アンジェリーナさんのお茶会
ある部屋で、一人の女が絵に語りかけていた。
「私がいなくなっても、これであなた達を忘れるものはいません……だから安心してください」
女は目から涙を浮かべ、続ける。
「あなたのおかげで、この村は救われたんですから」
女が微笑むと、絵の中のアンジェリーナさんのも微笑んだように見えた。
*
この時期は暗くなるのが早い、すでに夕日が差し始め、空に浮かぶ雲は影をふくみ雨雲のように濁っていた。
空の一点にはきらりと光る一番星が、姿をあらわしもうすぐ仲間たちが真っ暗な夜空に満ちることを知らせる。
「ほら! 何時間待ったと思ってるんだ! やっぱり何も起こらないじゃないか! 嘘だったんだよ」
レーンは思いのほか強くいってしまったことに後悔したが、口からでてしまった言葉はもう、戻すことができない。
「嘘じゃないわ」
エレナはすかさず言い返す。
まだいうか、レーンはこれ以上は言わないつもりだったが、気付けば口から酷い言葉が漏れていた。
「嘘じゃないか! いったい、何時間待たせるんだ!」
「嘘じゃない! もうすぐ、私には分かるのもうすぐよ!」
エレナは肩を震わせながら、怒った。怒ったかと思うと、こんどは大粒の涙を流しながらなんども、「嘘じゃないわ、嘘じゃないわ」という。起動哀楽が激しかった。
いつものレーンならすでに引いていたが、今回ばかりは引くわけにはいかない。ここまで、みんなに迷惑をかけていて、謝りもしないままでは終われないから。
そこでレーンは、どうして僕はこんなに反発してるんだろう、と自分でも、自分が分からない。
「本当だもん……本当に今日ってアンジェリーナさんがいったんだもん……」
妹の泣き顔を見るのは心が痛んだ。張り裂けそうに痛い。
どうして、僕はエレナのいうことを信用してあげられないんだろう。どうして、僕は良いお兄ちゃんになれないんだろう。
すると、目から熱い液体が流れ落ちた。あれ? 泣いてる。レーンは、自分が泣いていることに気付いた。
きっと、エレナにつられたんだ。頬をつたい落ちる、涙が止まらない。嗚咽までもれる。隠すことなんてできないのに、レーンは袖で目を隠した。
僕はいったい、どうしてしまったんだろう、この気持ちは何なんだろう、レーンは心の内側にある、モヤモヤした気持ちを涙と一緒に外に押し出す。
「お兄ちゃん泣かないで……」
エレナの声が聞こえた。
酷いことをいったのに、どうしてそんなやさしい言葉をかけてくれるんだ。エレナのやさしさが心を引き裂くほどに痛い。
「お兄ちゃん、顔を上げて」
レーンはうつむいて、顔を隠していた。
「お兄ちゃんったら、顔をあげてよ」
レーンは涙でかすむ目をしばたたかせながら、顔をあげた。涙を通してみえる麦畑は黄金色に輝いている。月の光で輝いた、小麦が金の粉を天へと蒔いていた。
その刹那、天と地が逆転した。暗くなっていた、空は黄金色に輝き、昼の明るさを取り戻している。ぼやける目で、周辺を見渡すといつの間にか麦畑の中にいた。
みんな、みんな、麦畑の中にいた。村の人々は突然の出来事にざわめき立っていた。金の粉が麦畑一帯に漂っていた。
「ようこそ、皆々様」
どこからともなく、澄み切った透き通るような声が聞こえて来た。大きな声ではなかったのに、みんなの耳にも聞こえているようだ。
まるで、頭の中に語りかけてくるように、耳からではなく頭に直接聞こえて来た。
「お待たせしましたね。この日が沈む黄昏時じゃないと、ここへは招待できなかったのです。だけど、信じて待っていてくれてありがとう。エレナ、ありがとう」
この声の正体はいったい誰だ。突然麦畑の中央に、空間があらわれた。そして、大きな円卓が刈り取られた、麦畑に鎮座しいる。
「アンジェリーナさん!」
レーンはその名前に反応した。エレナが駆けていった方に目を走らせる。しかし、いない、どこにもいなかった。と、思ったそのとき、確かに猫が出現した。
想像していた以上に小さい、普通の猫と同じぐらいの猫だった。いや、本当に猫なのだが。
「ほらね! 嘘じゃなかったでしょ」
エレナのその言葉を聞いて、レーンは我に返った。どうしようもなく、恥ずかし、申し訳ない気持ちがレーンを襲う。
本当だったんだ……謝らないと。そう思えば、思うほど何を言っていいのか、分からなかった。
「信じてあげられなくて、ごめん……」
やっとでた言葉はそれだけだった。
すると、またあの透き通った声が頭を流れた。
「あなたは信じていなかったのではありません。本当に信じていない者はここにこれません。村の人たちもそうです。誰一人として、疑ったものがいなかったから、みんなここにこれているんですよ」
それを聞いて、レーンは振り返る。「パパ……ママ……おじさん……おばさん……」そこにはみんないた。誰一人欠かけることなく、みんな立っていた。
「レーン、あなたは心の奥底では私のことを信じていたのです」
僕が信じていた。いや、僕は信じてなんていなかった、最初から疑っていたんだ……エレナに合わせる顔がない。
「お話はすんだかな?」
澄み切った声とは違う、男の子の声が聞こえて来た。
その声にアンジェリーナさんは答える。
「ええ、準備してちょうだい」
どこからともなく、あらわれたのは男の子だった。
「あ! あなたは! あのときのお兄ちゃん!」
男の子を見た途端、エレナは驚き声をあげる。
その男の子は白く光っていた。男の子の周辺だけ白く光っている。
「このお兄ちゃんが、山で遭難した私を助けてくれたのよ」
ヘレナとカイルが白い男の子に近づき、「まあ~! あなたがエレナを助けてくれたのね。本当にありがとうございました」続けてカイルが、「ありがとう」と頭を下げた。
「気にすることはないよ。当然のことをしたまでさ。そんなことより、茶会を始めようじゃないか」
すると、いつの間にか村の人々が持っていた、品々が円卓に並んでいることに気付いた。テーブルクロスが綺麗に並び、みんなが持ってきた花々も花瓶にそえられ、みずみずしく輝いていた。
「さぁ、皆様始めましょうか」
*
円卓に座り、みんなは思い思いに、話に花を咲かせていた。
「エレナ、あなたのおかげで私はここから去らなくても済むわ」
「私はなにもしてないわ、みんなが協力してくれたからよ」
まるで夢を見ているようだった。猫が椅子に座り、シェドゥーブルを煮出したアロマティーを飲んでいる。レーンは勇気をだし、聞いてみることにした。
「あ、あの~……もし、あなたがいなくなったら、この村はどうなるんですか?」
小さな手で、器用にティーカップをつかみアロマティーを飲む。いや、飲むというより舐めている。
「麦が育たなくなるわ」
そう平然といってのけた。レーンは戸惑う。
「モーガンとエレナのおかげで、私は去らなくて済むの。私はこの場所が気にいっていたから。本当に良かったと思ってる」
そしてまた、アロマティーを舐める。
エレナはさっきから、疑問に思っていたことを訊く。
「あの白いお兄ちゃんは誰なの?」
白い男の子は円卓中を忙しく回り、みんなにお菓子を配ったり、お茶を入れたり、とにかく忙しく働いていた。
「あの子はこの村に昔からいる神様よ」
予想外の回答に、エレナは驚いた。
「神様なの!」
エレナは円卓に上半身を突き出して、アンジェリーナさんに向き直る。
「ええ、この村の神様」
そういわれ改めて、見てみると確かに神々しい光が少年を包みこんでいる。本当なのかもしれないな、と思うレーン。
村の者たちはアンジェリーナさんのもとまで、やってくると今までのことをわびた。
「あなたのことを今まで忘れていて、いや、知らなくてごめんなさい」
一人の男が頭をさげると、村のみんなも頭を下げた。いろんな色の髪の毛が紅葉した樹々たちのように咲き乱れているように見えなくもない。
アンジェリーナさんはティーカップを円卓に戻して、「もう済んだことですから気にしなくていいのですよ。それに、いまはこうして私たちのことを知ってくれているのですから。だから、気にしないでください」とやさしい声で許した。
村人たちは顔を見合わせ、「これからは毎年この祭日にみんな思い思いに、何かを持ち寄ります。だから毎年お茶会を開いてくれますか」
アンジェリーナさんはくりくりした瞳を細め、ゴロゴロと喉を鳴らすように、
「ええ、これからは毎年楽しみができましたね」
といって、アロマティーを舐めた。円卓を囲むように実り、麦たちはアンジェリーナさんの気持ちを表しているかのように輝いた。
「エレナ……」
エレナは振り返り、「なぁに?」と小首をかしげる。レーンは心を決める。
「エレナ……信じてあげられなくて、ごめん……」
腕を後ろに組んだままのエレナは、「私は気にしてないわ。もうすんだことだもの」と微笑んだ。そのとき黄金色の風がエレナを取り巻き、レーンには天使のように見えた。
それを聞いて、レーンは思う。これから何があろうと、妹を信じよう、と。
めでたしめでたし




