~ 教室へと歩く ~
「つまり、男女比がここまで傾いた社会では、男女は対等の存在とはなりえない。
恋愛感情は対等の相手にのみ発展する、お互いを思いやる感情なのだから、男性は男性と、女性は女性と恋愛することこそ、正しい愛の形だと思うわけだ」
「……はぁ」
教師であるアレム青年の言葉を聞き流しつつも校舎を歩きながら、俺は自分の失策を悟らざるを得なかった。
はっきりと言うが、俺は異性愛者であり同性愛の傾向など欠片もない。
だけど、迂闊にも社会人をやっていた所為か、延々と語られるアレム教師の同性愛議論に対して嫌悪感を顔に出すことなく、話し手が不愉快に思わないタイミングで相槌を打ち続けてしまったのだ。
──これ、同類と思われてないか?
残念ながら俺は異性愛者であるため、アレム青年が幾ら情熱的に語ったところで、何一つ心に響くことはないのだが……幸いにしてようやく校舎内に足を踏み入れてくれたことから、俺はとっとと話題を変えることにする。
「あ~、先生。
下駄箱ですか、これ?」
「下調べをしてきたのかな?
よく知ってたね、下駄箱なんて数世紀前の骨とう品を。
残念ながらVR空間では靴すら不要になってしまい、これはただの飾り……レターケースに過ぎないんだけどね」
話を逸らす俺の作戦は成功したようで、アレム先生は下駄箱を眺めながらそう解説を加えてくれる。
靴がない、という話は分からなくはない。
あまり意識はしていなかったが、今の俺はパジャマに素足のままという部屋の恰好そのままであり……VR空間ならではの変な加工がされているのか、素足で煉瓦道を歩いたところで足の裏が痛むこともなく、熱くも寒くもない所為で服装を意識すらしていなかったのだが。
──流石に、この格好だとアレか。
そこでようやく自分の恰好が学校に似合わないと気付いた俺は、眼前に仮想モニタを開き、VR上で着替え可能な服装の一覧を確認……凄まじい服装の一覧があったが、明らかに色物だろうそれらを全て無視し、カッターシャツとネクタイ、スーツという自分の考える普通の制服を選択する。
着替えそのものはコンマ数秒で終わり、瞬き一つ挟むだけで俺は制服を着こんでいた。
その所為で素足が靴へと変わってしまったが……まぁ、そうして着替えが数秒で終わる時点で下駄箱が無用の長物なのは明白だった。
──しかし、レターケースねぇ?
恐らくは、昭和から令和にかけての時代……下駄箱にラブレターやらバレンタインのチョコやらを忍ばせる時代のリスペクトなのだろうと思われるその発言に、俺は小さく溜息を吐き出す。
どうも男女比が狂いに狂ったこの時代、男女交際の各イベント事が「古から続く伝統的な宗教行事」のように扱われている感が拭えない。
「しかし、服を換えたのか。
その服も似合っているよ、クリオネ君」
「……どうも」
そして当たり前の話であるが、俺の服装が部屋着から制服に変わったことにアレム先生が気付かない筈もなく……彼は素直な口調でそう褒めてくれる。
尤も、野郎に褒められたところで、同性愛者に被服を褒めてもらったところであまり嬉しいとは思えず、俺の反応はそんなパッとしないモノになってしまったが。
「でも、人前での服装変更は止めた方が良いね。
ここは男性しかいないVR空間内だから大丈夫だけど、正妻の前でそれをすると誘っていると勘違いされかねない。
事実、襲われて事件になったケースもあるくらいだからね」
「……はぁ」
とは言え、彼も教師は教師なのだろう。
次にアレム先生が語ってくれた内容は、この時代の生活風習を学ぶ上で重要な内容だと言える……あまり意識しない生活風習そのものだった。
──どうだったかなぁ?
正直な話、VR空間内では衣類を換えるなんて意識したこともなく……流石に生身の身体だと異性の前で着替えることはしていない、筈ではあるが。
少なくとも俺の婚約者であるリリス嬢なら眼前で着替えたところで「誘っている」なんて勘違いはせず、襲って来るようなことはないに違いないし、そもそも性的に襲われたところであれだけの美少女なのだから、俺が一方的に得するだけの話である。
そもそも、「正妻から性的に襲われるってどういう状況だ」と思わなくはないが……社会人をやっていた頃、夫婦の不同意性交がうんたらってニュースを目にしたような覚えがあるので、未来社会では男性の同意ってのは非常に重くなっていることだろう。
「さて、この扉は所謂ワープゾーンになっていて、くぐると2Fへと繋がっている」
「……ワープゾーンって」
この600年後の未来を生きて来た俺の記憶が正しければ、これだけ発達した科学があっても空間と空間を繋ぐワープ機能については実現していた覚えがない。
直後、BQCOが親切にもその疑問への解答として、「超光速航法」について書かれている論文を脳みそに持ってきたのだが……生憎と難し過ぎてさっぱり分からなかった。
ただ、実現の見込みがないという最終の一文だけは理解できたのだが……要するにアレム先生の言うワープゾーンってのは要するにVRの学校において、エレベーターを使用する時間を短縮するために造られた構造物なのだろう。
そうして俺たち二人がワープゾーンを超えて二階へと上がり……ようやく教室へとたどり着く。
「特に、何も感じないんですね。
ドアの向こう側に二階があるってだけで」
「まぁ、座標値と方角を換えているだけだからね。
呼び方に慣れるまで少し不便かもしれないが」
そんな所感を口にして現実逃避をしている間にも、俺たちの足は前へ前へと進み続け……気付けばその教室の前で立ち止まっていた。
「ここが君の通う初等部のクラスだ。
基本的に、10歳~13歳までが通うこととなる」
「……はぁ」
アレム先生の言葉に、一体俺は何歳扱いされているのだろうと思わなくはないものの……それよりも大きな問題は、本来ならば40も近いおっさんである俺が、そんな小学生と中学生の中に混じって授業を受けなけばならないという事実の方だろう。
──これが、俺の、仕事、か。
とは言え、いつまでも躊躇ってはいられない。
いやな取引先との協議に出向いた時のように、一つ息を吸い込んで大きく吐き出し……俺は覚悟を決めた。
どれだけ学校生活に気が進まなくとも……仕事ほどしんどい筈がないのだから。
「さぁ、行きましょう、アレム先生」
「あ、ああ」
そうして覚悟を決めた俺は、この世界で甘やかされて育った男子としては珍しかったのか、アレム先生は目を白黒させていたが……すぐさま自分の役割を思い出したのか、教室のドアを開いたのだった。