~ 痕その2 ~
今までの人生で……40年程度の人生の中で実感として覚えている記憶は僅かしかないにしても、それでも誰かの顔を見てこれほどまでに安堵と愛おしさを覚えたのは人生で初めてではないだろうか。
そう感じられるほど、久々に……それでもたったの5日ぶりに見た我が正妻の存在感は圧倒的なモノがあった。
状況が状況でなければ、感極まって抱き着いていただろうほどの激情を何とか抑え込み、俺は金髪碧眼の少女のを真っ直ぐに見やる。
「……あ、ぁあ。
お、起きてすぐで済まないが、色々と仕事が溜まっているんだ。
何とか……して、欲しい」
色々と行き詰っていた俺は言葉を詰まらせながら、この状況をどう説明しようかと悩み悩みに悩んだ挙句、ただ頭を下げるという最も情けない手段を選ぶしかなかった。
一応、社会人をやっていた身としては、自分に出来る範囲と出来ない範囲との境界を弁えてはいて、頭を下げること自体に躊躇いはないのだけれど……それでも自分より遥か年下の少女に何も言えずに縋りつくことを恥だと思う程度の自尊心は残っていたのだ。
……だけど。
「はい、あなた。
お任せ下さい」
金髪碧眼の少女にとって、そんな男性からの無茶ぶりに応えるなんて、至極当然のことだったらしい。
彼女はすぐさま頭に手を当て……恐らくはBQCOを使って現在の状況を検索したのだろう、僅か5秒ほど動きを止めたかと思うと……
「……なるほど。
まず、第一案については、破棄する。
理由については、添付ファイルの通り、既に情報が各都市に出回り過ぎていて、今になって修正しても効果が薄いため」
すぐさまそう告げ……恐らく第一案というのは連邦政府が俺の精子量データ改竄を求めて来た件だろう。
真正面から政府の要求を蹴り飛ばしたのを聞いた俺としては、吐き気を催すほどの不安が腹の奥辺りから湧き上がって来るものの……優秀なる我が正妻は全く欠片も動揺している様子が見られなかったことから、恐らく正当な理由さえあれば大丈夫、なのだろう。
ちなみにではあるが、添付ファイルとやらを俺もBQCOで軽く閲覧させて貰ったが……俺の精子量データベースの閲覧数が35億回にも及んでいる、という説明データだった。
現在の地球圏の人口が10億ほどだから、この数値が正しければ全人口が3.5回もデータを閲覧した計算になり……確かに今さら修正したところで意味がないのは間違いないだろう。
「続いて第二案。
条件付きで賛同。
条件については、遺伝子全数調査結果を参照のこととするが、本案については協議が必要とするため、一時的に保留とする」
そうして俺が添付データの内容を頭の中で整理している間にも、我が正妻たるリリス嬢は、第二案……噂話の修正についての回答を仕上げていた。
こちらについては、地球圏の住民がBQCOを使って検索をかけた際、流れ込む情報群に僅かばかりの修正を加える形で対応するというもの、らしいのだが……協議が必要で保留とするその辺りが全く理解が及ばない。
っと、そうして俺がBQCO経由で頭の中に入って来た我が正妻の回答を理解しようと噛み砕いている間にも、優秀過ぎる金髪碧眼の我が正妻は、既に第三案に取り掛かっている。
「第三案について。
雇用の修正案については賛同……現在作成した修正案を添付する。
当三回答をもって連邦政府による強制執行の停止を求める」
すぐさま彼女が仕上げていた第三案についての回答は、これもまた理解しやすいモノだった。
彼女の想定していない事態となり、他の都市に迷惑がかかっているのだから、雇用条件について少しばかり妥協するのは当然だろう。
尤も、その修正案を僅か2秒で作成する辺り、やはりこの正妻は人間を超越しているとしか思えない。
──いや、そもそも本来は声に出して読み上げる必要すらないのか。
リリス嬢が先ほどから、回答案をわざわざ口に出して……要するに俺に聞こえるように解決していたのは、単純に俺が不安を抱いていたからこそ、その不安を解消するためにわざと声に出して、俺に分かりやすく解決していたに他ならない。
実のところ、彼女の処理能力があれば……声に出すこともなく、ただBQCOを使って処理していれば、全てがものの数秒の内に解決していたのではないだろうか?
そうして分かりやすく頑張って貰ったというのに、俺は彼女の回答を理解することすら叶わなかったのだから、地頭の出来が知れようというものだ。
──まぁ、11万人に一人の天才に敵わないのは仕方ないこと、か。
高すぎる処理能力の差を見せつけられた俺が、自分の脳みその出来を諦めている間にも……優秀過ぎる我が正妻は仕事を続けていた。
「……兵装全チェック……北東部に配備された電磁加速砲の摩耗が激しい。
北東部の3基について、上下2連装に改良を決定する。
加えて、海中からの侵入に備え、北東部湾岸、境界から500mにおけるアクアマテリアル層を2倍に増量、予算の概算確認……工事承認」
中空に向けてそう呟いている金髪碧眼の少女の姿は、恐らくBQCOの存在を知らなければただの電波を受信する系少女だろう。
しかしながら、彼女が現在やっているのはそんな生易しいモノではない。
瞬時にここ数日の戦闘記録とその結果を脳みそに叩き込んだ上で、AIでは処理し切れない責任を伴う判断を行っているのだ。
ちなみに必要もなく声に出しているのは……先ほど俺に政策を聞かせ安心させようとした名残だろうか?
もしかしたら、男に良いところを見せようなんて深層心理が働いている可能性もあるが……まぁ、その辺りに突っ込みを入れる程、俺は野暮でもない。
「公務従事者のバイタルチェック……一部警護官の過重労働が懸念。
……第二都市防衛隊について、3交代制を4交代にして人員を増強。
取り合えず、経験の有無を除外し、数を増やすような応募枠を15人ほど作成するよう計画を修正。
予算については、5年ほどは中央銀行からの起債で対応可能につき、問題なし」
彼女はそう呟いて……俺が何か声を挟むよりも前に、警護官について発生した問題に取り掛かっていた。
──確かに、問題になってたっけか。
北東部からのテロリストに備えるため、何度も何度も戦闘に投入される彼女たちを俺が不憫に思ったのは確かだったが……
我が優秀なる正妻様は、その不平不満の声……いや、声が上がる前の兆候を察し、すぐさま対策を取ったのだろう。
ちなみに、その解決策を耳にした時、「何故第一都市防衛隊と第二とを交代配備にしないのか?」という疑問を俺は抱いたのだが、BQCOによって即座に「第二都市警護隊は元海上都市『ペスルーナ』の人員であり、自都市を護る任務を譲る意志はない」という回答が得られた。
──そりゃ、まぁ、そうかもなぁ。
いくら合併したところで、故郷の守りは自分たちで行いたい……長年勤務していた警護官には、そんな矜持があるのだろう。
そうして俺が頷いている間にも、リリス嬢は次の仕事に取り掛かっている。
「次、対外関係について……合併の申請を申し出ている都市を確認。
海上都市『ニシン』と『クラゲ』については異議なし……移動・連結の費用をそちらで払うならばこちらが拒否する意思はない。
海中都市『ヒトデ』については、電力供給と治安について難があるため保留……解決案を提示するならば受け入れる。
衛星軌道都市『睾丸』と地上歩行都市『陰茎』は、そもそも都市の物理的併合すら不可能のため、却下とする」
次に挙がって来ていたのはどうやら合併申請で……海上都市『マンボウ』がそうだったように、市長の精子作成能力に限界を感じた都市はどうやら我が海上都市と合併しようと画策するらしい。
尤も……
──この二つは、まだ若い連中か?
都市の……というか、男子名の傾向を鑑みるに、衛星軌道都市の睾丸やら地上歩行都市の陰茎辺りは、俺とほぼ同年代の都市ではないだろうか?
──彼らは数少ない警護官が逃げ出したことと、直近で起こったテロリスト被害に危機を覚え、保身を目的としている。
俺のBQCOは即座にその解答を寄越してくれていて……いや、コレはどうやら正妻であるリリス嬢が即座に見破り、相手方に送り付けた解答から抜粋したもののようだったが。
当たり前の話ではあるが、BQCOを経由して調べた『実際の回答文』としては、しっかりと角が立たないよう「都市の基本構造が異なるため接続に多額の費用がかかるため、貴都市での費用捻出は困難であり……」などという、お断りのためのお題目を掲げていた訳だが。
「……相変わらず」
俺は次々と仕事をこなしていく優秀すぎて仕事中毒を発症している我が正妻の姿に、小さくそう呟くことしか出来なかったのだった。
2025/07/19 21:17確認時
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