～ 歓びの歌 ～
その日、目を覚ました俺が最初に思ったことは、「どうやってこの不快な下着を洗おう？」という当たり前の疑問だった。
21世紀男子としては当たり前の話なのだが、この股間の不快さ……夢精なんてものを数十年ぶりに味わった場合、まず考えるのは証拠隠滅だろう。
寝起きだったこともあり、俺はそのままBQCOを経由して微細泡浴を起動……最近になってようやく慣れて来た「室内で服ごと身体を洗う」という行動を選択する。
……だけど。
──エラー、だと？
BQCO経由で返って来るメッセージは、微細泡浴が実行できないという冷酷無比な現実を突き付けて来る。
何かの間違いだと思い、BQCO経由で再度起動してみたところ、やはり結果は同じだった。
「……何で、だ？」
身体の洗浄が出来ないという結論に納得できない俺はそう呟き、何とかして下着の不快感を消そうと考えるものの……解決案が全く浮かばない。
これも技術に慣れ切ってしまった未来人特有の悩みなのだろう。
21世紀では当たり前のように行っていた、替えの下着を取り出して濡れた下着を洗濯機もしくは洗面台で洗う……その通常のプロセスすら思い出すのに約100秒もの時間を浪費してしまったのだから。
──慣れって怖いなぁ。
便利さに慣れ過ぎた弊害を今さらながらに感じ、俺はそう溜息を吐き出しながら、パンツを脱ぎ捨て……上手く濡れた側が下に向かないようして、パンツを放棄、ベッドの横にあるクローゼットから新しいパンツを取り出して足を通す。
本当ならば放出後の股間も洗浄したいところなのだが……何故かエラーが起こる以上、仕方ない。
そうして下半身パン１のまま、夢精について一応は解決したと判断した俺は、脱ぎ散らかしたままの下着を眺め……
「……コレを、どうやって処分する？」
……そう呟きを零す。
ベッドに寝転がりながら微細泡浴が可能で、服のみの洗浄はクローゼットの中に置いておけば全自動で完了、手を洗うにも洗面台そのものがない未来社会において、パンツを手動で洗う状況そのものがあり得ないのだ。
全自動故の不便、というヤツだろうか。
今の俺は「洗いたいものを個別に、手動で洗うこと自体を文明そのものが想定していない」という訳の分からない事態に遭遇していた。
そうしてパンツの端っこを指で摘み、何処へ持っていこうかと悩み続け、ただ立ち尽くすこと15秒間。
困った俺は、取りあえず未来人らしい行動を……要するにBQCOで検索することにしたのだ。
他に手が思い浮かばなかっただけ、とも言うが。
──精通、パンツ、処分っと。
出て来た検索結果の候補が、ほぼ女性側のエロ後の賢者モードっぽい代物だったのは置いておいて……
そういう今不要なエロ系情報を除外すれば、欲しい結果はすぐさま出て来てくれた。
──精子検査のため、提出義務、なぁ。
どうやら精通直後の精子については、洗面台で洗うのではなくこのままクローゼットに投棄するだけで、後は全自動で精子の検査を行ってくれる、らしい。
精子量から活動量、染色体異常等々、検査項目が色々あるということではあるが……まぁ、男にとって出した後の精子なんざ何かの価値が見いだせる訳もなく……俺は適当にその検索結果の知識を振り払うと、さっさとパンツをクローゼットに投棄した。
「……はぁ、これで終わり、と」
そうしてパンツを新たにして大きく溜息を吐き出し……何となく喉が渇いたので、BQCO経由でコーヒーを淹れ、一口飲み干したところでようやく脳みそが働き始めた。
「……ぁああ」
夢精という形だったとは言え、この変わり果てた俺の身体でも精子を作成できたという事実を認識し終えた俺の口がまず最初に発したのは、そんな大きな安堵の溜息だった。
「ああああああああああああああああああああああっ！」
次に出て来たのは安堵が大きく零れ出たかのような叫びである。
無理なものはどうしようと仕方ないと頭の中では考えていたとしても、精子が出ない、男性機能が働かないという事実は、俺の男性としての矜持を大きく棄損していたようで。
だからこそ、男性機能が元に戻ったという事実は……記憶の片隅に薄っすらとある、冷凍保存前の俺のナニとはかなり縮小化していたとしても、叫んでしまうほどの安堵をもたらしてくれたのだ。
ついでに言うと、これでヒモじゃなくなる、という事実も大きかったのだろう。
この未来社会では基本、男性は労働なんて高ストレスの苦行は許可されておらず、ただ精子を吐き出すだけの道具と化している。
その身分に多少物申したいところはあるものの、それでも今の俺はある意味で飯の種を……言うなれば就職試験に受かったようなものである。
今後、この海上都市の、最も大きなビルの、最上階の部屋から追い出されない……そんな安堵も大きかった。
「ぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ！」
そして、全ての安堵感を声として吐き出した後、湧いてきたのは歓喜の叫びだった。
ヒモの危機とか就職試験とか矜持とか……そんな頭の中でこねくり回したような理屈ではなく、『男としての存在価値そのもの』を自分がようやく認めることが出来たというか。
よく冗談で、「男のナニは第二の脳である」とか「男の本体はアレの方である」みたいなネタを聞くことがあったが……こうしてブツが使用できるかどうかの瀬戸際に立たされてみると分かる。
──アレは、冗談なんかじゃなかった。
それほどまでに、男という存在にとって下半身が使用できるかどうかは……男としての存在意義そのものだったのだと実感できる。
そうして下半身パン一で両手を天に向け、身体をのけぞらせる太陽礼賛のポーズ……某ゲームよりはヨガ寄りの恰好をして、安堵と歓喜に身体を震わせていたその時だった。
「あ、ああ、あなた？
規定値以上のデシベル値をした、すさまじい叫びがあったとBQCOから報告があったのですが……」
さっきから放ち続けた一連の叫びがダメだったのだろう……恐らく、ストレスに弱い品種と成り下がってしまった男性が、発狂して自傷するのを防ぐためのシステムと思われるが、その所為で我が正妻であるリリス嬢が俺の部屋へと入って来てしまったのだ。
繰り返すが、俺は上半身はシャツ一枚、下半身はパンツ一枚という、この時代の女性から見れば扇情極まりない格好で、両手を天に掲げて上半身をのけぞらせていたのだ。
彼女は何故かセーラー服を身にまとっていて……恐らく21世紀のAVリスペクト文化がこんなところにも根付いている所為だろうが、まぁ、今はそれどころではない。
「……おふっ」
結局のところ、彼女にとって何がダメだったのかは分からない。
ただ……俺の姿を見た瞬間、我が正妻たるリリス嬢はそんな小さな悲鳴を零したかと思うと、身体中から力を抜いてその場に崩れ落ちてしまったのだった。
2024/11/18 17：55予約時
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