~ 最適訓練 ~
──600年が経過しても病院食というのは美味しくならなかったらしい。
チューブに入った緑色のゼリーを一口分絞り出すように口に入れた俺は、溜息を吐きながらそんな愚痴を内心で零す。
緑色の中身は、人工培養されて衛生的で栄養豊富な微細藻類……植物でありながら運動性能を有する、要するにミドリムシって名前の単細胞生物の完全栄養食成分に、胃酸で分解可能な形に加工することで吸収率を高めた紅藻類の粘液質を混ぜてゼリー状に固め、塩分と糖分で味付けしたモノだと、サトミ先生から窺った。
こんな時だけ思い出したかのようにSF設定出されてもなぁと思いつつ、食べれないことはないが美味しいとは言い難い緑色のゼリーをもう一度口へと含む。
カロリーや成分は完全に計算されているらしく、このワンパックを流し込むだけで一食分の栄養素が詰まっているということだが……生憎とコレでは食事の楽しみなんてないに等しい。
「あ~、おかわりは、ないか」
とっととチューブ一つを口の中に放り込んだ俺は、何となく治まりの悪いお腹に触りながらそう呟くものの、答える人なんている訳もない。
何しろ俺が記憶を取り戻してから唯一顔を見知っているサトミ先生はリハビリの準備とやらで席を空けた後であり、この食事とは認めがたい栄養チューブは誰の手も使わず枕元の棚へと滑るように落ちてきたものなのだから。
どうやら病室は全て小さなモノレールが設置してあり、薬剤や食事などは全自動で運ばれてくるように設計されているようだった。
──省力化、か。
要するにどっかの回転寿司屋のレーンと同じモノが病室それぞれに設けられていて、人件費削減を実現しているのだろう。
もしくは伝染病の類を完全にシャットアウトするためか。
だけど、白衣の看護婦……ちょいと前に看護師になったんだったか、そういう女性が食事を持ってきてくれるのも入院の楽しみの一つだと考える入院と無縁だった俺としては、こういう全自動化を目の当たりにさせられるとちょっとばかりガッカリしてしまうのは否めない。
「珈琲と煙草が欲しいな。
出来れば、酒も」
食事が終わった後の一服をするべく半ば無意識の内に懐を漁りながら、俺はそう呟くものの……病院に酒や煙草などがある筈もなく、珈琲なんて刺激物でさえ、俺の知っている時代の病院で出してくれたかどうか。
仕方なくコップに入っている水を飲み、全くカルキ臭がしないことに驚きつつ、水も一杯じゃ足りないと溜息を吐く。
かと言って弱り切っているらしい身体では起き上がることも思い通りにならないため、水を汲もうとも思えず、ただ寝転んでいることしか出来やしないのだが。
そうして体感時間で十分ほどが経過した頃、だろうか。
「お待たせしました。
リハビリの準備が出来ました」
「……服?」
そう言ってサトミ女医が差し出してきたのは、俺が予想していたような金属系の車輪が付いた椅子擬きみたいな器具ではなく、少しごわごわした感じの服、だった。
赤く塗れば某死なない主人公の耐圧服みたいな感じという記憶が甦ってきたが、生憎とその主人公の名前やアニメのタイトルは浮かんでこない。
ついでに言うと、あからさまにおむつみたいなパーツもついていて、特殊なプレイと思わないと男としての尊厳に大打撃を喰らってばよえ~んな感じになりそうな予感しかしない。
──ばよえ~ん?
突如脳内に浮かんだ意味不明な単語に首を傾げながらも……色々と諦めた俺は無我の境地に突入しつつ、そのリハビリ服をサトミ女医の手助けの元に着せてもらう。
まぁ、立ち上がることすら出来ないのだから、おむつを穿かせて貰うのも仕方のないことなのだろうが……何となくサトミさんが顔を真っ赤にしつつ、俺になるべく触らないように意識して介添えをしている様子が気になった。
──意外と、男性経験少ないのか?
──いや、そもそも医者がソレじゃダメだろう?
女医と言えばモテモテだろうに、こんな少年の姿に成り下がった俺を意識してくれているその様子を目の当たりにした俺の顔は、自分では見えないものの思いっきりにやけていることだろう。
正直、サトミ女医のその表情はかなり好感度が高く、そういう趣味がなかった俺としても、春先に出没するトレンチコートの変質者の気分が少し分かりそうになってしまうくらいである。
尤も……上手く口説けて合体出来たとしても腰すらまともに振れない現状では、女医なんてハードル高そうな女性を口説こうとは思わないのだが。
ついでに言うと、彼女の好みがショタ系だった場合、色々とダメージが大きそうなので敬遠したというのもあるが。
──それにしても、変な服だな?
顔を赤くしているサトミ女医から、今現在着せられている最中の服へと意識を向けた俺は、内心でそう呟いていた。
実際のところ、この耐圧服のようなモノは首から手足の先までを覆う分厚い全身タイツのような造りをしていて、内部にはちょいと硬い……スーツをクリーニングに出した時についてくる、プラスチック製の透明な「型」みたいなものが要所要所に入っている感じの服で、俺の知っている服とはかなり趣が違っている。
その「型」が微妙に気持ち悪く、着心地は正直、良いとは思わないものの……表面は木綿のシャツと大差ない肌触りで暑くもなければ寒くもなく、デザインとおむつがついていること以外では、着るのを嫌がる理由はないと思われる真っ当な服である。
とは言え、その嫌がる理由こそが服として致命的な欠陥だったが。
「……で、では、上体を起こして下さい。
筋助スーツが介助してくれる筈です」
サトミさんの告げられるままに上体を起こすと……今まで全筋力を使っても上体起こしすら出来なかった俺の身体が、生前の思い通りにゆっくりと持ち上がる。
こんなごわごわした程度の、さほど特別な工夫もない耐圧服みたいな代物だったが、どうやら内部の「型」を中心として、周辺の繊維質が任意に動いて身体の動きをサポートしてくれているようで……言うならば服そのものが介助してくれている、未来の介護装置である。
尤も、詳しい原理は完璧に不明であり、過去の人である俺にとっては魔法にも等しい代物ではあるが。
──はぁ。
──マジで、未来なのか。
今まで色々と記憶になさそうな品を見る度に驚いていた俺だったが、それでもちょっと未来くらいの認識だった……だけど、この服は完全に「ちょっと未来」以上の代物である。
しかも内部から締め付けられる構造の、要するに動くコルセット擬きであるにも関わらず、肌が擦れて痛いと思うことはないのだから、本当に原理がさっぱり分からない。
「はい、次は足を動かして下さい」
俺はサトミ女医の言葉の通り、ラジオ体操のように身体を動かしつつ……1時間あまりの運動を少し汗ばみながらも問題なくこなすのだった。
2021/08/30 20:33 投稿時
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