~ 妊娠の結果 ~
ユーミカさんの自主退職……もとい、市長権限による強制的な人事異動の余波は、特に何も見られなかった。
警護官の長であるアルノーは何一つ不平不満を口に漏らさず、こちらに連絡を入れることすらなかったし、正妻であるリリス嬢ですら、俺に対して「先ほどの命令を受理しました」とBQCO経由の通信を入れてきただけである。
──別に彼女の仕事が大したものじゃなかった訳ではない、筈……
21世紀人としては、惜しまれずに退職というと非常に後ろ向きなイメージしか浮かばないのだが、この未来社会ではそうではないらしい。
いつも通りBQCOで検索したところによると、この超便利検索システムのお陰で仕事には引継ぎの必要性すらない、ようである。
いや、そもそもの話だが、「人間が責任を取る」以外の仕事なんてものは、この未来社会には存在していないのが実情なのだ。
例えば、ユーミカさんの異動先である上下水道局だと、上下水の管理は全てAIがこなしているし、異常が発生した際の対応もほぼ全自動で機械が行ってくれる。
人間の行うことと言えば、重大な異常が発生した際に修理プランを選ぶこと……いや、その選択の責任を取るためだけに存在し、もし何か問題があった時には責任者として頭を下げること、くらいである。
他にも、都市同士を連結する工事を見ていたので知っているが、公共工事すらこの時代では完全機械化されており……俺の仕事だった測量設計すらもドローンによる近距離撮影で3Dモデルを作成、AIが最良と思われる幾つかの設計パターンを作成、設計者はそれを選び、その責任を負うだけ、という有様なのだ。
流石に警護官はその身を挺して市長を護るという仕事があるから別格扱いではあるものの、役割分担やスケジュール等はBQCOで情報を伝達してしまえば事足りる。
……要するに、この未来社会では、くそ面倒くさい引継ぎなんて業務から人類はほぼ解放されているのである。
──これが、21世紀にもあれば、なぁ。
部署異動の時に非常に面倒臭かった記憶が浮かんで来た俺は、内心でそう嘆息せざるを得ない。
尤も、データ異動や顧客の情報交換、座席の移動が面倒だった思い出は浮かんで来ても、それが具体的にどんな内容だったのかは、俺の霞がかった記憶では引っ張り出すことすら叶わなかったが。
──ああ、もう一つだけ、人工知能ではこなせない仕事があるか……。
それが今現在、俺の目の前で起こっている。
「いやぁ、ユーミカさんが突然辞めるってさぁ。
聞いたら妊娠したって言うでしょ?」
「そりゃ、年齢考えたら文句は言えないけどさ。
でも、そういう裏口があるってのはちょっとって思う訳よ」
「……ずるい」
今、俺の頭上には、俺の部屋の上……正確には市庁舎の屋上仮想障壁に座りこみ、同僚の退職をねじ込んだ件について、不平不満を口にする三姉妹警護官たちの姿があった。
……そう。
人間関係だけは、的外れな苦情や一言さんからの文句は兎も角として、顔見知りとの関係調整だけは、この600年後の未来社会においても解放されていない仕事となっている。
──コイツらの言いたいことも分からなくはないが。
先ほど過去の引継ぎを思い出した所為で、それに付随する苛立ちもじわじわと思い出してしまった訳だが……人事の上から一方的に告げられ、有能な同僚を別部署に連れ去られてしまった人事異動には不平不満しか抱かなかったものだ。
しかしながら、BQCOで先ほど調べた「異動に伴う情報伝達のロスはほぼなくなっている」ことを知ってしまった俺からしてみると、彼女たちの愚痴は要するに「俺と接する口実を見つけただけ」でしかないと分かってしまうのだが。
「だからほら、私たちも孕ませてもらっても構わないと思うのよ」
「最初の子供が人工授精ってのも悲しいと思いませんか?」
「……いつでもオッケー」
ちなみにではあるが、彼女たちの発言はこの時代的に考えるとセクハラギリギリのグレーゾーン……ではなく、BQCOで検索してみると一発レッドどころか警護官退職レベルの爆弾発言のようだった。
尤も、21世紀規格の俺にとっては、この程度の発言だとセクハラだとすら思えない訳で……未来社会の男子共は一体どれだけ甘やかされているのやら。
「……間に合ってる」
彼女たちの発言をセクハラと思わないからと言って、しっかり対応するかと言われるとそんな義務なんぞ俺にある訳もなく、
俺は彼女たちの方を振り向きもせず、そう適当に答える。
実際のところ、俺が彼女たちに視線を向ける価値すらも感じていないかというと、そうではなく。
部屋の仮想障壁は可視化している所為で、俺が視線を向けるだけで彼女たちのスカートの中身は覗き放題という状況であり……だからこそ、俺は今あまり上を見上げたくはないのだ。
……下着が見たくない訳ではない。
下着を注視していることに気付かれて、恋人の座が予約されていると思い込んでいる彼女たちを調子づかせるのが鬱陶しいのである。
──間に合っているのは事実なんだけどな。
今、ふと思い付いてBQCOによる検索をかけたのだが、ユーミカさんの卵子は俺の精子と受精して、今分裂開始を待っている状況ではあるが……この時点で受精卵は248個存在している、らしい。
ざっと250と仮定し、子宮着床のロス率30%を考慮しても、未来の海上都市『クリオネ』上に俺の子供が175人も存在することとなる。
遺伝子提供者としては冷たい話かもしれないが……そう具体的な数字を言われたところで、それらが自分の子供という認識すら持てやしない。
「そもそも、お前たちは妊娠したいのか?
なら、協議次第では……」
彼女たちが恋人候補として扱われていて、警護官としてはあまり役に立っていない事実を知っている俺は、彼女たちの境遇があまりよろしくないことを危惧し、そう訊ねてみることにした。
尤も……
「ん~、仕事辞められるならそれも良いんだけど……3年くらいの休暇じゃちょっと」
「確実に男の子授かるなら兎も角、ねぇ?」
「……今の方が、マシ」
まだ若い……そこまで切羽詰まっていない女性の意見としては、そのような感じに落ち着くらしい。
この海上都市『クリオネ』が精子量に逼迫していないという状況を知っている上での判断なのだろうけれども。
──いや、違うか。
タマの口にした「今の方がマシ」と発言した時、こちらに視線をチラッと向けて来たのを見ると、アレは「恋人になる可能性がある現状の方が未来に期待できる」という意味の発言だったと思われる。
正直、彼女たちを積極的に恋人にしようとは思っていないのだが……まぁ、その辺りは臨機応変に進めていこうというが、美少女から好かれた経験なんてなかった俺の、優柔不断な対応だったりする。
──しかし、今日の下着は黒で揃えているのか……。
ちなみに俺は、一切上を見ていない。
なのに、先補のタマの視線の向きから、彼女たち三姉妹の下着の色まで把握している。
これは単純に、俺の眼前に展開した不可視モードの仮想モニタによって「間接的に上を見ている」という単純極まりない種明かしがあり……
結局のところ、復活した性欲に起因しているだろう性的な好奇心にこうして抗えていないからこそ、俺はトリー・ヒヨ・タマ三姉妹の一方的に告げられた恋人入りを否定し切れないのである。