~ 窓の外 ~
俺がリハビリを始めて凡そ1週間くらいが経過しただろうか?
日時に対して「くらい」と前置きをしたのは、変な服を着て身体を動かして、洗浄されて不味い飯を食って寝て……を1日に何度も繰り返したものだから、全く時間の感覚などなくなってしまっていた所為である。
しかも、この病室には窓もなく、天井に張り付けられてある薄い紙切れの照明によって部屋の明暗が左右されるものだから、時間を知る術などない……その挙句、俺は此処で目覚めてからは一度も時計なるモノを目にしたことがないため、凡そで1週間くらい、としか言えないのだ。
──しかし、誰とも会わないよな。
こうして体感時間で1週間ほど、寝て起きて病室周りで運動して、を繰り返している訳ではあるが……少なくとも俺が目を覚ましている間、この病室の前をサトミ女医以外誰一人として通らないのがここ数日の懸念事項である。
勿論、力仕事というかシーツの取り替え……はベッドが自動で行うのだが、その取り替え用のシーツを運んでいる円筒形のロボットや、床を掃除しているのだろう半球形のロボットが右往左往している姿は目の当たりにしていて、この病院が稼働していない訳ではない筈なのだが。
そうしてサトミさん以外の人間が全く見かけず、ロボットばかりが動いているのを見続けている所為か、変な妄想が浮かんできて仕方ない。
──もしかして。
──俺とサトミさん、二人以外の人類が全滅しているなんてない、よな?
言ってはなんだが、北極の海に沈んでいた俺なんて、人口が大量に溢れている世界では道端に落ちているゴミ以下の存在である。
何しろ、大多数の中の一人でしかない上に、素晴らしい才能や専門的な知識もない挙句、時代錯誤で社会常識すらも疎い人間なんて大した価値がある筈もなく……なのに拾うだけで凄まじい労働力が必要となるのだから。
そんな俺を拾い上げ、遺伝子治療と再生手術を試み……こうしてリハビリまでしてくれる。
それ自体は涙が出るほどありがたいのだが、凄まじい費用がかかっているのは間違いなく……そして脆弱化しニート以下に成り下がった俺はその費用を払う術など持ち合わせていない。
社会人になると金金金と世知辛くなるのは仕方のないことではあるが、人を動かすにも機械類を動かすにも金がかかるということは紛れもない事実なのだ。
そんな金にならない俺を手間暇かけて拾い上げ、更に数多の費用を投じて治療までするなんて、相当の理由がなくては実行しようとすら思えない。
だけど、俺の貧相な想像力じゃその理由など思い当たる筈もなく……「サトミさんと対になる最後の雄である」程度の発想が限界だったのだ。
──その場合はアダム役くらいはこなしてみせるけどな。
サトミ女医とであれば、アダムとイブとなって世界に人類を再び繁栄させる第二の人類の父となるのも苦にならない。
寝る前に全身疲労で指先一つすら動かすことも億劫だった所為か、俺は目覚めた後も何故か起き上がる気も起きず、ただのんびりとベッドに寝そべりながらそんな妄想を繰り広げていた。
──まぁ、何はともあれ我が息子が元気になり次第、だけど。
ここ一週間も禁欲続きの挙句、寝起きだというのにピクリとも反応しない我が息子に視線を向け……俺はその悲しい事実に大きく溜息を吐き出していた。
この病院で目覚めてから、少々若返り過ぎた我がハイパー兵器は未だに発射体勢にすら入ってくれず、俺はアイデンティティ崩壊の危機に脅かされる毎日が続いている。
「……そんなに外が、気になりますか?」
そうして息子の元気の無さから目を逸らそうと、俺が視線を壁の向こう側へと向けていたのが気になったのだろう。
俺が目覚めたのをどういう手段でか察したらしく、いつの間にか病室に訪れていたサトミ女医は当然のように俺のベッドの近くに腰かけ……何処となく観念したような溜息を一つ吐きだした後、俺に向けてそう告げてくる。
正直な話、俺は別のことに気を取られていただけだったのだが……生憎と「ナニに気を取られていた」と説明することなど出来る筈もなく、ただ静かに頷いて見せる。
実際、外の様子が気にならなかった訳じゃないのだ。
そんな俺の仕草を見たサトミさんはやはり溜息を一つ吐いて気乗りしない様子を見せつつも……虚空に向けて指を何やら動かすと、その後に壁へと向かって手を軽く振る。
まるで曇った窓ガラスを拭くような、窓に触れさえしていないその仕草をした次の瞬間……ただの白い壁だった筈の場所は、突如として外部を映すスクリーンへと変わっていた。
「……はぁ、……っ?」
目の前で起こった「俺の知っている科学技術ではあり得ない」光景を目の当たりにして驚きの声を零してしまった俺だったが……その直後、眼前の景色が全く理解不能だったことには驚きの声すらも上がらなかった。
何しろ、窓ガラスの……スクリーンの向こう側には、ただ純白だけで覆われた景色が広がっており、その純白の世界は明らかにリアルタイムだとしか思えない真っ白な結晶が前後左右上下と無軌道に舞い続けていたのだから。
──雪?
眼前の光景を見た俺は、その一面の銀景色をただの合成映像だとは欠片も疑わなかった。
ただ俺たちがいるこの場所以外、誰一人として人類が死に絶えてしまった……そう言われても疑おうとは思わないような、まるで人類の存在そのものを拒むかのような絶望的な光景に、俺は言葉すら失って見入ってしまう。
尤も、そんなのはただの妄想でしかなく……この俺が目覚めた病院らしき施設は電気が通っているし、ミドリムシばかりながらも食事は三食しっかりと出ているのだ。
そう思い返して眼下の景色を見てみると、確かに周辺一帯は吹雪が舞い、雪が積もっているものの、それなりに幾何学的な構造物の痕跡が窺え……しっかりと人工物が存在しているのが分かる。
とは言え、それらから光が放たれている訳でもなければ人が暮らしている気配のようなものもなく、ただ雪に埋もれた施設があると分かるだけ、だったが。
──あれ?
そうして白銀の世界をぼんやりと眺めていた所為、だろうか?
何となく吹雪の向こう側……視認できるかどうかも分からないほどの遠くに、ほんのわずかな人工的な輝きが、見えた、ような……
「あまり面白くはないでしょう?
北極唯一のアルコロジー……この『イグルー』には、人類はもう私しか存在していませんので」
アルコロジー……施設内で生態系が完結している構造物のこと、だったか。
どっかのSF小説で目にした記憶があるような、ないような……相変わらず思い出そうとすれば陽炎のように消えてしまう出来の悪い脳みそではあるが、何となく意味は理解できた。
「此処は、俺たちの他に、もう誰もいない、のか」
「……ええ。
市長を失ってから、人口は減る一方で……最後の子だった私が唯一の生き残りとなってしまいました。
クリオネさんが二十五年ぶりの人口増、ですね」
サトミ女医の悲しそうな声にそれ以上の追及をすることは躊躇われたものの……何となく言いたいことは分かる。
要するに、この北極のアルコロジー『イグルー』は過疎高齢化を極限まで通り過ぎたのだ。
他の人達が死んでしまったのか、それとも単に出稼ぎやら引っ越しやらでいなくなったのかは分からない。
ただそんな中、たった一人残されたサトミさんは頑張ってこの『イグルー』再生のための策を実行に移す。
それこそが、水底に沈み冷凍保存されている俺を拾い、再生手術を行うことで一人分の人口を何とか増やすという手段だったのだろう。
──真面目に、アダムとイヴってか?
記憶は相変わらずポンコツで、身体もこの小学生みたいな有様、行く場所もなければ金も一切持ち合わせていない。
ないないづくしでもう乾いた笑いしか出ない状況ではあるが……その挙句、この都市には他の人間すらもいないと来たものだ。
「まぁ、それでも……生きているだけマシ、か。
何はともあれ、身体を治してから、だな」
冷凍保存される前の俺がどんな人間だったのか、何故冷凍保存されることになったのか……未だろくに思い出すことも出来ないのだが、少なくともあまり恵まれた状況にはいなかったのではないだろうか?
少なくとも未来の展望も資産も自分自身すらも持ち合わせてない俺が、悲観も絶望もせず、あっさりとそう開き直れてしまったのだから。
「ええ、頑張って身体を取り戻しましょう。
色々と困っているでしょうが……ゆっくりと一つずつ覚えて行けばいいのですから」
いや、正確には開き直った訳じゃない。
何もないどころか……衣食住にはさほど困ることなく、隣にはこうして微笑んでくれる美女がいるのだから、冷凍保存される前の生活よりは遥かにマシだと、記憶はなくとも何故か断言出来たお蔭で、過去への未練が立ち斬れただけの話である。
実際、この世界がどんな地獄だろうと、彼女が側にいるだけで俺は生きていける……何故かそんな確信を持ったまま、俺は隣の美女の手をゆっくりと握りしめるのだった。
2021/09/01 19:04現在
日間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
週間空想科学〔SF〕ジャンル3位。
月間空想科学〔SF〕ジャンル10位。
総合評価 532 pt
評価者数 35 人
ブックマーク登録 108 件
評価ポイント平均
4.5
評価ポイント合計
316 pt