~ 筋肉痛 ~
リハビリテーションというモノはやはり凄まじく過酷なのだろう。
体感時間で僅か一時間程度、ラジオ体操程度に身体を動かしただけの俺は、サトミ女医の勧めに従って大人しく軽く午睡し……夕方に目覚めた頃には、筋肉痛で動くことすら叶わなくなってしまっていたのだから。
「ですから、あまり急激な運動は……」
「……く、そったれ」
ちなみに昼に食べた不味いゼリーには栄養補給の他にも代謝を早める効果があり、その所為で筋肉痛はすぐ訪れ過酷になるものの、代わりに早く治るとのことである。
筋肉痛が動いた当日に来るなんて、三十代後半を超えてからはあり得ない異常事態に首を捻る俺だったが……まぁ、リハビリを続けるのであれば、恐らく明日も同じ目に遭うのだろう。
「では、微細泡浴と夕食の準備を始めさせて頂き……」
「……あれ?」
筋肉痛で身体が動かせない代わりとして、目の保養になるサトミ女医の麗しい顔を眺めていた俺だったが……そうしてじっくりと眺めていると、彼女の口元の動きと聞こえる言葉とが妙に合ってないことに気付く。
何というか、映画の吹き替え動画を見ているかのような……
「なぁ、サトミ先生?
俺の気のせいなら悪いんだが、どうも喋る言葉と口の動きが……」
「え、ああ。
思念系の翻訳機つけてますので……実は私、唇は動かしてますけど、本当は喋ってないんです。
喋ると音声が重なって聞き取りにくいですし、だけど唇を動かさないと相手に失礼になりますので……こうして唇を動かすだけ、なのです。
翻訳機なしで本当に喋ってしまうと、えっと、idensi wo megunde kudasai……ほら、こんな感じに意味が通じないでしょう?」
俺の指摘に、サトミさんはそう笑いながら唇を指差しつつ、そう呟く。
恐らく彼女が言っているのはこの時代のマナー的な話だとは分かるものの……その仕草がどうにも別の意味を思い出してしまい、俺は思わず前のめりになってしまう。
だけど、精神的な興奮とは裏腹に我が息子はピクリとも反応せず……その事実を前に、翻訳機が云々など超科学の素晴らしい技術も意識の彼方に飛んでしまっていた。
──おいおい。
──マジで、ぶっ壊れてないか、これ?
正直に言おう。
サトミ女医は俺の好みで言うところの、ど真ん中よりボール一つ分低め、且つボール半分内角よりのストレートという感じである。
もう二歳くらい年取れば高さ的にはど真ん中、スタイルや顔立ちに関してはほぼ絶好球ではあるのだが、もう少しバストが大きければ言うことなしという感じであり、こうして近づかれるだけで身体が再生される前の俺であれば押し倒したい衝動に駆られてしまい、理性と本能とが必死に争い合ったことだろう……と脳内の何処かが叫びを上げている。
だけど……今の俺の身体は、何も感じない。
精神的にはエロスを理解し、彼女の各部位に視線が引き寄せられるものの……まるで身体に伴って精神までもが、精通前の、異性との接触を何となく敬遠していた、馬鹿極まりなかった小学生低学年の頃に戻ってしまったかのように、彼女と触れ合うことを身体の奥底が欲してくれないのである。
精神なんて肉体の道具でしかないとか何とか、そういう感じの現象なのだろうが……出典元の記憶もない癖に適当な単語だけ浮かんで来たところで、何の解決にもなりやしない。
「では、ご飯にしましょうか?
微細泡浴にしますか?
それともwatasi wo seitekini tabetekuremasuka?」
ものすごく好みの女医さんからそんな言葉がつらつらと語られる……正直、男としては浪漫以外の何物でもないのだが、残念ながら彼女が使っている言葉は『未来語』であって、俺が連想してしまった日本語的なニュアンスは含まれていないに違いない。
しかも未来ジョークなのか、彼女の呟いた言葉は俺の知っている言葉には翻訳されなかったようで……俺は溜息を一つ吐くと、真面目に選ぶことにする。
「……微細、泡とやらで。
食事はその後にします」
「……はい」
何処となく落ち込んだ様子のサトミ女医から話を伺うと、微細泡浴ってのは人体に影響のない程度の圧力をかけた、微細泡を含んだシャワーを「服の上から」浴びることで人体表面の老廃物を流すと共に、微細泡が服の繊維に浸透せず洗いながら洗浄する、身体洗浄の一種であるとのことだった。
更に服の繊維は軽い電流を流すと内側から外側へのみ撥水する機構となっているため、微電流を流しながら気流を当てると服も身体も瞬時に乾いてしまうという……要するに、洗濯と入浴を同時にする、俺も若い頃に欲しかった類の、夢の洗浄技術らしい。
だけど。
──おっさんになると、入浴もしたいんだけどなぁ。
休日くらい熱い風呂に浸かりながらくいっと一杯冷酒を呑む……そういう人生に憧れていた身としては、省力化もここまで行ってしまうと、便利よりも悲しいという感想が先に来てしまう。
尤も、そんな頭に浮かんだ「憧れの生活」には実感が籠っていなかったことから、恐らくただの理想というだけで、そんな経験など俺はしたことなかったのだろうけれども。
ついでに言うと、そんな理想に加えて眼前の美人女医さんが混浴しつつ酌をしてくれるとなると、もはや地上の楽園以外に表現する術を持たないのだが。
──いや、でも他の職員は見えないし……
──もしかすると、コレは、ワンチャンあるかも。
そんな妄想を抱いていた俺を待っていたのは、サトミ女医が何やら虚空に指を這わせ……俺には見えない何かを操作して動き出した全自動ベッドによる送迎だった。
どうやら、入浴ならぬ微細泡浴の介添えは美人女医さんの手によるモノではなく、彼女が操作する全自動ベッドそのものが動いてくれるらしい。
そうして俺はベッドごと巨大な食器洗い機みたいな場所へと運ばれ、そのまま機械音声に従って目を閉じると、妙にくすぐったい気のする泡によって服ごと全身を洗われていた。
混浴どころか美人女医の細やかな指が触れ合うお色気すらない……未来の介護はこんな感じに省力化されているのが普通ということなのだろうが、生憎と俺が望んでいたのはそんな普通ではなく、ちょいと特殊でもお色気のある何かだったのだ。
あまりにも進んだ未来科学に唾棄したい気分のまま、俺は全身に叩き付けられる熱風に耐えながら、身体を包む服が乾いてくれるのを待つ。
「……しかも、これか」
洗浄と乾燥が瞬く間に終わり、全自動ベッドで貨物のように病室へと戻された俺を待っていたのは、またしてもゼリー状のミドリムシが入ったチューブ状の食事だった。
どうも食事は栄養補給程度の役割であって、食事の時間をコミュニケーションの場とする文化は時代の流れとともに消え去ってしまったのかもしれない。
「……はぁ」
仕方なく俺は、今度はコンソメ味でちょっとだけ美味しかったのが逆に気に入らないその奇妙な食事を口へと運ぶと、やることもないのでベッドに全体重を預け目を閉じることとする。
リハビリの疲労が溜まっていたのか……特に眠くなるまでの暇潰しすら必要なく、俺の意識はあっさりと闇の中へと沈んで行ってしまったのだった。
2021/08/31 20:58現在
日間ジャンル別空想科学〔SF〕:1位。
総合評価 296 pt
評価者数 20 人
ブックマーク登録 51 件
評価ポイント平均
4.9
評価ポイント合計
194 pt