~ 保護 ~
「……此処、は?」
俺が目覚めたのは今まで暮らしていたのと似たような病室だった。
唯一違うのは、一人用らしきこの病室がサトミさんと共に暮らした病室よりは異様に広く……十五メートル四方くらいあるということだろうか?
天井に張り付いているぼんやり光る紙切れみたいなのもほぼ似た規格だったのを見た時には、俺の記憶に残された最後の光景が夢だったのを期待したものだが……生憎とこの意味もなく広く、それでいて何もない光景が、夢でなかった何よりの証拠のように思えてしまう。
全身に圧し掛かるような疲労感と、どんな処置をされたのか既に傷跡も残っていない拳に残る痛みの残滓のようなモノが、腹の奥に残る激怒と憎悪の残り火が……そして何よりも、瞼の裏側に今でも鮮明に映る世話になったサトミ女医のあの最期の姿が、俺が夢に逃げ込むことを許してはくれそうにない。
──落ち着け、なんて無理だっ。
──だけど……今は、まだ、沈まれっ!
その身体の奥底から滲み出すどす黒い感情が燃え広がる感覚が、周辺の全てを叩き壊そうと囁きかけるものの……周辺に当り散らすことで殺意を逃げてしまうような真似を、俺自身が許せる訳もなく、拳を握りしめ奥歯を軋ませた……まさにその時だった。
「あら?
目覚めたようですね」
「……誰だ?」
まるで俺が目覚めて意識を取り戻すのを待ち構えていたかのように……いや、サトミ女医も使っていたから知っているのだが、この未来では血圧や脳波の数値から分かるらしく、その手の測定機器によって実際にタイミングを見計らったのだろう。
そうして種も仕掛けもバレてるにも関わらず、挨拶のつもりなのかそんな嘘くさい言葉を投げかけながら、病室へと一人の女性が入ってきた。
アラブが混じったヨーロッパ人だろうか、五十過ぎらしきその見覚えのない女性を見た俺は、愛想笑いすらせず突き放したようにそう問いかける。
礼儀知らずと言われれば返す言葉もないのだが……身内とは言えなくとも少しばかり好きになりかけていた女性に目の前で死なれたばかりの今の俺には、社交辞令を口にする気力どころか表情を取り繕う余裕すらもなかったのだ。
「私はケニー=W=スペーメ、八十七名からなる連邦議員の一人です。
クリオネ君、で宜しいでしょうか?
貴方は、地球連邦北太平洋支部が保護しました。
これから連邦市民としての各種手続きを進めさせて頂きます」
「……保護、だと?」
その老齢に差し掛かっているであろう女性から放たれた数々の未知の単語よりも、サトミ女医がしていたように左手の甲を見せつけるような挨拶よりも、その左手の薬指で金色に輝く指輪よりも、そして彼女が口にしている言葉が何故か分かることよりも……それらの疑問全てを吹き飛ばすくらい、俺は『その一言』を吐いたことが許せなかった。
何故ならば、彼女の語る「保護」とやらはああやってサトミ女医を撃ち殺すことが入っていたからに他ならない。
「どうやら言葉は理解出来ているようですね。
まさか連邦共通語のインストールすらされていないなんて、貴方を蘇生した人は一体何を考えて……」
「うるせぇっ!
何故、彼女はっ……サトミさんが死ななければならなかったんだっ!
てめぇらに、何の権限があってっ!」
だからこそ気付いた時に俺は、何やら呟いていた彼女の言葉を聞くこともなく……自制心の欠片も投げ捨てて眼前の老女に向けてそう叫んでいた。
これでも社会人として生きてきた身としては、激昂して叫んだり酒が入っても短慮を起こすようなことはしなかった筈なのだが……そう叫んだ直後、そんな記憶とも言えない違和感が突如として湧き上がってきた所為で、俺はすぐさま自分の記憶の頼りなさに、自制を失うほど燃え盛っていた筈の怒りすらも薄れてきてしまう。
そして……そんな俺の激昂がすぐに静まったのを見て取ったのだろう。
「男性資源独占禁止法……通称、男性共有法、第一条と第三条違反よ。
違反が確定すれば、その場で射殺も許可されているわ。
今回のケースでは即座の降伏をしなかったばかりか、男性……貴方を人質に取る可能性もあったことから、現場の判断による射殺さえも適法の範囲内ね」
「……アレが、適法、だと?」
幾ら頭に血が上っていたところで、ただの一般人だった俺としては、真っ当に法的根拠を述べられると勢いが落ちていくのは仕方のないこと、だろう。
事実、眼前の老女から堂々とした条項を告げられただけで、あれだけ脳内に充満していた筈の殺意はあっさりと霧散してしまっていた。
……いや、怒りと憎悪自体は残っている。
残ってはいるものの、法的な正当性という言葉の前に少しだけ鎮火し……抑えきれないほど燃え盛っていた憎悪は、ただ腹の奥底で燻る程度の消し炭みたいなモノに成り下がってしまったのだ。
「ええ。
男子出生率の減少に歯止めがかからない昨今、この法律は男子を放したがらないばかりか、性的搾取まで行う母親から引き離すためのものです。
現代において、十歳以上の男子は母親から独立するべきと決まっておりますので」
法的根拠によって勢いを削がれたとは言え、俺は未だにサトミ女医が殺されたことに納得した訳じゃない。
訳じゃないが……俺が知っている児童に対する性的虐待も、実父が一番割合が多く、次に義父だったような覚えがある、気がする。
そう考えると、男児が希少化し、男性との出会いがなくなった母親の性的関心が男児に向かうのも、まぁ、否定できず……そんな法律が作られてしまうことも否定は出来ないのではないだろうか?
──何なんだよ、それは。
つまり、サトミ女医が殺されたのは、あの三人組の人殺し連中が悪の権化という訳ではなく……あの三人が法律上適正な捜査行為を行った挙句、俺を人質に取られると勘違いし、現場の判断として射殺してしまっただけに過ぎない、と?
──なら、俺はこの怒りを、誰にぶつければ……
「男性共有法第一条、男子は満十歳にして独立し、一個の都市を有する市長となるべし。
同条第二項、全ての男子は連邦政府に登録し、その遺伝的資源を独占することを妨げてはならない。
同第三条、遺伝子提供者であっても男子の独立を妨げることは許されない。
これらの法律は、男女比が著しく狂ったこの現代社会において、社会秩序を護るために絶対必須となっている法律であって……」
ケニーとかいう婆が何やらぺらぺらと口を回しているのを適当に聞き流しながら、俺はようやく一つの真理にたどり着いていた。
──彼女の死が社会的正義なら……
──間違っているのは、そんな社会の方だろう?
そう辿り着いてしまったならば、後は簡単だった。
──そんな間違っている社会なら……この俺が、ぶっ壊してやる。
俺は未だに燃え盛る激怒と憎悪をその決意の元に何とか押し潰すと……全身全霊で表情を取り繕って笑みを浮かべ、口を開く。
「お話は、理解しました。
では、俺は……何をすれば良いでしょうか?」
こうして、北極の海底……氷漬けの地獄の底に封じられていた少年は覚醒を果たす。
後に地球人口の99.9%を減らすこととなった事件の元凶とされ、後世の歴史で「現代の魔王」という二つ名で呼ばれることとなる男も、この時点ではまだ、ただの無力な一人ぼっちの少年に過ぎなかったのだった。
2021/09/04 21:13現在
日間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
週間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
月間空想科学〔SF〕ジャンル6位。
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