~ 加速する ~
我が海上都市『クリオネ』が海中都市『エンサム』を吸収合併してから、7日間が経過した。
その間にも、俺の都市人口は拡大を続け、既に12,000人くらいに膨れ上がっている。
これほど人口が一気に増加したのは、単純に海中都市と合併したお陰で居住可能領域が膨れ上がったから……事実、元海中都市『エンサム』の居住区は高さ制限すらなく、狭く密集していて居住環境にあまり配慮をした作りになっておらず、まるで20世紀半ばの日本で人口密集地に建てられた集合住宅を思わせる造りになっていた。
「居住区への電線網、修繕完了です。
空気清浄機関の修理も完了したため、これで居住区の問題はほぼ解決したと言えるでしょう。
これでまた2,000名の移住希望者を受け入れられます」
そんな海中都市の劣悪だった環境をたったの一週間でそれなりと言えるまで回復したのは、当然のことながら、ようやく俺の前で普通に喋れ始めた正妻リリスのお陰である。
この7日間、俺の思い付きによる海中都市が併合されることとなったばっかりに、彼女は仕事に忙殺され、殆ど寝ていない。
何故そんな過密労働が可能かと言うと、ご褒美すらぶっ飛ばしてナニをしてしまった所為で、例の残業制限のペナルティが実質的に無意味と化してしまい……我が優秀なる正妻は労働基準法をぶっちぎってやりたい放題に仕事をしているから、である。
尤も、そのお陰でそろそろ俺の前に出るだけで顔を真っ赤にする症状は薄れてきているようで……単に俺を意識する余裕がなくなっただけかもしれないが。
……こんな状況で、人生塞翁が馬の故事を再認識させられるとは思わなかった。
「……しかし、それでも希望者が絶えない、か」
一応、我が海上都市の空いているスペースは、海中部の劣悪な環境だと告知しているにも関わらず……BQCOを用いて仮想現実に入れば、その劣悪な住居環境を体感できるにも関わらず、居住希望者は後を絶たないのだから、俺たちが出来ることなどもう何一つないだろう。
個人的には、狭く密集させられて光すら当たらない、海中都市部分の劣悪な環境になど住む人はいないと予想していたのだが……
残念ながらこの未来社会での精子枯渇はそこまで致命的で……「子供を持てる」という誘惑は、その程度の逆境では挫けないほどに強烈らしい。
「警護官希望者も加速度的に増えております。
他の都市が壊滅しているので、やむを得ないところはあるでしょうが……どうも前回の降伏勧告が話題を呼んでいるようで」
「……ああ」
……そう。
正妻リリスが告げた通り、俺のあの降伏勧告は巷の女性たちには「魔王の誘惑」などと呼ばれ、非常に高い評価を受けていた。
特に、警護官の女性たちに、である。
何故ならば、この未来社会において……少なくともこの100年近くの間では、女性の忠誠なんて評価する男性は誰一人として存在していなかったのだ。
女性がそもそも信用をされていない証拠として、全身機械化された警護官が高い評価を受けているし、出来れば薬学的処置、最低でも電気的処置を施さなければ重用されない、という社会システムがある。
──尤も、そんな処置を受けていても、死ぬ気でやれば引き金くらいは引けるようだけど。
ここ数日で起こったテロリストによる都市崩壊の中には、テロリストの侵攻を防ぎ切れないと悟った警護官が男性と無理心中を図った、みたいなのも1件か2件存在していたのを考えると、どんなシステムでも万能ではあり得ない、ということなのだろう。
そもそもBQCOを使えば、地球圏全体の女性に対し「テロ自体を起こせない」ようにも出来る筈なのだが……流石に個人の自由意志を重んじる未来社会では、ここまでの混乱が起こってもそんなディストピア的処置は行えないようである。
「その所為か、都市崩壊が加速しております、ね」
「だからって、これ以上何をしろってんだ……」
仮想モニタを開きながら、リリスがそう告げた通り……この7日の間でも、あちこちの都市がテロリストによって落とされており、貴重な男性が更に失われる事態となっている。
これは確実に世界的な危機と言えるかもしれないが……残念ながらこれ以上、俺が行えることなど何一つありやしない。
そもそもの話、地球規模の問題を解消するのは連邦政府の仕事であるし……たとえ我が都市一つが警護官を雇うのも止めたとしても、移民を受け入れるのを止めたとしても……その場合、唯一の希望を失ったテロリストたちの怒りがただ俺たちの方へと向くだけなのだから。
──実際のところ、現状でもテロリストは日刊ペースで来てるんだよなぁ。
幸いにして我が海上都市『クリオネ』の防衛施設と警護官は十分な数が揃っており、もう生中なテロリスト如きでは警護官に犠牲者1人すら出すことも叶わない有様である。
「……しっかし、何故ここまでテロリストが出て来るんだ?」
俺の都市だけでもテロリスト騒ぎが毎日のように起こっているということは、それだけ処理された……射殺されたテロリストがいるということである。
当然、崩壊した都市に住んでいた住民や、市長を護るため犠牲になった警護官もいるだろうが……それは取りあえず置いておいて。
それほどの数のテロリストが、この地球圏のどこに存在しているというのだろう?
「……現在、都市に住める女性は、その、地球圏人口の、2割ほど、ですから」
そんな時、だった。
俺が頭の中に抱いていた疑問を察したのだろう、金髪碧眼の正妻は世界からテロリストが絶えない、これ以上ないほどの明確な理由を、はっきりと言葉にしていた。
──そう、か。
今まで俺は、地球圏内の女性はほぼ全員が都市内で暮らしていて、都市外に住む所謂『外民』とやらは1~3割ほどしかいないと仮定して考えていた。
これは21世紀の女性における生涯独身率が15%くらいだったことから、「それくらいは子供を産めない女性もいるんだろうなぁ」という固定観念が俺の中にあった所為だろう。
実際に今まで頭の中で計算していた都市人口の平均やら何やらも、「地球圏人口11億人全員が都市に住んでいると仮定して」の計算だった、気がする。
本当ならば、妊娠可能な年齢層にいる女性は非常に限定的であり……子宮交換手術などで、実際に妊娠可能な年齢は21世紀と比べて非常に幅広くなっているとは言え、それでも15歳~50歳くらいが限界ではないだろうか?
もしかすると、俺が最初に遭遇したテロリストが遺伝子手術痕により都市外へと追放された猫耳族だったことも、『外民』があまりいないだろうという認識の錯誤を助長したのかもしれない。
──だけど、違う、のか。
──こちらでは、都市に住める女性はまだ救われている側だった。
……そう。
男性に価値すら認められず、強姦魔のような存在としか思われず、それでも子供が欲しいが故に都市にしがみついて暮らしている女性たち……俺は彼女たちの存在を「報われない」「可哀想だ」とばかり考えていたが。
だけど、違ったのだ。
彼女たちは上位3割層に値する報われている側でしかなく、残る下方7割層の女性たちは、それ以下の生活を……都市にも住めない、禁忌とされる女性同士でしか子供を作れない、その上で、都市の生活を夢見ながら、都市に入るための税金も払えずに暮らしているのである。
「それは、テロに縋りたくなる、か」
「ええ。
残念ながら根本的な格差を解消しない限り、これからもテロは続くことでしょう」
俺の呟きに、我が正妻が言葉を続ける。
──根本的な格差、か。
この何もかもが豊かになった未来社会で、それでも格差が生じているのは……男性そのものが足りていないから、だ。
恐らく中世の頃の、食料や衣類すら足りていなかった時代のように、持つ者と持たざる者の間の確執は消すことなど叶わないだろう。
以前にも理解していたことではあるが……要するにこの未来社会では、人類はもう行き詰って滅びかかっているのだ。
そんな状況でも今までそれなりに社会秩序が保たれていたのは、精子の枯渇はもうどうしようもないと地球圏の女性全員が諦めていたからに過ぎない。
「俺が、引き金になった、か」
それでも。
それでも北極の海底に沈んでいた俺が……21世紀からの亡霊みたいな存在が現れたことで、ここまで秩序の崩壊が進んでいる事実に、俺は少しばかり考えてしまう。
……俺なんかが、目覚めなければ、と。
世界中の災厄を詰め込んだパンドラの箱の底に、最後に残っていたのは希望であり……希望こそが人々を破滅へと進ませる最も恐ろしい災厄だと、何かで見た記憶が俺の脳裏を過る。
「いえ、貴方はただの火種、でしょう。
社会全体に怨嗟が蔓延していたからこそ、小さな火種で燃え上がるのです。
……あなたの所為では、ありません」
だけど、そんな俺の内心すらも理解しているのか、我が最愛の正妻は微笑みながらそう告げ、俺を肯定してしまう。
意図せずとも、このまま行けば人類が半減してしまいそうな……そんな悲惨な事態の引き金となってしまった、この俺に。
──そう言えば、肝心の連邦政府はこの事態に対してどういう手を打つつもりなんだ?
ここまでの事態を放置したまま何もしないなんて流石にあり得ないだろうと、ただの好奇心から俺はBQCOを用いて検索をかけていた。
その結果として、その通達が目に入る。
「……海上都市『クリオネ』に対する武力制裁?」
2025/08/17 22:11確認時
総合評価 :14,902 pt
評価ポイント合計:8,678 pt
評価者数:983 人
ブックマーク:3,112 件
感想:378 件
レビュー:1 件
リアクション:7,198 件