十二話
気が付いたら三週間ほど経過していました。
ワセトの掌握はごく短時間で完了した。臨時総会の開催と俺への権力の移譲の承認、そして反乱分子の粛清をほとんど同時に行えるモザレの技量は素晴らしいと言わざるを得ない。個人としての資質は善良とは言えんのが玉に瑕だが。そんなものは政治の前には些細なことだ。考慮する価値も無い。
「ご覧ください。このワセトの町全てが貴女様のものとなったのです。この周辺に貴女に歯向かうような気概のある者はもはや残ってはおりますまい」
市庁舎の執務室に備え付けられた窓から、眼下の町を眺めながらモザレは言う。表情こそ伺えないが、その顔は意地の悪い笑みを浮かべているに違いない。本当に悪徳役人というのがぴったりだなこの男は。
「北部の連合議会の息の掛かった連中も、貴女の代表選出に反対する愚か者も、既にこの世にはおりません。いやはや、副王に任ぜられるだけありますなぁ。聞きしに勝る破壊力だ」
実際に南部に最早まともな敵勢力は残っていない。少なくとも今の所は、だが。それでも一時的とはいえ、完全に敵を排除できたのは大きい。時間の経過と共に新たな敵が生まれるのはしょうがないだろうが、それまで時間的な余裕が生まれる。つまり準備時間があるということだ。スケジュールがカツカツなのは悪だと断言する。何かあるとリカバリーが難しいからな。
「すぐにでも総督に使いを送られますか?」
視線を窓の外へと向けたまま、話を聞いていたらモザレが言葉をかけてきた。端々から探るような慎重さを感じる。勘気に障らぬようにこういうことができるから、この男は生き残っているのだろうな。
「ああ。そうするつもりだ」
「すでに手配は終えております。用意したのはとびきりの駿馬ゆえ、総督は直ぐにでも良い知らせを聞くことができるでしょう」
準備の良いことだ。先んじて用意をしていく姿勢は嫌いではない。前世での自分の無能さを思い出して鬱になるが、それはこの男には関係無い。殺す理由にはならない。
「モザレ」
「何でございましょう? このモザレになんなりとお申し付けください」
媚びと能力の発揮を同時に行えるのはある種の才能だな。鷹揚とした笑みの下には何があるか分かったものでは無い。それを暴く気なんぞ欠片も無いが。
しばらく逡巡する。そうだな。後でどうせやらなくてはならないし、ここで伝えておくか。
「食料を用意しろ。ありったけだ」
「はい?」
「二度は言わんぞ。早くしろ」
「は、はい。ありったけ用意しておきます。それでは準備がありますので、私はこれで……」
そそくさと退出するモザレ。死人が要求するにしては、世俗的すぎただろうか。モザレも面食らっていたようだし。でも必要なのは俺じゃないしなぁ。まあ良いさ。モザレなら悪いようにはしないだろう。どうせ買い付けの段階で懐にいくらか入れるだろうし許せ。
乾いた風が頬を撫でる。きっと生者ならば、きっと気持ちがいいというのだろうな。熱を失った死人には縁のない話だ。天国に上ることができぬこの身は、心地よい風を受けても単なる物理現象としてしか受け取ることができない。控えめに言って感覚が死んでる。
いつもであれば夜も昼も関係なく、思考を止めて時間が過ぎるのをただただ待つのだが、今の俺は引きこもることを許されておらん。どこかの馬鹿が契約を結んだせいで、亡霊となっても働かなくてはいけない。本当に安請け合いはするべきじゃないな。
「死してなお働かなくてはならんとは、ままならんものだ。だがもう放り出すこともできまい。さて、どう動くべきか」
夜は更けていく。子供はもう寝る時間だ。同時に悪役が悪だくみをする時間でもある。冴えない思考を巡らせ、俺は今後について緩慢に考えるのだった。
アエギュプトゥスでの動乱および内戦。魔王領を支える穀倉地帯で発生した一連の紛争は、魔王領の衰退を強く象徴している。アエギュプトゥスにおける魔王の代理人である総督、そして有力な封建家臣である副王が参加するこの事件は、内外に大きな衝撃をもって迎えられた。
もはやまともな対応を取ることさえ出来なかった魔王領本国とは反対に、諸外国は鋭敏に反応した。西方世界の列強諸国が保有する東方の植民地との接続点にあたるのが、西方と東方を繋ぐ地域一体を統治する魔王領である。言うまでも無く重要な地域だ。西方諸国とその植民地は基本的には海路で接続されているが、物理的にも陸地で繋がっている以上そこからもたらされる影響は無視できない。
特に、魔王領のさらに向こう側、インディアス以東に至宝とも言える大植民地を持つアルビオンはこの動乱に非情に強い関心を持っていた。ただでさえ東西世界の要衝である魔王領が乱れれば、その動乱が他の地域へと伝播してしまったら。莫大な利益を生む植民地を失うことを、アルビオンは何よりも恐れた。ガリア革命の影響を受けて、十三植民地の独立を許してしまったこともこれに拍車をかけた。
世界に跨る植民地帝国を構築し、外交では右に出る者など居ないことを自負しているアルビオンの動きは俊敏であった。アエギュプトゥスで総督が追われた時点で動乱の情報を入手したアルビオンは、紳士らしく話し合いで物事を解決すべく特使を送り込んだ。名目は、魔王領内に居住するアルビオン人の保護について、である。
いつものやり口で、アルビオンにしてみれば単に常套手段の一つに過ぎない。回答によってはすぐにでも栄光ある王立海軍が海上を封鎖する手筈であった。経済的な封鎖だけでも相当な痛手を与えることができるアルビオンだからこそ可能な手段であった。
しかしながら、魔王領の対応はアルビオン側の予想を超えるものであった。
「それでは、本日も魔王陛下にお会いすることはできない、と。そういうことですか?」
「左様。陛下はお忙しい方ゆえ、使者どのとの面会の時間を取ることもままらなんのです。申し訳ないが、今日の所はこれでお引き取りを」
恭しく頭を下げる魔王の配下に、使者であるアルビオン出身のアレクサンドラは眉を下げいかにも残念だといった表情で応える。豊な髭を蓄えた魔族の官僚を前に、彼女は決して淑女としての所作を崩さなかったが、その内心は穏やかではいられなかった。
実はこうしてアレクサンドラが魔王に面会を求めたのは三回目であったが、その全てにおいて魔王と対面することは叶わなかった。そのたびにこの官僚の言葉のような回答を寄越されていたのだが、それを正直に信じるほど彼女は純朴では無かった。
(まさかここまでとは……。佞臣の専横なのか、それとも政治に興味が無いのか。いずれにせよ、ここまで動きが鈍いとは魔王も堕ちたものだ)
アレクサンドラはアルビオンの外交官では無い。単なる学者である。だが、いくら非公式な特使、つまり正式な外交使者ではないとはいえ、これほどまでに待たされるのは理解不能であった。経済大国であるアルビオンの不興を買うということは、当然魔王領にも影響を及ぼす。具体的には主な輸出品である農作物の値段である。ただでさえ脆弱な経済をこれ以上危機に晒す行為は、国家として選択されるべきでない。そのように普通は考えるだろう。
こんな簡単な判断ができないほど、魔王は政治に関わっていないのか。それとも、私欲に塗れた佞臣によって魔王にまで情報がきちんと上がっていないのか。どちらにせよ魔王に期待できることはないだろうとアレクサンドラは考えた。同時に領土を統治する能力の無い魔王に頼らない方法も。
(魔王に事態を収拾する能力が無いのでれば、我々が直接介入するしかない)
いくつかの儀礼的なやり取りの後、退出する。もはや魔王を介する必要は無い。例えそれが他国による明らかな内政干渉であろうと構わない。魔王領を含む東方世界は列強諸国間での取り決めの範囲外である。批判する国家は無い。それにアルビオンはこの方法によって勢力を伸ばしたのだ。この伝統的な方法を一体誰が批判できようか。
「はあ、嫌になるなぁ」
溜息と共に愚痴る。無意味に巨大な宮殿の長い廊下に彼女の呟きは溶けていく。聞く者は居ない。
本来のアレクサンドラの本分は学者である。歴史を紐解き、過去を明らかにするのが彼女の仕事である。今回のような外交官の真似事は、アルビオン本国が正式な手順を踏まなくても良い迅速な行動のできる特使を求めたからである。二枚舌の紳士らしく表向きにはそうなっている。決して、学者を隠れ蓑にした情報戦を行うためではない。
そう、彼女は学者なのだ。この地を訪れたのも本来は、かつての歴史を調べるためである。資金調達のためにいくつか仕事を頼まれてはいたが、それは現地調査を行うための方便だ。断じて笑顔の裏で舌を出し、握手をしながら足を踏むためではない。
だというのに、自分は何をしているのだろうか。こんな情報戦など本職に任せて自分は実地調査をしていたいのに。一度溢れてしまったらもう止まらない。ぶつぶつと呪詛のように、不満が漏れだす。本当なら、貴重な史跡にでも囲まれて一日中調査できるはずだったのに。何が悲しくてお高く留まった役人にお伺いを立てなければならないのか。
余談だが、アルビオン本国がアレクサンドラを非公式な特使として扱うのは、彼女が特使として有能だからである。それは表裏両方での意味だ。彼女は優秀な学者でもあったし、外交官でもあった。だから本国の紳士たちは、彼女をただの学者にしておかないのだ。もちろん、このことを彼女は知らない。
「行くかぁ。アエギュプトゥス」
少なくとも、ここで待ちぼうけを食らい続けるよりかはマシだろう。さて、どのような手段でアエギュプトゥスに向かおうか。陸路か海路か、正規か非正規か。考えるべきことはたくさんある。ああ、どうかアエギュプトゥスが学術的見地に溢れていますように。こうも退屈では死んでしまいそうだ。
全部ワクチンの副反応というのが悪いんです。さぼった分のは近日中に公開します。