~ 理想郷の噂 ~
「……つっ」
恐ろしい迫力で迫りくる拳を額で受ける。
頭部に凄まじい衝撃が走るものの、これで相手の右手を潰すことが出来……関節技への警戒を緩めることが出来る。
そう考えた俺は、計画通りに戦闘が進んでいることにほくそ笑みながらも、前傾姿勢を取って全力で前に踏み込んだ。
……いや、踏み込もうとした。
「……ぁ?」
だけど、俺が大地を蹴ったと思い動かした右足はただ中空を蹴っただけであり……お情け程度に地面の床材表面を空気中に撹拌する。
──脳震盪。
眼前の相手が放った右拳の威力が俺の想定をはるかに超えていた所為で、額で受けた俺自身の脳みそ……いや、恐らくは仮想空間で使用するこの戦闘用義体に使われている耐衝撃樹脂で固めた戦闘用培養脳の、頑丈な三半規管に相当するだろう部分が狂ってしまったのだろう。
そして、当然のことながら眼前の凶悪な拳の持ち主……HN『ジャバウォック004』がその隙を見逃す筈もない。
「阿呆がっ!
拳はもう一つあるんだよぉっ!」
その言葉と共に訪れた凄まじい衝撃によって、俺の意識は暗闇の中へと……落ちて、いかなかった。
──あ?
──生きて、る、だと?
ふと気付けば空を……いや、戦闘ステージだったスペースコロニーが円筒形をしている関係上、上空にあるのは対岸側の街並みでしかないが、それらを視界に収めながら、大の字で寝転んでいるらしき自分に気付いた俺は、声に出すことなくそう呟く。
──今、俺は、物理的処置済みの全身機械化警護官の体験ゲームをやっていて。
──直撃を受けたのは、胸骨中央。
──いくら頑丈な部位とは言え、あれだけ無防備に食らってしまえば……
ぐらぐらと歪む視界に映る対岸側の街並みを何とはなしに眺めながら、一瞬吹っ飛んだ記憶を思い返し、今自分の置かれた状況を思い出した俺は……義体が被ったダメージが閾値を超えたとして、ゲームサーバーによって意識がシャットアウトされてない今の状況に疑問を覚えるばかりだった。
何しろ相手は『ジャバウォック004』。
機体性能をパンチ力に全て割り振った凶悪極まりない対戦相手であり、その勝率はこのゲームを未だにやってるヘビーユーザー内でもトップクラス……とは言わないが、伊達に「調子の良い時は最強」と呼ばれていない。
肥大化された利き手である右手は額で受けてぶっ壊した筈だから、先ほど胸に食らったのは普通の左手を使った普通の一撃……の筈もなく、恐らくはパイルバンカーのような、隠していた何らかの切り札を用いた必殺の一撃だったのだろう。
それを知らなかった俺は右手を潰したことで勝利を確信して突っ込み……無防備にその一撃を食らったことになる。
……要するに、一切の言い訳の通じない完全な敗北というヤツだ。
ちなみに余談ではあるが、彼女たちの中で強さをランキングすると、桁違いの技量を誇る『トランプクィーン』が頭一つ飛び出す最強、次点で常に安定した勝率の『ナイト』、次いで調子に左右される『ジャバウォック004』が来て、機動力が飛び抜けている『白兎』はステージに勝率が影響されてブービー……言いたくはないが、この俺『クリ坊』が最下位となっている。
……閑話休題。
兎も角、そんな全てを叩き潰すよう機体をチューンした破壊力馬鹿の、しかも切り札であろう一撃を無防備に食らってまだ意識があること自体、あり得ないのだ。
──手加減、された?
──いや、恐らくは……
たかがゲームで相手に慈悲をかける必要なんてなく……つまりは彼女が俺に用事がある、ということなのだろう。
そして、当然のことながら意識があるからと言って身体が動くかと言えばそうではなく……絶妙な力加減によって運動中枢である脊椎部位が完全にぶっ壊されてしまっているから反撃の余地なんざ欠片ものこされていないのだが。
「……くそったれ」
四肢の動作チェックをして反撃の芽が一切ないことに気付いた俺は、全身の……と言ってもゲーム内の義体だが、機械仕掛けの身体から力を抜く。
そして……俺の予想は正しかったようで、今まで一度たりともゲーム中に戦い以外の会話を交わしたことのなかった『ジャバウォック004』が俺へと無造作に近づいてきた。
「な、なぁ。
な、生殺しで悪いが……ち、ちょっと聞きたいことがあって、な」
戦闘時以外では……アドレナリンだか何だかが分泌しまくってハイになった時以外では初めて話しかけられた訳だが、この破壊力の権化みたいな女はどうやら少々内向的な感じらしい。
何故こんな感じの女性がこんな攻撃力全振りチューンをしているのだと小一時間問い詰めたい衝動に駆られはしたが、まぁ、ゲームなんてそういうものだと納得し、彼女の言葉の口にした「聞きたいこと」とやらの続きを目だけで促す。
「あ、ああ、理想郷って知ってるか?
い、今ゲーマーの天国って、話題になってる、らしいんだが」
「……何だ、そりゃ?」
『ジャバウォック004』が絞り出すような声で訊ねて来たその問いは、俺としては全く心当たりがなく……そっけなくそう言葉を返すことしか出来なかった。
実のところ、BQCOを使って検索をして心当たりを探すくらいは大した手間でもなかったのだが……生憎とゲームに負けて指一つ動けない瀕死の状態で据え置かれている最中に、しかもそれをやらかしてくれた相手に、そこまでしてやる義務もない。
……たとえその検索が、指先一つの手間さえもかからないとしても、である。
「あ、ああ、すまない。
い、い、移住するしないの話が、その、最近、話題に上がってて、な。
し、知っていれば、と、思った、ん、だが」
動けない俺がそっけない言葉を返したから、だろうか?
異形の義体を操る彼女は、何処となく申し訳なさそうな声でそう言い訳を口にし始めていた。
人様を平気でぶん殴れる癖に、ちょいと気分を害した様子を見せた程度でこの反応は何なんだと思いつつ……自分もネトゲ―やっていた昔はそんなところがあったなぁと相変わらず朧げな記憶を辿る。
生憎といつもの通り、自分が思い出そうと考えた昔の具体的なことなんて、一切記憶に浮かぶことはなかったのだが……
「……あ」
その記憶を辿る行為が引き金になったのか、代わりに全然違うことを思い出してしまった俺は、思わずそんな呟きを零してしまう。
「な、なんだっ?
何か心当たりがっ?」
そんな俺の反応を勘違いしたらしく、『ジャバウォック004』が何の警戒もなく、俺が呟く一言一句を聞き逃すまいとその異形の義体を近寄らせてきた。
俺は唯一自由に動く表情筋……この警護官用の義体も護衛対象を安心させるためか外観を人間に取り繕うくらいのことはしていて、そのお陰でこうして安心させるような笑みを浮かべることが出来た訳だが。
微笑むという行為は人間の警戒心を解くという意味で、実に有用なのだろう。
少なくともほんの百秒ちょっと前まで殺し合っていた対戦相手が、俺の口元近くまでその顔を寄せて来たのだから。
その直後、俺は奥歯を全力で噛みしめる。
ソレは、『自爆は浪漫』という信念を持つ俺が当然のように仕込んでいた、この義体のエネルギータンクを暴走させる装置である。
「俺のケツ穴にキスしやがれ、売春婦っ!」
それが、俺の残した最後の一言だった。
直後、俺の義体は『ジャバウォック004』どころか警護対象である男性も……正直、対戦ばかりしていて自分でもよく忘れてしまうのだが、このゲームは一応、「物理的処置済みの全身機械化警護官の体験ゲーム」である、念のため……そして襲撃者であるテロリスト、彼女たちと戦っていた人数合わせのAI警護官さえも吹き飛ばし……
俺は初めて使う自爆装置と、映画では何度も聞いていたけれど人生で使う機会がなかった言葉を使えて満足したまあ、その日のゲームを終えたのだった。