終わる世界、始まる明日 Act15:二次被害
相当な力が働いたらしく、騒ぎの割りにカレイドスコープの周りは静かだった。あつきが倒れたというニュースが連日ワイドショーの冒頭を飾っている。だが使われているのはライブ映像ばかりで、良く見られるようなインターフォンごしのインタビューはどのチャンネルでも見られない。
斗眞は辻に押し付けられたFAXの山に埋もれながら冷たい床に寝転んだ。
予定では仕事を終わらせた後、大阪の街を3人で散策するはずだった。だがそんな予定が遂行されるはずもなく、斗眞は早々に東京へ帰されていた。
辻は別れ際にあつきへの励ましのFAXの一部を斗眞に押し付けた。決してそれをあつきに渡しに行けという意味ではない。自分が何をしたのか考えろという事だ。しかしそんな事は斗眞にも分かり始めている。
昨夜、腕の中にいたあつきを思い出す。死ぬ間際の魚のように身体を引きつらせたあつき。ずっと、ずっと泣いていて、それもかわいいと思っていた自分はきっと気が狂っていた。あつきが言った言葉はほとんど聞こえてなかった。ただ、見て欲しいと思った。自分だけ興奮して、何度もあつきの中に自分を吐き出した。最後まであつきがイクことはなかったのに、受け入れられていると思い込んでいた。目覚めた時、腕の中のあつきがいなくなっていたけど、それでも泣き顔を見れた事にどこか浮かれていた。怒った顔にも興奮していた。赤く染まったシーツを見て、自分を見ようとしなかった罰だとさえ思っていた。
なんて、傲慢な考えだ。
朝、あつきが仕事を放棄して帰った事を知らされて、置いていかれた事に怒りを感じた。自分を受け入れてくれたのではなかったのかと。
『君の才能を信じて疑わなかったのはあつきだけなんだよ。』
五嶋の言葉が初めてトーマの心を深く抉った。
あつきは信じていてくれた。味方になってくれる人のいなかった俺をずっと守っていてくれたのだ。それなのに自分は一人前なのだと思い込んでいた。どうして認められないのかと憤っていた。一度もあつきの気持ちを考えもしなかったんだ。そして裏切った。あつきの裏切られた気持ちを考えるだけで胸が苦しくなる。
あつきという翼を捥がれたら飛べないのだ、カレイドスコープは。
そんな簡単な事をトーマは今初めて気がついた。
考えて、考えて、それでも結論は見えてこない。ただ自分が音楽を捨てられない事だけは間違いない。しかしどうしても斗眞の事を考えると身体が震えた。あの時の恐怖が生々しく蘇る。それでもあつきは目を逸らさない。向き合うしかないのだと歯を食いしばった。
「あっきー。」
目を上げたテーブルの向こうで右京がアイスを差し出した。
「熱の時は抹茶アイスだしょ!」
休息を十分に得たはずの体も、3日経っても発熱が女々しく続いている。大丈夫なはずだと自分に問いても、心がそれを許さないようだ。
「ありがとうございます。」
あれから二日後、現れた右京は前以上にやつれて見えた。体調が悪いのではないかと言ったあつきに、シヴァは気にするなと言った。あつきはここにも被害者がいた事を知った。
記憶はなくならない。心のどこかにあるのに忘れるだけだ。右京はあつきの姿を見て、自分の居た堪れない過去を思い出してしまったのかもしれない。それでも右京はあつきの傍で笑っている。
「あっきー?」
つい、右京を見つめて手を止めたあつきに右京は微かに首を捻る。そんな右京に取り繕うように笑い返してスプーンで掬ったアイスを差し出した。右京は不思議そうな顔をしながらもそのアイスを口にする。
俺のせいで嫌な事を思い出させてすいません。
そんな言葉が言えるはずもない。それこそ右京に対して失礼だ。
事実に気がついたあつきに昨夜シヴァは耳打ちした。
『それは右京の問題だからお前が責任を感じる必要はない。もしも右京が傷ついていたとしてもそれを見守るのは甲斐の仕事だから』。
ずっと右京の強さがうらやましいと思っていた。音楽を選んで医学の道を捨てた自分にどこか後悔していて、同じ選択をしながらも堂々と生きる右京は強いのだと思っていたからだ。でも今、あつきの前にいる少女が全身で何かに耐えているのだと気がついた。彼女の強さは硬くて脆い。やはり19歳の少女なのだ。
「今日は仕事はいいの?」
「人に会う約束がない時はなるべく家にいるようにしてるの。あんまり社内をうろうろしてるとねぇ。」
右京が皮肉っぽい笑いを浮かべたところに玄関ベルが短く鳴った。右京がいち早く反応して立ち上がる。
「はい?」
インターホンの受話器を取った右京の表情が険しく歪まされた。まるで威嚇する猫のように右京の肩がにわかに怒りを帯びる。
右京の声がワントーン落とされたのに、画面を後ろから覗き込んだあつきも目を見開いた。
身体が震える。
世界が歪む。
「あっきー・・。」
しゃがみこんでしまったあつきに右京が抱きしめるように覆い被さった。
ドアの前にトーマが立っている。
その事実だけであつきを震い上がらせた。
だがいつかこの時がくるとわかっていたはずではないか。
一生懸命あつきを抱きしめる右京を逆に抱きしめてあつきは立ち上がった。
「まって今開ける。」
受話器を取って呟いたあつきに右京は弾かれたようにあつきを見上げた。
「大丈夫。」
右京は腰の周りにしがみついたまま、遮二無二首を振る。
「右京さんは俺の味方でしょう。一緒にいてくれるんでしょ?」
不安そうに見上げた瞳に強く頷く。不安は右京に吸い取られたのか、震えは収まっていた。もちろん恐怖は心の中にある。それでもいつかはつけなければならない決着なのだとあつきは共同ドアの開閉ボタンを押した。