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彼女は牡丹 君は椿①  作者: 汪海妹
10/12

恋って残酷よね












恋って残酷よね












このは













「寂しいなぁ。折角わたしが仙台帰ってきたのに、今度はこのはちゃんが入れ違いで東京行っちゃうなんて」

「わたしもちょっとびっくりしている」

「東京へ行く日って決まってる?」

「12月第1週の日曜日」

「お見送り行くね。家族で」

「ありがとう」


千夏ちゃんを見る。最近千夏ちゃんははいはいを始めた。そっと彼女をだっこした。


「千夏ちゃんがおっきくなってくのそばで見られないのがさみしいなぁ」


なっちゃんは何も言わずに笑った。


「時々写真送るからさ、見てあげて」

「ねぇ、なっちゃん。吉祥寺ってどんな街?」

「えー、いい所だよ。素敵なカフェがいっぱいあって、公園があってね、すごい人気の所だよ」

「今度、そこに住むんだ」

「え~、そうなの?いいなぁ」

「近所にね、火野蒼生って小説家が住んでて……」


どうしてだろう?やっぱりなっちゃんにはつい話してしまった。なっちゃんはまた眉間に皺を寄せた。


「なっちゃん、最近いつもその顔するね」


ほんとに顔がもとに戻らなくなるよ。


「ねえ、このはちゃん。その人のこと好きなんじゃないの?」

「え?澤田さん?」


とぼけた。


「違うわよ。先生のほう」

「やだな~。好きは好きでも、ファンとしての好きだよ。憧れなの」

「それならいいけど。忘れないでね。奥さんのいる人なんだよ。年もずいぶん上だし」

「……うん」


なぜだろう?この時ふわふわとしていた高揚した気持ちが、たしかに、少ししぼんだ。













清一













「ただいま」

「おかえり」


また、この人は……。顔を見たらわかる。元気がない。


「またかっちゃんとこのはちゃんのこと?」


コートと上着を脱ぐ。なつが受け取ってハンガーにかける。なつがもの言いたげにこっちを見る。千夏が泣き出した。なつはもの言いたげな顔のまま千夏のオムツを換えて、おっぱいを飲ませてる。僕は冷蔵庫からビールを出した。


「あ、おでんがある」


キッチンの鍋の中のぞいた。


「おなか空いてるの?」

「ちょっとだけ食べたいな」


お皿にとって電子レンジで温める。テーブルにのっけて、ビールの栓を抜いた。とぽとぽとぽ。


「で、どうしたの?今日は」


なつはため息をついた。おいおい君が失恋したみたいだな。


「なんか恋って残酷よね」


ぶっ、飲みかけのビール吹きこぼして、のどの変なところ入った。ひとしきりむせる。


「そこまで笑うことないじゃない。失礼ね」

「いや、笑ったというより、一瞬液体の飲み方忘れて気管に入れちゃっただけだから」


お腹がいっぱいになったのか、千夏がこっち見て笑った。1日の疲れを忘れる。


「抱っこさしてよ」

「手、洗って」


はいはい。っていうか、うち帰ってすぐ洗うの忘れてもの食ったな、俺。娘を抱き上げる。この半年ちょっとで結構大きくなったけど、やっぱりまだ小さくて軽い。


「ただいま、千夏ちゃん」


ぎゅっと抱きしめる。きゃっきゃっと喜ぶ声がする。


「あー、大きくなんないでほしいなぁ」


ずっと今のまま自分もこの()も年を取らなければいいのに。なつはそんな僕らをぼんやりとみて、それからまた、ため息をつく。


「で、恋のどのへんが残酷なのよ?」

「娘の前でする話?」


僕は僕の膝上から逃げ出してはいはいしだした千夏を見る。


「後学のために聞かしておけば?」


というか、わからないでしょ、赤ちゃんは……


「今日ね、このはちゃんが遊びに来てさ、東京の新しい仕事の話とか、同じ会社で最近知り合いになった男の人の話とか、すごいいきいき話していてね」

「うん」

「あ、そうそう、それと吉祥寺に住むんだってよ」

「ああ、いいとこだね」


2人とも学生で東京にいたとき、時々遊びに行った。なつは、難しい顔でこっちを見る。千夏は幼児用のおもちゃで遊びだす。コンセントをさしこむ。おもちゃの。かちゃかちゃ。


「で、その何が問題なの?」

「一言もかっちゃんの名前も話題も出なかった」


今度は電話でかちゃかちゃ、がんがん。


「それは、たまたま話したくなかったんじゃないの?」


なつはテーブルのいすに座ってその背もたれに腕をおいてあごをのせながら、僕を見る。


「こう、ぱーっと忘れちゃってる気がしたんだけどね。なんか頭の中東京での新しいことばっかで」

「でも、それって……」


うーうー。千夏が電話の受話器を本体から抜こうとして暴れている。僕は彼女をおもちゃごと抱き寄せて、近くに出ているハンドルをぐるぐるまわしてみせる。音がなる。千夏は気を取られて、今度は延々とハンドルを回し続ける。


「しょうがないってわかってるし、このはちゃんのこと責める気はないの。ただ……」

「ただ?」

「かっちゃんがあんまりにもかわいそうで……」


それで恋って残酷よね、になるわけか。奥さんは少しだけ涙ぐんでいる。娘はまだ延々とハンドルを回している。なつのこういうところ(結構涙もろい)嫌いじゃない。僕は立ち上がって彼女のそばに座って、ビールの続きとおでんに箸をつける。ああ、冷めちゃったな。


「2人の8年間ってなんだったんだろうね。たった3、4か月で消えちゃうなんて」

「だけど、かっちゃんの中ではたぶん、消えてないと思うよ」


恋が消えていく速度は人によって違う。僕のビールを彼女がとってあおった。おいおい、だからお前がふられたわけじゃないだろう?


「なつ、お前飲んじゃだめじゃん」


授乳中だって。


「あ」


僕はため息をつく。お酒が抜けるまで粉ミルクしかだめだ。がんがんがん


「こら、千夏」


こちらも目が離せない。僕は結局晩酌をあきらめて、娘のそばに座り込む。


「このはちゃんはまだいいよ。だって新しい場所へ行くじゃない。でも、かっちゃんは、このはちゃんとの思い出のつまった仙台で、彼女だけぽっかりいない毎日を過ごしてさ」


僕は想像する。街の至るところに彼女の面影が残っていて、毎日のように思い出しては手を伸ばしても空をかく日々を。それはきっととてつもなく辛い毎日に違いない。


とぽとぽとぽ、なつがグラスにビールをついでいる。どうせ飲んじゃったから、もっと飲む気らしい。


「たぶん、たぶんだけど、このはちゃん新しく好きな人できた」

「えっ?」


ぐいっ、またあおる。酒弱いくせに、なつのやつ。


「その東京の同じ会社の人?」


とぽとぽとぽ。おいおいおい。


「お前、ひと台詞ごとに1杯飲むなよ。ペース早すぎだって」

「ぶー」


グラスとりあげた。はぁー、またため息。


「それがさ……」


急にこっちきっとにらむ。


「かっちゃんに絶対言っちゃだめだよ」

「いや、言いません。ていうか連絡先とか知らないし」


ほんとは嘘。どきどき。


「火野蒼生ってせいちゃんなら小説読むから知ってる?」

「ああ、最近結構売れてるわりと新しい作家だよね。処女作が映画化されたでしょ?」

「へぇ~。やっぱ有名な人なんだ」


なつがうらみがましそうにこっちを見る。


「え?うそ?その人なの?だってどうやって知り合うわけ?」

「うっうっうっ」


急に千夏が手につかめるものをつかんでぽいぽい投げ始めた。


「これは?」

「眠いのね」


なつがふらふらと立ちあがる。


「お前、酒臭いから座ってろよ」


僕は千夏を抱っこして、立ったまま揺らす。うとうとし始める。彼女は結構ねつきがいい。


「このはちゃんの会社ってグループで出版社あって、本屋もあるじゃない。仙台にその先生がその出版の人と来たことがきっかけで知り合って、東京でも近くに住むって」


それはたしかに……。うとうとしてる千夏の顔を見ながら考える。


「かっちゃんの耳にはいれたくないなぁ」


ぐい。あ、目離したすきに飲みやがった。


「しかも……」


え、まだ何かあるわけ?


「その人奥さんいるみたい」

「……」


すーすー。娘は眠り始めた。それは、なつが飲みたくもなるわけだな。


「人生の、女の人としての大事なときに、不倫なんて絶対しないほうがいい!」

「おい。千夏起きるってボリューム抑えろよ」

「他の女の人はどうでもいいけど、このはちゃんはだめ!」

「だから、ボリューム……」


それでも千夏は寝ている。この娘けっこう大物なるかも。


「そういうのがなければ、このはちゃんの東京行き、まぁ、かっちゃんには悪いけど、いいことなのかなって思ってた。でも、今日話聞いてわからなくなった」

「うん」

「わたしもこのはちゃんもあんまり男の人っていろいろ知らないじゃない」

「はい」


僕はそろそろと千夏をベビーベッドにおいて、掛け布団をかけた。


「たまたま一番最初につきあった人がいい人だったから、世の中には悪い男もいるってわかってないんだと思うのよね」

「はい」


一番最初につきあったいい男って、俺のこと?それはどうも。おほめいただいて。


「最初に出会ったのが悪い男で、二番目がかっちゃんならよかったのに」

「……」


そりゃそうだけど、そうはならないのが人生。それと、これも言わないけれど、男って結構誰にも汚されていない女の子の方が好き。そういう人が多い。特に誠実な男は、まじめな女の子が好きなものだ。一度悲しい恋をした女の子が好きって人ももちろんいるとは思うけどね。


「ねぇ、でもまだ不倫するって決まったわけじゃないよね」

「まぁ、そうなんだけど……」


彼女はほおづえついて、ため息をつく。顔がほんのりちょっと赤い。酔っぱらってる女の人ってちょっとかわいいよね。泥酔はもちろん論外だけど。僕はやっと彼女の隣に座る。俺のビールは、ない。一本飲みやがったこいつ。冷蔵庫からもう一本出す。


「夏美さんもずいぶん余裕がでましたね」

「ん?どういう意味?」


とぽとぽとぽ。


「自分が結婚して落ち着いたらさ、人の心配ばっかりして」

「悪いこと?」

「うーん」


ちょっと考える。


「あのね、自分だって独身だった時は、いろいろ迷ったり不安だったりしたわけじゃない」


そういって妻を見る。じーっと何も言わずに僕を見ている。ええっと、この人はあまり迷わなかったかもしれないな。迷う暇がなかったし。


「独身の人の気持ちはさ、やっぱり独身にしかわからないよ。僕たち立場が違うじゃん。子供もいるしさ」


もう一回立ち上がって、おでんを温める。


「幸せな人がね。今、未来の幸せのためにがんばっている人に対して言うひとことひとことってさ、たとえそれが相手のためであって、また、正しい内容だとしても…」


おでんがライトアップされてくるくる回ってる。


「やっぱり余計なひとことなんじゃない?」


ちーん。できあがったおでんを持ってふりむくと、なつが眉間に皺をよせている。


「お前、その顔やめろよ」

「なんで?」

「1ミリもかわいくない」


なつは次はむっとした。


「どっちかっていうと、今の顔のほうがまだまし。いてっ」


どつかれた。


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