~ 決断その1 ~
「……やっと、落ち着いた」
正妻であるリリス嬢をベッドへと寝かしつけた後、湧いてきた性欲によって茹った頭を冷やすために風呂場へと飛び込んだ俺は、大きな溜息を吐き出してそう呟いていた。
事実、この俺しか入らない巨大なヒノキ風呂は、冷凍保存される前の記憶のお陰なのか、それとも今やその概念すらほぼなくなった日本人という人種の遺伝子を呼び起こすのか、非常にリラックスできる場所となっている。
──はぁ、ヤバかった。
相変わらず真っ白でひ弱な……女の子の手と言っても過言ではない、未だに自分のものとは思えない細い手で湯を掬い、顔を洗いながら俺は内心でそう呟く。
別にエロいことに拒否感がある訳ではない。
しっかりとした記憶ではないものの、自分が童貞ではないという確信だけはあるのだから、別に女の子とナニするのを躊躇う筈もない。
それでも俺は……勃たない現実があって本番は不可能とは言え……寝ているリリス嬢に手を出そうと思えなかった。
「……金で買った相手って訳でもないからなぁ」
……そう。
俺は、ヤることを躊躇っている訳ではなく、ヤった後に付随してくる責任云々を忌避しているのだ。
──大体、無茶苦茶なんだよなぁ。
この未来社会では男女比が1:110,721なんてアホなことになっている所為で、所謂売春婦という者が存在すらしていない。
いや、BQCOによると存在はしているのだが、それはあくまでも女性に対しての性風俗サービス相手として存在しているだけであって、男性が利用するなどあり得ないのだが。
何しろ男性の仕事は精子の提供であり……彼らは健康と心を害さない範囲で限界まで絞り尽くされ続ける毎日を送るため、性欲なんて持て余す事態そのものがあり得ないのだから。
閑話休題。
そんな訳で、売春婦と言えば、異性に飢え続ける女性へのサービスとなる訳であるが、女性の同性愛は、この未来社会では「税を納めて都市に住むこともできない貧民の間の下賤な趣味」という位置付けであるため、売春婦という存在は文字通り最底辺の職業とされている。
では、どうやって大多数の女性たちが性欲を解消しているかと言うと……ざっとBQCOで検索したところ、基本的には三つに分類される。
一つは古典物理型。
要するに古代から面々と続き、21世紀でもAVなどで何度か目にしていた古典的な手法であり、自らの四肢をもって行う手指式、男性を模した道具等を利用する器具式、動力を内蔵した道具を用いる機械式など、詳しく言うと多岐に分かれるのであるが……とりあえずは王道と言える方法である。
二つ目は先ほど調べた所謂同性愛行為であり、金銭で売買しなくても女性なら周囲にうじゃうじゃと存在しているため……まぁ、都市外ではそれなりに見られる趣味、らしい。
そして三つ目が仮想型。
仮想現実で、男性を演じるAIを相手したり男性を演じる女性とあれこれしたりと……まぁ、そういう感じの方法のことだ。
食欲だって直接食べないで味を楽しむ世界なのだから、性欲でも同じようなことがあり……考えてみれば、訳の分からないメニューを幾つか見た記憶があるが、まさにそれらこそが仮想型に入るのだろう。
確かに仮想現実ならば、性病も美人局も犯罪に巻き込まれるケースも妊娠リスクも……いや、この未来社会では妊娠はリスクではなくて待望なのだろうが、それを除いたとしても仮想現実ならば心身を損ねる心配も少ないに違いない。
──そうすると、リリスの言ってた予習って……
基本的にNTRなんて脳の病気としか思わない性癖持ちであった俺は、仮想空間の中であっても自分の正妻が他の男に抱かれる光景を見たいとは思わず……そう思い当たった次の瞬間には、浴槽の中からBQCOを起動し、リリス嬢の性的学習プログラムの使用を禁止する命令を発していた。
明日辺りに抗議が来る可能性があるけれど……個人的に新妻は初々しい方が好きという性癖持ちなので、この辺りは仕方ないだろう。
いや、女性上位で進むビッチ系もおねショタ系も別に嫌いではないのだが。
「……って、全然冷静になってないな、俺」
湯の中で大の字で浮かびながらつらつらと適当に思考回路を回していたのだが、浮かんでくるのは延々とエロいことばかりなのを実感し、思わず俺はそう呟きを零す。
──性欲に目覚めた中学生の頃じゃあるまいし、なぁ。
当時の頃をはっきりと覚えている訳ではないものの……あの頃は下半身でモノを考え、下半身に従って生きていたような覚えがあり……冷凍保存の弊害で未だ思い出せはしないものの、そもそも思い出そうとすら思わない黒歴史が積もりに積もっている実感だけはある。
その俺の薄っすらとした記憶からすると、今の俺がまさにあの頃の……エロいことしか頭に浮かばない呪いをかけられたような、性欲に支配される中学生の頃に戻ってしまったような、そんな感覚が付きまとっているのだ。
「あ~、でも、まぁ、ちょうどそれくらいの年齢、か?」
この白くて貧弱な身体は相変わらず自分のものとは思えない……未だに子供のままな下半身のモノも含めてではあるが、それらを見る限り、小学生高学年か発育の少し遅い中学生か。
確かに身体で言えば、性欲に支配されてもおかしくない訳だが……残念ながらこの身体は若返った訳ではなく、崩壊した組織を切り落とした結果であると、俺を復活させたサトミさんは言っていた筈である。
──あ~、しまった。
──彼女のこと……すっかり忘れてた、なぁ。
薄情、なのだろう。
眼前であんな死に方をされたのに、ただ自分が生きていくだけで精一杯になってしまい……いや、穏やかな日々を送っていき、21世紀初頭と現在とのあまりの差異に驚くばかりで、いつしか俺は、彼女のことを思い出さなくなってしまっていたのだから。
事実、あの頃の怒りは、もう殆ど残っていない。
あれだけ抱いていた憎悪と未来社会全てへの嫌悪は、たったの数ヶ月程度生きていただけでほぼ消え失せてしまっていたことを実感する。
……だけど。
──世界は、腐っている。
──すべからく是正されねばならない、か。
不意にどっかの漫画の台詞が浮かんできたが……この未来社会を男性として生きて来た俺の感想を言語化すると、そのようなものになるだろう。
女性が虐げられ、まともに恋愛も出来ず、そんな女性たちの間でも階級が分かれ差別の温床となっており……野郎は野郎で、ただ希少価値だけで尊重され増長し、挙句に女性たちを見下す始末。
だけど、その実、その増長した野郎共も持ち上げられ煽てられながらも、ただ種馬としてしか生きられない。
正直な話……この世界はただ現状維持に必死になっているだけで、もはや未来なんて望めないのだ。
──だったら……俺が選ぶべき道は……