第7話 暗幕
一週間が過ぎたこの日、ザラムは玉座の上でため息を吐いた。
城の暮らしはなんと退屈なものなのだろう。これまで自由にその日、やりたいことをやって生きてきてたのだから尚更である。
目の前には大臣が不安げな顔で控えている。子供頃は大柄だった者も、今では一回り縮んでおり、時間の流れを感じずにはいられなかった。
「マリアンヌはいねぇのか」
大臣が持ってきた書類を見ながら、ザラムはそう呟いた。
書類にはズラリと女性の名が綴られている。
「ダリオ伯の三男の下に嫁がれ、今は四児の母となっております」
「ほー……アイツの締まりは中々だったからな。お盛んになるのは当然か」
「ざ、ザラム様、そのようなことはここで……!」
慌てて周囲に人がいないかと確かめる。
「構わねえよ。嫁の初物を頂いたのが俺だって分かっても、あのヘタレにゃ何もできねえ。――ああそういえば、アンナもいねぇな。あいつは毛生えるの遅くて悩んでて、毎回脱ぐの恥ずかしがってたな」
「……あの、いったい何人の娘御に手出したのです?」
「お? あー……数えたことねえな。えぇっと最初はローリアだろ――」
ザラムは宙を見上げ、指を折り数え始めた。
一度折り返し、三本目で指が止まったかと思いきや、最後に四本目が下りた。
「九だな、確か」
「みな、誤魔化すのが大変だったでしょうな……」
「アイツらから誘って来たんだからしょうがねえだろ?」
蜜肉の味を思い出したのか、ザラムはニマニマと笑みを浮かべる。
「それで、候補はいかほどに?」
「ああ、イリーナでいい」
確認もせずに告げたザラムに、大臣は唖然となってしまう。
「そ、そんな簡単に決めてよろしいので……?」
「よろしいよ。醜女じゃねえんだろ?」これに大臣は、拳で汗を拭った。「ええまぁ、見られる顔であります」
「ならそれでいい」
「では、後日顔を合わせる手配を致しますので――」
そう言うと、大臣はそそくさと退出していった。
誰もいなくなった、がらんとした謁見の間。ザラムはその玉座の上で、
「ベッドにつれてくりゃ、それで済むのによ」
面倒くせえ、と背もたれに体重を預けた。
そしてそれが遂行されたのは、三日後の昼下がりである。
ザラムがワイン瓶を煽っていたその時、謁見の間に一人の女が不機嫌そうにやって来た。
「お初にお目にかかります。ザラム陛下――」
「誰だお前?」
開口一番。女は露骨にムッとした表情を浮かべた。
「リストから名を挙げられた女でございます!」
と、つっけんどんに返事をした。彼女こそがザラムが挙げた妃候補・イリーナである。
これにザラムは、「おお!」と声を上げ、前のめりになった。
「確かに見れる顔だな」
ふっくらとして丸みのある顔だ。やや幼くも見えるが、目鼻立ちのバランスがよく違和感を与えない。痩身であるものの、うす紅色のドレスから覗く肉感のある胸元など、男の情欲を掻き立てる色香を持ち合わせている。
なるほど、と賎しく舌なめずりしたザラムに、イリーナはいよいよ不快感を顔に露す。
「歳は?」
ザラムは不躾に訊ねる。
「二十四です」
「四つ引いても通用するな」
イリーナは眉を寄せ、『とんだ貧乏くじを引かされた』と口の中で呟く。
そんな姿を見て、ザラムは身体を左に傾け、玉座の肘掛けに体重を預けた。
「お前はどこの娘か知らないが、この国の行く末について考えたことがあるか?」
「二十四歳の誕生日を迎え、二ヶ月が過ぎるまで考えたことがありませんでした」
「その後は?」
「今の王が王であり続ければ、この国はあと数年で滅ぶでしょう」
ザラムを真っ直ぐに見つめ、恐れずにそう告げた。
それは、『ザラムが王であれば』との意味であり、極刑を覚悟しての言葉である。
「くく……っ」ザラムは不気味に笑った。ハァーッハッハッハッハ――ッ! 中々言ってくれるじゃねぇか」
凄みのある声に変わり、イリーナの身体中の産毛が逆立った。
紅を差した唇がふるふると震え、目も完全に泳いでしまっている。
「いいだろう。見せてやろう」
ザラムはゆっくりと身を起こし、すれ違い際に「来い」と顎をしゃくった。
イリーナはいよいよ死を覚悟した。
脚を震わせながら、ザラム後を追う。
謁見室の外、それから城の東側の方へ歩みを進め、ザラムはある一角で足を止めた。そこは人気のないどこかの部屋の前のようだ。すぐ横の壁には、換気のための開口部がある。
イリーナはそれに気付くと、思わず足を止めてしまっていた。
「……ッ……」
「なんだ、デカい口叩いたくせに死ぬのが怖いか?」
「ぅ、あ……い、い、ぇ……」
「ハッハッハ! 人気のねぇ場所で処刑なんざしねえよ」
「え……」
開口部から目を向け、「窓の外を見てみろ」と言う。
「お前の目に、何が映っている?」
イリーナはそろそろと窓に近づき、縁に手をかけた。
芝生の上に伏せる竜にドゥドゥ、そしてタウル。
傍らにはシィエルもおり、弓を手にして何かの説明を受けているところだった。
「え、っと……空と山林、そして……芝生の上の竜と、大公殿下――でしょうか?」
「そうだ。そこに俺様が統治する世界があるか?」
ザラムはイリーナの首に腕を回し、囁くように訊ねた。
「え……あ、あの……っ……」
「正直に答えろ」
「あ、ありません……」
声を震わせながら答えると、ザラムは淡々と「だろうな」と頷いた。
「民や家臣が望んでいるのは平和と安寧だ。誰も目的のためなら手段を選ばない〈悪の世界〉なんざ望んじゃいねえ。――俺を支持しない奴は、誰を支持している?」
「あ……の、その……た、大公殿下と聞き及んでます……」
「そうだ」ザラムはニマりと笑みを浮かべ、イリーナの身体を揺すった。「タウルだ」
「しっかし、アイツは長らく真っ暗な部屋で引きこもり、知っているのは狭い世界しか知らねぇ――そんな世間知らずなお坊ちゃんを、果たして王と認められられるか?」
「い、え……」
複雑さをたたえた表情で、小さく頭を振った。
「無礼を承知の上で申し上げます。大公殿下はその、人間的にマシ、との消去法でしか……」
「その反応が正解だ。長く人の目から逃げていた奴、信用も実績もない奴なんか誰も認めない。王になっても、都合よく担ぎ上げられる傀儡にしからならねえだろう。――だが、多くの連中は〈タウル〉を多く知らない。最近だからな、アイツの実力が白日の下に晒されたのは」
イリーナはハッと、それに気付いた表情をした。
竜と、それを繰る少女……これを得たのは、タウルの力によるものなのだ。
「あのブサイクな獣、ドゥドゥはオレが連れてきたんだよ。当時はまだちっこい生き物だったけどな。自力でこの世を生きられない甘ったれを噛み殺してくれるかと期待したが……今じゃ、立派な奴の目・手脚だ」
弓矢の腕も思わぬ方向に転がった、と含み笑いを浮かべる。
「ま、まさか、陛下は……!」
「芝居には暗闇が必要不可欠だ」
ザラムは悪辣な笑みを浮かべ、イリーナに腕を回したまま強引に道を戻り始めた――。
◇ ◇ ◇
ザナブ城から五キロほど南下した町――そこを納めるテザル子爵の屋敷に、イリーナが乗った馬車が戻ってくる。
出発したのは朝、帰ってきたのは日がどっぷりと暮れた頃である。
ぼうっと屋敷に向かうのを見た親は、悪い予想が的中したかのような表情で屋敷から飛び出してきた。
「い、イリーナ……!」
「ああ、お母様……」
「ああ、イリーナ……」母親はぎゅっと娘を抱きしめた。「心配ないわ」
「お母様、私……奪われてしまいました……」
「あぁぁ……犬に噛まれたと思って、後は私たちに――」
イリーナはここでやっと気づき、親を押し離して首を振った。
「ち、違いますっ! 私は決めました、陛下の妻になります!」
「え、えぇぇっ!?」これには母親だけでなく、父や従者までも仰天した。
「みなはあの御方を侮っています。あれほど己と国を知る方はおりません!」
「だ、だが、このままではノスキー国は、〈悪の世界〉になるぞ!」
父がやや憤ったような声で言うが、イリーナはうっとりとした顔で夜空を見上げた。
「それがこの国の行く末ならば、私は陛下のお側で、それを見届けたいと思います」