~ 萌芽 ~
顔と髪を隠すのに必死で、下着姿のままこちらに尻を向けている我が未来の正妻であるリリス嬢の弁護を一つだけしてみると……何日間か着たままのような灰色の下着は、一応身に付けたまま微細洗浄だけは行っていたらしく、着古した感はあるものの汚れそのものは見られない。
まぁ、それ以外は全く擁護出来ないとも言うが。
──う~ん。
改めて足を踏み入れた彼女の部屋そのものは、ろくにモノも置いておらず……服類がその辺りに散らかっているくらいでそう汚いとは言えないものの、女性が部屋にこもりっきりだった所為か、男的な意見で言えば非常に「女臭い」部屋になってしまっている。
勿論、この未来社会は色々と進んでいて、しっかりとした換気システムもあるのだが……我が婚約者様は恐らくそれすらサボって仕事漬けだったのだろう。
これこそが愛に殉じようとしている奴隷の姿と、一般女性からは笑われる姿なのだろうが……その愛を向けられている立場の男性としては、笑うに笑えない有様と言える。
「……さて、と」
取り合えず、眼前でこちらに向かって尻を突き出し、震えながら必死に顔を隠している婚約者様のケツでも引っぱたいて、何とか睡眠と食事を取らせようと俺が彼女の部屋へともう一歩踏み入った……その時だった。
──なん、だ?
最初に感じたのは心臓の鼓動だった。
この部屋に足を踏み入れるまで特に急ぎ足だった訳でもなく、尻を向けて顔を隠す我が未来の正妻が見せている惨状に慌てた訳でもないにもかかわらず……何故か、眼前の光景に心臓が大きく脈打ったのだ。
その症状に……いや、病気かどうかすら分からなかった俺は、思わず胸に手を当ててこの鼓動の正体を確かめようとしていた。
尤も、21世紀でしっかりと男性をやっていた俺は、悩むまでもなく数秒後にはソレが一体何なのか悟ることが出来たのだが。
──懐かしい、な。
その感覚を、俺は当たり前のように知っていた。
この細くて白く脆弱な身体に成り下がってからしばらくの間、完全に遠ざかっていた所為ですぐには気付けなかったのだが……まぁ、さほど時間をかけずともすぐに分かる。
これは……
──性的、興奮ってヤツだ。
……そう、何のことはない。
俺は退院してからずっと一生懸命だった正妻リリス嬢が、ボロボロのだらしない格好をして尻を突き出している、その姿をエロいと思ってしまった、ただそれだけの話なのだ。
「……けど、まだ、だな」
とは言え、僅かばかり脈拍が早まったところで下半身に直結するかと言うとそういう訳でもなく……俺の下半身はまだまだ静まり返り、役に立ってくれそうにない。
ぶっちゃけた話、この場で元気になっていたら眼前の婚約者を嬢から夫人に変えてしまっていたかもしれないが。
まぁ、その事実を幾ら嘆こうとも無理なものは仕方ない。
俺は溜息を一つ吐き出して行き場のない興奮を何とか鎮めると、ゆっくりと彼女のお尻へと……いや、未来の正妻へと近づいて行く。
身体の奥底から突き上げて来るような、眼前のもうちょいと育つと美味しそうになるだろうお尻を揉みしだきたい衝動と撫でまわしたい欲求とを、もう一度大きな溜息を吐き出すことで何とか胸中から追い出し……
「いい加減、寝やがれ、この阿呆っ!」
そう叫びながら、けっこうな力を込めてその灰色の下着に包まれた、まだ発達途上の尻を平手で引っぱたく。
ぱーんという音を鳴らすつもりで叩いた俺の右手は、残念ながらこの身体の非力さの所為でぺちんという音しか立たなかったが。
「みゃぅっ?」
ケツを引っぱたくという21世紀ではセクハラ扱いされていたものだが、まぁ、親しい仲なら許されるだろう……そう考えて取った俺の行動は、この時代ではどういう扱いになるのだろうか?
そのことに意識が向いたのは、未来の正妻様が猫が突如尻尾を掴まれたような鳴き声を上げた時だった。
しかも顔を真っ赤にして目を潤ませて、信じられないようなものを眺める目付きでこちらを見つけてきているのだ。
その潤んだ蒼い瞳を目の当たりにした瞬間、俺はさっきまでの悪ノリがさぁっと引いていく感覚に襲われていた。
彼女とはそれなりに親しくやってきたつもりだから、このくらいは大丈夫だろうという保身と、この未来社会に目覚めてからほんの数秒前まで、俺は性欲の存在を忘れた超越者になっていた所為もあり、突如の性衝動を誤魔化す意味も含め、男友達のノリでつい引っぱたいてしまったのだが……
──いや、流石にセクハラで訴えられることはないだろう。
──一応、婚約者なんだし。
正直に言うと、さっきの一撃に若干の性欲が混じっていたのは否定できない訳であり、ついでに言うとBQCOってのはどうもその辺の感情まで読み取ってしまうシステムになっているようで……
未だに残る俺の中の21世紀感覚が「もし訴えられたらほぼ確実に有罪判決は下りそう」という恐怖を呼び起こしてしまい……自分が性欲に駆られ凄まじいミスをしてしまった実感が湧きあがり、俺は思わず身体を震わせる。
事実、その予感は正しかった。
……俺の抱いた恐怖とは全く異なる形で、ではあるが。
「ぁあああ、あなたぁあああああっ!」
「ぬわぁあああああああっ?」
膝立ちの体勢だった俺は、より低空から突っ込んで来た少女のタックルを受け止めることすら叶わず、一切の抵抗も出来ず瞬間で押し倒されてしまう。
言い訳をするならば、俺は別のことに意識が向いていて反応がコンマ2秒ほど遅れたのが原因であり、俺自身が貧弱な訳ではないことを……
いや、それどころではない。
「な、ななな、何の真似、だっ?」
完全にマウントを取られた形になった俺は、両脚を使って彼女の胴に巻き付けるガードポジションに移行することすら叶わず、完全に婚約者である金髪碧眼の少女のコントロール下に置かれてしまっていた。
正直、このまま抵抗すら出来ずに尻を触った罰として、気が済むまでぶん殴られ続けるのも仕方ないと思ったくらいである。
唯一の救いは、まだ両手は押さえつけられておらず自由に動かせるため、ガードや抵抗くらいは可能ということだろうか。
とは言え……
──銃器も刃物もないから、この腕じゃ抵抗も難しいんだよなぁ。
──いや、眼球か尻に指を突っ込めば、返せないことは……
瞬時にそんな戦闘考察を脳裏に思い浮かべた俺は、すぐさま「たかが男女の痴話喧嘩でそこまでする必要もないか」と思い直す。
いや、実際のところ、最近よくやっている「物理的処置済みの全身機械化警護官の体験ゲーム」でちょこちょこマウントを取られる所為で、俺の思考がそちらに方向付けられていた感は否めない。
事実、眼前の少女には俺をぶん殴る意志なんて欠片も存在していなかったのだから。
「あ、あああ、あなたが、いけないんです、よ。
女性の、部屋に、入って来て……そ、そそその上、あ、あんなあんな……まさか殿方から、お尻を触ってくる、なんてっ!」
そのことに気付けたのは、真っ赤な顔をしたまま未来の正妻であるリリス嬢が鼻の下を延ばした、美少女とは言い難い色欲に染まりまくった顔で、俺に顔を近づけて来た時のことだった。