うそつきマカロン 2
ナナちゃんがゲンちゃんと喧嘩をしたあと、いつも行く場所は知っていた。前にゲンちゃんにくっついて、ナナちゃんを迎えに行ったことがあるからだ。
「ナナちゃん」
あたしは近所にある児童公園に足を踏み込み、ブランコに座っている人に近づく。昼間は赤ちゃんを連れたお母さんたちがベビーカーを並べていたり、小学生が遊んでいたりするけれど、さすがにこの時間ひと気はない。
「いろちゃん……」
薄暗い街灯の下、ナナちゃんがゆっくりと顔を上げる。
「迎えに来たよ。一緒に帰ろうよ」
ナナちゃんは寂しそうな目で少し笑って、あたしに言う。
「ダメじゃない、いろちゃん。こんな時間にひとりで出歩いたら」
「こんな時間って、まだ七時過ぎだよ? 塾に行ってる子なんて、みんなフツーに歩いてるってば」
あたしはくすっと笑い、ナナちゃんの隣のブランコに座る。ちょっと足を蹴ったら、キイっと錆びた音があたりに響いた。
「ゲンちゃん……何か言ってた?」
ナナちゃんの低い声にあたしは答える。
「悪いのは俺だって。でも謝るのは嫌だって」
「昔から変わんないよねぇ……変にプライドが高いところ」
ナナちゃんが口元をゆるめ、冷たい空気の中にふっと息をはく。
「ねぇ、ナナちゃん。ゲンちゃんはバカだから許してやって? そんでおうちに帰ろう? あたしもナナちゃんがいないと寂しいよ」
「いろちゃん、かわいいこと言ってくれるね。あたしもいろちゃんと別れるのは寂しいけど……でもいつまでもあの家に居続けるわけにもいかないよね」
「え?」
思いもよらなかった言葉に、あたしはブランコに座ったままナナちゃんを見る。ナナちゃんは前を見つめて小さく微笑む。
「いろちゃん、言ったんでしょ? ゲンちゃんに迷惑かけたくないから、就職して家を出たいって。あたしもそうなのよねぇ……いつまでもゲンちゃんに頼ってばかりじゃダメだよね」
「なに言ってるの? ナナちゃんはあたしと違うじゃん。ちゃんと働いてるし、ゲンちゃんよりもお給料いいんでしょ? 全然迷惑なんてかけてないよ。むしろ迷惑かけてるのは、わがままなゲンちゃんのほうじゃん」
あたしの声にナナちゃんはふふっと笑って空を見上げる。そして懐かしそうな顔つきでつぶやく。
「あたしね、小さいころからこんなだったから、いっつも『女みたい』ってからかわれてね。いじめられてめそめそ泣くたびにゲンちゃんが飛んできて、いじめっ子たちをやっつけてくれたの。ゲンちゃんはあたしにとって、頼れるヒーローだよ」
あたしは思い出す。ナナちゃんが『ゲンちゃんは意外と頼りになる』って言ったことを。
「だ、だったら頼ってればいいよ。これからもずっと。ナナちゃんがあの家出ることなんてないって」
「でも、いつまでも逃げてるわけにもいかないの」
嫌な予感が頭の中を駆け巡り、あたしはブランコの鎖をぎゅっと握りしめる。ナナちゃんはそんなあたしに向かって静かに口を開く。
「実は最近ずっと考えてたんだ。あたしの父親がこの前倒れてね、母があたしに助けを求めてるの」
「え……」
「だからあたし、和菓子屋を継ごうと思ってる」
「で、でもそれは男の人がやることで……ナナちゃんは嫌なんでしょ?」
「うん。和菓子なんか見たくもなかった。だけど母に泣いて頼まれちゃってね……親に泣かれると、やっぱり弱いよ」
あたしは口を結んだ。ナナちゃんがキイっとかすかにブランコを揺らす。
「ほんとに……行っちゃうの?」
「うん。もう決めた」
「ほんとに?」
「うん」
ナナちゃんがブランコを止めてあたしを見る。あたしはうつむいて、ひざの上で両手を握る。その手の上に、ぽつんと生温かいものが落ち、じわっと小さな染みを作った。
「ごめんね、いろちゃん。泣かないで?」
ナナちゃんの声を聞きながら、あたしは泣いていた。どうにもならないってわかっているのに……どうにもならないってわかっているからこそ、あたしは涙が止まらない。
「いろは!」
そのときあたしの耳に、その声が聞こえた。ゆっくり顔を上げると、公園の中に勢いよく走ってくるゲンちゃんの姿が見えた。
「お前勝手にいなくなるなよ! こんな遅くにひとりでほっつき歩いて!」
ゲンちゃん……まだそんな遅い時間じゃないから。塾行ってる子たちはフツーに歩いてる……そう言おうとしたのに、あたしの口から出るのはひどい嗚咽だった。
「うっ……ひぃっ……っく……」
「お前……泣いてんの?」
駆け寄ってきたゲンちゃんが、驚いた顔をする。あたしがゲンちゃんの前で、めったに泣いたことがなかったからだと思う。
「……っ、だ、だって……な、ナナちゃんが……」
「ナナになんかされたのか?」
ゲンちゃんが怒った声でそう言って、隣に座るナナちゃんの胸元をつかんだ。
「ちがっ……違うよ! な、ナナちゃんが変なこと……するわけないでしょ! ナナちゃんは……女の子なんだから!」
あたしは立ち上がり、ゲンちゃんの頭をバッグで殴る。
「ってぇな!」
「バカっ! ナナちゃんに謝れ! ちゃんと謝れ!」
「お前……」
「ナナちゃんに謝らないと……ナナちゃん……あんたの前からいなくなっちゃうじゃん!」
「は?」
ゲンちゃんがマヌケな顔であたしを見ている。あたしはグーを作って、ゲンちゃんの胸をぽかぽかと殴る。
バカ、こっち見るな。ちゃんとナナちゃんのほうを向け!
するとそんなあたしたちの隣で、ナナちゃんがぷっと噴き出した。
「あいかわらずだねぇ、あんたたち。でもふたりを見てるの、あたしはすごく楽しかったよ」
ゲンちゃんが意味わからんって顔でナナちゃんのほうを向く。
「絃」
ナナちゃんがゲンちゃんの名前を呼んだ。
「長い間ありがとうね。でもこれからはあんたに頼らないで、ひとりでいろいろやってみるよ。こんな小さないろちゃんだって、ちゃんと自分の将来考えてるんだもんね」
ナナちゃんが立ち上がり、あたしの髪をそっとなでてくれた。
「ひとりでやってみるって……なにを?」
ゲンちゃんがマヌケな顔のまま、マヌケな声で聞いた。
「あたし、和菓子屋の店主になるわ」
「は? お前あんなに嫌がってたじゃん! 和菓子なんて好きなやつの顔も見たくないとか言って!」
ああ、それで喧嘩になったのか。ゲンちゃんは和菓子が好きだから。
「絃。嫌なものから逃げてるだけじゃダメなのよ。大人だったら、ちゃんと目をそらさず立ち向かいなさい」
「なんだそれ、えらそーに。意味わかんねーんだけど」
ゲンちゃんがくしゃくしゃと頭をかいている。ナナちゃんはふふっと笑ってあたしに言う。
「もう帰ろう、いろちゃん。なんだかお腹すいてきちゃった」
「あ、あたし、風花からもらったマカロン持ってるよ」
あたしはバッグの中から包みを取り出し、ナナちゃんの前で広げる。薄暗い街灯の灯りに、色とりどりのマカロンが照らされる。
「わぁ、かわいい! ひとつもらってもいい?」
「どうぞ」
ナナちゃんがピンク色のマカロンを口に入れ、幸せそうな顔をする。
「なんだよ、それ。俺にも食わせろ」
「やだ」
あたしはマカロンをまた包み、バッグの中に押し込む。
「でもちゃんとナナちゃんと仲直りしたらあげるよ。あたしは先に帰ってるから」
「えっ、おいっ、彩葉!」
あたしはゲンちゃんとナナちゃんを残して、走り出した。公園を抜け、歩道を走る。後ろを振り向いたら、ゲンちゃんは追いかけてこなかった。
これでいいんだ。大人同士、幼なじみ同士、ふたりだけで話したいこともあると思うから。
なんて気が利く中学生なんだろう、あたしって。
家に帰り、ミルクを抱っこしてぼーっとテレビを見ていたら、ゲンちゃんとナナちゃんがふたり一緒に帰ってきた。
「寿司買ってきたぞ。彩葉好きだろ」
「わっ、なに? 豪華じゃん!」
「今夜はゲンちゃんのおごりだからねー」
「おう、心して食えよ。あ、お前はこれな」
ゲンちゃんは足元にすり寄ってきたミルクに、ちょっとお高いキャットフードを見せている。
なんだかゲンちゃんは偉そうにしてるけど、ナナちゃんがにこにこしてるから、仲直りしたんだろう。きっとゲンちゃんがいろんなことを謝って。
その夜は三人でお寿司を食べた。この家で三人そろって食べる最後のご飯だからちょっと奮発したんだって、あとでゲンちゃんから聞いた。