第7話 再会と紹介と形骸
決闘が終えたところにやって来た少女、それはやはりシィエルであった。
純白のウェディングドレス姿。一生に一度の晴れ着にも関わらず、シィエルは裾を汚しながら駆けつけ、言葉を交わすよりも先に口づけを交わす――。
一方的なものであったが、それを見せつけられるセレアルにはより酷なものである。……にも関わらず、傍にいたプレジールは、
『ワテ明るいけど、空気読まずに言葉かけた方がエエか?』
と、すごすごと退散してゆくセレアルに、追い打ちをかけた。
その横で、シィエルはキスをしながら、タウルの身体を左右に振り動かし続け、やっと口を離したかと思えば、
――こんな所まで、いったい何しにきたの?
これにはタウルも兜の下で眉を寄せてしまう。分かっていながら訊ねるのである。
なので……
――シィエルを取り戻しにきた
その言葉を聞くまで、シィエルは悪戯な笑みを浮かべ続けた。
それから二人は、いよいよ貴族たちが棲まう居住区へと向かっていた。
目的はただ一つ。シィエルの両親への挨拶である。
これまで見た邸宅は、平石を積んだ平屋造りが殆どだ。間取りもさほど広くなく、三人ないし四人が精一杯のものと言える。往来用の道には石床を敷いているも、彼らの住宅地付近は土のままだ。
しかし、貴族の邸宅はまるで別世界であった。高い階層を持ったレンガ積みの建物がずらりと並び、均一に切り揃えられた石畳が、美しいデザインを描いているのだ。
そしてその区画の外れに位置する建物。他とは一回り小さな建物は今、重い空気に包まれている。
「……」
「……」
そこはシィエルの実家であった。
タウルとシィエルの父・アヴェルス――二人が応接間で顔を合わせてからずっと、沈黙の中でにらみ合いを続けていた。
既にエストール家と一悶着あったことが伝えられているのだろう。眉間には怒りと絶望の溝を刻まれている。
あまりに話が進まないからか、外にいるルトランが窓を叩く。
「前に座すのは地上の王だぞ」
「うぅ、むぅ……」
アヴェルスは心底嫌そうな顔をした。
「まぁ、よくおいでになられた」渋々と言った様子で口を開く。「……で、いつお帰りに?」
「――もう一度、我に雷を落とされねば解らんか?」
ルトランが目を据わらせると、アヴェルスはがくりと肩を落とした。
『好き合った者がいたと知りながら、己の都合で引き剝がすし、己の都合を押し付けるとは何事だッ――それが親のあるべき姿かッ! 恥を知れッ!』
家の前に姿を現した早々、ルトランの雷が落ちたのである。
その声は、浮遊大陸が揺れているいるのかと思うほど、恐ろしく轟き渡った。
「はぁぁ……どのような用向きで?」
「シィエルを私の妻に。妃として迎えたいのです」
やっぱりな、と憎々しげに漏らす。
「タイやエストールの者より、いくつか聞き及んでいる。そちの国でシィエルを嫁に迎えることは、些か厄介な障害が大きいのではないか」
「その原因がこの地にあるのです。それを解決すれば、シィエルへの悪感情は緩和されてゆくことでしょう――現に彼女を受け入れようとする者も増え、“騒ぎ”さえ起こらねば、更にその存在を確たるものにできていた」
「ふん……ピステが闇の竜を産もうとしていたと言う、馬鹿げた話か」
言葉を返すアヴェルスは、嘲るように口を歪めた。シィエルから既に伝えられているものの、『竜の誇りが地の底まで墜ちるものか』と、まったく聞く耳を持たないと言う。
だが、こうなるのは予想できていた。ならばと、タウルは次の手・バーランド家の日記を差し出す。この著者は天空の者、それも王族直下の貴族である。
アヴェルスはぐっと息を呑んだ。
そして、パラパラとページをめくるとすぐ、くすんだ木の天井を見上げる。
「……これを読み解くには、しばらく時間がかかるだろう」
前屈みになって大仰に腰を上げると、タウルも膝に手をついて立ち上がった。
「それまで宿に――「タウルの部屋は一階の客間だ」」
ルトランの言葉に遮られ、アヴェルスは顔を渋くしたまま応接間の扉を開く。
するとその外では、シィエルが立っていた。服を着替えたのか、長いシンプルな長袖のワンピースに、前開きの胴着と言う姿であった。
「話は終わった?」
取り繕った様子で訊ねる。
「ま、まぁ今日のところは」
「そう。じゃあ今度は移住の打ち合わせね」
もはや父親は形骸化しているらしい。シィエルは笑顔でタウルの手を取ると、
「この家の案内してあげる!」
そう言って、屋敷の奥に向かって引っ張り始めた。
書斎や食堂、倉庫など……案内しながら、会う者すべてにタウルを紹介して歩く。
ずっと喜色満面の笑顔だったものの、二階に到達するなり顔を強張らせ始め、ある部屋の扉の前に来ると、扉の前で大きく深呼吸をするほど緊張していた。
彼女の様子に疑問を抱いたタウルであったが、小さなノックに応じ、迎えてくれた者を見て納得した。
「ようこそ――地上の王・タウル・マルジュ陛下。私はアヴェルスの妻・ミストラルと申します」
「初めまして、ミストラル様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
シィエルの母親の部屋なのである。タウルは握手をすると、ハグをして背中を叩き合う。
母親・ミストラルの第一印象は、“美しい年の取り方をしたシィエル”であった。特に凛とした目はそっくりで、透き通るような瞳を娘に向けながら微笑みを浮かべた。
「お母さん、その……」
「不合格、なんて言ったら家破壊しそうね」
「ど、当然よ! じゃあその……合格?」
「そうとしか言えないわ。天空の地まで追いかけてくるほど、娘を想ってくれている。しかもそれのみならず、男の敵を二つも撃退したのよ。いい殿方と巡り会ったわね」
「お母さんっ!」
シィエルは嬉しそうに母親に抱きついた。
“合格”以上の言葉がないのが惜しい、との評価に、タウルは気恥ずかしそうに首の裏を揉んだ。
「タウル陛下。手厚く保護して頂いたこと、心から御礼申し上げます」
「いえ……その原因を作ったのは私でもありますし、ご親族の方も――」
ミストラルはと小さく頭を振った。
「互いに大切な存在を失った、それだけに留めておきましょう。ピステの両親にも、陛下の善行を話し、矛を抜かぬよう伝えてありますので」
「なんと……」
タウルは深く頭を下げる。
「それで……シィエルは大人しく、借りてきた猫のようにしておられましたか?」
「お、お母さんっ!? ――あ、そ、そうだ、まだ案内したいところがあるから!」
シィエルは慌ててタウルを袖を引っ張り、そそくさと部屋から退散してゆく。その間際、タウルは口元に笑みを浮かべ、『いい風をもたらしてくれました』とミストラルに告げた。
次に目指した場所は、そこから反対側に位置する場所であった。
掃除が行き届いているが、壁には何かで殴ったような痕が散見される。ちょうどその前の扉に差し掛かると、シィエルは言いにくそうにタウルを見上げた。
「ちょっと散らかってるけど、気にしないでね」
扉のノブを下げる。
室内からふわっと漏れ出た空気は、シィエルの匂いがした。
「……倉庫?」
「ち、違うわよっ! 帰ってきてからバタバタしてて、こ、こうなっただけ!」
くすんだ木の床には脱ぎ散らかした衣類が、入り口から右手にある大きなベッドの上には寝着が散乱している。
その横の戸棚には、平積みにされた埃まみれの書籍とピカピカに磨かれたトロフィーが置かれ、壁際には槍や剣が雑に立て掛けられていた。
「……帰ってきてから二週間くらいあるよね?」
「こ、こっちの二週間は二日ぐらいの感覚なのよ!」
「天空は時間が止まっている、みたいなこと言ってなかったっけ」
「こ、個人差があるの!」
物で賑わう簡素な部屋。これこそがシィエルの部屋であった。
表現しがたい臭いも混じっているが、どこか落ち着くような空気に満ちている。
「まぁ、シィエルらしい」
「でしょう?」
シィエルは艶めかしい声で言い、首に腕を回してきた。
窓には桟板を立てているため、兜を外しても大丈夫だ。床の上に投げ落とすと、二人は貪るように唇を重ね合う――憚るものがない部屋の中では、しばらく甘い吐息だけが響き続けた。
「……私ね、実は一人で闇竜を屠ろうと考えていたの」
「危険なことを……」
「だって、そうしなきゃ……タウルと会う理由が得られなくなっちゃうから……。悲劇のヒロインでいるのは嫌、欲しいと思ったのは力づくで手に入れる側がいいわ」
「竜の女らしい――」
どちらからともなく、ついばむように唇を重ね合う。
「でも、〈闇の繭〉の場所は掴んでいるわ。教会の下、先代の竜の頭骨を安置しているカタコンベよ」
「か、カタコンベって……天空の者は、そんな場所に憧れるのか?」
「天空の者は全員、竜の子でもあるからね」
結婚式で行われる儀式の一つだ、と言う。
地上では関係者の前で誓いを立てる。しかし天空では、新郎新婦はカタコンベの奥へと向かい、先祖の竜の前で誓いを立てるようだ。
「シィエルが連れ去られたと聞いてから、僕は何も考えられなかった。ルトランがいなければどうなっていたか……」
「あら、タウルは考えない方が素敵よ?」
会話の合間を埋めるように唇を合わし、ややあってシィエルは背後のベッドの方に体重をかける。
短い軋みをあげたベッドの上に横たわろうとした、まさにその時――
『ン゛、ン゛ン゛ッ!』
扉の方から、母親・ミストラルと思わしき喉鳴りがし、タウルは慌てて飛び退いた。
そして、『挙式が終わるまで、交わりは御法度でありますよ』、と言い聞かせるような、厳しい声が響いた――。




