九話
今回は短め。
アエギュプトゥスは古代から肥沃な土地で、農業が主な産業である。それは俺がこの世に生まれ落ちたその時、多分今から数千年は前時代から全く変わっていない。南北に延びる巨大な河が運ぶ豊かな水は、アエギュプトゥスを魔王領の穀倉地帯たらしめている。生産された農作物は河川を利用して運ばれ、北岸の交易拠点から輸出されているのだ。
ここまで説明すれば、河川を抑えることの重要性が分かるだろう。それが南部の田舎の辺境であったとしても、流通を抑えるのは非常に重要だ。無から有を生むことはできない以上、どこかから持ってくるしかない。その物流の南側玄関口がここワセトだ。
おおよそ田舎といってさしつかえないアエギュプトゥスだが、特に南部の辺境具合は酷い。何せ、農業に適した土地は北部に集中しており、それから発展した施設も同じく同地に密集している。地理的にも魔王領の中心地に近く、経済と政治の中心地は北部なのだ。従って、南部とはアエギュプトゥスでもとびきりの田舎なのだが、その中でワセトは最も発展した町である。というか、南部でまともな都市というのはここしかない。あとは全部農村だ。
つまり、ここを手に入れなければ総督軍はまともな補給が行えなくなるのだ。時代はすでに火器のものであり、食料などであれば現地徴発でもなんとかなるだろうが、弾薬はそうはいかない。完璧に重要を供給することは無理だろうが、最低限の補給は確率しなければならない。そうでなければ前後不覚で行動不能に陥るしかないからだ。完全供給は不可能であっても最善は尽くされてなければならぬ。
「既に反乱軍が入城しているとは。面倒だな」
要請から数日、俺はワセトを攻略せんがため、そのワセトの目の前にまでやってきていた。俺の拠点である王宮跡からは結構な距離があるが、夜も眠らない俺には関係無い。昼夜問わずチャリオットで走ればそれなりに早く着く。イリーナが部隊を展開させるのにまではもう少し時間があるだろう。
それまでに反乱軍を皆殺しにするなりして、いくらでもやりようはあると思っていた。
だが、それが少々難しいことは眼前に広がる光景が証明していた。ワセトの町のほど近くにある小高い丘にから見下ろすと、町には武装した人影が大量に見える。どう考えても反乱軍が展開している。外縁から中心部まで、ほとんどまんべんなく存在しているようだ。よほど俺のことが怖いらしい。
「これじゃあ市民とそれ以外の区別が難しいじゃないか。やっぱり脳死で力押しは無理だな」
俺はともかく、配下の亡者は生者の詳しい識別などしない。そういうのははなから頭に無く、手あたり次第に生者を襲うことしか考えないからだ。もしここで亡者を放てば町は陥落するだろうが、市民も全員殺してしまう。それではイリーナとの約束を反故にすることになる。高位の死者であれば区別も可能かもしれないが、完全に可能性を排除することはできない。
てっきり俺はワセトへ適当に侵攻すれば、敵が出てきてそのまま会戦になると思っていた。けれども、敵が打って出てくる保障などどこにも無い訳で。最悪そのまま引きこもられて市街戦になる。そうなればおびただしい血が流れるのは言うまでもない。
「少々面倒だが仕方ない」
溜息と共に歩き出す。実際に生身がある訳では無いので意味の無い行為だが、染みついた習慣というのは消えることは無いらしい。ざっと数千年は経過しているのに笑えるね。浅ましい性分を嘲笑しながら、適当に魔力を集中してその辺の石を蹴とばす。乾いた音を立てて石ころはどこかへ消えた。
さて、とりあえずはワセトの町へと侵入しなければ話にならない。彼ら反乱軍の強みは、ワセトを既に押さえていること。補給は言うに及ばず、最悪の場合でも市民を人質にすることができる。そのアドバンテージを奪いさるため、町へ侵入するのだ。
そうは言うものの、そのまま突撃すれば門のあたりで誰何されて終わりである。それでも個人的には問題無いが、イリーナとの約束ゆえにそれはできない。手薄な所を探そうにも反乱軍の規模から考えてそれは望み薄だ。敵に怠慢を期待するようなのはアホのすることである。ではどうするか?
答えは簡単。そのまま壁に突撃する、である。霊魂は物理的な制約を受けない。都合のいいもので、俺は魔力の濃淡で物理的な干渉を制御できるのだ。問題点はせいぜい壁の中だと視界が真っ暗になるくらいだ。それも適当に直進すれば大体解決する。どんな豪邸でも壁に限りはあるものだ。そもそも幽霊の突破を想定している都市などほとんどないし。
「せいぜい厳重に警備するが良いさ。無意味になるだろうがね」
あっさりと町へと侵入した俺は、歩を進める。陥落の青写真はすでにある。あとはそれを成すだけだ。
目指すはワセトで最も大きな建物。ワセト市庁舎である。