第4話 獲物は誰のもの
二頭の竜が墜ちたことで、浮遊大陸の兵たちは戦わずして撤退していった。
地上に取り残されたシィエルは捕虜となり、鎖で雁字搦めにされたルトランと共に、リマ国の王・グレゴリーの前に引き出された。
生きたまま騎手を捕らえたのは初めてだ。グレゴリーはシィエルの小さく尖った顎を掴み、大人の中に幼さを残す顔を検める。茶色の瞳が憂いに濁っているのを見るや、顔を下卑に歪め、
『我らの勝利を、民にも見せてやろうではないか!』
兵士たちに向かって、そう高々と宣言した。
初めての勝利宣言に兵士は大いに湧き上がったが、離れた場所からそれを見ていたザラムは、つまらなさそうに唾を吐いた。
「何が『我らの勝利』だクソッタレ。あれは全部、タウルが仕留めたってのによ」
「まぁまぁ。ちゃんと王サマが“ご褒美”くれるってんだから、イイじゃないのさ」
女はザラムの膝に座り、宥めるように汗だくの胸元を撫でる。
シィエルを捕らえた後、やって来たリマ国の軍に“横取り”されてしまったのである。
当然、遅れてやって来たザラムと言い合いになったが、盟主の立場をかざし『民に勝利を示さねばならない』と、尤もらしい理由で退けられてしまう。
「あの女をプロパガンダに使うつもりだぜ。――おいタウル! あのオークの所へ挨拶に行ったら、真っ先に『あれは俺が仕留めた』って主張しろよッ! ちょっとの報酬じゃ割に合わねえからなッ!」
「う、うん……」
まさかの大役に、タウルは弱々しく返事をした。
「くそっ! 竜の死骸も持って行かれたし、女は落ちてた短刀で首突くしよ。これだから豚のケツにつくのは嫌なんだ。やっぱ悪党が一番だ。……おおそうだ、奴らに反旗を立てた時は、あの豚の内蔵えぐりだして――」
ザラムは女を抱き寄せながら物騒な言葉を続けると、事後処理をすべてタウルに押しつけ、さっさと国へと帰ってしまった。
そして二日後。
タウルは父に伴われ、リマ国に立ち寄っていた。
「――タウル様。これでよろしいでしょうか?」
城下町の宿の中。世話役として従軍していたロザリーは、ハンマーを手にしたまま訊ねた。窓に桟板が打ち付けられ、真っ暗になっている。
「うん。これなら大丈夫そうだ」
外は戦勝パレードで賑わっているが、裂けんばかりの歓声もごく僅かにしか聞こえていない。
「では、私は外に控えておりますので――」
恭しく頭を下げ、部屋を後にしようとした時、タウルは「あ」と呼び止めた。
「は、はい! 何でしょう!」
ロザリーは期待するような声で、真っ正面に向き直った。
「パレード、どうだった?」
「え? ああ、んー……『ああはなりたくない』、ってのが正直な感想ですかね……」
「ああは……?」
「あの捕虜の少女ですよ。鎧の下に着てた薄衣一枚、生卵やゴミ、石を投げられ、更に汚い罵声を浴びながら引き回されてるのですから。それに続いて、あの竜の醜悪な顔! ああ、思い出しただけでも恐ろしい……」
両肩を抱いて震える仕草に、タウルは少し沈んだ声で「そうか……」と呟いた。
その様子に、ロザリーはきりりと目を開き、ふっくらとした胸の前で握り拳を構えた。「タウル様が気に病む必要、どこにありましょう!」
「天空の連中は報いを受けて当然なのです! タウル様はむしろ胸を張るべきですよ! あんな恐ろしい竜を、何と二頭も射落としたんですから! 地上の英雄ですよ、英雄!」
竜なんてどんと来い、とロザリーが両手を腰に、誇らしげに胸を反り返らせた。
これにタウルは苦笑を浮かべ、控えめに首を振る。「タイミングがよかっただけだよ」
「あれは竜は騎手の命令を第一に、互いに依存しているから出来たことだからさ」
竜には知能がある。個のために多を犠牲にするような行動に理解できずとも、人の感情を理解できてしまう、と考えたのだ。
「そこに人間同士の、何らかの“繋がり”があれば、彼らはきっと理解を示させざるを得ず――」
「わ、私にはタウル様の言葉が理解できませぇん……」
説明から逃れようと、ロザリーはそそくさと部屋を出て行った。
「残念」
タウルは肩をすくめ、兜を外してベッドの上に横たわった。
ようやくまともな寝床につけそうだ。寝心地はいいとは言えないが、胸から溜まった疲れを吐き出すには十分である。
しかし、外から聞こえるパレードの喧騒のせいだろうか。瞼の裏にあの少女の顔が浮かび、すぐに目を開いてしまう。
(恨まれて当然か)
じっと古めかしい灰色の天井を見つめた。
ザラムは喉を突いて自決した者の手当にあたっていたが、その直前、少女に向かって呪詛を吐いたと言う。見捨てられたと勘違いしたのだろう、とタウルは悟った。
(やはり、死なせてやるべきだったかな……)
対峙した時、彼女は『殺して……』と哀願した。
天空の者は死体ですら犯されるほど憎まれている。生かしても地獄を見る時間が長くなるだけだと思い、タウルは矢をつがえた。。……が、すぐに弓を下げてしまった。
『どうして……』
目に涙を溜めながら、彼女は絶望めいた声を上げた。
『シィエル……こうなれば、助けを待って生きろ……』
『うっ……ぅ……』
これが、最後に聞いた少女と竜の会話であった――。
翌日。タウルは父と共に、街の北部にある城にやって来ていた。
目的は戦に勝利したリマ国の王・グレゴリーを讃えるのを建前に、褒美を受け取るためである。
戦勝の愉悦は城内まで及んでいるようだ。城内を行き交う兵士たちの足取りは軽く、リズムを取るように肩を揺らしながら歩いている。――が、そんな空気に感化されない者も当然いた。
「王の御前であるぞ。兜を取らぬか」
玉座の傍に控える近衛隊長は、粛然とした態度でタウルを咎め立てる。
しかしこれに、父・ザナブはすぐ申し開く。
「申し訳ございません。我が子は目を患っております故――」
正面の玉座に座るグレゴリーは「うんうん」と頷いた。
「よいよい、構わぬ構わぬ。宿の窓を完全に封じ、外に出るときは兜か布を巻いていると聞いておるからの」
「お心遣い、感謝いたします」
「して――そのせがれが、あの竜を?」
グレゴリーの言葉に、ザナブは少し言葉に詰まった。
竜を射貫いたことは話しておらず、最後に少女を説得・投降させた程度に留めているのである。
「い、いえ……あれは、私の愚息とその仲間が――」
「お、おお、あれか……」あまり話題にはしたくないのか、少し押し黙り区切りをつけた。
「まぁ、此度の勝利はその方らによるものが大きい――なので、褒美を取らせたいと思う。何か欲しいものはあるか?」
ザナブはしばらく考え、決心を固めたように顔を上げた。
「では〈竜の牙〉を二本、拝領したく……」
これにはグレゴリーだけでなく、近衛隊長も驚きの声をあげた。
「実はその、愚息がゴネましてな……」
モニョモニョとフェードアウトしてゆくザナブ。
これにはグレゴリーも「ああ……」と、納得したような声を上げるしかなかった。
それもそのはず。ザラムを筆頭とする悪党組織・〈セカンズ〉は、領域内で幅を利かせている悪党たちなのだ。
貴族の次男らも多く全容が把握できない、下手に手を出せばどれだけの影響を及ぼすか分からない、非常に厄介な組織なのである。
「ま、まぁ、竜を捕らえて、あの女も……だしな。いいだろう」
うんと頷いた後、タウルに顔を向け「お前は何がいい?」と訊ねた。
思わぬ言葉に驚き、「え?」と頓狂に聞き返してしまう。
「ふわっはっは! あの女を生きたまま捕らえたことで、私の威光は再び高まったのだぞ! いやあ感謝する。これまで連戦連敗による暗雲は、生きた竜と打ち萎れた女を見せただけで、一気に吹き飛ばされたのだからな! 実に単純な連中よ!」
なるほど……兄が言っていたプロバガンダとはこのことか。
納得したと同時に、タウルの胸に罪悪感が生まれてしまっていた。
――彼女はこれからどうなるのだろう
兵士たちの慰み者か、いやまずは王の慰み者とされるに違いない。
「……少し申し上げにくいのですが」
その言葉は口を継いで出た。
「構わぬ。申せ申せ」
「――あの竜と少女を、私にお与え下さい」
ハッキリと見えぬ〈灰色の世界〉の中でも、誰もが絶句しているのが分かった。
グレゴリーは女をいたぶる悪癖を持っている。獲物は一撃で仕留め、しっかりと食うことが自身の狩猟のセオリーとしているタウルにとって、それを粗末に扱われるのは我慢ならないのだ。
「う、うぬぅ……」
グレゴリーは唸った。
“戦利品”は二つ、それをすべてよこせと言うのだから無理もない。
『り、竜なぞ、どこで飼うと言うのだ! ただでさえ、うちにはあのデカいドゥドゥがいると言うのに……!』
耳元で父が抗議の声を上げているが、タウルは兜のせいで聞こえないフリをした
するとグレゴリーは「竜だけ――」と、そう言いかけた時、玉座の裏の扉から兵士が一人現れ、王の耳元でヒソヒソと何かを話し始めた。
王は憮然とした様子で『本当か』と訊き返す。これに兵士は自信たっぷりに頷いた。
「そうかそうか! ……よし、あの捕虜と竜をお前にやろう!」
「え゛!?」
思わずザナムが驚きの声を上げたが、タウルはそれを無視し、
「ありがたき幸せ」
と、頭を下げていた。
タウルは出口近くの待合席に座っていた。
どれくらいの時間が過ぎたのか。灰色の世界をぼうっと眺めていると、そこにザナムが渋い表情で向かってくるのが見えた。
廊下の向こうはまだ明るく、背にしている真っ白な光が眩しい。鎖に繋がれた少女の輪郭がハッキリしてくるにつれ、父の表情の意味が一つではないと気づいた。
(やはり、地下牢に放り込まれてそのままか……)
ほぼ一週間、糞便すら回収されない所で監禁されていたのだろう。鼻をつく悪臭をまとっていたのである。
「タウル。竜のところにゆき、どうにかして連れてこい」
タウルは少女に目を向けたが、伏せ顔を脂に汚れた髪で隠したまま、身じろぎ一つしなかった。
「……分かった。あとその子に、食事と水を与えてあげて」
「言われずとも分かっている。途中で死なれては困るからな」
「衰弱してるようだし、帰りは馬車に――」
「こいつは捕虜だぞ。死にさえしなければいいのだ」
ザナムは語気を強めて言うと、じゃらりと鎖を引いて出口へと向かってゆく。
(やれやれ……)
鎖に身を委ねる少女を見送ると、タウルは従者と共に城の裏庭に足を進めた。
手入れが行き届いていない荒れ地のような場所だ。そこに遺棄するかように、車輪のついた巨大な檻が置かれてあった。
「は、早く連れて行ってくれ!」
タウルを見るなり、見張りの兵士が上ずった声を上げた。
自力で雁字搦めにされていた鎖を断ち切ったのだろう。檻の周辺には鎖の破片が散乱し、痛々しく翼が折れ曲がった竜の巨躯には、まだ新しい傷痕が残されている。
従者もこれに息を呑む中、タウルだけは平然と竜に近づいてゆく。
「確か、ルトランだったか」
ルトランは正面に立ったタウルを一瞥した。しかしすぐに興味を失ったのか、長い鼻息を吐きながら再び目を閉じた。
「傷を腐らせ、苦しみながら死ぬか?」
「……」
「そうか。ではそちらの騎手は、シィエル、と言う名で合っているか?」
何も反応しなかったルトランであったが、これにはぴくりと瞼を動かした。
やはりシィエルと言う少女が痛みどころのようだ、とタウルは確信めいたように頷く。
「次の言葉に気をつけろ――」
ルトランはやっと目と口を開いた。「我の息は、貴様を貫ける」
怒りに唸るような声に、兵士と従者が一斉に後退した。
しかし、タウルは目を逸らさず、直立のまま毅然と言葉を続ける。
「やれるなら、既にやっているはずだ」
「どうして言い切れる」
「私は竜を二つ射抜き、一人を死なせ、そちらの騎手を捕らえた。理由としては十分だ。だが鎖を断ち切るほどの力があるにもかかわらず、それを使わないで大人しく檻に入っているのは、生き残った少女に危害を及ないようにするためだろう?」
ルトランはしばらく押し黙り、やがて深く息をついた。
「……だからまだ尚早だと言ったのだ」
その言葉には、行き場のない憤りが感じられた。
「言葉を発せられるなら、その説教もできるだろう」
「……どういうことだ」
「私は彼女を貰い受けた。これから国に移送するところだ」
ルトランは頭を持ち上げ、真っ正面からしっかりとタウルを捉える。
「彼女を天涯孤独の身にしたいか、それとも共に参るか」
「それは貴様が選ぶがいい」
ルトランは再び頭を下げ、再び長い鼻息を吐いた。