~ 崩壊 ~
「……一体、何を?」
ケニー議員が突如として始めたそんな独白は、如何に優秀な我が正妻であっても完全に予想外だったらしく。
彼女はそんな……彼女と過ごしたここ数か月間では、性的接触があった時と、ベッドの中以外ではほぼ聞いた覚えのないような、酷く狼狽えた声を上げていた。
「婚約破棄なんて目に遭って、憔悴している貴女を見かねただけ、ですよ。
たまたま見つかった男性と貴女との相性が偶然にも96%だったので、ほんのちょっとした小細工をした、程度です。
クリオネ君が確実に貴女を選ぶ保証はありませんでしたし、ただ「上手くいけば良いな」程度に思った小細工が、上手く行き過ぎただけ、の話です」
俺が認識している続柄の姪、になるのかどうかは微妙なところではあるが、ケニー議員は姪であるリリスに視線を向け、優し気にそう告げる。
──彼女が嘘を言っている確率は……
──ある訳、ないか。
正直、BQCOで検索するまでもない。
丸5日間も続いたテロリストの攻撃により、海中都市『スペーメ』は9割以上の領域を失い、もはや市長の自宅のみ、という有様まで追い詰められている。
この状況で嘘を吐いてこちらを惑わそうとしたところで、我が都市からの援軍なんぞ間に合う訳もなく、騙したところでこの土壇場を覆すような手段も存在していない。
である以上……対人の駆け引きにおいては百戦錬磨とも思えるケニー議員が、この場で嘘偽りを口にする確率は非常に低いと断言できる。
「ですが、まさか貴女が本当に人類全てが犠牲になるような決断を下すとは、思ってもいませんでした。
いえ、私だけではなく87名からなる連邦議員の誰一人として、この事態は予期すらしていなかったのです。
……胸を張りなさい。
貴女は、持てる全てを使い連邦政府からも己が主人を守り通した、世界で最も優秀な正妻と言えるでしょう」
「……ケニーおばさん、わたし、は……」
それは、彼女にとっての最高の賛辞だったのだろう。
その言葉を受けたリリスは涙ぐみ、何かを言おうとして口を噤み、また何かを言おうとして口を開く行動を繰り返していた。
尤も、我が正妻の言葉は、身内であるケニー議員にとっては蛇足以外の何物でもなかったのだろう。
「では、この辺りでお別れです、リリス」
「そんなっ、私はっ、まだっ……」
そうしているうちに、市長宅の防衛網すらも押し切られたようで、ケニー議員は唐突にそう別れの言葉を口にする。
彼女のそんな発言に、リリスは年相応の……どう頑張ってもまだ10代半ばでしかない、少女としての甘えを残した言葉を口にしようとするものの……
「最期の時くらい、夫と過ごさせてくださいな、いつまでも泣き虫のお嬢さん。
正直、この数年間会話一つ交わさなかった夫ですけれど……それでも、私にとっては唯一無二の男性なのですから」
ケニー議員のその言葉に、言葉を封じられてしまう。
恐らくではあるが、ケニー議員は年の功もしくは経験によって、我が最愛である金髪碧眼の少女が何を言おうとしたのか察していたのだろう。
だからこそ、リリスが何かを言う前に先んじてそれを潰していて……この辺りの挙動については、二人は非常によく似ており、二人の間には確かに血縁があるのだと感じさせてくれる。
「では、クリオネ君。
リリスをよろしくお願いしますね。
恐らく、そう長い間ではないと思いますが……」
ケニー議員が本当の最後とばかりに俺へとそう告げ……
「……ええ。
地獄の底までも共に歩む覚悟です」
俺は、自らの嫁の身内に対して最大限の敬意を払い……己が身を顧みず奈落へと飛び込んで来た、傍らに立つ少女への想いをそう告げる。
俺のその少しばかり芝居がかった、だけど心からの言葉を聞いたケニー議員は少しだけ微笑むと……
「ああ、これは、私たちが、負ける筈ですね。
世界で最も強い精力を持ち、男女比を覆すY染色体を持ち、女性への配慮まで見せる……リリスも、凄まじい男性を引き当てましたものです。
地球圏で最も罪作りな男性ですよ、貴方」
何処となく諦観の漂う笑みで彼女はそう言葉を残し……俺の眼前の仮想モニタはそのまま消え失せる。
しかしながら……
「一度、潰えれば脆い、ものだな……」
海中都市『スペーメ』の崩壊を眺めながら、俺は静かにそう呟く。
この未来社会で目覚め、一時期は社会全体への復讐まで考えた俺だからこそ分かるのだが……社会をぶっ壊すというのは容易ではない。
事実、この600年後の世界では、病原菌はほぼ根絶され、もし広がったとしても都市自体が隔離していて、人類全体への打撃にはなり得なかった。
テロリストはちょこちょこ発生していたものの、治安維持機構の前に潰されるのが常であり、社会に対しそう大きな被害を与えることはなく。
戦争はただのゲームと化し、社会の一部となっていて世界の崩壊には程遠い規模でしかない。
だと言うのに……
──たかが、精子のデータ流出と……
──SEXの動画一つで、社会全体がぶっ壊れちまうとはなぁ。
勿論、それらはあくまでも要因でしかなく……この未来社会の秩序をぶっ壊してしまったのは、延々と続く精子の枯渇と、女性間にあった格差と、それらを原因とする社会全体への怨嗟、ではあるのだが。
とは言え、一度は世界をぶっ壊そうと考えた身としては、そんな下らないことで社会全体がぶっ壊れてしまうのは、どうにもこう……遣る瀬無いと言うか。
「何か、仰いましたか?」
「……いや、何でもない」
俺の呟きを耳にした最愛の正妻がこちらへとそう訊ねるものの、俺は静かに首を左右に振って応えたのだった。
それから、17分後。
俺がこの未来社会で暮らすこととなった切っ掛けだった都市……海中都市『スペーメ』の消滅が確認された。
現時点で地球圏の総人口の約半数が失われており、それでもなおこの混沌の時代はまだ終わる予兆すら見せていなかったのである。
次回、最終話