~ 妊娠その3 ~
俺が抱いた「受精卵をわざわざ胎内へ戻す」というこの未来社会の妊娠制度の不合理さへの答えは、BQCOによってわずかコンマ数秒で脳裏へと送り届けられていた。
──うわぁ。
突如として脳裏に送られてきた凄惨な事件の概要に、俺はポーカーフェイスを保つだけで精一杯だった。
それらの事件を大きくまとめると三つ。
──一つは、受精卵強奪事件。
現在の、受精卵を母体に戻す仕組みが作られる以前のことだ。
母体から摘出された卵子は精子と結合して受精卵となり染色体検査を行った時点で男女どちらかになるのかは決定している訳だが……人工子宮から母体に戻す戻さないの選択前の段階において、男児となることが決定している受精卵は当然のことながら厳重な警護下に置かれることとなる。
だけど、それ以外……通常よりも生育に労力を要する、染色体異常とは言わないものの20世紀だと未熟児などと言われていただろう運命を背負った受精卵も、それなりに特殊な人工子宮に送られ、培養されるのだ。
基本、この受精卵は母体に戻しても子宮に定着する可能性は低く、人工子宮で生まれて来ることが多いのだが……
それを見たとある女性が、男児が生まれる受精卵であると勘違いし……そして、通常より少しマシな女子の受精卵の管理体制でしかないソレに、要するに管理の甘さに、魔が刺した、のだろう。
──集団で人工子宮工場を襲撃、と。
当時は医療課が男子の自宅内にない……まだ男女比率が今ほど絶望的にはなっておらず、全体的に警備が甘い時代だったこともあり、彼女たちの襲撃は成功してしまう。
尤も、そうして衝動的に襲撃するような女性たちに受精卵を子宮に定着させる手術ができる筈もなく……首謀者の射殺が確認された時点で、彼女は自らの膣内にただ受精卵を突っ込んだだけで、肝心の受精卵を腐らせていたというオチがつくのだが。
かくして各地で頻発した同様の集団ヒステリーによると思われる暴動事件……語源が古代ギリシア語の子宮から来ている辺り、文字通りの事件ではあるが、兎に角それらの事件の所為で、医療課は男子に次ぐレベルでの警護が必要となり……男子の部屋の下の階に配置されている、という歴史的経緯があった訳だ。
──二つ目に、母親の育児放棄。
これも考えればよく分かる。
無痛分娩は母の愛情を云々という精神論ではなく、現実問題として自分の胎内から出て来ていない子供を、母親は愛せない……いや、愛そうとしない傾向が若干強まる、と表現する方が正しい、らしいが。
兎も角、この未来社会においても育児をしないと子供は簡単に死んでしまう。
知識の伝授そのものはBQCOによって瞬時に出来たとしても、そして生活に必要な栄養素をBQCO経由のボタン一つで簡単に摂取出来たとしても……それらを活用する知性そのものが発達する6歳くらいまでは、手助けなく子供が生存できる可能性は非常に低くなる。
尤も、子供の健康状態もBQCO経由で監視されているため、21世紀の育児放棄に比べると、餓死や栄養失調になる子供は非常に少ないのだが……だからこそ、母親は子供に意識を向けず、仮想現実内のゲームや食事、性的快楽など、様々な趣味に没頭し。
趣味を断ち切って現実に返そうとする子供を憎み、叩き壊す親が非常に多かった、と俺のBQCOは見たくもない過去の歴史を教えてくれる。
──三つ目に、子供の存在意義確立のため、か。
まぁ、この三つめについては、未来社会においても諸説あるようではあるが……要約すると、乳幼児期に「親がいる」という事実こそが、子供の自我確率と将来のために必要、という観察論文がある、らしい。
と言っても、その論文は社会実験のように狙って引き起こした訳ではなく、衛星軌道上の輸送船事故の結果でしかないのだが。
その論文とは簡単に言うと、事故によって乳児期に親という存在から引き離され、BQCOと栄養補給システムだけで成長した子供が、救助された後社会に馴染めず……彼女らの犯罪率は他の子どもと比較して数倍を記録した、というものである。
勿論、これは環境が異常に劣悪であったため社会実験の代用として扱うのは不適切であるという声もあるとのことだ。
「……それらの結論として、受精卵は子宮内で育てることを推奨する、か」
何と言うか、21世紀的なSF観としては、ずらっと並んだ試験官の中で胎児が育っているイメージが強いのだが……社会情勢的に積極的に人口を増やしたい訳でもない以上、そんなディストピア繁殖みたいなことは必要ない、らしい。
むしろ、男性が極小化して精子が集まらない以上、受精卵もそれなりに貴重であって、無駄に育てる訳にもいかず……無駄にするどころか、ちゃんと育てられる数すら足りてないのが実情、のようだが。
そうして子宮での育児を推奨するため、『一夜の夢』なんて制度を活用し、女性が自分から出産するように仕向けているのだろう。
未来社会になって個人の自由は非常に尊重されているようで、政府も政策を強制せず個々人の自己判断に任せて……いや、自由意志を尊重していると見せかけて、その実、利益を見せつけてそちらに誘導しようとする意図が見え見えになってしまっているが。
「ああ、BQCOを使われたのですね。
そうです、ですから……」
俺の独り言に気付いたのか、ユーミカさんがそう頷き……ふととある事実に気付いたかのように顔を赤く染め始める。
……そう。
自分の口でわざわざ妊娠と生殖を説明しなくても、BQCOで検索すれば一発で終わったことに、今さらながらに気が付いたのだろう。
──終わり、か。
BQCOで検索していたのがバレてしまった以上、彼女の口からの説明を受けることはもう無理だろう。
恥じらう女性からエロい解説を聞くという、個人的な嗜好品が終わってしまったのを察し、俺は彼女にバレないように小さく嘆息する。
さて、彼女が我に返ったら、本格的に彼女の希望を叶えるための話し合いをしなければならないだろう。
実のところ、妊娠という代物は俺にとっては敷居が非常に高く……若干意図的に話題を逸らしていた感は否めないものの。
それでも、彼女がそれを希望している以上、避けては通れないのだから。
「……一応、確認しておくが、本当に妊娠するつもりがあるんだな?」
「……え、ぁ、あぇ……は、はい。
それは、間違いなくっ!」
溜息を一つ吐いて、ようやく覚悟を決めた俺の声に、ユーミカさんは少しばかり戸惑っていたものの、すぐさま大きく頷いて見せる。
年齢のこともあるのだろうが、彼女の意思は固いらしく……俺は最年長の警護官と視線を合わせた時点で彼女の説得を諦め、BQCOを起動する。
──市長権限ってやっぱ大きいよなぁ。
BQCOで少し考えるだけで。彼女の妊娠手続、警護官の解雇と下水道管理員への雇用が何の遅延もなく決定されるのだ。
警護官の上司であるアルノーの確認も、その上である我が正妻リリス嬢の確認すらも不要であり、勿論上下水道局の方への確認すらなく問答無用でねじ込めるのだから、凄まじいものである。
21世紀でこんな人事をしようものなら……まぁ、社長命令ならこれくらいの無茶な人事も可能、というか普通だった気はするが……まぁ、その結果苦労するのはいつも下っ端と中間管理職になる訳で。
そうして最終確認を行う段になって、BQCOに注意事項を見つけた俺は、それについて彼女へと問いかける。
「そう言えば、まだ染色体の全数確認が終わってないとか言ってたな。
その辺りは大丈夫なのか?」
「え、ああ。
精通直後の精子を用いる場合の確認ですね。
勿論、問題ありません……何があろうと、こんな機会なんてもう私にはないと思いますので」
あの変なお祭りの最中でリリス嬢が口にしていたものの、誰も気にしている様子がなかったことから、恐らく「コンビニでお酒を買う時の年齢確認」みたいな行為なんだろうな、程度の感覚で俺はその確認を口にし……事実、ユーミカさん自身もそう気にした様子もなく頷いて見せる。
その頷きを目にした俺は、BQCOで先ほどの市長命令を下し……
「ありがとうございます、市長。
今後も貴方に忠誠を誓います」
「……大げさな。
まぁ、また何か食べる時にでも」
俺は彼女のそんな大げさな言葉を適当に聞き流しながら、そう軽く笑ってみせる。
そうして、我が最初期に雇った警護官であり飯友達でもあったユーミカさんは、俺の遺伝子によって妊娠することとなったのだった。