21 自傷の楽譜
キラキラと、未だ舞う記憶達の中、音彦は『彼、彼女』と対峙していた。
目の前に浮遊する白い蛇を、どうしてそう言いたかったのかも判らない。
先程意識の海に飲み込まれてから、一体どのくらいの時間が経ったのだろう。
今自身がいるこの空間は、見える風景こそ榊家の庭のままだが、周囲を舞っている様々な映像を切り取ったかのような断片が、これは意識下であると告げている。
実際の時間経過も判らず、久野達がいるであろう『外』がどういった事になっているのかも見当もつかない。そして、そちら側にいる音彦自身も。
白い蛇は碧い瞳でじっと音彦を見つめている。
(音彦っ!)
その時、音彦の意識に直接働きかける声が、頭の中に響いた。この声は、久野だ。
「久野さん?」
認識した途端、腹の底から浮き上がる感覚が音彦の全身を襲った。
白い光が音彦の視界を覆う中、確かに音彦は耳にしていた。
『置いていかないで』
『連れていってほしい』
……と。白い蛇が、確かに語り掛けてきたのだ。
白い光が晴れると、音彦の視界に飛び込んできたのは久野の姿だった。
久野の表情から緊迫した雰囲気を察知した音彦が身を固くする。
その時に初めて自身の周囲に張られた光の膜に気が付いた。
(これは、結界なのか?)
「聞け、音彦! 榊家に代々受け継がれていた依り代が、さっき見た銅鏡だ。名を『水無月』と言う。今、それがアオイと共に消滅した。だが、『水無月』自体は消え去ったわけじゃない」
「みなづき……?」
「『水無月』は新たな継承者を求めて自ら動き出した。継承者の条件は、血縁、霊力の強さ、属性が大きく関係する。『水無月』の属性は水だ!」
久野が跳躍する。その様子を見つめていた音彦は息を呑んだ。久野が言わんとすることが判ったのだ。
着地し、眠る詩織の側で久野は詩織の頭上に浮かんでいる小さな鏡を忌々しげに睨みつけている。
音彦は瞬時に理解した。あれが、何なのか、自身の側に浮かんでいる同じ鏡がどういう意味を持つのか。
「お前が支配するんだ、選べ! どうするのかを。お前自身がどうしたいのかを!」
久野が叫んだ。
音彦は、ソレを掴んだ。
だが、実際には鏡は掴む前に音彦の指が触れたと同時に空気に溶け込んでいった様に見えた。
一瞬の無音、辺りに沈黙が落ちる。
どくんっ
「くっ……あぁっ!!」
身体の奥底から突然湧き起こった衝撃に、音彦が膝をついて倒れ込んだ。全身を襲う激痛に、地面を転がり、土を掻きむしる。
今まで感じたことのない、耐え難い痛みだった。全身の骨という骨が軋み、悲鳴を上げている。
次第に音彦の身体は強い痙攣に見舞われた。白い肌には青く細かな血管が蔦の様に広がり、至る所から裂ける。皮膚からは血が噴き出しはじめ、音彦の服を血に染めてゆく。
「くそ……」
久野は、不可侵の結界で近寄れない。何も出来ないのだ。
やはり、駄目だったのか。音彦の霊力、才があれば『血縁』という条件は、もしかしたら。だが、それは甘い考えだったのか。
拳を握り締める久野が、顔を歪める。
「……っあ……」
音彦は何とか息を吸った。痛みに朦朧とした視界には、もはや何も判別がつかない。顔は擦り切れ、泥と涙で、眼鏡もぐちゃぐちゃに汚れてしまっている。
未だ断続的に襲ってくる強い痛みを何とか逃しながら、必死に息を整えていた。
考えていたのは妹の事だった。
(こんなこと、詩織に背負わせるわけにはいかない……絶対に駄目だ)
『僕が、詩織を守る』
そう、幼い頃にした約束を。
1度は諦めかけた。だが、もう違えることは出来ない。
実際には叶わなくとも、心だけは諦めるものか。
揺らめく視界に、久野の姿をようやく捉えることが出来た。
伸ばした手は何も掴むことは無く、砂を掻く。
その腕に、青白い光が集まり始めた。
(貴方は選べと言ったけれど……)
「選択肢なんて、無い……」
(これは、僕の……運命だ)
「白い蛇……」
久野が呟く。
細い蛇が音彦の腕に巻き付いていた。音彦に寄り添い、それは守っているようにも思える。
実際、蛇の発する光からは『浄化の力』を感じたのだ。
敵意は感じない。
(もしかして、あの蛇は……)
久野が見つめている前で、それは起こった。
眩しい白い光。同時に結界陣が破られる音がする。
きらきらと舞う氷の結晶の欠片、爆風を片腕で遮る隙間から、彼の姿が見えた。
「!」
降り立った音彦は、頭を振ると、空を見上げるような素振りをした。
身体の至る所に傷を負い、衣服は裂けている。整った顔も涙や血で汚れ跡が残っている。にもかかわらず美しいと、久野は目を奪われていた。
切り裂かれた衣服から覗く黒の紋様からは青白く霊気が香っている。
まだ虚ろの音彦が無意識に、喉の下、鎖骨辺りと、その箇所を指先でなぞっていた。
「紋様は正統な継承者の証だ。心配するな、普段は消えている」
「……久野さ……」
駆け寄ってきた久野を見止めた音彦の眼は光を取り戻した。が、途端に視点がぐらつきはじめ、声が途切れた。
膝が折れ、傾いてゆく身体を久野が抱きとめる。
「よく頑張ったな」
薄れゆく意識の中、耳元で確かに聞えた声に音彦は願っていた。
(貴方の様に、誰かを導ける存在に、僕も)
久野の腕の中、何の抵抗もすることなく意識を手放した音彦の表情は、真に、安堵に満ちたものだった。
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