終わる世界、始まる明日 Act11:裏切り
「お疲れ~。」
赤い皮のコートを翻してホテルへ入ってきた男に右京はヒラヒラと手を振った。相手は右京の姿を見つけると、小走りに歩み寄ってサングラスをはずす。素顔の五嶋は朝一番の新幹線で来させられた疲れをにじみ出すように片眉を吊り上げた。
「まったくですよ。どういう事です、急に大阪だなんて。いくら右京さんからのデートのお誘いでも今回ばかりは呆れましたよ。」
五嶋の言葉に笑顔だった少女の顔から表情が消えうせた。
「呆れてもいいけど。」
「あれ、ご機嫌斜めですか?」
「斜めどころか直角だよ。五嶋君来なかったら殺してたわ。」
物騒なものいいに五嶋は驚いて、その瞳を大きく見開いた。
彼女が怒っているところを五嶋は見たことがない。怒らせている事実が自分に関係があるなら、そのフォローをさせてもらえる事に感謝しなくてはいけない。
「僕をですか?」
恐る恐る、それでも簡潔に聞いた五嶋に、右京は汚いものでも吐き捨てるように言う。
「トーマ。」
「トーマ?何かしたんですか?」
右京の物言いから相当怒らせてしまった事を認識しつつも五嶋は逸る気持ちを抑えて質問を続ける。右京が自分をここまで呼びつけた理由をなるべく正確に読み取らなくてはいけない。そうしなければ、つぐないのチャンスを失うことになる。それだけは避けたかった。
「アタシにじゃない。あつきに。」
「何を?」
「それは私からは答えない。トーマにも聞く必要もない。詮索も禁止。ただ五嶋君はあつきの変わりにラジオに出て、彼が倒れた事をファンに告げて。あつきは私が良いっていうまでミュージシャン休業だよ。」
「何日くらい?」
「わからない。1日かもしれないし、一生かもしれない。」
カレイドスコープに何かとんでもない事が起こっているらしい事は把握できた。そしてあつきが被害者で、トーマが加害者である事だけは確かなようだ。だが、どうしてあつきがミュージシャンを休まねばならないのかは見えてこない。それどころか答えを探る手立ては固く閉ざされてしまった。だからと言って被害者である村上が音楽を取り上げられるのには納得がいかない。あのあつきが音楽を捨てる事などできないのだから。
「一生?」
「そんな事は私がさせないけどね。あつきの音楽は皆を元気にするから。」
どうやら右京にもあつきの音楽への必要性は同意見らしい事にほっと胸をなでおろす。
だったらあつき自身が音楽を捨てるというのだろうか。それはありえない。彼は決めたはずだ、音楽と共にあることを。
「トーマと話をしてもいいですか?」
「いいよ。でも五嶋君はあつきの味方だよね?」
「敵はトーマですか?それは場合によりますが、基本的にもともと僕はあつきの味方ですよ。その前に右京さんの味方ですが。」
じゃああつきの味方だね、と決めてかかる右京に五嶋は笑顔を返しながら、内心は背筋を凍らせるような思いでいた。
右京はどんなことがあっても、敵味方というセコイ分類はしない。斗眞は何をしたのだろう。こんなに冷静な右京をここまで怒らせるのはよっぽどの事だ。
急に現れた五嶋の存在にマネージャーである辻は動揺を隠せない瞳を更に揺らした。
辻はつい先ほどまで何も知らなかったのだ。目覚めて支度をし、朝食を取ろうと部屋を出ようとしたところに右京が現れ、あつきが東京へ帰った事を知らされた。元五嶋のマネージャーだった辻はよく右京の事を知っていた。そして五嶋同様、右京を随分信頼している。右京はその人間に悪影響を及ぼすような事は決してしない。たとえどんなに辛い選択であったとしても、常に相手の未来においてベストな選択を示してくれる。ビジネスに私情を持ち込むような事はしないし、右京の天才的な頭脳によって導き出された結論に間違いがあった例がないことは十分承知していた。そしてそれによって五嶋が精神的にどん底だったとき、救われた事を知っている。
五嶋の出現に辻もまたカレイドスコープの危機を感じ取った。
右京からはあつきは体調を崩して東京に帰ったが、後の事は私に任せて欲しいと言われただけだ。辻は頷くことしかできなかった。頭脳面を担当しているあつきが辻に連絡もなしに姿を消した事は痛手だったが、あまりそれ以上の不安は考えていなかったのだ。あつきが学生の頃はトーマ一人でラジオ出演した事は何度もあったし、突発的な事件はたくさんあった。トーマには知らせなかったが、もともと身体の強い方ではないあつきが倒れた事も何度かある。その凄まじさも今では美しい思い出となっていたのだが。
何事かと訴える辻の目に五嶋はただゆっくりと頷いた。
あつきはどうしたのかと聞いた辻にトーマは今朝から何も語ろうとはしない。どうも何かを知っているらしいのだが、トーマは死んだような目を床に向け続けている。辻があつきは東京に帰ったと告げた瞬間、大きく目を見開いて「いつ?!」と叫ぶように聞いたが、辻も知らないのだと知るとまた貝のように口を閉ざしてしまった。その驚き様は辻の想像を遥かに越えて異常だった。
五嶋は椅子に座って窓の外に魂の抜けたように座るトーマに声をかけた。
「トーマ。」
「・・五嶋さん。」
まったくの無感動な呟きだ。このまま仕事が出来るのかは五嶋自身疑わしかった。だが右京の指示が「トーマと一緒に」である限り、引きずってでもトーマを仕事に連れて行くのが五嶋の使命であるようだ。腹を括って五嶋は笑顔のまま続ける。
「今日は僕が一緒にラジオに出るから。よろしくね。」
「・・あつきは?」
「うん、ドクターストップで東京に帰したよ。」
「・・・・・。」
トーマは再び俯いてしまった。五嶋はトーマの前に腰を下ろすと彼の顔を覗き込むように膝へ肘をつき、手を組んだ。
「トーマ、思い当たるフシがあるみたいだね。僕は君達の間に何があったのか知らないし、聞く気もないけど、何かあったのは分かるよ。あつきがどんなに忙しくても仕事を疎かにした事がないのは君が一番知ってるよね。」
それはここにいる誰もが知っている事実だ。
「確かに何かありました。強姦してやったんです。」
「トーマ…!!」
感情も込めない声でさらりと言ったトーマの言葉に五嶋も、後ろに立って成り行きを見守っていた辻も我が耳を疑った。
「だっていつまでたってもアイツは俺を見ようとしなかった。俺を信頼した事なんて一度もなかったんだ。だから、」
平然とあつきが悪いのだと言うトーマに五嶋は今だかつてない怒りを感じる。怒りのままに立ち上がってトーマの胸倉を掴み上げた。
なんという事だろう。
聞かなければ良かった。
右京が言ったとおり聞いてはいけなかったのだ。
「見損なったよ!!あつきが・・かわいそうだッ!!」
言葉が思いつかなかった。信じていた相棒に裏切られて、守ってきた仕事を踏みにじられた。同情しては可哀想だと思いつつも、それしか当てはまる言葉が思いつかない。きっと同情すれば、あつきはますます傷つくだろう。だから僕らは知ってはいけなかったのに。
「可哀想なのは俺でしょ?俺は必要なかったんだ。ただそこにいて歌えばいいロボットだったんだから。俺はあつきを信じてたのにアイツが裏切ったんだ!」
やっと五嶋を見上げたトーマがはき捨てる様に言ったのに、五嶋は怒りをとおり越して哀れだと思った。ここまで信じてもらえなかったあつきが可哀想でしかたがない。あつきがどんな思いでこの男に抱かれたのかと思うと自然と声が震える。
「あつきがさ、どうしても君がいいって言ったんだよ。僕も辻ちゃんも、皆反対したんだ。悪いけど、君の声じゃ売れないと思ってた。だけど、どうしてもあつきが君でやらせてくれって・・頭を下げたんだ。初めてのわがままだった・・・。」
手を離して背を向けた。
殴っていいのは自分ではない。
選んでいいのは自分ではない。
「君の才能を信じて疑わなかったのはあつきだけなんだよ。」