~ 都市計画の見直しその2 ~
「そして、その人口の最大値ですが、同年代の基本的な男性の精子量が一回射精辺り300万と出ております。
この精子を用いて一度に妊娠できる子供の算出式ですが、BQCOで検索したところによると、使用されるまでの採取・保存によるロス率が50%、精子の個別調査と染色体シミュレーションによって分裂出来ない、子供に障害が発生する精子を事前に排除により、そこから5%が厳選されます。
一人を妊娠させるのに用いる精子は凡そ500を用いるとのことですが、それでも安定する卵子は70%程度です。
結果として一度の射精で妊娠可能な女性は、凡そ100人程度なのが実情です」
とっくに俺の理解を超越しているにもかかわらず、我が正妻の言葉はつらつらと続いている。
実際のところ、彼女の言葉なんて半分以上BGMとなっている訳ではあるが……測量屋として色々と計算をしていた所為かふと数式が気になったので、聞き流すついでに頭の中で計算してみることとした。
──まず、基本精子が300万で、ロス率は半分……150万。
このロス率が高いか低いかはさっぱり理解できないものの……空気に触れるだけで死ぬ精子をすぐさま保存できる訳ではない以上、ある程度は仕方ないのだろう。
採取器目掛けて直接射精すればそれなりにロス率を減らせるとは思うのだが……まぁ、精液提供を嫌がっている男子連中を見る限り、とても女性を喜ばせる行為には協力するとは思えず……恐らくそこまでおかしくない数字が挙げられていると推測される。
──んで、事前の精子調査で95%減、か。
明らかにこの段階のロスが大き過ぎると思うのは、俺が未だこの未来社会に慣れ切っていないから、だろうか?
そう考えた俺が、計算と同時にBQCOで検索したところによると、ここ数百年で染色体へのダメージは深刻化しており……特にY染色体と呼ばれる性発現遺伝子を含む部位が致命的打撃を受けているようだった。
──だからと言って、染色体異常を無視はできない、か。
Y染色体は男性にしか存在しない……俺の知識が正しければ、女性がXXで男性がXY、男女間で半分ずつ分けて子供を作る方式だった筈なので、このY染色体そのものが致命的に損傷している現状では、染色体異常を持つ男性の遺伝子で生まれた男の子は必ず染色体異常を引き継いでしまう。
だからこそ、子供に致命的な遺伝を引き継いでしまう『破損したY染色体』は確実に除去する必要があり……それ故に、この段階で非常に多くの精子が弾かれる訳だ。
──そして当然のようにX染色体の方も無事ではなく。
──だから、95%も弾かれてしまう、と。
俺が冷凍保存されている600年の間に一体何があったなんて詳しくは分からないし、そもそも原因が分かっているならば、この未来社会はこんなアホみたいな男女比に行きついていない。
前に調べた時は、三度目・四度目の世界大戦で使用された核兵器による放射線による説、放射性物質分解のために各地にばら撒かれたバクテリアの原因説、数々の疫病を克服するためのワクチン原因説、BQCO原因説、地球外旅行が頻繁に行われたことによる宇宙線説、大宇宙の大いなる意思説、一時期に流行った都合の良い合成人類に溺れて男女間の生殖行為が激減した結果淘汰が発生した説、ガイアの意思説等々……色々と学説はあるようだったが。
ともあれ、この染色体異常を弾く段階で使用できる精子は75,000にまで減少し……そこから一度に使用される精子の数が500だから、受精卵が150。
ついでにそこから母体に定着する確率が7割で……おおよそ105人の子供が生まれる、と。
計算自体は間違っていないし……ここから受精卵数を増やすための方策なんて、俺の頭脳でちょこっと考えたところで浮かぶ筈もない。
染色体を切り刻んで破損した遺伝子を放棄……要するに、遺伝子を組み替えて都合の良い部位ばかりを使えば解決しそうな気がするものの……その遺伝子操作技術で産まれた遺伝子調整人類は、何故か三世代後に遺伝子異常により奇形ばかりとなる運命にある。
その運命に翻弄された被害者……猫耳族の起こしたテロ事件は未だに俺の脳裏に焼き付いている。
「……が週に1度程度と聞いておりますので、年間に生まれる子供の数は一つの都市で5,000人ほどとなるでしょう。
更に、男性の精子提供可能な年数は凡そ50年間とされているのを考えると、一つの都市で稼げる人口は凡そ12万人という計算となります。
勿論、出産された子供全員が大人になる訳ではなく、科学の発展と共に子供の死亡率は減少しましたが、どうしても自殺や事故死などは防ぎ切れず、市長も常に50年間の精子提供が可能ではありません。
結局のところ……現在は地球上の人口を何とか維持するのが限界というのが中央政府の算出した人口動態シミュレーションです」
「……ん?」
俺が要らぬことを考えている間にも、我が優秀なる正妻様が何らかの重要な情報を口にした、ような気がした。
だけど、彼女の口から早口で延々と垂れ流された数式は、眼前の仮想モニタと連動して次から次へと流れており、俺にはもう何を聞き逃したかすら分からず、聞き返すという選択肢すら手元にはない。
せめてもの情けで、聞いているふりを装うことが精一杯である。
「この数式から子育ての期間である10年間を逆算すると、都市の人口は凡そ5万人が限界、となります。
勿論、常に子育てを10年行い、その間に第二子を儲けないという仮定に基づく算出ですので、多少の前後はあってもおかしくありません。
これは正妻が学ぶ都市作成マニュアルに載っている基本的な計算式となります」
そう告げられた段階で、俺はようやく軽く微笑むことが出来た。
俺の実年齢の半分以下である筈のリリス嬢が長々とさっぱり理解不能な数式を語ってくれた内容が、実は教科書を読み上げただけであり……ようやくこの眼前の天上人のように思えた才色兼備の正妻が、俺とそう大差ない人間だと認識出来たから、である。
現実問題として、年齢差に加えて容姿の差、才能の差まで突き付けられ……ただ男性であるだけで彼女と同等、それよりも上の立場に立っている現状を考えると、劣等感を覚えてしまうのは仕方のないことである。
そんな彼女が見せた「教科書を読み上げただけ」というちょっとした隙が、僅かに俺の気を楽にしてくれたのだ。
「ですので、あなたの精子検査の結果を基に計算を行うと……」
そこから先の計算は、俺でもまぁ、何となくは理解できる。
凡例の男性の精子量が300万……俺のは2億である。
その比率、凡そ66倍。
単純計算をするだけで、都市人口の目標値が5万×66で330万人。
21世紀の日本においてそれが大体どれくらいの人口かは全く覚えていないので比較対象すら出来ないが。
「……ははっ」
それだけの人口が、「俺の子供を求めて集まっている」という事実に、俺は全く現実感のないまま、渇いた笑いを吐き出すことしか出来なかったのだった。