伏魔団地 旧館2
差し替え前のお話です。
【第0号棟 悪泥啜る混沌の住民】
第001号室 人参果
誰しも通った道でしょう。底果てと無く深み見渡せぬ峡谷に架かるひび割れた真白の一本橋を………
母親はよく鍛えられた子供の妄想を、アスファルトに引かれたただの白線と嗤います。
人の世とは似て非なる別世界、伏魔殿の様相を呈した団地の小路は、焼き捨てられた遺灰を噴き上がる鮮血と滲み出す腐汁で練り上げ亡者の行進で踏み固めた魔界の街道、白線踏み外せば沸き立つ重油が亡者の手招きとなって足を離さず、その者やがては最果て無く続く亡者の巡礼に加わるでしょう。
誰しも願った明日でしょう。世界が一変するような宇宙人や超能力者の襲来を………
母親は地上波初のSF映画に興奮冷めやらぬ子供を、この世も末と事務的に寝かしつけます。
三千世界、縦横無尽に交差し正常知らぬ異常の団地では、明日待つまでも無くその瞬間に人の世は終わりを迎え、新たな支配者は天下謳歌するまでも無く真なる覇者に王座を追われ、覇者は王座へ座る間も無く神の到来を仰ぎ、神は地に降り立つ間も無くまだ知られぬ上位者を知り、上位者はきっと団地の悪意に気付くこと無く破滅の明日へと向かうでしょう。
誰しも震えた影でしょう。夜中の閉め切られたトイレの死角に潜む怪異の気配を………
母親は脅える子供を疎ましく思いこそすれ、眠たい瞼を擦りその身を起こします。
良心持ち合わせぬ悪意渦巻く団地の陰は、心の隙間に取り入り取り憑き、欺いては骨の髄まで啜り上げる悪魔の巣窟と形容するに相応しく、沸き立つ邪悪、自らを焦がして日を隠し、陸海空に人畜隈なく呪い、好奇に覗き込むモノを嘲笑うでしょう。
マンションの外壁を汚す仄暗く煤けた人面の染みは苦悶の表情を浮かべ、捩じれて聳える高層建築は互いに喰らい合い、際限なく成長を続け自重に潰れ倒れても尚その背を伸ばす。
果て無く続くコンクリートの地平線に燃え尽きた日が没すれば、夜空の星喰う窓灯りに亡者の影が浮かび、吹き抜ける谷間風に恨めしい呪いの囁きが溶け、迷宮と化した下水道に邪神の呼び声が詠い、裏手の陰から哀れな犠牲者の断末魔が木霊する。
ただ、ただ一言、団地と形容される超常と異常の建造物群は、日に日に悪意を込めた増改築を繰り返し、人のみならず異形の入居者を招き入れ、その日常は混沌を極めていた………
ーーー
中流階級向け分譲マンションのダイニング、救護用の赤い斧が木製テーブル上の桃の缶詰へ振り下ろされる。
「パッカーン………フフン、私に掛かれば缶詰程度、イッパツよ?」
原色鮮やか猩猩の鮮血よりも真っ赤な緋色のランドセルを背負った少女、小夜は、ほぼ真っ二つ均等に分かたれた缶詰を見て、誰とにも無く自慢げに呟いた。
シンプルな丸襟のホワイトブラウス、ワインレッドのプリーツスカートを同色のサスペンダーで吊り、ネイビーカラーのハイソックスに、よく鞣されたブラウンのローファーを合わせ、毛先の乱れた長い黒髪、日の光を透かしているかのように青白い肌には、薄く桜に色付いた唇から溢れる冷笑が口角を持ち上げ、切れ長の眦に浮ついた瞼が、黒い眼差しで人を喰ったかのように印象を悪くする。
ダイニングチェアに脚を掛けテーブルの上に座り、ランドセルのサイドストラップに掛けられた防犯ブザー代わりのスタングレネードが鈴のように音を立て、組んだ脚のずり落ちたスカートの下から太腿がテーブルの角に食い込む。テーブルに転がる破断したシロップ漬けの桃を指でひと撫でひと摘み、飢えに震える唇の隙間へと押し込んだ。
「はぁ………気品漂う香りに上品な甘さってヤツかしら?」
窄めた口元が蜜濡れた指先に吸い付きはしたない水音を立て、小夜が取って付けたような食レポを呟くと、つけた覚えの無いテレビから、人の胎児を思わせる血みどろの果実を小気味良く切り落とす様が、他愛も無いニュースとして流れてくる。
\は〜い!団地を翔けるぶっ飛びアイドル、モア・トリッパーズのクール担当ソヒィです…今、農業団地では人参果…の収穫が最盛期を迎えています…人参果!まあ、平たく言えば木になるマンドラゴラですね?…ギロチン搭載の大型トラクターは、連日フル稼働で人参果を木から捥ぐと同時に首を跳ね、叫び声を上げさせません…/
「ソヒィちゃん……この人外、何でもやるわね………れんしぇんくぁ、れんしぇんくぁ………」
レースカーテンの隙間から、嫌に急ぐ朧雲が朝日を押し戻すように渦巻き、挿し込む影と木漏れ日が部屋を駆け巡れば、鏡のように磨かれたフローリングに反射して下から覗くように小夜を照らし、壁や天井を怪しく飾り立てた。
\収穫された人参果は速やかに隣接する工場で缶詰に加工され、各団地へと出荷されます…今日は特別に出来立てのものを食べさせていただきます。………うぅん!桃ような”気品漂う香りに上品な甘さってヤツ”です!/
「………はい?」
どこかで聞いた事のあるような食レポに、本当にどこかで聞いた事あるような食レポなのだから、そうゆう事もあるでしょうよと気丈に振る舞い、それでもやっぱりと原材料を確認する為、パッケージを下にして転がる缶詰に手を伸ばしたが、玄関から鍵を回す音が静かなダイニングに響いて、小夜の注意を奪い去った。
「あら………長居しすぎたわね、鉢合わせちゃったかしら?」
玄関ドア一面に蓮コラ状に張り付いた集合体恐怖症煽る鍵穴が、次々に解錠されて機関銃を想わせる連射音を響かせる。何処から見ても最新式の薄型テレビには砂嵐が混じり、beep音が響いて真っ赤に染まる。
\…モア・トリッパーズのソヒィがお送りしました!くたばれ!!/
小夜は鼻を鳴らしてダイニングテーブルを肩で押し玄関とダイニングを繋ぐ廊下を塞ぐと、勢いを付けてテーブルの上へ登り斧を構えた。
全ての鍵が開きノブが下げられドアがゆっくりと動き出す。ドアの頂上部へ白樺の木のような白く長く節ばった異形の指が掛かり、錆び付いたドアの蝶番が窮屈そうに悲鳴を上げる。
『ぽ、ぽぽ、ぽ、ぽぽぽ………』
泡の弾けるような耳障りな声を発しながら現れた巨大な女性の姿をした異形は、膝を曲げて純白のウェディングドレスの裾を引き摺り、つば広帽子を想わせる白薔薇のティアラ輝く頭を傾いて、腰を折ってドアを潜ると、両壁に手を天井に頭を擦り付けながら、玄関を一歩で越えて廊下へ上がり込んだ。
「ぱっと見、ゾンビ系かしら………?」
相手のあまりの大きさに舌を巻いた小夜がテーブルの上からダイニングチェアを引き上げ、更にその上に立って体格差を補う。
小夜の隠す気のない物音に異形が身体を震わせ静止し、更に腰を屈めて天井からスペースを作って頭を上げる。
「お邪魔してま〜〜〜すっ………」
小夜の声を聞き姿を認めた異形のウェディングベールの奥から、耳まで裂けて笑う口の影が映り込むと、両腕を差し伸ばすように突き出し、指先を広げる。
『ぽっ!ぽぽぽっ!ぽっぽっ!ぽぽぽ、ぽぽ………!!』
興奮を抑え切れず異形が口から泡を吹き体を揺し、何の予備動作もなく突然、腰を屈めたまま廊下を走り出した。
「斧構えた相手に真正面から………バカよねぇ〜」
勝利を確信した小夜がテーブルの上の椅子の上から斧を振り上げ、先端を天井にぶつけて体勢を崩し、一瞬でやらかしを理解して目を強く瞑り、人より倍は長い舌を出してテヘペロ☆
『ぽぽぽぽぽぽぽぽぽ!!!』
「あぁ…やってしまったわ☆……バカよねぇ〜………」
廊下を突き抜けダイニングへ入った八尺様がテーブルを突き飛ばして小夜は宙に浮き、オープンキッチンにまで撓る大腕が唸りを上げて、矮小な少女の身体を容赦なく薙ぎ払った。
第002号室 八尺様
非常階段の泥の巣から猛毒鳥、鴆の悲鳴が団地の谷間に響き渡る。
ベランダを乗り越えて飛び降りたクネクネが、朝靄を切って現れたフライングヒューマンを捕食する。
廊下を這いずる人面蠅の幼虫が、等間隔に並ぶ裸猿の手形を足跡とする。
人間性を破壊する不治の病が、純白のドレスを腐汁に汚された哀れな花嫁を変容させる。
身の丈2メートルを優に超える八尺様の骨格は骨を伸ばして歯を櫛のように尖らせ、引き絞られた腱は関節を反り返して皮膚を引き裂き、ひび割れ爛れ腐れ果てた内臓からは粘性の体液が溢れて気管を塞ぎ、苦悶に喘ぐたび奇妙な水泡の弾ける音をポコポコと響かせた。
『ぽぽぽーーーっ!!』
あくびが出そうなほど大ぶりな大腕による薙ぎ払いだとしても、足場を失い宙に浮いた小夜に躱す手段などは無く、精々その身を捻り腐った大腕との間にランドセルを挟み込む程度であった。
武術の欠片も無いカス当たりでも、倍近い体格差と重量差から小夜の身体が天地を入れ替えて、フローリングの床へ叩き付けられる。
まず床へ接地したランドセルが衝撃を吸収しつつ、スライドして後頭部を保護し、ノーダメージの小夜がノータイムで両手を床に打ち付けると、踵を起点に立ち上がってランドセル受け身。
向き直ると同時に衝撃で手放した斧を探し、代わりに八尺様が投げて寄こした木製のダイニングテーブルを見付けて、背面に倒れ込みブリッジの態勢で下を潜る。
「んっ………!!」『ぽぉーーーーー!!!』
八尺様が身体を反り返し、沸き立つ喉で汽笛を鳴らして両腕をテーブルに叩き付け、テーブルの中央に亀裂が入る。
テーブルの下からその亀裂を見た小夜が身を翻し、二度目の叩き付けがテーブルを二つに圧し折って、寸前まで小夜がいた場所に突き刺さった。
テーブルの下から飛び出した小夜が体格差を逆に活かした低い立ち回りを見せ、八尺様が四つん這いに構え直す。
スライディングで大腕を擦り抜けると、床に落ちた斧に脚を絡めて立ち上がりつつターンをキメて両手に持ち替え、ワンパターンな相手の薙ぎに合わせて往なし、肩に担いで一回転、女子プロテニスプレイヤー並みの、恥じらいもへったくれも無い掛け声と共に後頭部へ振り下ろした。
「んん~~………ポォウ!!!」
八尺様が床に両手をついて土下座の体勢を取ると、水飴状に粘度を増した血液を頭から滴らせ、首を傾げて小夜を睨む。
『ぽ、ぽぽぽ!ぽ「ぽぽぽ、ぽぽぽうるっさいわね〜??脳味噌スカスカ、パッパラ・パッパー!そんなんだから、頭パンパカ・パッカーーンされるのよ??」
八尺様の大腕による足払いを勢いが乗る前に小夜が踏み付け、革靴の踵でなじる。
「腕振り回すだけで勝てる訳ないじゃない??そんなのもう、当たんないわよ?『ぽぽぽ!』………うっ!」
腐肉を引き裂き背中を回って異様な動きを見せたもう片方の大腕が、全く躱せなかった小夜の胸倉を掴み、カーテンを押し除け、掃き出し窓を窓枠ごと突き破る。
ベランダへ掃き出された小夜が、外の奈落へ履き出される前に八尺様の腕へと斧を振るい、肉を削いで保持力を奪うと、ベランダの内側へ落下して背中を柵に打ち付け、大手を振って振り下ろされる大腕を屈み込んで柵の上に当てさせ躱す。
「ハッ!何処殴ってんのかしら??『ぽぽぽ!』………うっ!ちょっとぉお??」
八尺様が柵を打った腕に力を加え骨を砕くと、肉を破って突き出し骨が、小夜の肩口を斬り付けてランドセルの肩ベルトに阻まれると、ブラウスの胸元を引っ掛けてボタンを散らした。
「ホントありえないんですけど!?」
抱き着くように振るわれた大腕を飛んで躱しベランダの柵へ着地、縁を掴んでしゃがみ待ち、次いで振るわれた大腕を低めに誘導すると、大きく飛び越え八尺様の顔面へ斧を叩き付けて大開脚、斧を顔面に残し跳び箱飛びで背後に回り受け身もそこそこに踵を返えす。
「ほら、隙を見せたわね???」
二度に亘る頭部への重撃を受け意識を朦朧とさせた八尺様が、ベランダの柵から上半身を投げ出し辛うじて腕を柵に掛けて落ちないように堪える姿を見た小夜に魔が差した。
第003号室 怪影
「フフン………全く、ただデカいだけのザコじゃない?」
『ぽぽぽ………』
何とか堪えて向き直った八尺様の胸元にダイニングチェアが放り込まれ、今度は背面から上半身をベランダの柵の外に放り出して仰け反る。
「よくもぶったわね?ガチ腐れマ〇コが調子乗ってんなぁあ!!」
小夜の投げた二つ目の椅子を払い除け、一歩踏み込んだ八尺様の足元に三つ目の椅子が滑り込んで脛を折る。
「いくらデカくてもゾンビの頭じゃ芸が無いのよ!一発くらい躱したらどうなの??」
四つ目の椅子を頭上に掲げた小夜がバランスを崩して蹈鞴を踏み、八尺様に椅子を奪われる。
「を!?パ~クんな………っ!」『ぽぽぽ………………!』
八尺様が椅子を両手で持ち上げ朝日に掲げ、沸き立つ喉で汽笛を鳴らして振り下ろし、身体を強張らせた少女の頭蓋を砕いて直立した空き缶を踏み潰すかの如く破壊する前に、ベランダの垂れ壁に椅子をぶつけて手離し、大腕のみが空を切るとその頭上に椅子が落ちた。
『………ぽぽぽ!?「あ………!は~~~ん??バ・カ・よねぇえええ⤴︎⤴︎⤴︎!!!」
ここ一番の勝負所で自分と同じ轍を踏んだ八尺様に、自分を棚に上げた小夜が最大限の笑顔で煽り大きく飛び上がる。高打点のドロップキックで八尺様の胸骨を蹴って後方宙返りからスーパーヒーロー着地を決め、痛めた膝を引き摺りながらも八尺様の両膝へタックルをかます。
『……ぽぽ!「きぃえええええ⤴︎⤴︎⤴︎!!!」
八尺様の高い重心と腐れ果てた体幹であっても小夜の細腕では持ち上げ切れず、猛禽のように筋張った八尺様の指が小夜の頭に迫り鷲掴みにする寸前、小夜はランドセルのフタを開き頭上に掛けて防御した。
『…ぽ!「コミュ力ゼロのよわよわゾンビが!」
両脚は諦め片方の脚に狙いを絞って組みつき直し、フタの開いたランドセルから、飛び出す絵本の地図、弾の無い自動拳銃、裁縫道具に鍵開け道具、防災用多機能ライト、画面のひび割れたタブレット端末、藁人形と五寸釘、携帯食料等々がなだれ落ちる。
「いいカゲンしつこい!!」
小夜がランドセルのサイドストラップに掛けられた、防犯ブザー代わりのスタングレネードを引っ手繰ると、ピンを抜いて空になったランドセルに放り込んで八尺様へ壁ドン☆
「いのちの輝きを見ろぉおおお!!!」『ぽぽぽ………!!』
小夜の肩を抱えて口を開き覆い被さった八尺様の眼前でスタングレネードが炸裂する。ランドセルの中を伝い向きの揃えられた衝撃と爆音と閃光が八尺様を弓なりに反り返し、耳のイカレた小夜に残った脚を抵抗なく持ち上げられると、沸き立つ喉で汽笛を鳴らしベランダの柵から落ちていった。
「ざぁ〜こ、雑魚ザコ!ざこざこゾンビ!!腐った身体でナマの人間に勝てる訳ないでしょう?こっちは生肉!賞味期限切れのあなたとは鮮度が違うのよ!!」
自身の声も聞こえないほどに反響する耳鳴りを無視して小夜が勝ち煽り、八尺様はボコボコと断末魔をマンションの谷間に響かせて、立ち込める朝靄に消えるかと思われたが、見えない床に激突したかのように空中で静止し相手の度肝を抜いた。
「え!?………………Wooohy??ナニ???………ゾンビのクセに飛べるとかナシだからね??」
ゾンビでは無く幽霊だったのか?それにしては物理が良く通っていたのにと小夜は逡巡を巡らし、八尺様の限界を超えて身体を捩じる目的の読めない異形の類にしても不自然な所作に、思わずベランダの柵に手を掛けて身を乗り出し睨むように目を凝らした。
「いいえ………ナニか、いるわね………?」
ゆっくりと朝靄に沈んでいく八尺様の身体に、朝靄を押し退け浮かび上がる透明で大きく、太く、長い、蛇のように渦巻き、蛸のように絡みつく触手の異形の影を見て、小夜の眼差しがジットリと憂いを帯びる。
苦痛に喘ぎ救いを求めて手を伸ばす八尺様に小夜が届く訳も無く手を差し伸べ、朝靄に隠れて薄くぼやけた輪郭に小さく手を振ると、不意に詰まった息を吹き出し笑顔を溢して敗者を見送った。
吹き出した息と共に緊張の糸が解け、収まる気配の無い耳鳴りに呻いて両耳を押さえその場に倒れ込む。
「切り札を使ってしまったわ………ザコにしては強い方だったかしら?」
喉を鳴らして吐き気を呑み込み、額に滲む油汗を袖で拭う。ベランダへ仰向けに転がり、上下する胸を拳で押さえ付け、潤んだ目尻を常人の倍は長い舌でもって舐め取る。ボタンが取れてはだけた胸の前で両腕を十字に交差させ、更に両手の人差し指と中指を交差、更に更に手首を傾げて卍を結ぶと、穢れ切りを唱えて不浄を払った。
第004号室 水子
ベランダの床に仰向けで転がりランドセルを枕に、両腕を目隠しにし、押し潰した嗚咽を飲み込んで浅い呼吸を刻む。八尺様に負わされたダメージに、暫く悶えていた小夜の身体へ、日陰を暴いて正午の訪れを告げる太陽が日を差して休息を奪い取る。
屍肉あさりに集まった妖精を白刃の流し目で居合抜き、小首を傾げ切れた唇を小指でなぞり、常人の倍は長い舌で舌舐めずり、健全(?)な肉体と精神の健在を誇示して霊的雑魚を追い払う。
先の戦闘でぶちまけた道具をランドセルに仕舞い直しながら、八尺様の頭に斧が刺さったまま落ちて行ったことに気付き思わず舌を打ち、八尺様の腐った体液に汚されたブラウスを摘んで弾く、意識した途端に鼻を突いた腐臭が、小夜を酷く苛立たせた。
「まずは、着替えかしら………」
小羅盤で風水を適当に読み解き子供部屋へ、生活感漂う学習机に姿勢よく座るマネキンを引き摺り倒し、元々自分の身に誂えられていたかのような、暗緑色のジャンパースカートにボレロとベレー帽と重苦しく少女信仰深い制服に袖を通して姿見に映し、何度か身体を翻して我ながら制服が似合ってしまうのだこの美少女はとほくそ笑む。
お腹が空いたのでオープンキッチンのドアから、赤い液体を滴らせる冷蔵庫を開けて見れば、拳ほどの正方形に切り出され、鮮血溢れるランダムカットミートが一切の隙間無く押し込まれていた。これは団地の冷蔵庫を開ければ大抵手に入る食材だったが、全く血抜きされていないうえ、部位は疎か何の生き物から切り取られた肉か分からないので、ぱっと見でA5ランク霜降りサーロインっ!くらい分かり安いものでないと食べる気にはならなかった。
「ミートガチャは全部ハズレ。………最後にお肉食べたのいつだったかしら?」
冷蔵庫のドアポケットから紅卵をエッグトレイごと取り出して調理台に置き、その手前に食器棚から出した切子硝子の無骨なウイスキーグラスを、卵と同じ数だけ並べてその中に一つずつ割りいれて行く。
団地にある外側から観測できない物体の中身は基本闇なので、卵の中から出て来るものは黄身と白身とは限らず、黄身の代りに大きな魚の目玉が出て来たり、人の胎児が出てきたり、ピンポン玉や生きてるヒヨコ、果ては100カラット近いブリリアントカットのただのガラス玉が出てきたりした。
「今回のたまごガチャもほぼハズレ」
流しの三角コーナーへハズレの目玉と胎児を放り込み、ヒヨコとガラスはそのまま、本物の卵っぽいものはキッチンのボールに移して掻き混ぜる。
「ママ………」
卵を混ぜる手を止めて三角コーナーに薄目で流し目をやると、先程捨てた胎児がモゾモゾ動き、魚の目玉に齧り付いていた。目玉からゼリー状の液体を啜り嚥下するごとに、胎児の身体がひと回りずつ大きくなり、醜く太って行く。
「ママ………!ママ………!!」
ちょっとうるさいので三角コーナーごと冷蔵庫の肉に突っ込んで収納。
「ママぁああ!!くらぁいよママ!!」
「………(卵をかき混ぜる)」
「ママぁあああああ!!」
「………(砂糖大さじたくさん)」
「あああああああああ!!!」
「チッ、(塩胡椒をひとつまみ)」
はぁ、と重々しく溜息を付き冷蔵庫を開ける。赤ちゃんサイズに育った水子を抱きかかえ、お~よしよし今度は冷凍室にしまう。
「ママ!さむいのぉおおおお!!」
「わたしは、ママじゃないのぉ〜〜〜………(カチャカチャ)」
水子霊の扱いなど、こなれたものである。しばらくすると凍ってしまったのか何も聞こえなくなった。
IHコンロでテフロン加工のフライパンを温め、油は引かずに溶いた卵を流し込む。忙しなく菜箸を動かし続け、出来るだけ細かいスクランブルエッグに仕上げると、食パン2枚へ均等に盛り付け、もう2枚のパンで挟み込み、2つのたまごサンドウィッチが出来上がった。
包丁で食パンの耳を切り落とし十字に四等分、サンドウィッチにかじり付き、あまりの味気無さにこんなものかと鼻を鳴らす。
食べきれなかったサンドウィッチを、ラップでくるんでランドセルにしまうと、グラスに入れっぱしだったヒヨコを床に放して八尺様の部屋を後にした。