~ 男子登録 ~
「兎に角、男女比が極端に偏ってしまった現代では、なるべく人口を減らせないためにも母親に独占されることなく男性が自由に暮らせる環境が必要でした。
それに加えて、育児や受精を含め、自分の子供に遺伝子を提供した相手である殿方と出来るだけ近い場所に……同じ都市に住むのを望む女性が多いので、女性たちが大移動を行うことによる社会への混乱を避けるため、男性は都市を作りそこに住まうのが基本となっております」
この「数百年後の未来」とやらが完全に理解の範疇外だとようやく理解した俺を置き去りにしたまま、ケニー連邦議員はそうして説明を続けつつも、手元を虚空へと這わせ何やら操作するよう人差し指を上下左右へと動かして見せる。
直後、俺の眼前……本当に何もなかった筈の空間に、可視化されたパネルが浮かび上がり、そこには広大な空中都市、月面都市、海中都市、空中都市、陸上を歩き回る都市など様々な都市が浮かび上がっていた。
──空間モニタ、とでも言うのか?
虚空に突如浮かび上がったソレを俺が「そういうもの」として受け入れられたのは、恐らくこの技術が俺が暮らしていた時代にもギリギリ存在していたからに他ならないのだろう。
とは言え、この手の画面を実際に目の当たりにした記憶がなさそうな辺り、まだ実用化されていなかったか、もしくは庶民が触れられぬ技術だったかのどちらかだったと思われる。
そうして幾つかの都市をピックアップしていく中で、何故か一つの海中都市だけは内部を走る車の視点での動画や、ドローンっぽく都市上部から撮影した動画など、妙に詳しく映し出されている。
──海中都市『スペーメ』?
確かこの動画を見せてくれているケニー議員は、ケニー=何とか=スペーメとかいう名前だったと記憶している。
……正直、なんて酷い姓だと思ったので一発で覚えていたのだ。
幾ら何でもドイツ語だったかフランス語だったか忘れたが、精子はないだろうと思った所為で忘れられなくなっていたのだ。
しかし、それはあくまでも住んでいる都市の名前だとすると……この結婚する相手が絶対的に不足する時代、もしかすると名前の次には住んでいる都市名が入るのかもしれない。
まぁ、その辺りの常識はおいおい覚えていくしかないだろう。
「あ~、都市を作れってのは、まぁ、分かりました。
だけど、どんな都市を作れば良いん、でしょうか?」
「特に規制はありません。
ご自由にどうぞ」
正直、理解出来るなんて訳もなく、それでも分かったふりをしつつも半ばヤケクソ気味に問いかけた俺の声に返ってきたのは……逆に反応に困るそんな回答だった。
取引先の事務員さんだったか、夫に明日の夕飯の希望を聞いた時、「好きなものを」と言われると逆に困ると聞いたことがあったのだが……そういう感覚に近いのかもしれない。
「地球連邦の目の届く範囲であれば……成層圏を超えて月面基地くらいまでならば許容範囲ですので。
まぁ、我が連邦と通商のある火星なら兎も角……冷戦中である木星政府に亡命されたり、大規模船団を用いて太陽外系への移民などを希望されるなら、御期待には添えないとだけ伝えておきますが」
続けてケニー議員はそう語りつつも、最後の移民船の件は冗談を口にしていたのか、自画自賛的に少しだけ笑って見せていた。
尤も……この時代で常識的に通じるだろうジョークを聞かされたところで、俺に分かる訳もなかったのだが。
「取りあえず、男性には年額12億UCが提供されます。
今晩、都市作成ツールの在処を伝達しておきますので、BQCOで接続し、仮想思考エリアを用いて都市作成を進めて下さい。
男子の独り立ちの期限は精通までであり、クリオネ君の場合はさほど急ぎはしませんが、一度確認をしておいた方が今後役に立つと思います」
「……脳内?」
話せば話すほど出てくる新たな単語……恐らくこの時代では普通に用いられている単語なのだろうけれど、聞き慣れていない筈なのに何故か意味が分かってしまうそれらの単語に違和感を覚えた俺は、どうしてもその違和感に慣れず、知らず知らずの内に眉を顰めてしまう。
恐らくこれが、「脳内に知識をインストールした」というヤツなのだろう。
地球連邦に『保護』された俺は気を失っている内に連邦共通語をインストールされており、今やこうして言葉を交わすことに支障はない。
尤も、脳内言語も辞書やネット検索などと同じで、知識を引っ張り出すのにも意外と工夫が要るらしく、慣れていないとちょっと手間暇がかかってしまうようで、それが先ほどから覚えている違和感の正体なのだろう。
そうして記憶を引っ張り出す感覚で色々と『思い出している』と、不意に脳がどっかに繋がったのか……量子通信の歴史とか開発者とか有機的な通信機を脳内に埋め込む概要とか、絶対に俺が知る筈のない知識が不意に浮かび上がってくる。
──何だ、これ?
──何なんだ、これはっ?
仕入れた覚えのない、脳内にある筈のない知識に戸惑うものの……恐らくはこれこそがBQCOとやらで情報を引っ張り出した感覚なのだろう。
何というか、慣れるまで非常に不愉快な思いをしそうなツールである。
……特に、北極に沈められるまでの記憶が断片的であり、自分自身すらもはっきりしない現状の俺では、それが自分の記憶であり、どれがBQCOで引っ張り出した知識なのか区別さえつかないのだから。
だが、それでもやり方は……思うだけで勝手に検索されるパソコンみたいなモノだと、どんな理屈でそうなっているのかは理解できなくても、思うだけで勝手に検索しているという原理だけはギリギリ理解することが出来た。
ケニー議員が言う都市作成ツールとやらも、分からないなりに何とかなりそうではある。
「……ああ、分かり、ました。
では、他にやらなくてはならないことは?」
脳内に知識が次から次へと湧いてくる感覚に戸惑い、出来るだけそちらに意識を向けないようにしつつ、俺はケニー議員へとそう問いかける。
実際問題、俺という人間は、面倒なことを一気に終わらせたいタイプだった筈なのだ。
尤も、だからこそ手を付け始めるまで時間がかかるタイプだった……今不意に浮き上がってきた記憶が正しければ、ではあるが。
「後は、そうですね。
護衛官を雇うこと、都市運営を任せられる正妻……いえ、まずは婚約者の制定、都市作成の大規模な概略、都市内の自宅のレイアウト決定、入学の準備、くらいでしょうか?」
「……引っ越しか」
あとは一つか二つだろうと軽く考えていた俺の問いに返ってきたのは、指折り数えるケニー議員のそんな声、だった。
その次から次へと出てくる内容に一瞬で辟易した俺が思い出したのは、大昔にあった面倒事だろう……引っ越し手続きのことだった。
引っ越し先の物件を探すことから始まり、荷物の整理に引っ越し業者の手配、電気ガス水道の停止手続き、市役所に転出届を提出……またしても水道ガス電気の使用開始手続きに転入届、近所への挨拶、荷物の整理と、その時のことを思い出すだけで具体的に何をしたのかは妙に断片的ではあるが、非常に鬱陶しかった記憶が次から次へと湧き上がってくる。
もう二度と引っ越しなんてするかと心に決めたのは良い思い出だった。
そうして今一つ断片的な記憶を掘り起こすために、俺が視線を虚空へと彷徨わせていたその時だった。
「……ああ、もうこんな時にっ!
本来は貴方のために今日一日は押さえていたのですが……突如として陸上都市ハラホルンとの折衝が入りましたので、これで失礼します」
不意にケニー議員が耳に手を当てたかと思うと、苛立った口調で何やら呟き……直後、俺に頭を下げながらそう告げてくる。
正直に言うと、この時代で目覚めてからは知り合いなどほぼいないので……彼女がいなくなるのは少しばかり心細いものがあった。
「ええ、仕事なら仕方ありませんね。
本日はどうもありがとうございました」
それでも胸の奥で不安が広がり続けていたものの、俺がそう体裁を取り繕ったのは……この俺ももう四十近くのおっさん……今の外観は兎も角、人格的にはおっさんという自覚があったからだ。
ぶっちゃけた話、老女に縋ってばかりのおっさんってのも情けないなんてモノじゃないだろう。
「あと、老婆心ながら……一人で幾つもの決断を下すのは疲れると思いますので、早めに正妻だけは整えた方が良いと思います」
「分かり、ました。
何とか頑張ってみます」
そうしてケニー議員はそんな最後の忠告を告げた後、俺にもう一度頭を下げ……何やらあり得ない速度で床の上を『滑って』行った。
「はぁ、未来人はハイカラやなぁ」
脳内では「靴と床との間に斥力を発生させ、進行方向に自在に進める装置」だという知識は引っ張り出せても、その技術に実感のない俺としては現実逃避的にそう呟くことしか出来ない。
そんな老議員の背中を見送った俺は、何となくそうすれば良いという感覚に従って、脳内で検索ツールを起動し、眼前に空間モニタを展開する。
「これで、男子登録完了、ってか」
そうしてサトミさんがやっていたように虚空に指を這わせた俺の眼前には、俺の男子登録画面が……誰でも閲覧できるとかいう、男子プロフィール画面が映されていたのだった。
2021/09/06 20:34現在
日間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
週間空想科学〔SF〕ジャンル1位。
月間空想科学〔SF〕ジャンル5位。
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