~ 比率 ~
「……男の子が、生まれます」
慌てふためいて俺の部屋に入って来たかと思うと、世界の終わりが来たかのような表情を浮かべ、優秀なる我が正妻がそんな言葉を口にした時……俺の脳裏を過ったのは「ついに欲求不満で頭がおかしくなったかな?」という身も蓋もない感想だった。
直後、この未来社会は男子数が非常に少ない社会であると思い直し、自分の抱いた失礼な感想について心の中で謝ったが。
それは兎も角。
──まだ受精卵は250人弱だった筈なんだが……
この時代における男女比率は1:110,721……正確には死者も新生児も日に日に発生しており男女比なんて毎日のように変動していている筈なので、以前聞かされたこの数字と現在の数値とでは変わってしまっているだろうけれど。
まぁ、特に調べ直すつもりもないし、そこまで大きく変動する訳もないので、この数値はそのまま使わせてもらっている訳だが。
取り合えず、それほど凄まじい男女比率である以上、男の子が生まれる可能性なんて11万人に1人になる筈であり、今の時点で男の子が生まれると確定したのは、ある意味凄い確率を引き当てたことになり、我が正妻がこうして驚くのも無理はないのかもしれない。
──いや、それ以前に……
あの忌まわしい精通祭りからまだ十日は経過していない筈であり……翌日受精卵が出来たとしてもまだ9日間しか経っていない。
俺の知識が正しければ男女の性別が始まるのは4~5週後くらいだった何かで見た記憶があるのだが……
そんな俺の疑問に答えてくれたのは、やはりBQCOだった。
最近、この検索システムが都合良過ぎる所為で、もし過去に戻れたとしても全く日常生活が出来なくなるか、そうでなくても不便な検索システムに多大なストレスを溜め続ける毎日になってしまいそうな恐怖がある。
尤も、過去に戻れる技術なんてモノは、この未来社会にさえも存在していないのだが……
それは兎も角……
──性分化の第一段階は受精時に決まっている。
──直後に行われる染色体検査によって、男子か女子か、そして奇形・流産しないかを検査した後、子宮に着底させる工程へと移る。
……言われてみれば、その辺りのことを以前BQCOで検索した覚えがあった。
原因は不明ではあるが、XY染色体を有した受精卵であっても染色体異常が確認された場合、処分されるとのことだった、筈。
そんな理由によって男女比が凄まじく歪になっているのが、この未来社会の現実であって……だからこそ男子が渇望され、持ち上げられ、調子に乗っていると。
「……へぇ、運が良かった、のかな?」
とは言え、だからと言って男子が一人生まれる生まれない程度でそうそう騒いでいられる訳もない。
所詮、男女のどちらかになるかなんて、天に祈ってもどうにもならないということは、過去の権力者たちでさえよくよく思い知っている現実である……と、時代物の創作物に触れるとよく分かる。
受精卵作成行為時に女性を満足させたら男子が生まれる、なんて迷信も聞いたことがあったか。
もし、その説が事実だった場合、あの女児6人ばかりだった先輩の妻はどれだけ欲求不満を抱えていたんだろうっていう話になってきて……今となってはその先輩の顔も名前も思い出せない癖に、微妙な居た堪れなさを覚えてしまう。
閑話休題。
俺がそんなことを考えながら、適当に言葉を返し……それに対する我が正妻の反応は、俺の内心とは全く異なる、過激極まりない代物だった。
「そうじゃっ!
そうじゃありませんっ!」
そう叫びながら彼女は何やら手元で操作し……直後に俺の眼前で展開されていた色々と文字がたくさん描かれていた仮想モニタの、幾つかの文字が拡大される。
その段になってようやく俺はその仮想モニタに視線を移し……実のところ、視界には入っていたものの、文字と数字ばっかりだったので読もうという気力さえ湧かなかったのだが、そうして拡大してくれると意識は自然とそちらに向かうもので……
「あ~、受精卵作成数248、うち染色体異常による処分16。
着床時のロスは11個で5%弱……意外と低い、かな?」
取り合えず書かれている文字を読み上げつつ、眼前で尋常ならざる形相を浮かべている正妻に視線を移すものの、彼女はまだ満足した様子を見せていない。
要するに、この場所以外の書かれている文字が問題なのだろうと、俺は眼前の仮想モニタに視線を戻し、続きを読み上げる。
「着床受精卵数221の内、雄性体120、雌性体101……まぁ、こんなものかな?」
「こんなものじゃ、ないでしょうっ!
男女比1.00:0.83ですよっ!
こんな数値、数百年前でもなければあり得ませんっ!」
「……あぁ~」
先ほどまでの、ミニスカ鑑賞から引き剥がされたことへの未練もあったのだろう。
彼女が映し出していた仮想モニタを適当に読み上げていた俺は、自分が口にした言葉の意味をしっかりと理解しておらず……だからこそ彼女が何故声を荒げていたかに、その瞬間まで全く気付けなかった。
……いや、違う。
俺の感覚が未だに21世紀人だからこそ、新生児の男女比は1:1程度……いや、男子が少し多く生まれるという認識が根幹にあったからこそ、この重大問題の違和感に全く気付くことが出来なかったのだろう。
そして、少し考えてみれば分かることだ。
──俺は、600年前の……男女比率1:1の時代に生まれ付いた人間だ。
以前調べたこの未来社会の男女比率が歪になっている原因の一説に、「性決定のY染色体が脆弱化している所為である」というものがあったが……どうやらそれが真実じゃないかなぁと俺は直感していた。
何故ならば……600年前のY染色体を持つ精子を用いれば、子供は男女比約1:1で生まれることを……俺自身が図らずとも証明してしまったのだから。