~ 別離 ~
「あ、あ、ああああぁ……」
胴に三つもの風穴を穿たれたサトミ女医の身体を抱き上げながら……いや、一週間以上も世話になった成人女性の身体すらまともに持ち上げられないこの非力な身体を嘆きながら、俺は何とか頭だけでも抱え込む。
尤も、俺自身、そんなことをしてもただの気休め……無駄な行為でしかないとは理解していた。
何しろ、彼女の傷は医学的知識もなければ……もし記憶喪失前に医学的知識があったところで、今やそれらの知識が完全に失われている無知蒙昧な今の俺の目から見ても「確実に手の施しようのないほどの致命傷だ」と思えるほど酷い代物だったのだから。
「tyo , kimi , hanzaisha ni tikayorunoha……」
「dameyo , dansei no jiyuuisi de josei ni tikadukunowo tomeru kenri ha , wareware ni ha naiwa」
「yousu wo , mimashou」
幸いにして警官らしき女性たちは俺の行動を邪魔する様子は見せず……俺は服が血で染まるのを意に介さず、サトミ女医の身体を抱きしめる。
「あ、あぁ。
masaka , watasi ga , tonogata no ude no naka de , sineru nante.
omottayori , masi na sinikata , desita ne」
「死ぬな、おい、死ぬなっ!」
譫言、なのだろう……恐らくは翻訳を介さない母国語で何やら呟いているサトミさんを抱きしめ、彼女を死から少しでも遠ざけようと揺すりながら、俺は必死に叫ぶ。
とは言え、彼女の今際の際に告げる言葉すら理解出来ない俺なんかがそんなことをしたところで何の意味もなさないと、俺は頭のどこかで理解していた。
だけど、理解しても……無意味だと分かっていたとしても、俺はそうせざるを得なかったのだ。
「aa , kore ha , aruimi , risou no saigo , yone」
例え未来だったとしても……いや、未来に暮らしていたとしても今の無知で無力な俺には死神の鎌から人を救う術なんてある筈もなく……胴に三つもの大穴を穿たれた彼女はそう小さく呟くと、軽く微笑んだ後に全身から力がふっと抜ける。
彼女の生が終わりを告げたことで、彼女の身体から力が抜けてしまったのだろう。
その所為か、突如として彼女の頭が重くなってしまい……俺の非力な手は情けなくも、サトミさんの頭一つすら抱えられなくなってしまう。
そうして俺の非力な手から彼女の頭が抜けだしたその事実を目の当たりにして……俺は彼女が死んでしまったのだと、嫌が応でも理解してしまう。
「あ、あ、あああああああああああっ!
てめぇらぁあああああああああああああっ!」
その事実を認識したところで、俺は彼女の意識が入っていた身体から身を離し……激情に駆られるがままに警官らしき女性へと駆け寄り、渾身の力を込めて右拳でぶん殴る。
尤も、今の俺の身体は自分の認識よりも遥かに小さく、そして俺の腕力は自分の認識よりも遥かに弱く……俺の渾身を込めた筈の拳は、ただ女性の重装甲に覆われた胸をぺちんと叩いただけに過ぎなかった。
「a,umarete hajimete , isei ni mune wo sawarerete simattawa」
「zurukunai , nee , zurukunai?」
「sonnna baai ja naidesho , ima」
この非力さでは当たり前の話ではあるが……俺の渾身の拳など彼女たちにとっては痛痒すらも与えられないカス以下の代物だったのだろう。
全力を込めた筈だったのだが、その直撃を受けた当の本人が何やら戸惑ったように話し合っている辺り、全く効いていないことだけは理解出来る。
それでも……全く意味がないと分かっていたとしても、そして殴った俺自身の拳がただ痛いだけだったとしても、俺は現状で最も親しい異性を殺されてしまったこの激情を、抑えることなど出来る筈がない。
「あぁあああああああああああああああああっ!」
殴る、殴る、殴る、殴る、殴る。
全く欠片も意味がないと分かっていつつも、この世界で唯一俺の拠り所だった女性を奪われた激情とそれを失った不安に駆られるがまま、俺は彼女の身体を殴り続けた。
不幸にも病み上がりの俺では装甲を身に付けた女性にダメージを与えることなど叶うべくもなく……幸いにも俺の腕力は脆弱過ぎて、幾ら殴ったところで自分の拳を痛めることすら叶わない。
その事実が……今までの自分自身の存在意義でもあった健全な肉体が失われている事実が、なおさら不安を駆りたてているのだと理解しないまま。
俺はただただ拳を振るい続ける。
尤も、病み上がりで起き上がることすら自在に出来ない身である以上……限界はすぐさま訪れた。
「……ぁ、あ?」
先ほどまで自由に動いていた筈の身体が、突如として動かなくなり……突き出した筈の拳が前へと出ないまま、俺の身体は自由引力に敗れただ真下へと崩れ落ちてしまう。
頬に硬いプロテクタが触れ、眼前の敵に抱きとめられたと分かったものの……思うが儘に動かないこの身体では敵の腕を振り払うことすら出来やしない。
いや……振り払うどころか指一本を動かすことすらも叶わないのだから、敵への嫌悪から後ろへと下がることすら叶わない。
挙句、自分の身体が疲労の極致にあるのを自覚した途端に、この激怒と殺意が混っていた筈の意識すらも薄れ始める始末なのだから、どうしようもない。
「くそ、ったれが……」
せめてもの抵抗とばかりにそう吐き捨てると……その重装甲の女性らしき人型に抱きとめられたまま、俺は意識を失ってしまったのだった。
2021/09/03 20:34現在
日間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
週間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
月間空想科学〔SF〕ジャンル6位。
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