、熱が下がったばかりだと聞かされている辻は気が気ではないらしい。いつも勝気な顔が今日はおろおろと視線をさまよわせている。もう少し休めと勧めてくれたが、あつきは頑として首を縦に振らなかった。
1週間という期間は売れっ子のカレイドスコープにとっては決して短い時間ではない。露出の多い分、1週間の不在が関係者に多大な迷惑を掛けていた。トーマはあつきより一足先に仕事を再開している。辻は大丈夫だと言ってもあつきに遠慮しているのかトーマの話をしたがらない。それでも聞こえてくる評判は上々だ。
それでいい。
あつきは自分の決断が正しかったのだと確信した。
トーマはきっと今まで以上にがんばってくれるだろう。そしてきっと期待に応えてくれる。
だから、俺も負けてはいられない。
「一週間休ませて頂いている間、僕はいろんな事を考えさせられました。たくさんの人に助けられて、励まされて・・僕にはたくさんの味方がいるんだって思い知らされました。すごく、勇気が出た。だから皆にも伝えます。もしも皆が苦しんでいる時、僕が君の味方になる。君は一人じゃない、君だけなわけじゃない。そのことを忘れないでいてください。僕は・・・ここにいるよ。」
今までの世界は終わりを迎える。
そして、新しい世界が僕らを待っているのだ。
怖くなんかない。
だって僕らは一人じゃないから。
ここで終わりにすべきな気がしますね?