八話
雑な序列一覧。
一、魔王。世界の半分を支配する(魔王視点)帝王。
二、副王。この作品における主人公。スフェラの場合は土地支配は認められているが、統治できるのは死人だけと定められている。引きこもり。
三、総督。魔王が派遣している役人。副王が統治しない範囲の者(要はほぼ全部)を統括している。事実上の支配者。
四、その他諸侯。在地の土豪勢力。ここには貴族とか豪商も入る。地方を実質的に支えている。
という感じ。ただし、これらは完全な序列を定め保障している訳ではなく、経済規模だとか陪臣関係だとか権威とかを含めると、この通りでは無いことも珍しくない。
アエギュプトゥス動乱において、副王が総督側で参戦した。この一報は、多くの人々に驚きを持って迎えられた。
アエギュプトゥス副王スフェラといえば古くからこの地に巣くう死人で、魔王ですら調伏することができなかった大悪霊だ。今は魔王との契約によって臣従する立場にあるが、その権限は他の諸侯と比べてかなり強く、事実上彼女に指図できるのは魔王しかいない。それも契約の上での話である。いわば半独立状態といえる状態にあった。
ここまで大きな力を持つのだから、好き放題できそうなものだが、なぜかスフェラはそうしなかった。強大な力を彼女は有していたが、どういう訳かその力を自発的に振るうことはほとんど無かったのである。
彼女の人となりを知る者がいれば、それはただ単に怠惰な性質ゆえだと理解できるのだが、あいにくとそのような人物は存在しない。最も近い総督ですら年に数回会う程度なのだから仕方のないことだ。
従ってスフェラは今回の騒乱で、周囲から静観を決め込むものと思われていた。
しかし、ふたを開けてみればどうだろうか。副王は明確に総督に味方した。この予想外の参戦によって、南の辺境にまで追い詰められていた総督軍は副王の助力を得て息を吹き返したのだ。手始めに相対する反乱軍を撃退した副王と総督の連合軍は、追撃によって多くの反乱軍を討ち取った総督軍は、その勢いのまま反攻作戦を開始せんとした。
「それで、手始めに最も近い街であるワセトの攻略を目指すと?」
問いかけるように確認するイリーナ。連日の激務によって、多少の疲労の蓄積はあったが、その容貌に衰えは見られない。髪も肌も、艶と張りを保ったままなのは、彼女が悪魔としての血脈を持つ魔族だからだろうか。
「はい、その通りです閣下」
応えるのは、総督派軍の将校であるオコーネルだ。鍛えた肉体と強固な意志を持つこの屈強な軍人は、一切の淀みなく返答する。傍に立つプラシノと合わせて、士官向けの高級な天幕がせまく感じてしまう。本来の大きさ以上の存在感を出せるのは、彼が心身共に精強であるに他ならない。
そして、彼はただ肉体的に優れているだけでは無い。近代的な火力戦を経験した、魔王軍の中でも稀有な存在である。二人が敗北した軍を率いる中で生き残ることができたのも、その能力によるものであった。
「我々は副王の助力を得て反乱軍を撃退することに成功しました。しかしながら、苦境を脱することは未だできておりません」
そもそも総督軍は反乱軍との戦闘で、劣勢を強いられたがゆえにこうして南方辺境にまで押し込まれたのだ。先の会戦の勝利とは、単に放たれた刺客を追い払ったに過ぎない。先の勝利とは裏腹に、有利な状況とは言い難かった。
アエギュプトゥスの主要地域は北部に集中しており、南部に落ち延びるということは支配を確立できなくなったということ。これはイリーナの総督という肩書がもはや通用せず、軍隊の勢力圏がそのまま支配権となることを意味していた。
「総督、今必要なのは我々を支えられる基盤です。最新式の火力主義を採用したわが軍は、補給無しには活動することすらままならない。まずはそれを解決すべきなのです」
いつの時代も軍隊とは補給との戦いである。大勢の軍隊はそれを養うことのできる範囲でしか行動できない。それは近代化によって火力が増大したことでより顕著になりつつあった。ガリア革命戦争によって現地から収奪する制度がより明確に定められある程度改善されたが、それでも完全には程遠い。
特に産業の発達が未熟でインフラが脆弱な魔王領において、現地徴発で賄うことは不可能であった。ただでさえ、補給不足に頭を悩ませている総督軍にとって、補給の確立は急務であったのである。
「ワセトは古くから河川貿易で栄えた南部流通の要衝。これを奪還することは、単に兵糧を得ること以上の意味があります。ワセト攻略は我らの名声をゆるぎないものにするでしょう」
オコーネルから引き継いで冷静に言葉を続けるのは、リザードマンのプラシノだ。オコーネルよりも一回りは大きいその巨大な体躯と全身を覆う鱗と冷たさを感じさせる細い瞳は、言いようのない存在感を周囲に放っている。
「魔族の中には武勇を重視する者も多くおります。勝利者であらなければ、アエギュプトゥスの近代化どころか掌握することも難しいでしょう。南部に追いやられた我々には、手近なところで勝利を得なければなりません。そうしなければ支持を得ることなど不可能でしょう」
プラシノを含め、魔族には尚武の気風を持つ者が多い。それは種として生まれついてのものであり、果てしない闘争と進化の果てに得たものである。かつての帝国との闘争から、魔王領成立後の西方諸国との侵略戦争と、魔族は常に戦い続けてきた。彼らにとって、武勇とは何よりも重視されるものであり、それを持たないものは支配者たり得ない。
それでいて保守的な性質を持つ魔族から見ると、今の総督軍は脆弱で頼りないものに見えるのは間違いなかった。これを長くその状態に置くというのは、非常にまずいことは言うまでも無い。勝利と基盤の確立。この両方が総督派には求められていた。
「……今の私はそんなに頼りないのだろうか」
「率直に言えばそうですな。だからこそ、早急に勝利が必要なのです。アエギュプトゥスにおける魔王の代理人としての権威を完全に失わない内に、少なくとも基盤は整えておくべきです」
イリーナの泣き言をプラシノは一言で切って捨てた。基本的に武闘派魔族は言葉を飾るということをしない。武と実利を重んじる彼らはその必要性をあまり理解できない。むしろ、プラシノはそういった意味では口は回る方だ。それでも彼は単純にイリーナに現実を突きつけることを選んだ。
改革者である総督は、その程度ではへこたれないことを知っているからである。ある種の信頼であり、崇敬といっても良かった。イリーナの方もそれを咎めるどころか推奨している。それが統治者としての責務だと信じているからだ。
「そうか……いや、そうだろうな。反乱を防げなかった総督など、そんなものなのだろう」
「ご理解いただけましたか」
「ああ」
イリーナは近代化を推し進めるなど魔族の中では開明的な性質を持つが、それは彼女が武闘派ではない文官の一族の出であるのが大きい。実利を追うのは変わらないが、仕事というのは書類を介して行われるため、現実というものがいまいち見えていない。それでも自分に課せられた責務は完全に果たそうとする辺り、彼女の真面目さが伺える。何せ総督としての自分の役目を果たすために、文字通り自分の身を捧げてしまったのだから。
しかし、イリーナも己の不甲斐なさを嘆くだけの軟弱な精神はしていない。彼女は自分にできないのなら、それを他で補うことを選んだ。アエギュプトゥス副王にして大怨霊スフェラとの共闘である。
「分かった。副王にも話を通しておこう。ワセト攻略には彼女の力が必要であろうからな」
素寒貧の総督軍と比べ、近代的な火器こそ持たないものの無尽蔵の死人を統べるスフェラの戦力は異常である。災厄の一つにも例えられるそれは、軍隊というよりも巨大な津波と形容するのがふさわしい。魔王にも拮抗するこの災害を自身の思惑一つで動かせるスフェラを味方とできたのは正に幸運であった。彼女の軍団が無ければ、もはや総督軍は行動を起こすことすらできなかったからだ。
本来であれば、副王を動かせるのはその主である魔王しかいない。そのはずなのだが、どういう訳かイリーナは直接かけあって契約を結ぶことに成功した。イリーナの敵を全てうち滅ぼすと定められたその約定は、今の彼女が持つ最高の切り札だった。
けれども。少しだけ、イリーナはスフェラの元を訪れるのが億劫だった。元々、アエギュプトゥスにおける共同統治者という同僚とでも言うべき間柄だった二人だが、今はその関係には無い。契約者であり、同盟者であり、死後まで捧げた特別な間柄だ。契約の時に交わした口づけの時から、彼女らの関係は変わってしまったのだ。
イリーナは、冷たくも柔らかい感触を思い出し、それを振り切るようにして天幕を後にした。
先日の戦闘から少し。根城の遺跡の自室でいつものように時間が過ぎるのを待っていたら、そこにイリーナが来た。他の者であれば取り決め無しに自室に入るなんて許さないが、彼女は別だ。何せ彼女とは契約を結んだ仲び、力を貸す対価として死後に魂をもらい受けることを取り決めたのだ。所有物も同然であるし、自分の物が手元にあって何の問題も無い。元から総督と副王という統治者仲間ではあったし、それがさらに親密になった感じか。いや違うか。そもそも死人と仲良くなりたい者などいるはずも無い。
「それで、何をするかは決まったか?」
イリーナと交わした契約とは、死後の従属と引き換えに彼女の敵を打ち倒すことだ。先日の会戦もそれに従って行ったもの。まあ、あれは契約成立の祝いのようなものだ。本格的な契約遂行はこれからだろう。
「はい、副王閣下にはワセトを攻略していただきたく思います」
「そこにお前の敵がいるのか?」
「ワセトには反乱軍が駐留しているとか。ご存知の通り、ワセトは南部の要衝。これを敵の手中に収めたままにはできません。早急に取り返したいのです」
アエギュプトゥスという地域は南北に延びる巨大な河川によって成り立っている。河川を使った交易というのは偉大なもので、何せ俺の生きていた時代からのものなのだから、水運の偉大さが分かるというものだ。
それ以外は無いのかと問われれば、西方の先進国なら鉄道の導入も始まっていると聞く。だがそういったインフラ整備は金がかかるものだ。イリーナがどこまで近代化政策を進めていたのかは知らないが、農業が主体のアエギュプトゥスでは河川水運が重要であるのは言うまでもない。
以外とちゃんと考えているんだな。まあ、こんな重要拠点を抑えないといけないということは、今の勢力では抑えることができないということを意味している。つまりアエギュプトゥスでの総督が抑えているのは、己の軍が支配している地域のみであるということだ。本格的に戦国時代だなこれ。
「良いだろう。契約に従い、お前の行く手を阻むものを悉く殺し尽くしてやる」
総督の軍隊は期待しない方がいいのだろう。そこそこ近代化されているのに、普通に南部に押しやられていることから察するに、補給の欠乏などで本来の火力を発揮できていない。精神主義も必要だが、それだけで戦争には勝てない。今回も俺が直接働くことになるだろう。こうしてみると、補給を考えなくていい俺は割と反則野郎なんだなぁ。嬉しくないけど。
「俺が動く以上、お前の軍隊は邪魔になる。邪魔にならん所で控えさせておけ」
近くに寄られると敵味方の判別が難しくなる。機能も十分でないだろうし、後ろでおとなしくしていて欲しい。
「それではわが軍は閣下の背後に展開させておきます。それと、できればワセトの町は無傷で手に入れたいのですが……」
注文の多いことだ。まあ、俺とて無辜の民を虐殺することなど望まないしな。それに、町を破壊してしまっては手に入れる意味が無くなってしまう。無人の廃墟を渡す訳にもいくまい。俺がイリーナの障害を増やすことは出来ないのだ。
「覚えておいてやる。町はなるべく壊さないし、住民も殺さない」
「……ありがとうございます」
ほっとした表情のイリーナ。そんなに俺は信用ならないだろうか。ならないだろうな。だって死人だし。評判からして反乱軍と市民の区別を付けずに皆殺しにすると思われてもおかしくない。実際、俺がやっているのは敵を殺して回ってるだけだからしょうがないのだけれど。まあ、死人が評判気にするのもおかしな話か。
さて、そうと決まれば善は急げだ。今回もイリーナの軍隊と強調する必要は無い。勝手にこちらでやってしまって良いだろう。
「どうした。まだ何かあるのか?」
「いえ、何も」
どうやってワセトを攻略しようか考えていたら、イリーナから視線を感じた。一体なんだというのか。そんなに俺がワセトを落とすのが不安か。いや客観的に見て不安だわ。俺が彼女の立場だったらこいつ住民皆殺しにしそうって思うし。約束は守るつもりだが、傍目からはそんなこと分からんしな。まあ、こういうのは結果で示すしかない。
「すぐに動く。吉報を待っていると良い」
さて、死者の行進を始めよう。なに、ちょっと言ってきて少し働くだけさ。楽なものだよ。