三話
総督と副王。その関係を少し説明しておこうと思う。
意味としてはどちらも魔王の代理人としてその土地を治める者のことだ。今回の場合で言えばどちらも意味としては同じだが、副王は魔王に土地支配を認められた称号で、総督は中央から派遣されてきた役人だ。
役職として上下はほとんど無い。では、両者の違いは何かというと、その権力の及ぶ範囲だ。
支配下の土地、もっと正確に言えば魔王領属州アエギュプトゥスの死人の代表である俺は同地における全ての死人を支配下に置いている。かなり不本意ではあるが。逆に言えばそれ以外の領域は全く支配の及ぶ所では無い。あくまでも死者のみが俺の管轄下なのである。本来の土地支配であれば、農業なり商業なりからの徴税から成り立っているはずなので、俺はその辺りの生者の活動には全く関知していないのだ。従って、そういった部分を統治する者が必要となってくるのだが、それを担当するのが総督なのである。
つまり俺は死人を統治し、イリーナは生者を統治しているのだ。
「力を貸して欲しいは一体どういうことなんだ?」
「そのままの意味です」
断言するイリーナ。瞳の宿る意思は強く鋭く、とても嘘付いているようには見えない。だが、話が見えないのも事実である。俺は神ではないから心を見透かすことはできない。単なる一悪霊に過ぎないのである。
「その意味が分からんと言っている。第一、助けが欲しいのなら魔王に乞えば良いだろう」
総督というのは魔王が派遣する役人なのだから、直接の上司は魔王である。助けを求めるのであれば普通はそっちにするべきだと思うのだが。なぜ単なる共同統治者に過ぎない俺に言うのか。契約上同じ主を仰ぐといっても、家臣同士ではほぼ他人なのに。
そう思っていたら、いつの間にか俺の問に対して苦い表情を浮かべているる。え、何なの? 明らかに雰囲気が変わったんだが。
「魔王からの助けは来ません」
「はあ? お前たち魔族の総帥だろう。それが危機に際して助けを出さなくてどうする」
魔王ちゃんと仕事しろ。その責任放棄されたら俺の契約も危ういだろうが。封建契約は片務契約じゃなくて双務契約だから、一方が契約を果たせなくなったら破綻してしまう。そうなったら、誰が俺の引きこもり生活を保障してくれるんだ。
ちなみに、俺は死者とか幽霊とかのカテゴリーに入るので、魔族の括りに入らないことがある。じゃあ人間のグループに入るのかというとそうでもない。あくまでも死人として扱われているのだ。
どうにも会話が嚙み合わず、押し問答をやっていると、埒が明かないのに痺れを切らしたのか、イリーナが口火を切った。
「失礼ながら、最近アエギュプトゥスを出られたのはいつですか?」
本当に失礼だな。人を引きこもり扱いしやがって。大正解だけどさ。
「当代の魔王の即位式だが。それがどうかしたのか」
正確には覚えていないが、百年くらい前だろうか。即位式に出席するために首都の宮殿に出かけたはずだ。それ以外は全部このイリーナに仕事を投げつけていたから外には出ていない。
「百五十年は前ですね……。それならば知らないのも仕方がない」
何だよ。そんな時代に取り残された老人のような扱いは不当だぞ。死人は精神が摩耗すると記憶を失いがちだが、俺はこの通り人間味を持ち合わせているし。クソみたいな人間性でもなぜか擦り減らないから、何年たってもいつも通りだ。いっそ忘れてしまえば楽になれるのに。
「良くお聞きください。現在の魔王領は危機に瀕しています」
「……どういうことだ」
「もはや魔王の統治する土地は瀕死の病人なのです。副王閣下」
聞けば、魔王領の全盛期は既に過去のものであり、今や国家としての寿命が尽きつつあるとのことだ。確かに。魔王領の制度というのは封建制度に依存していることからも近代的な国家制度を持っているとは言い難い。それでも、優秀な官僚と精強な軍隊を保持できる程度には機能していたし、周辺各国と比較してもかなり強かった。少なくとも幾度かの従軍での記憶によればそのはずだ。
だが、国家というのは暴力装置たる軍を抑えている限りは中々崩壊しないものだ。暴力というのは独占してこそのものだし、それを保有するのは国家の至上命題でもある。それが果たせないというのは控えめに言って失敗国家だと言わざるを得ない。
そして、それができない理由というのは大体限られてくるものだ。
「旧態依然の硬直化した制度。それに伴う経済の停滞と財政の悪化……」
「概ねその通りです。残念なことにそれだけではありませんが」
まだあるのか。経済の失敗だけでも相当なものなのだが。
「端的に言えば、官僚の腐敗と後進的な軍隊。そして何よりも、それによって国家の権威が損なわれた結果、中央の統制が緩くなってしまったことです」
古今東西、何に金が掛かるのかというと人に掛かっているのである。それは魔族も居るこの世界でも変わらない。組織というのは存在しているだけで費用がかかるものだ。活動させようとすればなおさらだ。そして最大の組織とは国家である。
当然国家の運営には莫大な費用が掛かるのだが、それを賄うはずの官僚が陳腐化してしまっているのだろう。それを言っているのが官僚側に属するイリーナだというのがその証左である。国家の手足である官僚が腐敗すれば、血液である金を正しく循環させることができなくなる。そうなれば病人の如く国家は病んでいくだろう。
「それと思想面の問題も重要です。副王閣下は自由主義というものをご存じですか?
」
「……自由主義?」
おおっと、とんでもない爆弾が投下されてきたぞ。
「ご存知ありませんか?」
「いや、知っている。知っているだけだが。確か以前ガリア人がそのようなことを言っていたような……」
とぼけているように見えるかもしれないが、嘘はついていない。確かあれは、西方からガリア人が侵略にやってきた時に聞いたのだ。何でも、何十回目かのアルビオンとの戦争で東方との連絡を抑えることを目的に身勝手にもやってきたらしい。土足で領土に踏み入られた俺は激怒した。その後、当然の如くガリア人は皆殺しにした。その時殲滅した軍団の将軍各の男が、死に際に何かそうようなことを口走ってしたような気がする。
あまり興味が無かったことと、正式な手順を踏まない侵略に激怒して特に何にも考えず殲滅してしまったが、思い返してみるとあの時のガリア軍は王国ではなく共和国を名乗っていたかもしれない。
自由主義と共和国。この二つの言葉から導き出されるものというのは一つしかない。
「あれは革命だったのか」
イリーナは頷く。合っているらしい。
革命。前世においてはフランスのそれが有名だろうか。歴史的に重要な転換の一つであり、近世と近代の区切りでもある。革命によって国民主権という考えが生まれた結果、国家は近代へと変貌したのだ。そしてそこから一つの民族に一つの国家という民族自決の思想が生まれるのである。
重要なのはこの世界がすでにこれを経験しているということだ。
そうかあの時がそうだったのか。死人に世俗なんぞ何の関係も無いと思って少しも気にしていなかった。しかし、近代の時代の潮流によって引き起こされたものであれば、イリーナが言う問題も察しが付く。
「つまり、古い封建制の我が国にもたらされた新たな時代の潮流に対処できておらんと。そういう訳か」
「はい閣下。その通りです」
自由主義の浸透と経済の停滞。なるほど確かにこれはやばそうなネタだ。魔王領というのは基本的に封建制、つまりは中世的な制度によって支配されている。そこにいきなり近代の思想やら制度を持ち込めば混乱は避けられない。しかも改革を行おうにも、その体力が無いときた。控えめに言って詰んでる。
「即座に分裂することは流石にありませんが、魔王領とは今や内臓を病んだ老人なのです。西方世界を脅かした恐るべき魔王軍はもはや存在しません。アエギュプトゥス副王よ、どうか力をお貸しください」
そう言って、頭を下げるイリーナ。
総督が頭を下げる。それは単に懇願以上の意味がある。副王と総督は序列としては理屈の上では同格である。実際には、魔王と同等の戦争を繰り広げた俺と、単に役人にすぎない彼女とでは埋めがたい差があるのは否定しない。俺が不遜な態度を取っているように思えるだろうが、それは過去に俺のことを舐め腐って領土を侵犯た奴がいたからだ。そいつは結局殺してしまったが。それでも、繰り返しにはなるが立場に差は無い。あくまでも、互いの領分を超えない限りは平等である。
本来であれば序列に差が無いはずの総督が頭を下げる。その意味は重いものだった。
「ふむ……」
懇願するイリーナを前にして、心が動かされないといえば嘘になる。数十年の付き合いとなる彼女のこんな姿は初めて見た。数少ない生者の知人からの頼みである。総督という立場もあるだろう。ここを訪れるのにも相当の決意があったのは間違いない。礼儀を弁えた上での行為だ。無礼だとして殺す訳にもいかない。
さりとて、素直に受け入れてやることもできない。俺にも立場というものがあるからだ。俺はあくまでも魔王から封ぜられた副王という立場に居る。自発的に動くこと以外に俺を動かせる存在がいるとすれば、それは契約上の主である魔王だけだ。俺の領域とは死人に関することだけであり、生者の分野はその限りでは無い。つまり、どれだけ民衆が苦境にあえいでも、経済が崩壊しようとも、軍権の占有が疎かであったとしても、それは生者の世界でのことだ。死人には関係が無い。つまり俺が動く理由が無い。こちらの領分を侵すの許さないのと同じく、向こうの領分に分け入ることはおいそれと出来ない。それが例え総督からの依頼であったとしても。
どうしたものだろうか。協力すること自体は可能だろうが、それだと魔王との契約に違反することになるかもしれない。約束は守られるべきものだ。少なくとも向こうが不義を働かなければ。さりとて動かない場合、イリーナの未来が明るいものでは無いことは分かる。
本当に勝手な言い分だが、イリーナを死なせるのは僅かだが抵抗があった。彼女という存在を惜しんでいるというよりも、知り合いが死ぬのが何となく嫌だという自分勝手で醜い感情だ。浮かばれない死人だというのに、自分が全く嫌になる。
そこまで考えた時だった。死霊としての俺の感覚が一つの警告を発していた。本拠地にして霊域の遺跡に張り巡らせた魔力の一つに、異常を感知したのだ。
侵入者である。無礼者である。殺すべき相手である。
ゆっくりと立ち上がる。死霊なので立ち上がることに意味は無いが、習慣としては残っていた。
答えないまま動いた俺に不穏なものを感じ取ったのか、イリーナが頭を上げる。
「副王閣下……?」
「すまないが、少し出る。その頼みに関してはその後で答えよう」
「閣下!?」
「安心せよ、直ぐに戻る」
何やら後ろでイリーナが叫んでいるが、構わず外に向かう。
人が悩んでいる時に限って入り込んでくるとは、不愉快の極みだ。その無礼、己の生命と引き換えに責任を取らせてやろう。八つ当たりのような思考をしながら、暗い遺跡を抜ける。
後に、これが分かれ道になるとは思いもよらなかった。この時から、俺は軍閥化の道を進み始めたのである。