第1話 意地を張る理由
数日後、ザラムとイリーナの婚約が正式に発表された。
「イリーナ様は完全に傾慕していて、一日に何十通も手紙を出しているらしいよ。……兄さんの性格上、返事は期待できないだろうけど」
夕暮れ。タウルは弓を手に、シィエルとルトランのいる中庭にやって来ていた。
「今か今かと待ちわびさせるのは男失格よ。タウルももっと早く返事を書いてちょうだい」
憮然として答えるシィエルに、タウルは苦笑するしかなかった。
彼女の散歩の時間が限られているため、こうして会えない時間は手紙を交わしている。
……が、短文でのやり取りが殆どで、また彼女がストップするまでとの暗黙の了解があるため、終わりの見えないのである。
「だけど、タウルは真っ暗な中で字を書いているのよね?」
「そうだよ。この弓の手入れもやってるし」
「ふぅん。よくやれるわね」
シィエルは芝生に腰を下ろし、物憂いだ様子で両手で頬杖をついた。
「どうかしたのか?」
タウルが覗き込むと、横に伏せていたルトランが抑揚のない声で答えた。
「子供の頃、よく納屋に放り込まれていた」
「そ、そそ、そんなこと言わなくていいのっ!」
「ははっ、そういう文化は地上と同じか」
タウルはそう言いながら、弓に矢をつがえる。
常人の目には薄暗闇しか見えないが、タウルの〈灰色の世界〉には、樹の幹と丸い的がハッキリと映っている。
キリキリと弓を引き絞り、ぴゅん、と矢を放つ――わずかに遅れて、ターン、と音が鳴った。
「はえー……やっぱり凄いわね……」
どこに当たってるか分からないけど、と付け加える。
すると、ルトランは深く息を吐いた。
「槍とはゆかずとも、シィエルも体術などの鍛錬ぐらいしろ。以前より丸みを帯びてるぞ」
「わ、わーっ!?」
食事はパンにスープ、最近ではサラダが付く。
シィエルはこれに舌鼓を打ち、おかわりを要求しているのだ。
「お前はカゴの中の鳥と同じなのだ。囚われの身で肉がつくなぞ、始末に負えん」
「だ、だって、ご飯美味しいんだもん……」
目を逸らしモジモジするシィエルに対し、ルトランは最低限の肉しか食べていない。
「しかし、槍か……」
「下手な期待を抱かせずともよい。捕虜に得物を与えるような愚か者はおらぬ」
「いや、敵意がないことを示せれば、可能かもしれないけれど……」
「なら二度と得られん」
歩み寄るつもりはないとの気概を見せたルトランに対し、シィエルは肩を怒らせて立ち上がった。
「ちょっと、ルトラン! その態度は何なの!」
「ふん」
一触即発の気配に、タウルは宥めに入った。
しかし、一度火が付いたら止められないのか、シィエルはずいと正面に立つ。
「タウルは私たちを受け入れようとしているのに、どうしてそう肩肘張るの!」
「受け入れられるはずがない」
「どうしてよ!」
「我々が捕らえられた時、この地上の者はどのような感情を見せた」
シィエルは言葉に詰まる。
「鎖に引かれながら街を練り歩かされ、石と罵声を投げられる――我らに向ける地上の者どもの目を見たか」
「そ、それはそうだけど……」
顔を曇らせる彼女を見たタウルは、「だけど」と割って入った。
「だけど全員ではない。この城の使用人たちは受け入れようとしている」
「それは、王弟・大公であるお前の命だからだ」
「それだけならもっと批判の声が上がっているし、シィエルもこうして外に出られない。僕の立場はただの肩書きだけ。聡い竜なら既に、それがどうしてだか気付いているだろう」
「反抗する意志を見せないのは今だけだ。せいぜい飛べぬ竜を従えていると思っていろ」
ふんと鼻を鳴らした様子に、シィエルはあっと口を開いた。
「あなた……もしかして、翼を失ったことで拗ねてない?」
「……」ルトランはすっと顔を背けた。
「やっぱりっ! 空飛べなくなったから、ふて腐れるんでしょ!」
地上にはかつて水や火、土や風……と、それぞれの元素の竜が存在していた。
ルトランを筆頭とする天空の竜は風。種が絶滅の危機に瀕した際、翼があったから絶滅を免れた――と、シィエルは話す。
つまり、翼は彼らの誇りでもあるのだ。
「檻から出てもあまり動いてないが、もしかして、翼がないと歩けないのか?」
「いいえ。風の竜は空気を蹴るし、天空では普通に歩いていたけれど……あなた、結構おっくうがってたわよね」
まさか、と二人は目を向け合った。
「だるいから……?」
顔を背けたままのルトランに、タウルは深くため息を吐いた。
「ニワトリですら歩くと言うのに……」
「貴様――ッ!」
ルトランは鎌首を持ち上げ、牙を剥き出しにして睨みつける。
「似たようなものよ! いえ、自分で生きようとする鳥の方がマシよ!」
「ぬうゥゥ……ッ」
これに唸るが、すぐに空気が抜けるかのように意気が萎んでゆく。
「理由は、それだけではないのだ……」
大地を踏みしめると、三メートルほどの巨体を持ち上げた。
夜の空に灰色の輪郭を描き、そして、おもむろに第一歩を踏み出した。……が、二歩目、三歩目と進むにつれて身体が揺らぎ、五歩目にもなると大きくよろけてしまう。
「まさか……! 折れた翼がバランスを狂わせているのか!」
「え……?」
翼を揺らしているが、タウルが射抜いた方の翼はほぼ動かず、もう片翼は完全に折れ曲がったまま――バランスを取ろうとすればするほど、崩れてしまうのである。
「歩くには、翼を棄てなければならない……」
「風の竜にとって翼は誇りよ! これを棄てたら天空では生きてゆけない……! もし戻れても、生き恥を晒し続けることになっちゃうわ……!」
その会話が聞こえたのか、ルトランは空を仰いだ。
星のない漆黒の夜空をじっと見つめ、「墜ちた時点で死竜よ」と静かに呟く。
そして首を、折れた翼に向かって回し――
「ルトランッ、あなた何をッ!?」
「ヌウウウウウウ――ッ!」
夜の空に肉や皮、骨が引きちぎれる音を響かせ――耳を塞ぎたくなる音と共に、空に大きな翼を舞い上げた。