7 不条理な旋律
家紋に蛇の肖像を持つ榊家は、この山間の街の資産家だ。
代々の医者一族で、多くの親族が同じ街に住んでおり、長らくその血を守ってきた。
音彦らが捕らえられているのはその本家であり、現在は榊ミヤコが当主を務めていた。
表向きは医者一族として、親族にその任を任せている。しかし榊家がこれほどの資産を持つに至ったのには確固たる理由があった。
榊家にいる一部の能力者。霊力による施術が大きい。
蛇を眷属に従え、常人ならざる力で負を正に変える。もう治る見込みのない怪我、老いによる身体の劣化。それが報酬さえ支払えば叶う、手に入るのだとしたら。
現在の医療の限界を超えることが出来る能力に、人は歓喜した。榊家の裏の顔を知る人々はこぞって榊家に押し寄せたのだった。
それらを経て脈々と血を繋ぎ、家系を確かなものに肥やしてきた榊家は、いつしか街の随一の資産家となっていたのだ。
榊家に軟禁されてからというもの、これらの端的な説明だけを受け、音彦は街の中にある様々な家に連れ出されていた。
能力者兼医師と共に、週に何度か民家を訪れ、治療を施す。
患者は老若男女問わずだ。みな医師に頭を垂れ祈りを捧げ、言われるがまま従っていた。
簡単な術しか扱えないものの、音彦も隠世の存在と対話することの出来る力の持ち主だ。医師が能力者で何かの術を行使している事くらいは判る。
だが、こちらの世界に関しては所詮素人。何の術かなど判ろうはずもない。しかし……
(はたしてこれは、治療なのだろうか)
何度か『治療』を目にしていたが、次第に疑問の念が頭をもたげ始めていた。
患者の額にかざした掌が青白く光っている。
光はいつものように緩い速度で集束し、医師の掌の内に吸い込まれていったように見えた。
「有難うございました、先生」
「これで身体も楽になることでしょう」
そうして医師は決まって、手首に付けていた数珠を外すのだった。患者1人に1つ、あてがわれるソレは何を意味するのか。
「では、次の患者さまには沢木殿に施術を任せるとしよう」
「え?」
今までは医師の側に座り、数珠の保管をしていただけだった音彦に、突如お鉢が回ってきた。
「そんな、出来ません」
音彦の表情が硬くなる。医師は構わず音彦の手を取ると、誰に言うでもなく呟くように話し始めた。
「手をかざし、念じるのだ。心の中、頭の中のイメージを具現化する。願いは力となる」
初老の女の囁くような声に、音彦の肌が泡立つ。言葉に表すに難い薄気味悪さだった。
そんな世迷いごとを、と音彦は瞬間に思った。隠世についての知識、経験が疎いからなのだろうか。
見える、聞える、触れることが出来るのに。まだそれらの存在について信じ切れていない。そんな自身も確かにいるのだ。
(出来るわけないじゃないか……)
いや、これは拒否なのか。自身を、家族をこの状況に落とし込んだ存在への嫌悪なのか。
(嫌だ……したくない)
女から感じる体温は何故か冷たく、掴まれた手から上へと気配が這い上がってくる。
音彦の動悸が激しくなり、それは次第に眩暈を揺り起こした。
身の内から何かが恐れを告げている。無性にこの場から逃れたい。
「おや、随分顔色が悪い。きちんと睡眠は取れているのかね。食事は?」
「大丈夫、です。お気遣いなく」
女の追及を手で制した音彦は、早くこの場から逃れたい一心で、言われるままが精神の底に入った。
語られた術式を頭の中で反芻し、部屋に入ってきた男に手をかざしながら念じる。
掌が熱を持った。だが、音彦の目に見える熱は青白く、冷気を発している。
そうして音彦が目を見張った瞬間には、ソレは手首にはめられた数珠に吸い込まれていってしまったのだった。
(嘘だろう? 出来たのか)
すると、ある変化が音彦の身体に起きた。ふわり、と。身体が幾分か軽くなり、今まであった不快感が消え去っていたのだ。
「?」
「ほお。これはこれは素晴らしい。やはりミヤコ様のお見立てに間違いはなかったか」
いつの間にか音彦の手首から数珠を引き抜いていた女が感嘆の声を漏らす。
「ありがとうございました、先生方」
正座していた男は畳に額がつかんばかりにしている。
音彦は青ざめた表情だ。女に促され何とか立ち上がったが、心臓の鼓動は早く、背中には汗が伝ってゆくのを音彦は感じていた。
「では、私達は失礼致します。また来週、こちらに伺いますので。黒蛇の加護があらんことを」
女が片膝をつき、患者の頬に手を添えた。男の唇は歓喜に震え、その眼からは涙が溢れ出す。
満足そうに微笑んだ女は踵を返し、外に停めてあった車に乗り込んだ。
(今のは、なんだ?)
起きた現象に音彦の頭は混乱するばかりだ。
車に乗るよう促されたが、音彦は首を振る。しかし女はそれを許さなかった。
「よいから来るのです。沢木殿が行使した力は本物。その結果がどうなるのか知りたくはないかね」
「……っ……」
女の手は先程よりも更に冷たく、枯れ木の枷の様に音彦の手首を掴んでいた。